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広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)小史

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)

建立年月日 場所 備考
19520806 平和公園(広島市中区中島町)

広島平和都市記念碑(原爆慰霊碑)

平和記念公園には、戦前、中島本町、天神町、材木町、元柳町が存在し、店舗や住宅約700軒が密集していた。この地域は、原爆爆心地からほぼ500メートル圏内に位置しており、原爆攻撃により壊滅した。戦後、広島市は、この場所を、公園(中島公園)とすることを計画した。広島市は、1949年4月20日、この公園を平和記念公園として建設することとし、設計図を全国に公募した。7月18日に募集を締め切ったが、応募作品は145点におよんだ。この中から選ばれたのは、丹下健三ら4人の共同作品であった。
この公園は、広島平和記念都市建設法の公布(1949年8月6日)にともない、その裏づけのもとに建設されることとなった。49年10月3日、東京で平和文化都市建設協議会の第1回会合が開催されたが、そこでは平和の理想を象徴する平和記念施設として、①記念公園(平和公園)、②記念館、③記念街路(平和緑道)が建設されることとなった。
①は、本川と元安川に抱かれた三角州の頂点に位置する中島公園(=平和広場、3万2、200坪)とその東側対岸の4、800坪(旧広島県産業奨励館敷地)と、その東北に接続する旧広島城跡を中心とする中央公園(=市民広場、22万坪)を総合した公園とされた(その後、中央公園部分は平和公園から外される)。③は、中島公園南端を基点として、東西に伸びる延長約4、000メートル、幅員100メートルの街路であった(後に「平和大通り(百メートル道路)」と呼ばれる)。また、②は、中島公園およびその東側対岸に設置するものとし、その内容としては、つぎのようなものが考えられていた。
(a)平和会館 2、500人収容の会議室及び事務室、原爆関係資料陳列室等。
(b)平和アーチ 張間120メートル、高60メートル、頂点に五つの鐘を吊す。
(c)慰霊堂 原爆犠牲者の遺骨並びに銘を納める。
(d)原爆遺跡 原爆により破壊された旧産業奨励館の建物を補強し保存する。
(大島六七男「復興の足どり」)
1951年2月21日、東京で第4回広島平和記念都市建設専門委員会が開催された。この席上、浜井広島市長は、「今夏で7回忌を迎える原爆都市の慰霊塔関係の設立を急ぎたい」との意向を述べた。しかし、建設省は、広島市の納骨堂を含む「慰霊塔」案は、墓地であり、公園法の建前から認められないと、難色を示した。そこで広島市は、遺骨の代わりに名簿を奉納することとし、8月6日までの式典に間に合うように碑を建立することを決定した(「中国新聞」51年2月22日)。しかし、碑は、51年の8月6日には間に合わず、52年3月末着工した。
碑の設計者は、丹下健三であった。コンクリート素打の工法で埴輪をデフォルメした設計で、当初案の巨大な「平和アーチ」は、正面から見た底辺4.7メートル、高さ3.67メートル、横から見た上辺8.29メートル、下辺5.26メートルのはにわ型に縮小・変更された。原爆死没者名簿を奉納するため、碑の中央に黒い御影石製の矩形の箱が配置された。そして、この箱の正面には、雑賀忠義が作成した碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」(雑賀の英訳:Let all the souls here rest in peace ; For we shall not repeat the evil.)が、刻み込まれた。この碑は、建立当時から「原爆慰霊碑(原爆死没者慰霊碑)」と呼ばれたが、碑の正式名称は、「広島平和都市記念碑」である。工費は、300万円であった。
広島市は、1984年1月、碑改築の方針を発表した。その理由として、コンクリートの石灰分が表面に吹き出して中の鉄筋の腐食が進み、碑にひびが入ることが明らかになったこと、原爆死没者名簿が32冊入っているが、あと数冊の余裕しか残っていないことの二つがあげられた。改築工事は、同年7月23日から始められ、翌85年3月26日、新慰霊碑(旧慰霊碑と同型で材質はコンクリートからみかげ石に変更)の除幕式が行なわれた。

 

広島市の原爆死没者調査趣意書(1952年)

広島市原爆による死没者調査についての趣意書

広島市役所

今回広島市の原爆による死没者調査を全国にわたって実施致しますので、調査洩れのないよう関連者の方々からの申告を切望致します。

一 調査の目的

広島市の平和公園内に(慰霊堂)が建立されるので、本年の七回忌を期して全死没者氏名等の名簿を作成し、これを合祀することを目的とする。

二 調査の時期

五月中・・・・・・申告者に調査票を配布し、回収する。

七月中・・・・・・関係者の名簿縦覧期間とする。(遠隔地はハガキ等による照会、応答を実施)

三 調査の対象者

広島市に投下された原子爆弾により直接に、又は原爆の影響を直接の原因として死没された方全部を含む。これ等の人々を関連者からの申告に基づいて調査する。

例えば

〇原爆時に即死された方、行方不明となられた方、火災、重傷等で死没された方。

〇原爆時に負傷し、その後それが原因で死没された方。

〇原爆時には傷もなく元気であったが、その後原爆の影響で死没された方。(炸裂時に広島市外にいた方も含む)等何れも該当者とする。

四 調査の方法

〇広島市内及び広島県下については特別に徹底を期して、調査票も市内は全世帯に配布、県下も多量配布し、個人票以外に事業体、学校、団体、病院、寺院等には連記制調査票も配布する。

〇各県の地方課から各区町村役場の関係課係を通じて連絡員(部落の世話人)前国勢調査員、学校の生徒達の御協力により、或いは告知板の利用等により申告者に調査票を入手させ、記入して貰う。

〇記入済の調査票は入手した市区町村役場へ提出して貰い、更にこれを都道府県の地方課に募集の上当市に御送付を願う。

申告者と死没者との関連の限界

家族、親戚、知友、近隣、戦友その他凡ゆる範囲にわたって記載して貰う。

但し自分の家族以外の死没者については、その死没者が遺族等から確実に申告されると推定されるものは省くこと。即ち「この人は自分が申告しなければ洩れる」と判断され る人を申告して貰う。

五 調査の項目

1、死没者の氏名

2、性別

3、死没者の年令

4、死没者の当時の住所

5、死没者の当時の職業

6、死没年月日

7、直接の原因

8、死没の場所

9、被爆時にいた場所

(以上9項目を設けることにより、同姓、同名の死没者等も明確に区分される。)

六 周知宣伝

全国主要新聞、並びにラジオ周知放送により極力周知を図り、出来る限り申告者が市区町村で調査票を入手されるよう努める