広島県医療社会事業協会『患者と福祉 1972』1972年10月10日発行
目次
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上村吉郎 |
巻頭言:社会福祉の向上を<広島県医療社会事業協会長> |
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江崎須賀子 |
人工血液腎臓透析医療のかかえる問題 |
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特集=社会福祉士法制定試案を考える |
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三村正弘 |
「社会福祉士法」案に対する提言 |
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特集=老人と医療 パネルディスカッション(=1971年12月16日開催の広島県MSW協会第2回研修会のまとめ) |
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<出席者>上村吉郎、*江紀雄、若林節美(広島原爆病院、MSW)、田中勉<助言者>和田直(広島大学名誉教授、ABCC顧問)<司会>早川美子(原爆対策協議会、PSW) |
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事例研究 |
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西村清登 |
事例4:ある婦人の腎臓摘出手術をめぐって |
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早川美子 |
事例7:ある被爆家庭の人間関係(PSW、現広島県立精神衛生センター専門員) |
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特集=原爆被爆者対策に考える= |
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志水 清:原爆被爆者対策に対する提言 |
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宮本秀夫:被爆者対策の基底 |
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西谷義則:被爆保護世帯の実態と今後の課題 |
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事例研究 |
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若林節美:入院拒否を続けた原爆被爆母子家庭 |
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児島美都子:講評/遅すぎたケース紹介 |
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広島市政白書
広島市政白書 |
編・発行 |
発行年月日 |
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(第1次) |
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197412 |
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(第2次)住民参画の広島市政を実現するために |
広島市職員労働組合・広島自治体問題研究会(編集)広島市職員労働組合(発行) |
19781010 |
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14.平和教育、17.被爆者問題 |
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(第3次)広島・ヒロシマ |
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19831021 |
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(第4次) |
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19861225 |
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(第5次)10年のあゆみ・これからの広島 |
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19901227 |
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(第6次)くらしといのち 輝く広島に |
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19950324 |
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(第7次)ひろしまの明日のために |
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19990110 |
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出典:『広島自治体問題研究所20年の歩み―21世紀の地方自治をひらく』 |
『地域と科学者第3号』(日本科学者会議広島県支部機関誌)
支部創立10周年特集
〔座談会〕「平和と学問を守る大学人の会」の記録―日本科学者会議広島県支部との関係 |
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出席者 |
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佐久間澄 |
広大名誉教授 |
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横山英 |
広大文学部 |
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北西允 |
広大経済学部 |
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中村義知 |
広大政経学部 |
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今中比呂志 |
広大総合科学部 |
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大森正信 |
事務局、司会 |
1 |
「大学人の会」の生い立ち |
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活躍された人々 |
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3 |
活動の内容 |
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4 |
困難の台頭 |
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5 |
’69年安保のころ |
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6 |
日本科学者会議とのつながり |
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7 |
広教組との関係 |
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8 |
「大学人の会」のそのほかの活動 |
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9 |
「大学人の会」の今後 |
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平和のために市民の対話をすすめる会 設立:1968年11月17日。
平和のために市民の対話をすすめる会・会誌(「対話の会」事務局発行)
号 |
発行年 |
目次 |
1 |
19690101 |
「対話の会」 その発足と経過 |
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「第一回市民対話のつどい」記録 青年とヒロシマ 経過 |
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平和グループ名簿(在広島) |
2 |
19680415 |
市長を囲む市民対話のつどい記録 |
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大本営復元のいきさつ |
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韓国在住被爆者の実態 |
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広島にうたう(深川宗俊) |
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「ヒロシマ研究の会」紹介 |
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「平和を願う友の会」紹介 |
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平和グループ名簿 |
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通信・投稿欄 |
3 |
19690715 |
ガイガー博士の講演 |
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ベトナムと今後の日本 |
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これからの市民運動 |
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バーバラ・レイノルズ女史が広島で行なった活動の評価と広島市民の立場 |
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通信・投稿 |
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編集後記 |
市長を囲む市民対話のつどい 1968年3月1日
日時 |
昭和43年3月1日、午後6時15分~9時 |
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場所 |
平和記念館1階講堂 |
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主題 |
広島市民の生活と平和 |
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参加人員 |
約150名 |
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集会次第 |
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司会 |
橋本栄一、今堀誠二 |
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開会挨拶 |
庄野直美 |
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話題提起 |
山田節男広島市長、田淵実夫広島市平和文化センター局長 |
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自由討論 |
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閉会挨拶 |
原田東岷 |
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出典:平和のために市民の対話をすすめる会『ヒロシマ 平和のために市民の対話をすすめる会・会誌2号』(1968年4月15日)
非核の政府を求める広島の会 1987年6月13日結成
略年表
年月日 |
事項 |
19870613 |
結成総会。 |
19870720 |
非核の政府を求める広島の会ニュース第1号発行。 出典:『非核・ヒロシマの声』) |
19880618 |
第2回総会 |
19880713 |
第1回学習講座。講師=大森正信広島大学教授 |
19890624 |
第3回総会 |
19900714 |
『非核・ヒロシマの声』(非核の政府を求める広島の会、19900714)刊 |
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広島学講座(創価学会) 1989年2月~
第1回 |
1989年2月 |
広島県民俗学会常任理事 |
神田三亀男 |
途上採集からみた広島学 |
第2回 |
1989年3月 |
中国新聞社論説主幹 |
大牟田稔 |
平和のための広島学 |
第3回 |
1989年4月 |
広島女性史研究会代表 |
北西英子 |
ヒロシマの女たち |
第4回 |
1989年6月 |
比治山女子短期大学助教授 |
宇野憲治 |
竹西寛子の「管弦祭」を読む |
第5回 |
1989年9月 |
広島ユネスコ協会会長 |
河村盛明 |
ひろしま文学紀行 |
第6回 |
1989年12月 |
広島大学文学部助教授 |
岸田裕之 |
戦国時代の領主連合 |
第7回 |
1989年12月 |
広島大学教育学部助教授 |
町博光 |
今、広島弁がおもしろい<上> |
第8回 |
1990年3月 |
毎日新聞広島支局記者 |
小松健一 |
ヒロシマを取材して |
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<以下未入力> |
出典:http://www.pv-hiroshima-soka.jp/activity/lecture/backnumber/ |
青年平和文化講座(創価学会) 1973年~
http://www.pv-hiroshima-soka.jp/activity/lecture/backnumber/
年月 |
講師 |
肩書(当時) |
テーマ |
197308 |
原田東岷 |
外科医 |
ヒロシマの外科医として |
197404 |
伊藤満 |
創価大学教授 |
人権と平和 |
197608 |
熊田重克 |
中国新聞論説副主幹 |
現代における核の状況 |
197608 |
丸山益輝 |
広島大学教授 |
広島の青年の役割 |
198003 |
今堀誠二 |
広島女子大学学長 |
私にとってのヒロシマ |
198004 |
畑博行 |
広島大学教授 |
日本と平和主義 |
198007 |
高橋昭博 |
原爆資料館館長 |
私の被爆体験と広島の心 |
198203 |
熊田重克 |
中国新聞論説主幹 |
広島と沖縄を結ぶ想像力 |
198302 |
豊永恵三郎 |
広島電機大学付属高校教諭 |
朝鮮・韓国人被爆者と私達 |
198308 |
深川宗俊 |
歌人 |
朝鮮・韓国の被爆者 |
198310 |
伏見康治 |
元日本学術会議会長 |
地平から平和の巨塔を |
198404 |
日隈健壬 |
広島修道大学教授 |
21世紀の広島が見える |
198408 |
北西允 |
広島大学教授 |
反核・平和運動の状況と展望 |
198503 |
磯野恭子 |
山口放送テレビ制作部次長 |
生命(いのち)の鼓動を伝えて |
198504 |
山田浩 |
広島大学教授 |
これからの平和問題と私達 |
198603 |
片岡徳雄 |
広島大学教授 |
いま、教育の原点を考える |
198706 |
川本義隆 |
原爆資料館館長 |
世界のヒロシマ 使命と責任 |
198709 |
大野允子 |
児童文学作家 |
あなたへのメッセージ |
198711 |
秋葉忠利 |
広島修道大学客員教授 |
ヒロシマの心と広島に住む若者の役割 |
198802 |
小倉桂子 |
HIP代表 |
一人の力が平和の万波に |
198805 |
二宮皓 |
広島大学助教授 |
世界のなかのヒロシマ |
198809 |
目瀬守男 |
岡山大学教授 |
地域活性化と青年の役割 |
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ヒロシマ・フィールドワークの歩み
1994年以来、広島平和記念公園およびその周辺を巡るヒロシマ・フィールドワークを年に1回実施してきた。
2003年以降は、平和公園周辺に住んでおられた方をお招きし、かつての町の様子を証言していただいて、その後一緒にその町の跡を巡ることとした。
出典:『証言 町と暮らしの記憶 中島本町・材木町・水主町』(編集:ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 中川幹朗)(発行:2017年8月5日=ピカから26297日)
関連文献(広島平和記念資料館「平和データベース」を「キーワード:ヒロシマ・フィールドワーク」で検索した結果)
書名 |
著者 |
出版者 |
出版年 |
’93修学旅行 |
日本福祉大学付属高等学校第2学年 |
日本福祉大学付属高等学校 |
1993/9/1 |
広島・大久野島への旅-被害と加害の挟間 ’93広島修学旅行研究集録 |
名古屋大学教育学部附属中学校3年生編 |
名古屋大学教育学部附属中学校 |
1994/2/21 |
平和と交流1999年版(平成10年度事業) |
広島平和文化センター |
広島平和文化センター |
2000/2/10 |
証言原爆で消えた町から |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会編 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 |
2007/1/26 |
証言町と人の記憶 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会編 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 |
2010/5/5 |
消えた町 記憶をたどり 絵と証言 森冨茂雄 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会編 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 |
2011/8/5 |
2014年度 第21回ヒロシマ・フィールドワーク(チラシ) |
|
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 |
2014/7/27 |
証言記憶の中に生きる町 中島本町・材木町・天神町・猿楽町 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会編 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 |
2015/5/3 |
証言 生きている町 原爆で灼かれた材木町・中島本町 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会編 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 |
2016/5/3 |
証言 江波に生きる 大岡貴美枝さんの語る暮らし・戦争・原爆 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会編 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 |
2016/9/17 |
証言 町と暮らしの記憶 中島本町・材木町・水主町 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会編 |
ヒロシマ・フィールドワーク実行委員会 |
2017/8/5 |
広島県動員学徒犠牲者の会 1957年2月17日
略年表
Y |
M |
D |
NEWS1 |
57 |
02 |
04 |
広島県動員学徒犠牲者の会結成準備委員会、広島県庁で開催。 |
57 |
02 |
17 |
「広島県動員学徒犠牲者の会」結成大会、広島県庁で開催(約100人参加)。動員学徒も軍人・軍属なみの国家補償を要求すると宣言。 |
57 |
05 |
31 |
広島県動員学徒犠牲者の会、「友の会だより」を創刊。 |
57 |
10 |
20 |
広島県動員学徒犠牲者の会、第1回動員学徒慰霊法要を光道会館で挙行。終了後、平和公園供養塔に参拝。 |
58 |
07 |
06 |
広島県動員学徒犠牲者の会、第2回動員学徒慰霊法要を広島市寺町・本願寺別院で挙行。終了後、原爆病院の患者を見舞う。 |
59 |
04 |
12 |
広島県動員学徒犠牲者の会、第3回定期総会を広島女学院講堂で開催。 |
60 |
08 |
06 |
中山マサ厚生大臣、広島市内の旅館で県動員学徒犠牲者の会・県身体障害者団体連合会など県内23団体の陳情を受ける。広島市、原爆総合医療研究所の設置を要望。 |
66 |
06 |
20 |
準軍属広島遺族の会(1958年5月、援護法改正期成同盟会を改称)、解散総会をあげ、広島県動員学徒犠牲者の会に合流。([動員学徒誌]) |
69 |
04 |
09 |
広島県・長崎県動員学徒犠牲者の会交歓会、長崎市国際文化会館で開催。 |
73 |
08 |
20 |
広島県動員学徒犠牲者の会の代表3人、首相官邸で二階堂官房長官に、遺族・傷害者の恩給などの改善を陳情。 |
78 |
11 |
07 |
広島・長崎の動員学徒犠牲者の会、島原市で交流大会。 |
80 |
01 |
10 |
「広島県動員学徒犠牲者の会」理事長沖本喜夫、死去。 |
91 |
08 |
06 |
広島県動員学徒犠牲者の会、広島市平和公園の慰霊碑前で第35回原爆追悼式と供養会(約500人参列)。 |
94 |
04 |
17 |
広島県動員学徒犠牲者の会、動員学徒の50回忌法要を進徳学園で挙行。約400人が参列。 |
95 |
08 |
06 |
広島県動員学徒犠牲者の会、追悼式を平和公園の動員学徒慰霊碑前で挙行。約300人が参列。 |
97 |
08 |
06 |
広島県動員学徒犠牲者の会、動員学徒追悼式を挙行。約500人が参列。 |
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。