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広島県原水協年表(1945~53)

広島県原水協年表(1945~53)

年月日
1945
 7.16 アメリカ, 史上初の核(プルトニウム)爆発実験に成功.

  1. 6 8時15分, 広島市に原子(ウラニューム)爆弾投下さる.
  2. 9 11時 2分, 長崎市に原子(プルトニウム)爆弾投下さる.

8.10 日本政府, スイス政府を通じ新型爆弾使用につきアメリカ政府に抗議.

8.15 天皇の終戦詔書放送さる.

― 新聞, 原爆被災の詳細を一斉に報道.

8.23 毎日新聞, 原爆爆心地域70年生物不毛説を伝える. 翌日, 朝日・読売報知, 75年生物不毛説を報道.

  1. 3 連合国従軍記者団広島入り. W.バーチェット,単独で広島入りし現地報告を打電

9.19 GHQ,プレスコードを指令.

10.17 日映撮影班員, 長崎でMPに拘束され,19日撮影を禁止さる.

11.20 GHQ,日本の原子研究3施設(理研・京大・阪大)を管理下に置く.24日, 3施設のサイクロトンの破壊に着手.

  1. 7 仁井田教一ら, 広島戦災者同盟を結成.

12.17 GHQ,日映に被爆地撮影のフィルムの提出を命令.

1946
1.21 国連, 原子力委員会の設置を決定.

3.10 雑誌「中国文化」創刊号, 原子爆弾を特集.

  1. 1 アメリカ, 太平洋マーシャル群島ビキニ環礁で戦後初の原爆実験.

7.26 グロムイコ・ソ連代表, 国連原子力委員会で原子爆弾の即時廃棄を要求.

  1. 5 広島平和復興市民大会.

8.30 栗原貞子, 「詩歌集  黒い卵」を発刊.

8.31 アメリカの週刊紙「ニューヨーカー」, J.ハーシーのヒロシマ・ルポを特集.

  1. 5 フーゴー・ラサール神父(広島市幟町カトリック教会牧師), ローマ法王にヒロシマ救済を懇請.

11.26 トルーマン米大統領, 米国学士院・学術会議に原爆傷害調査委員会(ABCC)の設置を指令.

1947
  1. 7 中国配電ビル講堂で広島初の国際婦人デー広島大会.
  2. 1 原民喜, 「三田文学」に「夏の花」を発表.
  3. 6 広島平和祭式典(第1回).

9.28 日本文化平和協会発会式.

12. 5 正田篠枝, 歌集「さんげ」を出版.

1948
 3.31 国立予防衛生研究所広島支所(広島原子爆弾影響研究所)設立.

4.18 アメリカ北部バプテスト連盟の提唱により世界平和デー委員会結成.

7.14 ABCC(広島)の開所式.

  1. 6 第2回広島平和式典.

8.10 労働省婦人少年局広島職員室主催広島県下傷痍婦人協力大会.

  1. 5 広島流川教会牧師谷本清, サンフランシスコに到着.

10.13 ヘレン・ケラー, 広島訪問.

11.10 大田洋子「屍の街」(中央公論社)出版.

11.30 小倉豊文「絶後の記録」(中央社)出版.

1949
 3.29 広島地方労組・生活擁護同盟・部落解放委・朝鮮人連盟・共産党で組織する共同闘争委員会が「生活擁護人民大会」を開催(平和広場, 2000人参加). 労働法規反対・戦争反対・講和促進など6スローガンを決定.

  1. 6 トルーマン米大統領, 「原爆の使用辞さず」と言明.

4.11 峠三吉, 共産党に入党.

4.20 パリとプラハで平和擁護世界大会. 25日まで.

5.11 広島平和記念都市建設法・長崎国際文化都市建設法成立.

5.15 共産党広島市委員会が浜井市長にたいし広島平和記念都市建設法案の実施について「平和都市建設が働く市民の犠牲の負担になったり, 一部市議や土建業者の利権漁りにならぬこと.建設運営委員会に進歩的政党・各労組・民主団体の代表を入れること」などを要請した文書を渡す.

  1. 7 広島平和記念都市建設法の住民投票.
  2. 6 第3回広島平和記念式典.

― 日本民主婦人協議会・広島県婦人連合会など, 平和婦人大会を開催(児童文化会館).

― 民主主義擁護同盟, 広島市民にメッセージを寄せる.

8.10 八田元夫, 「原爆の町『ひろしま』」を「アカハタ」に掲載.

8.29 ソ連, 初の原爆実験(シベリア).

  1. 6 広島市, トルーマン米大統領への平和嘆願10万人署名を発送.
  2. 7 浜井広島市長ら, 日本共産党本部を訪問, 広島平和記念都市建設法国会通過のさいの共産党の努力に感謝を表明.

9.26 平和をまもる会準備会総会.

10・2 国際平和デーを打ち合わせ, 平和闘争7目標を決定.

  1. 2 平和擁護広島大会(広島女学院講堂). 原子兵器の禁止を宣言し広島から全世界に打電.

10.15 第4回全国民生・児童委員大会(広島市で).最終日の17日, ひろしまの惨劇を繰り返すなと決議.

11.20 「われらの詩の会」(発起人代表・峠三吉), 「われらの詩」を創刊.

― 原爆都市青年交歓会結成.

1950
  1. 9 谷本清, 米国平和行脚を終え広島に帰る.

1.31 トルーマン米大統領, 原子力委に水爆製造を指令.

  1. 4 ハンス・ベーテなど米物理学者, 水爆研究に対し警告.
  2. 8 丸木位里・赤松俊子の「原爆の図」展(東京). 以後全国を巡回.

2.27 日本平和を守る会正式発足.

  1. 5 広島県教職員組合第6回大会,「平和声明」を採択.

3.10 国際ワイズメンズクラブ日本区大会, 「広島メッセージ」を採択.

3.15-19  平和擁護世界大会常任委員会第3回総会,19日ストックホルム・アピールを採択.

3.21 「アカハタ」連載記事「平和への熱情」に大田洋子「原爆の体験を道標に」を掲載

  1. 6 大山郁夫を囲み広島市内「精養軒」で平和擁護の懇談会. 約60人出席. 平和擁護世話人会結成. 4月15日に第 1回世話人会を流川教会で開く.

4.15 日本ペンクラブ「広島の会」, 平和宣言を発表.

4.22 反戦詩歌人集団結成準備会を新日本歌人協会広島支部で開催.  5月 1日に「反戦詩歌集」第 1号創刊.

  1. 1 第21回メーデー. 広島では「戦争反対, 平和擁護」を声明.

5初  世界民青連の呼びかけにこたえ民青団広島地区委員会が 8月 6日を反戦闘争デーとし, 反戦大デモンストレーション実行を決定.

5.10 トルーマン米大統領, 原爆の再使用を言明.

5.12 モスクワ放送, 「原爆の廃墟の中から全世界の青年諸君に訴う」を報道. この声明は青年祖国戦線結成大会(東京で)に参加した広島民青団の代表が連名で発表したもの.

― 日本弁護士会第1回定期総会,「平和宣言」を採択.

5.31 広島文理大学生自治会大会で「平和を守る会」結成. ストックホルムアピール 1人 5名の署名を集めることを決議.

5.- 民青団広島地区委員会, 広島市八丁堀で写真「原爆の日の惨状」数点を掲示し, 平和投票の署名運動展開. この運動が広船・全商工・全逓など労組青年部へ広がる.

  1. 3 広島文理大学生自治会, 1日ストを宣言し,平和大会.「戦争反対」・「平和を守れ,学問の自由を守れ」・「イールズ声明を撤回せよ」などのスローガンを採択.大会宣言に「原爆の再使用禁止」を盛り込む.
  2. 7 共産党中国地方委員会機関紙「平和戦線」第7号,被爆写真を特集.主張に「再び原子爆弾を繰り返すな,全愛国者は平和戦線へ!」を掲げる.峠三吉「八月六日」を掲載.

6.15 広島文理大学生自治会, 広島市南座で「きけわだつみの声」を上映(超満員).終わって反戦学生同盟を中心に日鋼事件一周年集会(平和広場)までデモ行進.

―  日鋼争議一周年を記念する平和擁護人民大会.1000人参加. 原爆反対などのスローガン決議.

6中 広大内に広島反戦学生同盟結成.

6.24 「平和戦線」第8号,「原爆をうけた人達」の掲載開始.

6.25 朝鮮戦争勃発.

6.27 広島平和擁護世話人会, ストックホルムアピール支持署名運動と八月六日に平和大会開催の方針など決定.

  1. 1 広島平和擁護委員会世話人会, 「平和への訴え」を発表.

7.13 西ドイツ訪問中の楠瀬広島県知事・浜井広島市長, 朝鮮での原爆使用反対を表明.

7.14 広島平和委, 8・6平和大会実行委員会を開く.スローガンは原爆禁止.

7.24 全中国地方共闘委・全労連中国地協・県労協など, 電産民同のゼロ号指令に反対し電産労働者に統一と平和擁護の闘争を訴えるとともに8・6原爆カンパニアに際し全日本の労働者に反帝・平和闘争に立ち上がるよう呼びかける 7.25 中国地方青年代表者会議. 労組青年部・民主的青年組織など21団体代表40数名参加反帝平和闘争・朝鮮民族解放闘争支持などを決定. 8・6の平和大会への参加を全国の青年に呼びかけ青年平和擁護大会開催を決定.全世界の青年にこの大会への支援と代表派遣要請のアピールを決議.

7.27 広島平和擁護委員会, 全国の平和愛好者に8・6平和大会への参加を呼びかける.

  1. 1 反戦・平和擁護週間の第一日目, 街頭署名運動のトップを切って全建労広島支部20数名, ストックホルムアピールの街頭署名.
  2. 1 中村武雄編「ヒロシマを忘れるな」(自由青年出版社)発刊.
  3. 2 広島平和協会, 平和祭中止を決定.
  4. 3 広島西署長, 広島平和擁護委員会主催の平和擁護市民大会の許可願の受取りを拒否 ― われらの詩の会,「平和のための宣言」を発表.
  5. 5 広島市警察, 8月6日以降の集会禁止のビラを全戸に配布.

― 中国地方のブロック別青年平和会議が「全世界に対する平和宣言」など決議.青年平和大会は原子兵器の禁止・朝鮮に原爆を使うな等のスローガンで2000人規模の集会を開くことを決める.

  1. 6 広島・福山・三次で非合法の平和集会.

広島では午前11時30分, 八丁堀「福屋」前で平和大会, 約 500名. 午後 0時30分広島駅前で平和大会, 約 300名, 猿猴橋までかけ足デモ. 「福屋」屋上や市内映画館などで平和の闘いを訴えたビラ 2万枚配布.

三次では数班に分かれ「原子兵器の禁止」などのプラカードを先頭に平和署名を集め, 午後は 300名が三次で結集大会を決行, のち三次・十日市間をデモ行進. 10名検束される.

福山, 60名参加. 青年祖国戦線結成大会を成功させる.

― 広島平和擁護委員会, 平和宣言「平和を愛する全世界の人民へ」を発表.

― 丸木位里・赤松俊子(絵・文)平和を守る会(編)「ピカドン」(ポツダム   書店)発刊.

― 武村好郎編「平和歌集」(広島原爆記念会)発刊.

― 「反戦詩歌集  第二集」発刊.

― 「われらの詩  第八集」発刊.

― 広島市民生局社会教育課編「原爆体験記」(広島平和協会)発刊.

8初  ストックホルムアピール署名, 広島県内で10万票突破.

  1. 9 政府, 警察予備隊の設置を閣議決定.
  2. 3 県内で国際青年デー. 広船で前夜祭. 福山で平和集会. 尾道では日立向島労組を中心に大衆集会.

9上 国鉄労組広島支部( 12000人)の平和世論調査結果. 全面講和67%, 原子爆弾使用禁止52%, 軍事基地化反対78%.

9頃 広島平和擁護委員会に報告された平和投票(ストックホルムアピール)数は広島一帯で 62282票. うち青年祖国戦線4608, 全造船分会6322, 全建設広島支部5942, 広島県朝鮮人団体協議会5608.

9.30 GHQ労働課セニア来広.広島造船労組幹部と会見しストックホルムアピールを支持しないよう勧告.

  1. 5 広島市内五流荘で原爆の図三部作展覧会始まる. 5日間でストックホルムアピール署名 186票.

10.20 上下高校の記念祭で「平和展」. 会場で原爆写真などを紹介(25日まで). 10.27 広島平和擁護委員会, 10万400 票のストックホルムアピールを岡山にリレー

1951
 1.15 広島講和問題懇談会, 広島市内日通会館で開催.

1頃 芦品郡戸手高校で, 校長のストックホルムアピール署名運動禁止命令に対し抗議行動.

2.17 広大講堂で講和問題講演会.  150名参加.

2.21 反植民地闘争デーの各地での催し.

(広島)国際ビルで反戦青年同盟広島準備会, 平和宣言を発表. 広大でも集会.

(尾道)記念パンフを配布. 尾道自由労組青年部主催職場大会. 全面講和, 再軍備反対を決議.

(戸手)戸手町平和を守る会発足. 会長光成秀子(故戸坂潤夫人).

(福山)民青団・反戦学同がストックホルムアピール署名, ソ同盟写真展,  2・21記念ビラ配布. 夜福山市公会堂で反植民地闘争デー記念講演会.

  1. 8 広島婦人民主クラブ主催の国際婦人デー記念集会. 原子兵器使用禁止などのアピール決定.

3.13 原民喜, 東京で自殺.

3.21 因島大浜村に平和を守る会.

3.26 呉で平和懇談会.

  1. 7 広島平和擁護委員会世話人会開催.
  2. 8 広島県反戦学生同盟結成.

4.15 広島で中国地方平和の闘士団大会. ベルリンアピールの実践につき決議. 8・6を全国的な一大平和カンパニアにしようとの緊急動議を決議.大会後平和の闘士団中国地方協議会結成.

  1. 1 P.M.S.ブラケット「恐怖・戦争・爆弾―原子力の軍事的・政治的意義」(法政大学出版局)発刊.
  2. 4 日本教育学会有志 114名(広島で開かれた第10回日本教育学会総会の参加者の約90%)の署名で世界の教育学者への平和への呼びかけを発表.
  3. 5 ベルリンアピールに長田新が署名.
  4. 6 舟入平和擁護委員会結成.

5.24 広島平和の闘士団, 8・6めざす運動を決定.

  1. 2 大田洋子を囲んで座談会(われらの詩の会主催).
  2. 3 広島市で西日本婦人民主クラブ代表者会議をひらく. 8・6婦人平和大会を開くことなどを決議.
  3. 4 県労協など16団体代表, 8・6平和擁護全国代表者会議実行委員会を結成.大会スローガンとして「再び原爆を落とすな」・「五大国は平和条約を結べ」・「対日講和のための四大国外相会議をひらけ」を決定.全国にむけ「広 島の悲劇をくりかえさないために」のアピールを発表.

― 「民族の星」№44に吉田初夫(峠三吉の筆名), 「墓標」(詩)を掲載.

  1. 6 広島自由労組拡大執行委員会, 全面講和署名と並行しベルリンアピールの署名をおこなうことを決定.
  2. 8 平和の闘士団全国連絡会議(東京)で広島代表が8・6大会を提案,全面的支持・協力をえる.

― 8・6平和擁護全国代表者会議実行委が中心となり8・6カンパニア実行委員会を結成.

6.15 反戦学生同盟全国協議会(東京). 40校代表約 100名が参加. ベルリン青年 –17 平和祭に呼応する日本の平和祭は8・6を中心とした広島の平和祭を中心に することを決議.

6.16 全造船広船分会執行委員会, 7月7日を期して「再軍備反対中国地方労働者会議」開催を呼びかけるアピールを発表.

6.22 広大学生大会,  153名中 146名の賛成で”青年は再び銃をとらない”ことを決議. 平和擁護準備会・社研・ユネスコ・YMCAなど合同の平和協議会結成.

6.27 広大教養部で学生大会,  450名参加. ベルリンアピール支持, 全学連加入など可決.

6.30-7.2 出隆が尾道・広島・呉で平和講演会.

  1. 1 7・1国際反戦デー.広島市と府中町で平和活動家10数名がベルリンアピール, 講和投票の署名運動を展開.
  2. 7 再軍備反対中国地方労働者会議. 広船労組に15組合代表と24組合有志 153名で開催統一行動綱領, 中国地方再軍備反対共同闘争委員会結成, 8月6日広島で平和大会開催をそれぞれ決議.

7.10 第1回広島県再軍備反対共同闘争委員会開催.「原爆を再び落とすな」などのスローガン決定.

7.14 京都大学文学部学友会「原爆体験記」発刊.

7.20 広島県再軍備反対共闘委など8・6平和大会準備会を開催.

7.22 再軍備反対広島県青年学生決起大会(国際ビルで). 代表50名が参加.

7.25 広島平和擁護委員会など22団体, ポスター「全広島の市民諸君および全日本の平和と独立を愛する国民諸君に訴う」を市内各所に張る.

7.31 共産党府中細胞が主体となり府中高校で原爆犠牲者追悼音楽会.

  1. 1 「民族の星」№56に「ふたたび原爆を落とすな」写真6葉を掲載.
  2. 2 峠三吉「原爆詩集」(ガリ版刷り 500部).
  3. 5 反戦青年同盟中国地方結成大会.

― 祖国防衛日本再軍備反対中国地方朝鮮青年決起大会.

  1. 5-7 広島市内国際ビルで平和展示会.
  2. 6 原爆記念全国平和会議(荒神小学校)に 140団体代表1500名参加. サンフランシスコ会議反対のアピール発表. 広島平和会議書記局が中華人民共和国政府に全面講和会議開催などの要請書を送る.

― 第1回全国労働者平和大会(児童文化会館で).約 800人参加.

― 宗教者平和運動広島協議会(結成準備中),中島本町爆心地で辻説法するも警察に禁止され,広島駅前に移る.ビラ「原爆体験の宗教者として全世界の宗教者に訴う」を配布.

― 民主商工会,平和大売出し,駅伝競争,燈篭流しをおこなう.

8.15 駅家地方平和を守る会主催の平和懇談会が計画されたが, 警察の弾圧で中止 8.17 再軍備反対中国地方共闘委員会開催.

8.27 広島原爆傷害者更正会結成.

  1. 8 (日本時間 9日)サンフランシスコ講和条約・日米安全保障条約調印.

9.20 峠三吉「原爆詩集」(新日本文学会広島支部・われらの詩の会)発刊.

9.22 広島大学平和問題研究会発足.

  1. 2 長田新編「原爆の子―広島の少年少女のうったえ」(岩波書店)発刊.

10.16 広島平和問題談話会結成.

 

1952
  1. 6 広大教養部学生大会(皆実分校講堂)に 500名参加. 「わだつみの悲劇をく   りかえすな. ノーモア・ヒロシマ」など5基本スローガン.

2.17 原爆の子友の会結成式. 長田新編「原爆の子」に手記を寄せた児童生徒約 1   00人出席.

3.29 広島県教職員組合第9回定期大会.「教え子を戦場に送るな」のスローガン –30 を採択する.

4.28 対日講和条約発効.

4.30 戦傷病者戦没者遺族等援護法公布.

  1. 1 講和後初のメーデー.県下で4万人参加.広島では松川裁判の公正を求める   緊急動議可決.会場に原爆の惨状を描いた絵や写真 100枚近くを展示.

6.15 峠三吉「原爆詩集」(青木文庫)を刊行.

  1. 9 大山郁夫を迎えた広島市児童文化会館で平和講演会.聴衆3000人.アジアの   不戦を強調.

7.13 広島平和友の会,YMCAで例会.FOR川本一郎,海田市町議法山大麓の   実相報告をうけ,海田市への火薬庫設置反対を決議.

7.14 安芸郡江田島町,賀茂郡原村,呉市の小・中学校の教員を中心に広島市雑魚   場町教育会館で基地教育の苦悩を語る会を開く.県教委,県PTA連からも   出席.基地教育対策委員会を結成.

7.15 ABCC運輸部労働組合結成.18日組合つぶしのための解雇通告. 8月 8日   ,9月 4日労組48時間ストライキ. 9月 9日妥結.

  1. 3 肥川治一郎編「原爆の子―広島の少年少女・魂の叫び」(日本労働組合総評   議会情報出版部)発刊.
  2. 6 広島地区労,平和国民大会を開催(原爆記念館前で). 800人参加.

― 同日,映画「原爆の子」(近代映画協会,民芸共同製作)試写会(広島市福   屋劇場)

― 平和記念都市建設碑(原爆慰霊碑)除幕.

― 同日,峠三吉,広島平和祭で詩「八月六日」「よびかけ」を朗読.25日「ア   カハタ」掲載.

  1. 6 「広島―戦争と都市」(岩波写真文庫)発刊.

― 「アサヒグラフ」8月6日号,「原爆被害の初公開」を特集.

8.10 原爆被害者の会発会式. 吉川清・佐伯晴代・内山正一・上松時枝・峠三吉の   5幹事を決定.

  1. 1 原爆の詩編さん委員会, 「原子雲の下より」(青木文庫)発刊.
  2. 3 イギリス, 初の原爆実験(オーストラリア領モンテベロ島).

10.12 第2回世界仏教徒会議広島大会,児童文化会館前広場に20数カ国代表 180名   参加. (13日まで)

  1. 1 アメリカ, 初の水爆装置実験(太平洋エニウェトク環礁).
  2. 3 世界連邦アジア会議, 広島市本川小学校で開催. 県労会議・原爆被害者の会 –6 ・婦人民主クラブ広島支部・新日本文学会広島支部・人民文学広島友の会な   ど17団体が大会へメッセージを寄せる.
  3. 6 パール博士, 広島ガスビルで開催の高裁・高検主催の懇談会で, アメリカが   朝鮮で細菌弾を使用していると非難.

- パール博士,原爆慰霊碑の碑文に異議をとなえる.10日, 広大雑賀教授反論11.15 「改造」, 増刊号「この原爆禍」を発刊.

11.24 日本国民救援会広島県本部, ローゼンバーグ夫妻の死刑宣告に抗議. 原爆の   戦争目的使用に抗議する署名 300をトルーマン大統領に送る.

12.12 ウィーンで諸国民平和大会(19日まで).

1953
0120 大阪弁護士会の岡本尚一, アメリカへの「原爆の損害賠償請求」を提案.
0125 第2回全国教育研究大会(高知市)で呉市立和庄小学校の教諭が「軍事基地の教育白書」を発表.
0211 広島弁護士会, 原爆投下は違法と特に国際法曹界に訴えることを決定.
0211 平和と学問を守る大学人の会発会式.
0222 広島子どもを守る会発会式.
0310 峠三吉死亡. 享年36才. 同月15日に民主団体合同葬.
0314 県労・広島地区労共催で平和擁護労働者総決起大会. 1300人参加(児童文化会館)長田新の講演「軍事学からみた第3次世界大戦の危機」.
0521 日教組製作原爆映画「ひろしま」撮影開始.
0522 中国帰国者大会, 広島市教育会館に約70人参加. 出席者を中心に日中友好協会支部をつくることを決める.
0523 国際医師会議(25日までウィーンで). 草野信男が原爆症について講演.
0623 全国共同募金で原爆傷害者治療費募金を決定.
0801 世界平和評議会から平和擁護日本委員会へ広島平和国民大会(8・6),全九州平和大会(8・9)の成功を願う祝電が届く.
0906 原爆8周年記念広島平和国民大会,広島市民広場に県内・全国から7600名参加. 原爆など大量殺人兵器の禁止, 再軍備反対, 基地撤去などのスローガン決定. 市内デモ.
 「アカハタ」,「原爆おとされて八年」を特集.
0809 大沢幹夫作・演出「原爆の子」, 広島市児童文化会館で上演.
0810  映画「ひろしま」, 東京・広島・長崎で完成試写会.
0812  ソ連, 初の水爆実験(中央アジア).
0815 呉市公民館で「原爆の図」展覧会(17日まで). 市民の10%約2万人が観覧10頃  映画「ひろしま」空前の観客を動員. 呉・福山・三原・広島で計15万 8千人

被爆40年史年表-広島県原水協創立30周年

『被爆40年史年表-広島県原水協創立30周年』(原水爆禁止広島県協議会、19860806)

時期区分

見出し
広島県原水協前史
1 占領下の闘い 1945~51年
2 原爆タブーからの解放 1952~55年
広島県原水協結成から世界大会分裂まで
第1回世界大会から第9回大会
広島県原水協結成から第5回世界大会 1956~59年
安保闘争から第9回世界大会 1960~63年
分裂以降
歴史と伝統を守って現在へ
広島県原水協の再建から第12回世界大会 1964~66年
第15回世界大会 1967~69年
第17回世界大会 1970~71年
第20~22回世界大会 1972~76年
統一大会 1977~79年
新たな分裂策動との闘い 1984~85年
刊行にあたって 編集委員
楠忠之・佐久間澄・武田寛・中本剛・藤田厚吉

 

 

ふたたび被爆者をつくるな、核兵器なくせ戦争のない世界を

ふたたび被爆者をつくるな、核兵器なくせ戦争のない世界を(日本被団協50年史)

Ⅷ ふたたび被爆者をつくるな、核兵器なくせ戦争のない世界を 2001~2006年
見出し
1 21世紀被爆者宣言、原爆症認定運動
1 核兵器も戦争もない21世紀を
2 原爆症認定集団訴訟の提起
3 長崎の被爆地域拡大運動
2 被爆60年・日本被団協結成50周年
1 2005年NPT再検討会議
2 国連本部での原爆展
3 ノーモア ヒロシマ・ナガサキ国際市民会議
4 10・18大集会
5 大阪地裁での全面勝利
6 新たな地平をめざして
7 勝訴つづく原爆症認定集団訴訟
8 集団訴訟勝利を政治解決のカヘ
9 大きく動き始めた政治の波
10 日本被団協結成五〇周年レセプションと記念式典
11 被爆者の声を受けつぐ若者とともに
3 世界の人びとの心の中に生きる
ノーベル平和賞にノミネートされた日本被団協
補遺 原爆症認定裁判の到達点
特別稿
1 被爆者中央相談所の活動
1 創立から公益法人化要請まで
2 公益法人許可
3 各事業の実施状況
4 被団協の組織強化のために
5 相談所が果たした役割とこれからの被爆者相談の課題
2 日本被団協国際活動の50年
はじめに
1 草創期の国際活動
2 77年「NGO被爆問題国際シンポジウム」(1974~77年)
3 NGO軍縮会議とSSDI(1978~79年)
4 SSDⅡから被爆40年行動へ(1980~85年)
5 SSDⅢ、湾岸戦争の危機のなかで(1986~91年)
6 世界法廷運動と被爆50年シンポジウム(1992~95年)
7 国際司法裁判所(ICJ )の勧告的意見からハーグ・アピール平和集会へ 1996~99年
8 NPT再検討会議、NGOミレニアム・フォーラム、2005年の運動へ (2000~05年)
3 被爆者援護と補償をめぐる裁判の歩み
A 東京原爆裁判から原爆症認定訴訟へ
B 在外被爆者訴訟
日本原水爆被害者団体協議会規約
社団法人日本被団協原爆被爆者中央相談所定款

 

 

被爆45周年運動と「援護に関する法律」

被爆45周年運動と「援護に関する法律」(日本被団協50年史)

Ⅶ 被爆45周年運動と「援護に関する法律」 1990~2000
見出し
1 「いまこそ援護法を」の大波
1 「みんなのネットワーク」発足
2 日弁連第三次報告、被爆問題研究会
3 厚生省の死没者調査結果発表
4 広がる国民の支え
5 政党、国会の動き
 6 死没者への弔意措置を予算化
2 激動する世界、国際司法裁判所の勧告的意見
1 ソ連崩壊とブッシュ新戦略
2 「原爆使用は国際法違反」
3 在外被爆者の権利拡大
4 国の慰霊施設をめぐって
3 「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」成立へ
1 被爆者援護法、参議院で再可決
2 揺れる政党状況
3 援護法プロジェクトチーム
4 村山政権下のプロジェクト
5 連立与党のプロジェクト
 6 「日本被団協の意見を聞きたい」
7 衆参両院公聴会と法の成立
8 新法の評価とアピール
「原爆被爆者援護法案」をめぐる経過(1956~1994)
4 被爆50周年から60周年へ
1 阪神淡路大震災
2 被爆50周年国民運動
3 被爆50年の夏に
4 日本被団協が95年調査
5 核をめぐる動き
 6 被爆の実相を世界に

 

 

「基本要求」をかかげて

「基本要求」をかかげて(日本被団協50年史)

Ⅵ 「基本要求」をかかげて 1985~1989
見出し
1 被爆四〇周年、「基本要求」の普及へ
1 全国行脚
2 核保有五力国首脳への直接要請
2 被爆者の現状と要求を明確に
1 二つの被爆者実態調査
2 調査をもとにした要求
3 「折り鶴人間の輪」行動
4 運動がつくり出したがん検診
3 第三回国連軍縮特別総会、松谷訴訟
1 第三回国連軍縮特別総会
2 昭和天皇死去
3 「被爆者の森」建設
4 平和基金の創設
5 事務所の移転と移転募金
 6 長崎原爆松谷訴訟
7 原爆死没者の肖像画運動
4 被爆者援護法案、初の国会可決
1 三点セットによる世論の結集
2 参院での被爆者援護法案の採択

 

 

77国際シンポから「基本要求」ヘ

77国際シンポから「基本要求」ヘ(日本被団協50年史)

Ⅴ 77国際シンポから「基本要求」ヘ 1977~1984
見出し
1 世論の高揚と被爆問題国際シンポジウム
1 被爆問題国際シンポ開催へ
2 「ヒバクシャ」が国際語になる
2 原水爆禁止統一世界大会と国連軍縮特別総会
1 統一世界大会が開かれる
2 国連軍縮特別総会(SSDI)
3 78年原水爆禁止世界大会
3 市民とともに援護法要求2000万署名へ
1 援護法に必要な予算1500億円
2 市民懇の発足2000万署名へ
4 被爆者対策基本懇、国家補償を否定
1 「基本懇」の発足
2 基本懇にたいする運動
3 「要求骨子」の充実強化
 4  被爆35周年の年に
5 基本懇「意見」発表
5 「基本懇」を乗り越える国民法廷運動
1 原爆と国の戦争責任裁く
2 被爆者の声を世界に
3 世界に広がる反核の波
 4 「要求骨子」検討へ
6 「原爆被害者の基本要求」の策定
1 「要求骨子」から「基本要求」へ
2 活発な調査活動
3 国民法廷から国際法廷運動へ
 4 「基本要求」の全国的討議
5 「原爆被害者の基本要求」の発表

 

 

「要求骨子」をかかげて

「要求骨子」をかかげて(日本被団協50年史)

Ⅳ「要求骨子」をかかげて 1971~1976
見出し
1 「原爆被害者援護法案のための要求骨子」の作成
1 被爆者の要求整理
2 要求を確定、各党に働きかけ
3 「要求骨子」の作成
2 テントでで徹夜の五日間―11月大行動
1 歴史に残る大闘争
2 野党四党案作成へ
3 被爆者裁判と平和教育
3 「要求骨子」基礎の野党四党援護法案国会提出
1 野党案、衆院に提出
2 野党案「棚上げ」に
3 八月、ふたたびテントが
4 被爆者対策前進、中央相談所の開設
1 現行施策の改善
2 中央相談所の開設
3 原水爆禁止運動統一への模索

 

 

日本被団協の結成

日本被団協の結成(日本被団協50年史)

Ⅲ日本被団協の結成(1956年8月~1970年)
見出し
1 日本被団協の結成
1 第2回原水爆禁止世界大会-感動呼んだ被爆者の訴え
2 日本被団協の結成
3 原爆被害者援謾法案要綱をつくる
2 「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」の制定
1 「原爆医療法」制定を実現
2 「原爆医療法」施行と手帳取得
3 活助強化と地方の組織化
3 1 原爆医療法改正と「国家補償の援護法」要求
2 請願大会に全国から
3 原爆医療法の改正
4 全国的組織化すすむ
4 原水爆禁止運動の分裂と被爆者運動
1 11府県の共同提
2 原水爆禁止運動の分裂
5 日本被団協、機能不全に
1 全国行脚・請願大会
2 「原爆裁判」東京地裁判決
3 第17回代表理事会
4 運動休止と小郡での代表理事会
6 「つるパンフ」と「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」
1  「つるパンフ」と運動の再生
2 「特別措置法」の制定
3 国家補償の運動の発展
4 代表委員・事務局長制へ

 

原爆地獄1915年8月(日本被団協50年史)

原爆地獄1915年8月(日本被団協50年史)

内容

Ⅰ原爆地獄1915年8月
備考
1 きのこ雲の下で
1 それは地獄絵そのものだった(岩佐幹三の証言)
2 全身火傷をのりこえて(山口仙二の証言)
3 ヒロシマを見た医師として(肥田舜太郎の証言)
2 人類史上初の原爆投下
3 原爆がもたらした被害
Ⅱ日本被団協前史 1945年~1956年7月
1 廃墟に立つ被爆者
2 日本政府の対応
1 救護と医療 広島 長崎
2 ファーレル声明と報道管制
3 救援妨害
4 原爆傷害調査委員会(ABCC)
5 日本政府の被爆者放置
6 「隠蔽と遺棄」の12年
3 被爆者運動の端緒
1 原子兵器廃棄の叫び
2 動き出す被爆者問題
3 日が当たりはじめた被爆者医療
4 被爆者組織の発祥
4 原水爆禁止世界大会と被爆者運動
1 ビキニ被災と原水爆禁止署名運動
2 原水爆禁止世界大会の開催ヘー広島からの提案
3 被爆者全国組織化への始動

 

 

平和を―被爆から75年を行きぬいて

『平和を―被爆から75年を行きぬいて』(長崎原爆被災者協議会、20200809)

内容

著者 タイトルなど
[口絵] 写真でみる被災協のあゆみ
001 濱谷正晴 [特別寄稿]被爆七十五年被爆者運動に思う
1 忘れえぬあの夏の日
長崎7人
2 戦中・戦後を生きる
長崎12人
濱谷正晴 原爆と人間アーカイブに残る深堀悟迫真の証言
3 被爆者運動
長崎6人
4 戦争放棄・核兵器なくせ
長崎7人
5 被爆者・家族の思いをつなぐ
長崎11人
6 戦争、被爆体験・記憶を語りつなごう
長崎7人
資料編 長崎被災協のあゆみなど