ヒロシマの証言−平和を考える

広島平和文化図書刊行会(編)、日本評論社(刊)、1969年8月6日

『ヒロシマの証言』刊行にあたって

第一編 被爆体験

[原爆体験記:第1編被爆体験P1-114:広島被爆者41名の手記.このうち32名の手記は未発表の手記で、広島市が1950年に募集した手記から30名と、広島大学東雲分校国語研究室が1949年に募集した手記から2名を選んだ.]

一 原爆が落ちた時

原子雲の外から/原子雲の下で

二 生きながらの地獄図

炎と雨の中で/炎の街にはいる

三 廃墟と屍の街

四 原爆投下の状況

予想もできなかった/原爆投下は警告されていたか/なぜ原爆は投下されたか

五 平和のねがい

被爆者の声/被爆体検をどう受けとめるか

第二編 被爆者と市民の生活史

一 原爆孤児

一○年ぶりの茶の間/原爆直後の孤児/孤児の生活/アメリカの精神養子運動/広島子どもを守る会

二 原爆障害に悩む人びと

広島の涙/ピカドン傷/きのこ雲の下より

三 原爆孤老

行くところなし/さかさごと/現実の対策

四 原爆を作品に書いた人たち

原民喜/大田洋子/阿川弘之/原子爆弾特集号/正田篠枝/詩の発表/峠三吉/反戦詩歌集/「歌集・広島」と「句集・広島」/原爆と小説用

五 立ち上がった人びと

木片を探す少年/晴れたある日/愛の手

六 報道関係の努力

報道と権力/平和運動と報道/原点をさぐる

七 身近かで遠い被爆者たち

”核の島・沖縄”の二七三人/被爆した朝鮮人

八 平和教育への道程

驚くほど空白な平和教育/平和教育の初期/平和教育の窒息/広島の平和教育/教室での平和教育/「現代っ子」の平和意識/平和教育への立ち上がり

第三編 被爆者救援と平和への努力

原爆タブーの時代・それでも広島は屈しなかった

一九四五年(昭二○)

原爆投下/被爆後の応急措置/付記

一九四六年(昭二一)

平和復興祭/広島市青年連合会/付記

一九四七年(昭二二)

平和祭と平和記念式典/ABCC/付記

一九四八年(昭二三)

ヒロシマ・ピース・センター/付記

一九四九年(昭二四)

平和擁護広島大会/世界連邦運動/平和記念都市建設法/シュモーハウス/付記

一九五○年(昭二五)

ストックホルム・アピールの反響/付記

一九五一年(昭二六)

作文集「原爆の子」/原爆問題研究発表の活発化/付記

原水禁運動興隆の時代・みんなが願った原水爆禁止

一九五二年(昭二七)

原爆被害者の会/世界仏教徒会議/付記

一九五三年(昭二八)

広島原対協/大学人の会/付記

一九五四年(昭二九)

反核の叫び全国に広がる/広島県原水協/ドイツから平和の鐘

一九五五年(昭三○)

第一回原水禁世界大会(広島)/広島の原点・原爆資料館/平和美術展/皆実原爆被害者の会/付記

一九五六年(昭三一)

広島県被団協/日本被団協/原爆の子の像/広島原爆障害研究会/付記

一九五七年(昭三二)

被爆者医療法/広島憩いの家/付記

一九五八年(昭三三)

ヨット「フェニックス」号/折鶴の会/付記

混迷の時代・努力を続ける人びと

一九五九年(昭三四)

第五回原水禁世界大会(広島)/付記

一九六○年(昭三五)

第六回原水禁世界大会(東京)/原水禁広島母の会/付記

一九六一年(昭三六)

広島キリスト者平和の会/付記

一九六二年(昭三七)

一九六三年(昭三八)

第九回原水禁世界大会(広島)/原爆裁判の判決/付記

一九六四年(昭三九)

世界平和巡礼/「原水爆被災白書」運動/付記

一九六五年(昭四○)

ワールド・フレンドシップ・センター/広島通信/付記

一九六六年(昭四一)

原爆ドームの保存/付記

一九六七年(昭四二)

広島平和文化センター/ベトナム戦傷孤児の救援/ヒロシマ研究の会/市民対話の会/付記

一九六八年(昭四三)

原爆被災資料の収集/原爆被災全体像調査/被爆者特別措置法/付記

わたくしたちば何をしたらよいのか

付録 原爆被害の科学的資料

引用・参考資料目録


 「声なき声」ということばがある。「声なき声」さえなかったのが二十四年前の広島市民であった。その時の広島、そこには死と絶滅と、それを蔽う暗黒の「無」だけがあった。この広島の悲惨事は筆にもことばにも述べつくせるものではない。原爆被爆者がすすんでそのことを語ろうとしないのは、たんに呪わしい思い出を新たにする苦痛にたえられないからではない。たしかにそれもあるにはあるが、それよりも、とうてい事は語りつくせないことをみずからにがてんしているからである。事実を語ることが事実を裏切る、−−その事実の過大さ・深刻さは、そのようなかたちでいまも市民のあいだに「無」の傷痕をとどめているのである。

 けれども、わたくしたちは、あえてその市民を代表して広島の体験を訴えつづけてきた。広島の事実が人類の自滅を予想させずにはいない以上、その事実そのものが世界同胞への警告となり、ふたたびヒロシマをくり返さないための戒律とならなげればならないことを念じているからである。

 ヒロシマを訴える訴え方では二つの道がとられてきた。一つはより広く訴えることであり、一つはくり返し訴えることであった。しかし、この二つの訴え方はひっきょう一つの訴え方にきわまる。くり返し訴えることよりほか、より広く訴える道はなく、同時にそれをより深く浸透させる道はない。世界は広く、そうして世界はなお迷夢にとざされている。くり返しくり返し訴えて、さらにくり返し訴えなければ、世界は容易にめざめそうにもない。そうした世界に対向しながら、一方ではわたくしたちの訴えも運動の継続とともにお題目化し、世界の耳もまた「馴れ」の習性によってせっかくの声を聞きすてにする危険性をはらんでいる。そのような消息の中にあって、つねにかえりみられなければならないのは、いわゆる広島の原体験である。広島の原体験の語るものは「人類の無知」であり、「世紀の恐怖」である。その無知と恐怖を広島にのこされた実際資料によって実感させられるとき、わたくしたちの声は深度をもって人間の良心につきささってゆくにちがいない。核禁運動も反戦運動も、ひいては恒久平和建設の運動も、ヒロシマの原点に立ちかえり立ちかえりすることで勝利を約束されなけれ ばならない。

 平和と教育の問題はあまりにも大きな課題であるが、今日、これほど取り組みを急がなければならない課題はない。『ヒロシマの証言』は、すべての平和運動の起点となり推進力となるとともに平和教育のテキストとなるべきはずのものである。平和を考える者に『ヒロシマの証言』は勇気と決意をうながさずにはいないことをわたくしたちは信じている。それが本書を刊行したゆえんである。

 人類の英知はついに月世界にも開発の一歩をしるした。その偉大な人類の英知の中に卑俗きわまる、人間の無知が同棲している事実をわたくしたちは悲しまなければならない。いまこそ、そのことを限りなく恥じなければならない。わたくしたちの英知がわたくしたちの無知と対決する機会はいまのこの瞬間をおいてはない。

 わたくしは、そうした自覚から、一昨年、広島市に平和文化推進機関「広島平和文化センター」を設けた。地方公共団体としてこの種機関の設置は全国初めての事例に属するが、これは広島市の経験と使命にかんがみてのことであった。この機関を事務局として、編集委員会の手をわずらわし、ととのえたのが本書である。わたくしたちの平和推進事業の一端ではあるが、これは是非とも果たさなければならない重要課題であった。さいわいにして、全国の、そして世界の人々の腕奥にひとしくこだましわたることを祈ってやまない。

一九六九年八月六日

広島市長 山田前男


『ヒロシマの証言』刊行にあたって

 この「ヒロシマの証言」を一貫する基本的な目標と構成については、昨年二月以来、つぎの五名による編集委員会の討議にかけて決定した。〈広瀬ハマコ(広島女学院大学)、今堀誠二(広島大学)、田淵実夫(比治山女子短期大学)、森脇幸次(中国新聞)、庄野直美(広島女学院大学)〉

 人間にとって、忘れてもよいことと、絶対に忘れてはならないことがある。核戦争を阻止し、人類が平和のうちに繁栄することを願う正常な人間にとって、〃ヒロシマ・ナガサキ〃の悲惨な体験こそは、絶対に忘れられてはならない〃現代の十字架〃である。それが忘却の淵に沈んだときは、核戦争が始まるときだともいえよう。その意味から、われわれは本書の基本的な目標として、〃ヒロシマ・ナガサキ〃の原体験をくりかえし証言することにつとめた。

 また、基本的人権の尊重という日本国憲法の精神は、原爆被害者の実態とその救援活動の現状を考える場合に、本書の根底におかれた柱である。日本の戦後は終わっていないという反語は、被爆者にかんする限り、多くの人々の共感を呼ぶにちがいない。

 われわれの戦争と平和に対する基本的な姿勢は、日本国憲法にうたわれた戦争放棄・平和主義につきる。そのために努力している原水爆禁止運動をはじめ多くの平和運動についても、われわれは広島の立場において、その忠実な記録を証言した。

 日本国憲法の基本精神を、つねによみがえらせながら、被爆体験を世代の断層をこえて力づよく継承するためには、平和教育へのたゆみない努力が求められている。本書は、もともと正確な歴史の記録を志すものであるが、学校や、家庭や、社会のそれぞれの教育の場において、〃平和教育副読本〃とでもいうべき役割を果たすことができれば幸いである。

 本書の執筆に当っては、各方面からあたたかいご協力が与えられ、また刊行の期日が切迫するさ中で、日本評論社編集部の森田実、武藤誠氏のなみなみならぬご支援をいただいた。ここに感謝の意を表したい。

付記

 各章の執筆者はつぎのとおりである。

第一編「被爆体験」=森下弘(広島県廿日市高校)

第二編「一原爆孤児」、「四原爆を作品に書いた人たち」=永田守男(中国新聞)

第二編「二原爆障害に悩む人びと」、「三原爆孤老」、「五立ち上がった人びと」、「六報道関係の努力」=文沢隆一(「安芸文学」)

第二編「七身近かで遠い被爆著たち‐‐〃核の島・沖繩〃の二七三人」=大牟田稔(中国新聞)

第二編「七身近かで遠い被爆者たち−−被爆した朝鮮人」=平岡敬(中国新聞)

第二編「八平和教育への道程」=切明悟(「家庭と教育」)、石田明(被爆教師の会)

第三編「被爆者救援と平和への努力」=庄野直美(広島女学院大学)

付録「原爆被害の科学的資料」=森下弘、庄野直美

一九六九年八月六日

編集委員長 森脇幸次  執筆総括者 庄野直美