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時刻 |
事 項 |
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05:30 |
「本早朝(五時三○分)救護並びに治安維持の為の戦闘司令所を市庁舎南側に推進すると共に、所要の兵力を警備地区隊に増加して処理を敏活ならしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」) |
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06:00 |
「船舶衛生部教育隊長を野戦船舶本廠長の指揮に入れ、西地区の救護に任せしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」) |
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06:37 |
「船舶工兵第六聯隊補充隊を西地区警備隊長の指揮に入らしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」) |
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07:00 |
「7時所沢陸病出発 第10飛行隊本部到着」(陸軍省広調班速報2) |
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07:00 |
「船舶通信補充隊三原分屯隊の主力(将校以下五九七名)を東地区警備隊長の指揮に入らしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」) |
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07:過 |
「8日早暁7時過ぎ飛行場に行き、故李[金禺]公殿下無言の京城ご帰還をお見送りした後、とりあえず自動車で広島北方の双葉山にある第二総軍の司令部へ向った」(「有末機関長の手記」) |
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07? |
「八日早朝、御遺骸を朝鮮に御送りする直前、御付武官吉成弘中佐は、似島の宿舎で自刃し壮烈な最後を遂げた。蓋し、六日朝、所用の為、殿下に御随行出来なかった責任を痛感したが故であって、その誠実に対し、人々は深く感激する処があった」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」) |
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09:00 |
「一、本日午前九時山県、高田、賀茂、豊田、双三、比婆各地方事務所長出県セリ」(広島県「戦災記録」) |
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09:00 |
「一、本日午前九時地区司令官国民義勇隊自動車隊ヲ出動セシメテ負傷者ノ救助ニ当ラシム」(広島県「戦災記録」) |
08 |
09:00 |
「配属憲兵を各地区に配属して秩序の維持を強化した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」) |
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09:30 |
「<調査隊>0930−1430 大本営海軍部調査団」(呉鎮守府「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)」) |
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0朝 |
「宮中地下室に於て拝謁、原子爆弾に関する敵側発表並びにこれに関連する事項を詳細に亘り上奏」(「東郷外相口述筆記」) |
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0朝 |
「陛下よりこの種武器が使用せらるる以上戦争継続は愈々不可能になれるにより、有利なる条件を得んがために、戦争終結の時期を逸するは不可なり、条件を相談するも纏らざるに非ざるが、成るべく速かに戦争の終末を見るよう努力せよとの御沙汰」(「東郷外相口述筆記」) |
08 |
10:00 |
「一、午前十時県主催陸海軍関係者ノ衛生救護会議」(広島県「戦災記録」) |
08 |
10:00 |
「東京第二造兵廠忠海製作所の軍医大尉以下一二名の救護班を日赤(病院)に位置し救護に任ぜしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」) |
08 |
10:00? |
「県庁ニ於ケル衛生関係者打合セ会ニ於テ細部協定ヲ行フ」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」) |
08 |
14:00 |
「午後2時から国務司令室の陸海軍大臣室に会合が開かれ、席上軍部と学者との原子爆弾に関するこれまでの研究が披露された」(下村海南著「終戦記」) |
08 |
14:30 |
「病院船衛生第五十六班の救護班(軍医以下一四名)を似島船舶衛生隊長の指揮に入れた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」) |
08 |
15:00 |
「輸送機ニテ所沢離陸。途中大阪ニテ燃料補給ノ後1800広島飛行場着陸」(陸軍省広島災害調査班行動表) |
08 |
15:00 |
「一、船舶司令官午後三時県庁ニ来リ知事ト懇談」(広島県「戦災記録」) |
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15:30 |
「日本政府は・・・広島の爆弾を新型の特殊爆弾と発表した」(林三郎著「太平洋戦争陸戦概史」) |
08 |
16:00 |
「特設船舶工兵第五十二聯隊を中地区警備隊に増加した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」) |
08 |
16:00 |
「一、広島鉄道局長ヨリ左ノ如キ連絡アリ「閣下ノ絶大ナル御支援ニヨリ被害中ノ山陽本線広島横川間ハ本八日十六○○複線開通セリ」」(広島県「戦災記録」) |
08 |
16:20 |
「一、午後四時二十分総軍連絡会議ノタメ比治山神社ニ知事内政課長衛生課長農務課長刑事課長出席船舶司令官以下各警備地区司令官輸送統制部鉄道局裁判所総監府市役所等軍官代表者集合「戦災復旧対策要項」ヲ中心ニ懇談」(広島県「戦災記録」) |
08 |
16:20? |
「尚、此の日午後、軍・県・市・其他の各機関を比治山西北麓大幡神社境内に集め、戦災処理の協議を行なった。社殿は焼失せられ、付近一帯は焼野原であったが、参道を中心として烈日の下、会議を開いたのであった。集合者は、軍関係者の外、県知事・市側・鉄道・逓信・海運局等、関係者約三、四○名位であった。船舶司令部側からは司令部主脳者・各地区警備司令官が集った。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」) |
08 |
17:20 |
「一、総軍畑元帥午後五時二十分頃来庁警察部長ト懇談 懇談内容 屍体収容ヲ早クヤレ 流言ハ如何 給与状況如何 今回ノ爆弾ニツイテハ調査中ナルモ余リタイシタモノデハナイ等ニツキ警察部長ト懇談」(広島県「戦災記録」) |
08 |
17:40 |
「一、中国軍需監理局長官午後五時四十分頃来庁警察部長ト懇談」(広島県「戦災記録」) |
08 |
18:00 |
「1800広島飛行場着陸。直チニ船舶軍医部ニ至リ高級部員小坂少佐ト連絡シ業務ヲ開始ス。総軍高級部員等ヲ招致シ軍民患者ノ収療ニ関シ協力ニ指導ス。深更迄調査研究ス警報頻々タリ。宇品船司ニ宿泊。」(陸軍省広島災害調査班行動表) |
08 |
18:30 |
「調査班ハ18:30広島ニ到着 業務ヲ開始ス」(陸軍省広調班速報3) |
08 |
18:30? |
「夕刻帰宿したところ、宿舎の前でちょうど東京から到着したばかりの仁科博士一行に出会い、明日からの調査研究の計画、段取りなどを打ち合わせた」(「有末機関長の手記」) |
08 |
20:00 |
「<研究会>0930−1430 大本営海軍部調査団」(呉鎮守府「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)」) |
08 |
21:58 |
「21時58分ハワイ放送によれば、人類発見の最大爆弾、原子爆弾とソ連政府の声明を併せて日本の考慮を望む旨を説き、原子爆弾はB29二千機に相当するものにして広島の実例にかんがみ、日本国民は平和克復につき陛下に請願せよ、ポツダム宣言の条件により新しき日本を建設すべきであり、われ等の申入れを受諾して戦争行為を中止し、全土の破壊を逃るることが賢明であると述べている」(下村海南著「終戦記」) |
08 |
25? |
「広島災害調査班ハ8日夜前記一般状況ノ承知シタル後ニ事後ノ救護処置ヲ促進セシムル為総軍船舶司令部県市各衛生担当者ノ参集ヲ求メ別紙第一[広島市災害救護対策]ニ基キ速カニ具体策ヲ樹立ノ上之ガ実行ノ促進ヲ要望セリ」(陸軍省広調班速報4) |
08 |
r |
<調査報告書>陸軍省広島災害調査班「広調班速報第3号」 |
08 |
r |
<調査報告書>呉鎮守府司令部「8月6日広島市空襲被害状況調査報告概要」 |
08 |
r |
<調査報告書>陸軍船舶練習部「八月六日早朝ニ於ケル広島爆撃ニ関スル資料」 |
08 |
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「総軍軍医部長並ニ高級部員出張中ニシテ8日漸ク帰隊ス」(陸軍省広調班速報4) |
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「一、広島市内電車運行並運行予定 1八月八日ヨリ運転中 己斐町‐天満町間」(広島県「戦災記録」10日の項) |
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「一、総監府ヨリ要望アリ 左記ノモノ応援ニ総監府ヘ出動」(広島県「戦災記録」) |
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吉川清の父、可部町・昌窮寺で死亡。 |
08 |
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「一、市役所ニテ船舶司令部主催会議 加藤警部出席セルモ主催者来ラズ己ムヲ得ズ帰庁ス」(広島県「戦災記録」) |
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「一、応援警察官配置状況(七日 八日)左ノ如シ 横川小区一一 舟入七 袋町一四
本川小区四 観音四 天満八 広瀬小区三 中島四 大手七 神崎九 福島五」(広島県「戦災記録」) |
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「応援警防団配置<七日 八日> 大手二一五 西部小区七四 中島一五一 神崎一二九 福島一六七 天満四三 本川一九五 袋町一七九 大芝一二 観音二五 横川二八三」(広島県「戦災記録」) |
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「一、防空総本部書記官総務局総務課長宮崎太一外五名来広総監府総軍トノ連絡ノ後県庁ニテ知事ト懇談ス」(広島県「戦災記録」) |
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「一、官房主幹庶務課長死亡確認ノ連絡アリ」(広島県「戦災記録」) |
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「一、救護活動ニ関シテハ前日ニ引続キ実施ス」(広島県「戦災記録」) |
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「一、戦災復旧対策要項ニツキ八月八日付船舶司令部ヨリ発セラレタリ 其ノ内容次ノ通リ」(広島県「戦災記録」10日の項) |
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広島市保健課吏員、全市にわたり死没者の火葬にあたる。 |
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「一、総監府 第二総軍 市役所ノ警察電話ヲ長官室ニ開設ス」(広島県「戦災記録」) |
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「夜間忠海上空を飛来の敵機の爆音強く町民の戦々怯々たるを見る。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記) |
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「一、双三地方事務所員応援者中総監府へ出動以外ノ者ハ官房付三名衛生課付二名他ハ罹災証明書発行」(広島県「戦災記録」) |
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「賀茂地方事務所長 福山地方事務所次長来庁」(広島県「戦災記録」) |
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「当日市内救護所ニ於ケル薬品資材ハ全部焼失セルラ以テ廿日市 西条 瀬野八木及市内比治山貯蔵所ニ備蓄セル薬品ヲ逐次搬送使用中(其数約二万人分)」(広島県「戦災記録」) |
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「患者ハ重傷者 安佐郡 安芸郡 佐伯郡各沿道国民学校ニ搬送地元救護所員ヲ以テ手配中(約三千人)」(広島県「戦災記録」) |
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「一、屍体処理ハ前日ノ計画通施行 僧侶安佐郡ヨリ四人 安芸郡四人 佐伯郡六人来庁セリ」(広島県「戦災記録」) |
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「八日島根県救護班医師三名歯科医師一名看護婦四名保健婦六名応援ノ為来庁」(広島県「戦災記録」) |
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「同日信令第602号ニ依リ岩病派遣救護隊2隊指揮下ニ入ル」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」) |
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「一、安佐地方事務所長宮庄勇行方不明ニツキ総務課長代理セシム」(広島県「戦災記録」) |
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「一、佐伯地方事務所長並次長行方不明ニツキ学務課長代理(セシム)方指示」(広島県「戦災記録」) |
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「一、船舶司令部県庁市役所ノ連絡臨時電話開通」(広島県「戦災記録」) |
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「市内宇品町船舶輸送司令部ニ収容セルモノ一万余名」(広島県「戦災記録」) |