原爆被害:時時刻刻

1945年8月16〜31日

時刻 事 項
16 「本日早朝より海兵団、潜水学校等を歴訪、食糧援助方を依頼。直に県に引返し貨車の手配を了し、夕方より再び大竹に向ふ。夜列車遅延の為大竹駅前に野宿す。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
16 「一、広島市ノ復興対策ニツキ左ノ通リ示サレタリ」(広島県「戦災記録」)
16 09:00 「一、本日九時内政課長 会計課長 桐原警部ハ県庁移転候補地タル海田市町日本製鋼 東洋工業会社下見ノ為メ出向 十一時五十分帰来左ノ通報告アリタリ」(広島県「戦災記録」)
16 14:00 「一、本日十四時廿日市病院ニ於テ近親者ニヨリテ大塚総監ノ仮葬儀行ハル 状況上参列辞退ノ旨申添アリ」(広島県「戦災記録」)
16 14:00 「一、十四時長官黒田属帯同総監府ノ会議ニ出向」(広島県「戦災記録」)
17 「二総作命甲号外第二号 第二総軍命令 八月十五日 広島」(広島県「戦災記録」)
17 佐伯郡、戦災対策本部を設置し、原爆被災者を救援・救護。郡内の公共施設・民家への収容者約2万人に達す。
17 「本日早朝より海兵団兵員の援助を得て食糧の貨車積を開始、午後4千俵の積込を終る。午後再び潜水校、陸燃等を訪問、残余の食糧積込を手配す。夜県庁に引返して泊る。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
17 09:30 「一、九時半 長官黒田属帯同 呉鎮呉市役所呉警察署訪問」(広島県「戦災記録」)
17 10:00 「一、十時 会計課長外三名県庁舎移転間題打合ノ為東洋工業株式会社ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
17 13:30 「一、十三時四十分 第二総軍岡崎参謀長 長官ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
17 15:00 「一、十五時 東洋工業株式会社事務所三階(全部)ヲ県庁舎トシテ貸付ノ件重役会議ノ結果承諾ノ旨同社総務部長来庁回答シタリ」(広島県「戦災記録」)
18 09:30 「九、三○ 長官村上属帯同 中国軍管区司令部ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
18 10:00 「午前10時より県庁部課長会議。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
18 11:00 「一一、○○ 部課長会議」(広島県「戦災記録」)
18 13:00 「午後1時より地方事務所市長会議。午後9時過帰宅す。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
18 13:00 「一三、○○ 内務省福田事務官事務打合ノ為来県」(広島県「戦災記録」)
18 13:00 「一三、○○ 市長地方事務所長会議」(広島県「戦災記録」)
18 14:00 「一四、○○ 都市計画委員会」(広島県「戦災記録」)
19 14:00 「日赤病院長長官ヲ訪問」(広島県「戦災記録」)
19 15:00 「緊急町村会同開催の手配をなす。午後3時より臨涛館にて陸軍兵器補給廠との懇談会あり。夜隣組常会開催さる」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
20 「午前5時発列車にて出広。本日県庁を向洋東洋工業に移す。午後1時より同所に於て長官開庁の挨拶あり。本日広島県人事課長兼食糧課長を命ぜらる。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
20 09:00 「長官 経済第一部長 警察部長 黒田属 東洋工場へ 各部全部東警察署ヨリ東洋工業ニ移転ス」(広島県「戦災記録」)
20 12:00 「中国軍管区部隊命令 8月20日12時 広島 一、広島地区司令官ハ戦災救護ノ為指揮シアル衛生機関ヲ任務終了次第撤収シ之カ派遣人員ハ夫々原隊ニ復帰セシムベシ 二、前項衛生機関ノ撤収部隊人員及同年月日ヲ其ノ都度報告スヘシ」(『中国軍作命甲綴』)
21 「本日より日本製鋼所の寮に入る。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
21 米国ロスアラモス研究所で、プルトニウム事故。作業員1人が被曝死。警備員1人が急性症状。
21 12:00 「中国軍作命丁第4号 中国軍管区部隊命令 8月21日1200 広島 一、広島第一陸軍病院長ハ速カニ宇品付近ニ分院ヲ設置シ船舶部隊ニ収容シアル軍戦傷患者ノ収療ニ任スベシ 二、施設ハ船舶司令部ト協議ノ上成ル可ク船舶部隊ノ既設ノモノヲ使用スヘシ 三、広島第二陸軍病院長ハ前項分院設置ニ対シ援助スヘシ 三、広島地区司令官ハ第1項、第2項部隊ヲ併セ指揮スベシ 四、広島第一陸軍病院宇品分院ノ編成表ハ別紙ノ如シ 」(『中国軍作命甲綴』)
22 長崎県、大工・左官等技能者約300名・一般労務者500名からなる「長崎県緊急建設本部」設置、長崎市内各所の災害復興を図る。
22 防空総本部技師鳥居捨蔵、広島原爆現地調査結果を報告。
23 「中国軍参電第94号 昭和20年8月23日 [件名]救護要員派遣ノ件 [宛名]山口・鳥取・浜田陸病長 [署名者]軍管区司令官 中国軍作命丁第5号要旨 山口・鳥取・浜田陸軍病院長ハ軍医1、日赤救護班1ヲ8月25日広島第二陸軍病院向原分院(芸備線沿線)ニ派遣シ診療業務ヲ援助セラルヘシ」(『中国軍作命甲綴』)
23 「岡山県庁より横山事務官外7名応援の為来庁。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
23 毎日新聞, 原爆爆心地域70年生物不毛説を伝える. 翌日, 朝日・読売報知,75年生物不毛説を報道.
23? 広島市の原爆被災状況、死者6万人以上・負傷者10万人以上に達す。
23? 中国地方総監府および広島県庁関係原爆死没者・負傷者氏名発表。
24 ジュノーら赤十字国際委員会の日本派遣員、各地の捕虜収容所に向け東京を出発。広島県向島造船所へはビルフィンガーが向かう。
24 「総監府連絡会議。長官厳島神社及速谷神社へ終戦報告の為参拝。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
24 仲みどり、東大病院で死亡(毎日新聞)。
24 08:00 「中国軍作命丁第6号 中国軍管区部隊命令 8月24日0800 広島市 一、福岡第二陸軍病院派遣救護班(西田大尉以下230名)原隊ニ復帰スヘシ 中国軍管区司令官 谷 寿夫」(『中国軍作命甲綴』)
24 10:00 「中国軍作命丁第7号 中国軍管区部隊命令 8月24日1000 広島市 一、鳥取救護班(美田少尉以下7名)ハ8月25日出発原所属ニ復帰スヘシ 中国軍管区司令官 谷 寿夫」(『中国軍作命甲綴』)
25 国際赤十字委員会マルセル・ジュノー、大森収容所で米飛行士の捕虜と接触(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
25 東京帝国大学医学部臨時教授会で厚生省亀山次官から原爆被害調査依頼があったことが報告される。予算は防空委託研究費。(「DDT革命」)
25 11:00 「午前11時より県参事会。午後1時より県政協力会議」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
25 13:00 「中国軍作命丁第8号 中国軍管区部隊命令 8月25日1300 広島市 一、中国軍管区工兵補充隊ハ8月22日中国軍作命甲第29号ニ基キ広島第一陸軍病院江波分院及広島赤十字病院ニ派遣中ノ兵力ヲ引続キ8月27日迄派遣シ前任務ヲ続行セラルヘシ 二、細部ニ関シテハ参謀長ヲシテ指示セシム 中国軍管区司令官 谷 寿夫」(『中国軍作命甲綴』)
26 「会議室に於て県下警察署長会議開催。<その席上に於て偶々内務省より電報示達の機密文書の焼却指示を為す。焉ぞ図らん、後日之が禍して追放の処分に遇はんとは 嗚呼>」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
27 東京大学伝染病研究所員栗本珍彦他2名、広島で調査開始。(日本産業経済新聞)
27 国際赤十字委員会マルセル・ジュノー、相模湾停泊中の米軍艦サン・ディエゴ艦上で米軍と接触、米軍とともに大森収容所を解放(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
27 井街軍医少尉、中国軍管区司令部軍医部長駒田少將の使者として京都大学を訪問。医学部に対し、原子爆弾被爆者の災害の徹底調査と早急なる対策樹立のために研究員の派遣を要請。(菊池論文)
27 13:00 「午後1時より東署楼上に於て戦災復旧対策官公署連絡会議開催。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
27? 長崎県建設工事本部、被災家屋の応急修理に着手する計画。
28 オーターソン大佐(マッカーサーの軍医顧問)、ガイ・B・デニット代将(太平洋米軍総司令部軍医総監)宛のメモ「原爆の障害が引き起こす影響に関する研究」を記す(『災害との遭遇』)。
28 厚生省の専門家、広島県衛生課や逓信病院で原爆被災者の健康について調査。
28 「児玉中国地方総監着任。長官と共に之を出迎ふ。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
29 「中立国利益代表長官を訪問。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
29 広島市、全市連合町内会へ第1回衣料品配給。
29 九大医学部沢田内科班、原爆による負傷者の救護とその影響研究のため長崎入り。
29? 大阪大学附属病院、収容した原爆被災者の病症状経過を発表。長井同大医学部助教授、広島現地報告を発表(朝日新聞)。
30 「長崎県知事代理人が来学し、原子爆弾による死亡者についての研究が依頼された」(「五十年史(九州大学医学部)」)
30 ファーレル将軍、第8軍司令官とともに横浜に到着(マンハッタン・プロジェクト『広島・長崎への原爆の投下』。
30 東大医学部教授都築正男ら調査団、来広。(朝日・毎日新聞)
30 「中国軍管区慰霊祭執行。長官に随行して参列。其序を以て長官邸焼跡を見廻る」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
30 赤十字国際委員会のビルフィンガー、広島に到着(「ドクター・ジュノーの戦い」)。
31 天皇、広島・長崎の惨状視察と救護関係者激励のため侍従を派遣することを明らかにする。
31? 日本政府、駐日スイス公使に、広島に対する原子爆弾攻撃で連合軍捕虜は一名も死傷者が無かったと通告。

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