原爆と政府・軍部


 1945(昭和20)年8月7日、政府は、原爆投下に関して関係閣僚会議を開催した。東郷外相は、その席上、原爆の出現は軍側にも戦争終結の理由を与えることになるので、ポツダム宣言を基礎に終戦を考えては、とはかったが、陸軍側は、ともかく調査報告をまって必要措置をとろうと主張し、なるべくその効果を軽視しようとした。

 同日、情報局は、部長会議を開き、

1、対外的lこは、かかる非人道的武器の使用について徹底的宣伝を開始し世界の与論に訴える。
2、対内的には、原子爆弾なることを発表して、戦争遂行lこ関し国民に新なる覚悟を要請する。

 という報道方針を決定した。

 この方針lこ対し、外務省は賛成したが、軍および内務省は、つぎの理由から反対した。

1.敵側は原子爆弾使用の声明を発表したが、これは虚構の謀略宣伝かも知れない。したがってわれわれは十分科学的に調査した結果をみなければ、原子爆弾なりと速断することはできぬ。
2.かかる重大報道により国民の心理に強い衝撃を与えることは戦争指導上反対である。

 こうした原爆の効果を軽視しようとする意図は、8月15日まで国民に原爆に関する情報を与えることを妨げた。大本営は、原爆について、つぎのような簡単な発表を行なったのみである。

大本営発表(昭和20年8月7日15時30分)
一、昨八月六日広島市はB29少数機の攻撃により相当の被害を生じたり
二、敵は右攻撃に新型爆弾を使用せるものの如きも詳細目下調査中なり

 また、内務省防空総本部は、8・9・11日の3回にわたり新型爆弾に対する心得を発表したが、その内容は、「待避壊は極めて有効であるからこれを信頼すると共1こ出来るだけ頑丈に補修すること」、「軍服程度の衣類を着用してみれば火傷の心配はない」など、これまでの防空対策を徹底すれば防禦可能というものであった。

 大本営は、8月10日、広島の陸軍兵器補給廠で開催した陸海軍合同研究会において、原爆であるとの確認をえていたが、それについて国民に発表することなく、それ以後も原爆への対抗策を考慮していた。浅田常三郎は、そうした動きについて、つぎのように伝えている。

浅日常三郎メモ(8月14日)
目黒の海軍技術研究所にて艦政本部長、海軍技術研究所長その他多数の将官達に広島の実情と原爆の話をする。
艦本部長の結論、日本中の物理学者を信州の地下壕に集め日本でも原爆を作り米国へ投下する。
内務省原対策委員会にて広島の事の報告をする。
情報局次長久富達夫氏達の結論、敷布などの白布で原爆よりの放射線を遮る事にし国民に白布の用意を布告する。

 しかし、いっぽうでは、前述の東郷外相のように原爆の出現を戦争終結に導こうとする動きもみられた。こうした見解は、「日本の科学技術が米国の科学技術に負けたのであって、決して、日本軍隊が、米英の軍隊に負けたのではない」(元企画院総裁鈴木貞一陸軍中将、加瀬俊一など)として本土決戦を主張する軍部に対し、原爆をその説得のために利用しようとするものであった。

 また、政府・軍部いずれも、新型爆弾の非人道性について、アメリカ向け、日本国民向けには、最大限強調した。大本営発表には、各紙とも共通してつぎのような解説が付されており、これも大本営発表に準ずるものとみることができる。

敵はこの新型爆弾の使用によって無辜の民衆を殺傷する残忍な企図を露骨にしたものである。敵がこの非人道なる行為を敢てする裏には戦争遂行途上の焦躁を見逃すわけにはいかない。かくのごとき非人道なる残悪性を敢てした散は最早再び正義人道を口にするを得ない筈である。

 8月10日、日本政府は、スイス政府を通じて、アメリカに、新型爆弾は毒ガス以上の残虐性をもつものであり、その使用は国際法違反であるとしてその使用の中止を求める抗議文を渡した。また、国体護持を条件としてポツダム宣言受諾を決定した10日の御前会議の直後に発表された下村情報局総裁の談話は、「散米英は最近新に発明せる残虐無道なる惨害を一般無辜の老幼婦女子に与えるに至った」と述べている。

 「終戦詔書」には、つぎのような文言が盛りこまれているが、これは、こうした原爆の残虐性を強調する立場と、原爆を終戦の根拠としようとする立場とが結合したものと考えることができよう。

敵ハ新二残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻二無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真二測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終二我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ

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