年 | 大会 | 発言者 | メモ |
1971 | 禁 | アタジ・バロス | ミクロネシア議会下院議員。 「1954年のことでした。ビキニ島で行われたアメリカの水爆実験で、数多くのミクロネシア人が”死の灰”を浴びました。その全容はいまなお判っていませんが、1965年になって、放射能障害患者がいることがはじめてわかったのです。現在約300名の被爆者がいると公表されていますが、実際の数はいまなお明らかでありません。彼らは3ドルから5ドルという僅かな補償をうけているにすぎません。」 |
1972 | 禁 | アタジ・バロス | ミクロネシア議会下院議員。 |
ジョン・アンジャイン | ミクロネシア代表「ビキニ被災者の訴え=昨年、原水禁は調査団を送ることを決めてくれましたが、入域許可が下りずロンゲラップ島へはゆけませんでした。これは政府間の誤解によるものでした。今後、調査を是非実現させたいと思っていますが、日本から医師を送ってくれることを期待しています。」 | ||
1973 | 禁 | フランシス・ウルドング | ミクロネシア独立連合代表。 「昨年この大会に参加したジョン・アンジャインの息子、レコジ・アンジャインさんが亡くなりました。レコジ・アンジャインは1954年の水爆実験によるものと、公的に認められた最初の犠牲者です。」 |
1975 | 禁 | ネルソン・アンジャイン | ミクロネシア被曝者(元ロンゲラップ村長) 「私たちの島であるロンゲラップの近くにビキニ島という島があります。ここでは1946年から1958年までに、20回以上も原爆・水爆の実験がおこなわれました。・・・・・・・」 |
1976 | 禁 | アタジ・バロス | クロネシア議会下院議員。[議事録に発言なし] |
1978 | 禁 | ギフォード・ジョンソン | ミクロネシア支援委員会<ハワイ>。「ミクロネシアからの報告」 |
マイク・マロン | ミクロネシア。「ビキニの転住」 | ||
リジョン・マクドナルド | 「ミクロネシア被ばく者の訴え」 | ||
アルミラ・マタヨシ | 「ミクロネシア被ばく者の訴え」 | ||
1979 | 禁 | ジョン・アンジャイン | ロンゲラップ元村長。「マーシャルからの訴え」 |
ダーリーン・ケジュ | 「マーシャル諸島の核実験被害」 | ||
ギフ・ジョンソン | ミクロネシア支援委員会<ハワイ> | ||
フレディック・ロス | エニウェトク核実験被ばく者<アメリカ> | ||
ネルソン・アンジャイン | ロンゲラップ前村長 | ||
1980 | 禁 | ポール・イルジマン | ロンゲラップ環礁で被曝。<マーシャル・エバイ島> |
ネルソン・アンジャイン | ロンゲラップ環礁で被曝。<マーシャル・エバイ島> | ||
1981 | 統 | ジェトン・アンジャイン | マーシャル諸島国会のロンゲラップ環礁上院議員。 |
1981 | 禁 | ジェトン・アンジャイン | マーシャル諸島国会のロンゲラップ環礁上院議員。 |
ジョージ・アンジャイン | <マーシャル> | ||
エジソン・アンジャイン | <マーシャル> | ||
1984 | 禁 | ????? | |
1985 | 協 | カトナール・ティマ | マレーシア・アジア太平洋環境ネットワーク。ロンゲラップ被爆者。 「1954年3月1日早朝、太陽のような火の玉が西からロンゲラップ環礁を照らしました。[中略]翌日正午に船で私たち全員は200キロ離れた島に連れて行かれました。 この後、甲状腺障害などの放射線障害が多発しました。このことはだれの目にも明らかな状況だと思えました。1957年に島にもどると患者が増えました。それで今年5月に再び島を引きはらいました。」 |
1985 | 禁 | カトナール・ティマ | マーシャル・ロンゲラップの被曝者。 |
1987 | 禁 | ???? | |
1988 | 禁 | ジョナサン・M・ワイスガル | ビキニ被爆者弁護士<アメリカ> |
アッジ・ルイス(など11名) | ビキニ島代表団 | ||
1991 | 協 | ティモシー・フィッツパトリック | ロンゲラップ環礁島民グループ。<マーシャル> |
1991 | 禁 | ネルソン・アンジャイン | ロンゲラップ島。現在はクエゼリン島在住。 |
ジェームズ・マタヨシ | ロンゲラップ島、被曝二世。現在はマーシャル群島在住。 | ||
1992 | 協 | ネルソン・アンジャイン | マーシャル・ロンゲラップ島民グループ。 |
1993 | 協 | ネルソン・アンジャイン | ロンゲラップ島グループ。 |
1994 | 協 | ネルソン・アンジャイン | マーシャル・ロンゲラップ島政府議会議員。 |
1995 | 協 | ニックティモス・アンタック | ロンゲラップ島民グループ<マーシャル群島> |
ネルソン・アンジャイン | ロンゲラップ島民グループ<マーシャル群島> | ||
1996 | 協 | ネルソン・アンジャイン | ロンゲラップ島<マーシャル諸島> |
1997 | 協 | ネルソン・アンジャイン | マーシャル群島・ロンゲラップ環礁自治体 |
河井智康 | マーシャル諸島調査団長、1997年6月17−27日、マジェロ・イバイ・メ ジャットの3島を12名が調査 | ||
デボラ・キャピタル | マーシャル諸島・ロンゲラップ環礁自治体、ネルソン・アンジャイ ンの孫。 | ||
1997 | 禁 | トニー・ドゥブルム | マーシャル諸島共和国国会議員、1947−58年、マーシャル諸島で68発の原子爆弾等が爆発。 |
1998 | 協 | ネルソン・アンジャイ ン | マーシャル諸島・ロンゲラップ環礁 |
備考:「大会」の「協」は原水爆禁止日本協議会の、「禁」は原水爆禁止国民会議の大会への参加を示す。
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