| Y | M | D | NEWS1 |
| 95 | 05 | 24 | 五十嵐官房長官、天皇・皇后が今夏に広島・長崎の被爆地を訪問する方向で検討していることを明らかにする。沖縄・東京大空襲の慰霊堂も検討。 |
| 95 | 06 | 16 | 宮内庁、天皇・皇后の戦後50年の慰霊訪問について日程を発表。長崎7月26日、広島27日の予定。 |
| 95 | 06 | 29 | 長崎県警、警察署長会議を開催。天皇・皇后来県に伴う警衛警備などについて協議。 |
| 95 | 07 | 04 | 天皇・皇后の「慰霊の旅」の日程が閣議で報告される。26日−27日長崎など。 |
| 95 | 07 | 21 | 天皇・皇后の長崎国際文化会館視察(26日)の際、被爆者団体関係者5人(山口仙二・下平作江・大平力男・築城昭平・松村鹿夫)が説明補助者として加わることが決まる。 |
| 95 | 07 | 24 | 長崎県警、天皇・皇后の慰霊の旅に伴い、婦人警察官の警衛部隊を発足させる。 |
| 95 | 07 | 26 | 天皇、長崎・広島訪問に先立ち、文書「長崎および広島訪問に当たって」を発表。 |
| 95 | 07 | 26 | 市民団体のメンバー10数人、長崎市の繁華街で天皇の「慰霊の旅」に反対するビラ約2000枚を配布。 |
| 95 | 07 | 26 | 8・9長崎反戦闘争実行委員会、長崎市内で「天皇・皇后の慰霊の旅に反対する集会」を開催。約10人が参加。 |
| 95 | 07 | 26 | 長崎県警、天皇・皇后の慰霊の旅に伴い、警察官2500人を動員して警備。 |
| 95 | 07 | 26 | 天皇・皇后、長崎市を慰霊のため訪問。午後、長崎市入り。高田勇知事から「戦災50年の概況」説明を受ける。平和公園の平和祈念像前で供花。原爆資料センターを視察。原爆養護ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」を慰問。市内のホテルに泊。 |
| 95 | 07 | 27 | 天皇・皇后、慰霊のため広島市を訪問。藤田知事が「戦災50年の概況」を説明。原爆慰霊碑に献花。原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」慰問。 |
| 95 | 07 | 27 | 「天皇制はいらない!広島ネットワーク」、天皇・皇后の原爆慰霊碑供花に合わせ、原爆ドーム前や本通りなどでデモや集会を開く。 |
| 95 | 07 | 27 | 藤田広島県知事、天皇皇后の慰霊の旅についてコメントを発表。 |
| 95 | 08 | 02 | 天皇・皇后、沖縄を慰霊のため訪問。 |
| 95 | 08 | 03 | 天皇・皇后、東京大空襲の犠牲者らを慰霊する東京都墨田区の都慰霊堂を訪問。 |
| 95 | 08 | 10 | 天皇、戦後50年に当たっての長崎・広島・沖縄・東京の戦争犠牲者慰霊施設への訪問の感想を文書で公表。 |
| 95 | 12 | 22 | 天皇、62歳の誕生日を前に記者会見。長崎・広島・沖縄・東京での戦争犠牲者を追悼した「慰霊の旅」に触れ、体験の継承の必要性について語る。 |
五十年前、広島と長崎に落とされた二発の原子爆弾は、両都市の市街を一瞬にして焦土と化し、二十万を超える人々の命が失われました。放射能は長く人体に影響を与え、被爆後も多くの人々が亡くなりました。身近な人々を亡くした遺族や、後障害に悩み、あるいは、健康に不安を抱き続ける被爆者の悲しみ、苦しみは、いかばかりかと思われます。広島、長崎の人々が、この艱難(かんなん)を克服し、今日を築いてきたことに深い感慨を覚えます。終戦五十年に当たり、長崎、広島をあらためて訪れ、遺族や被爆者の経てきた道に深く思いをいたし、非命に倒れた人々をしのんで、心から追悼の意を表します。原子爆弾に対する世界の認識が深まり、人類がこのような災いを二度と経験することのないよう、切に平和を願い、犠牲者のめい福を祈ります。
終戦五十年に当たり、先の大戦において、特に大きな災禍を受けだ四地域を訪問しました。訪問を終えた今、これら四地域にとどまらず、広く日本各地、また、遠い異郷にあって、この戦いによりかけがえのない命を失った多くの人々と、今なお癒えることのない悲しみをもつ遺族の上に深く思いを致します。
この五十年の間に、人々のたゆみない努力により、日本は焦土の中から復興し、発展を続けてきました。今日我が国が享受している平和と繁栄が、多くの人々の犠牲の上に築かれていることを深く心に刻み、これからも、この戦いに連なる全ての死者の冥福を祈り、遺族の悲しみを忘れることなく、世界の平和を願い続けていきたいと思います。
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