広島・長崎両市の「平和宣言」の中の「戦争責任・加害責任」


1988 長崎(本島等)

「最後に日本政府に次のことを真剣に取り上げることをお願いしたい。
 (中略)
 三、外国在住の日本人及び外国人被爆者に対しても、国内在住の被爆者と同等の援護措置が行われるよう努力して下さい。国の責任を明らかにする上からも、早急に取り組むべきことであります。」

1989 長崎(本島等)

「一、真珠湾攻撃から長崎原爆までを考えよう。
 あの太平洋戦争は、真珠湾攻撃に始まり、長崎原爆に終わった。内外二千数百万人の貴い生命を奪った。私たちは今戦争を心から反省し、犠牲となった多くの日本人と外国人のごめい福をお祈りしよう。」
「 日本政府に対して
 1.(略)
 2.外国に住む日本人および外国人被爆者に、国内の被爆者と同等の援護措置を。」

1990 長崎(本島等)

「一、原爆を忘れるな、戦争を忘れるな。
 我が国はかつて日韓併合の後、日中十五年戦争、太平洋戦争を戦い、長崎原爆を最後に敗戦となりました。内外二千数百万人の貴い生命を奪いました。私たちは戦争を心から反省し、犠牲となった多くの日本人と外国人のごめい福をお祈りし、その償いを考えなければなりません。」
「五、外国人被爆者に謝罪と援護を。
 戦後四十五年間、外国人被爆者は、実態さえ不明のまま放置されてきました。私たちの人道上の責任はきわめて大きいといわなければなりません。特に当時の朝鮮や中国の人たちが残酷な植民地支配のもとに、強制連行され、非人道的扱いをうけ、異境の地で被爆して世を去り、あるいは年老いて、原爆症によって心身ともに破壊されています。
 私たちは速やかに謝罪し、実態を調査し、援護をしなければなりません。」

1991 広島(平岡敬)

「日本はかつての植民地支配や戦争で、アジア、太平洋地域の人びとに、大きな苦しみと悲しみを与えた。私たちは、そのことを申し訳なく思う」。

1991 長崎(本島等)

「 一、日中十五年戦争開始から六十年、真珠湾攻撃から五十年ーあの戦争に心から反省を
 わが国は日韓併合の後、日中戦争、真珠湾攻撃から太平洋戦争へ突入し、長崎原爆で敗戦となりました。
 私たちはあの戦争を心から深く反省し、犠牲となった内外二千数百万人のごめい福をお祈りし、その償いを考えなければなりません。」
「 五、外国人被爆者と核被害者に援護を
 外国人被爆者にも国内の被爆者と同等の援護措置をとるよう訴えます。特に当時の朝鮮半島や中国の人たち及び連合軍の捕虜は、強制的に連行され、非人道的扱いを受け、被爆して世を去り、あるいは帰国した後も原爆症、孤独、老齢、差別に心も体もむしばまれています
 私たちはこれらの方々へ謝罪と償いをしないで国際的責任を果たしたといえるでしょうか。」

1992 広島(平岡敬)

「過去の戦争や植民地支配で、わが国はアジア・太平洋地域の人々に大きな苦しみと深い悲しみを与えた。私たちは、その痛みを自らの痛みとすることによって、未来へ向けて相互の絆(きずな)をより強めなければならない。道義こそ信頼の源となるからである。」

1992 長崎(本島等)

「 一、日中戦争、太平洋戦争から長崎原爆までを考えよう
 我が国は韓国併合の後、日中戦争、太平洋戦争へ突入し、広島・長崎の原爆で敗戦となりました。
 私たちは、日本のアジア・太平洋への侵略・加害の歴史を振り返り、犠牲となった内外二千数百万人のごめい福をお祈りし、心からの反省とその償いを果たさなければなりません。」
「 また、当時の朝鮮、中国の人たちや連合国の捕虜は強制連行され、非人道的扱いを受け、被爆して世を去り、あるいは帰国後原爆症や差別に苦しんでいます。私たちは、速やかに実態を調査し、謝罪し、援護をしなければなりません。」

1993 広島(平岡敬)

「広島でのアジア競技大会開催を来年秋に控え、私たちはアジアの人々の日本に対する思いに深い関心を抱いている。日本がかつての植民地支配や戦争でアジア・太平洋地域の人々に苦難を与え、その心に今も深い傷を残していることを私たちは知っており、率直に反省する。特に、隣国の朝鮮半島に住む多くの原爆被爆者がたどった戦後の足跡を思うとき、私たちの心は痛む。これらアジア・太平洋地域の人々との末永い友好を築くためには、いまだに清算されていない、いわゆる戦後処理問題に速やかな決着をつける日本政府の決断が不可欠である。」

1993 長崎(本島等)

「 一、今過去を振り返り、現在を見つめ、未来に決意しよう
 日本はアジアへの侵略を反省し、戦争責任を明確にし、戦後処理を誠実に行わなければなりません。」
「 四、広島・長崎の外国人被爆者に援護を。核実験や原子力発電所の事故の被害者に救援を
 朝鮮半島や中国等の被爆者は、強制的に連れてこられ、非人道的扱いを受け、被爆してこの世を去り、あるいは帰国して原爆症、老齢、孤独に苦しんでいます。また、核実験や原子力発電所の事故による放射線被害者も苦しみ続けています。私たちはこれらの方々へも救済の手を差し伸べるべきであると考えます。」

1994 広島(平岡敬)

「十月の第十二回アジア競技大会に参加するある国は、原子爆弾の惨禍を乗り越えて大会開催を実現した今日の広島を、平和への大いなる希望の象徴である、と表現した。私たちは、この言葉を誇りと自信をもって受け止めたい。無論、アジア諸国との戦争や植民地支配の歴史を常に心に刻むべきであることは言うまでもない。」

1994 長崎(本島等)

「 日本人は、アジアに対する侵略と加害の歴史をふり返り、厳しい反省の上に立ってその償いを考えなければなりません。私たちの反省がなければ、日本が世界の国々の信頼を得ることはできません。」
「 四、直ちに被爆者援護法の制定を、外国人被爆者にも同等に
(中略)
 さらに、朝鮮半島や中国等から強制連行され、長崎・広島で被爆して帰国した人々にも、日本人被爆者と同等の援護をすべきであります。」

1995 広島(平岡敬)

「第二次世界大戦終結五十年を迎えるにあたって、共通の歴史認識を持つために、被害と加害の両面から戦争を直視しなければならない。すべての戦争犠牲者への思いを心に深く刻みつつ、私たちは、かつて日本が植民地支配や戦争によって、多くの人々に堪え難い苦痛を与えたことについて謝りたい。」

1995 長崎(伊藤一長)

「 3. 過去の歴史を教訓としてアジアとの共生を
 今年は第二次世界大戦終結50周年でもあります。私たちは、アジア太平洋諸国への侵略と加害の歴史を直視し、厳しい反省をしなければなりません。私たちの反省と謝罪がなければ、核兵器廃絶の訴えも世界の人々の心に届かないでしょう。
 日本政府は、過去の歴史を教訓とし、アジア諸国の人々と共有できる歴史観をもって、世界平和の構築に努力して下さい。」

1996 広島(平岡敬) [触れず]

1996 長崎(伊藤一長)

「 1 過去の歴史を反省し、長崎の願いを世界へ
(中略)
 私たちは、過去の戦争におけるアジア太平洋諸国への侵略と加害の歴史を直視し、反省と謝罪の気持を持って、あらゆる人々と連帯し、新たな戦争犠牲者や核被害者が生み出されることのないよう努力しようではありませんか。」

1997 広島(平岡敬) [触れず]

1997 長崎(伊藤一長)[触れず]

1998 広島(平岡敬) [触れず]

1998 長崎(伊藤一長)

「 日本政府に求めます。[中略]アジア・太平洋諸国への侵略と加害の歴史を直視し、その反省の上に立って、アジア諸国と歴史認識について率直に話し合い、信頼と相互理解に基づく新しい友好関係を一日も早く築いてください。」

1999 広島(秋葉忠利) [触れず]

1998 長崎(伊藤一長)

 「次に日本政府に求めます。[中略]アジア・太平洋諸国に対する侵略と加害の歴史を反省し、日本国憲法の平和理念を守ることを誓い、真の相互理解に基づく信頼関係を築いてください。高齢化の進む国内外の被爆者のために、援護の充実に努めてください。」

参考資料:広島・長崎両市の平和宣言

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