長崎でも原爆犠牲者のほとんどは子供や女性など非戦闘員だった。投下直後、爆撃機B−29は上空からきのこ雲を撮影したが、雲の下の地獄絵はなぜ本国に報告しなかったのか。惨状が米国に伝えられたなら、それ以降の核兵器開発はなかったかもしれない。
日本の真珠湾攻撃やアジア、太平洋への侵略や残虐行為については、心から反省している。しかし、残虐行為をした日本人だからといって大量破壊兵器を市民の上に投下しても許されるのか。原爆の影響は長期にわたり人間の肉体をむしばんだ。原爆使用はユダヤ人大虐殺と並ぶ、人類が犯した20世紀最大の罪だ。
戦争の推移からみて原爆投下は避けられたし避けるべきだった。被爆者は原爆直後、米国人を憎んだが、今はほとんどが悲しみから立ち上がり、憎しみは持っていない。あるのは核兵器廃絶の願いだ。核兵器廃絶を一部の政治家や軍人に任せてはいけない。これを実現するのは人間の良心と英知以外にない。
出典:「中国新聞」1995.3.16
参考資料:「年表:ホロコースト・原爆ドーム世界遺産化についての本島等発言」
<「対立する原爆被害観」へ