中国連絡調整事務局執務半月報第2巻第15号(1948.9.20)

3.張群氏来広

訪日中の前中国行政院長張群氏は1日12時5分空路岩国着、中国軍政部長シュナイダー大佐等の出迎を受け、午後1時30分広島に到着、爆心地に近い広島商工会議所国際クラブに於て軍政部の招待午餐会にのぞみ自動車で市内の復興状況を視察した後再び岩国から空路大阪に向った。

尚張群氏は広島県知事及び市長の歓迎挨拶に答え次の通り述べた。

「中日の友好関係は戦争で阻害されたが終戦とともに新しく出発した広島は世界平和の出発点として復興に努力されているがその迅速振りには感服した。今後とも新しい世界平和の出発点として平和的に民主的に御努力願いたい」云々

1.ヘレン・ケラー女史来広

ヘレンケラー女史は13日来広、駅頭にはクロワード広島軍政部長、ジヨンス濠軍YMCA会長及び多数日本側名士が出迎へた。

同女史の来広については当事務所の斡旋により軍政部側と諮り歓迎委員会を組織し歓迎準備を進める傍らひろくヘレン・ケラー・キャンペインを展開したが女史来広当日は広島児童文化会館において県市共同主催にて歓迎県民大会を開催し同女史から広島市民に対し

「世紀の奇跡を生むよう希望する」旨のメッセージを送られ、ついで広島市役所において浜井市長から原爆当時の模様について説明した。

尚女史は翌14日宮島で一日休養の後15日早朝福岡に向い出発した。