年表:天皇とヒロシマ・ナガサキ

年表:天皇とヒロシマ・ナガサキ

Y M D NEWS1
45 08 15 天皇の終戦詔書放送さる.
45 08 31 天皇、広島・長崎の惨状視察と救護関係者激励のため侍従を派遣することを明らかにする。
45 09 04 永野長崎県知事、来崎した久松侍従に長崎市の被害状況を報告。9月1日現在、死亡者(検死済)19743人・行方不明者1927人・重軽傷者40993人、8月26日現在戦災者21774世帯89780人・全焼全壊家屋14046戸・半焼半壊家屋5441戸など。[天皇]
45 09 13 永積侍従、比治山迷児収容所を訪問。[天皇]
45 12 11 高松宮、来広。戦災者や引揚民の救護状況視察。[天皇]
46 10 30 天皇、宮中で楠瀬広島県知事に広島市の復興状況について質問。
47 05 33 第1回平和祭に向けての会合、広島市役所で開催。中村藤太郎広島商工会議所会頭、「8月6日の平和祭に、ぜひ天皇陛下の御臨席をお願いしよう」と緊急提言。(『天皇陛下と広島』)
47 10 04 広島県議会発議書「天皇陛下広島県行幸懇請について」(『天皇陛下と広島』)
47 10 25 広島市議会「広島市役所に天皇陛下御巡幸を仰ぐよう県当局に対する陳情書」(『天皇陛下と広島』)
47 11 20 宮内府、天皇の中国地方視察の日程を発表。[天皇]
47 11 22 広島市復興局、本年7月英豪軍航空隊撮影の写真から広島市の航空写真を作成。来広の天皇に提示予定。
47 11 24? 広島市、天皇に原子砂漠の写真を献上することを決定。作成は文化社。
47 11 30? 広島市、天皇来広に際し、国旗を掲揚しないよう要望。
47 12 05 天皇、国立大竹病院を訪問。外科第3病舎で同病院ただ1人の原爆病患者・畠山隆雄(24歳)を慰問。(『天皇陛下と広島』)
47 12 06 楠瀬広島県知事、天皇の下問に「広島市の原子爆弾の影響は現在では人体について殆ど心配なく、ただ植物に学問的に多少の影響を与えている程度であろう」旨、奏上。(『天皇陛下と広島』)
47 12 06 竹内釼・広島赤十字病院院長、宮島・岩惣の行在所で天皇に進講「広島市における戦災者の傷痍について」。(『天皇陛下と広島』)
47 12 07 永積侍従、天皇の命により、原爆供養塔を参拝し、日赤病院の原爆患者13人(吉川清など)を慰問。
47 12 07 天皇、広島を訪問。広島戦災児育成所(佐伯郡五日市町)-相生橋-広島市民奉迎場(元護国神社前)-第1授産共同作業場-袋町小学校-広島県立第1中学校-広島市役所-県庁-広島駅。
47 12 10? 天皇行幸記念の平和記念塔、広島爆心地産業奨励館横に完成。
47 12 12 広島市議会「天皇陛下本市行幸に対する感謝決議」(『天皇陛下と広島』)
48 08 06 広島護国神社、慰霊安鎮祭を執行。[天皇]
49 03 30 皇太子の来広日程、広島市議会全員協議会で公表。4月5-6日。[天皇]
49 04 06 皇太子、広島市内を見学。[天皇]
49 05 27 天皇、長崎市を訪問。28日まで。
49 07 01 三笠宮、来広。2日、広島赤十字病院で吉川清などを慰問。[天皇]
49 07 02 吉川清、三笠宮の慰問を受ける。[天皇]
49 07 18 大橋長崎市長ら上京。文化都市記念祭に天皇の「お言葉」や高松宮の臨席を懇請する予定。
49 08 06 広島神社(元護国神社)、戦争死没者の慰霊祭と平和祈願祭を執行。[天皇]
50 07 27? 広島県神社神道同志会、8月6日に元護国神社境内で戦死病没・原爆犠牲者慰霊平和祭開催を計画。[天皇]
51 04 05 順宮・清宮、修学旅行の途次、広島入り。供養塔、原爆記念館、御便殿、ABCCなどを視察。[天皇]
51 08 06 広島県神社神道同志会、元護国神社で原爆犠牲戦死病没者慰霊祭式典を執行。[天皇]
51 10 27 第6回国民体育大会、広島市で開幕。天皇・皇后参加。
51 11 14 広島市、強制作業中の原爆犠牲者12万8千人の靖国神社合祀と、遺族を戦争遺家族援護の対象に入れるよう国会請願展開。広島市議会議員ら、参院遺家族等援護小委員会で請願の主旨説明(15日には衆院)。[天皇]
51 11 19 広島市の原爆死没動員学徒が靖国神社へ合祀されることが判明。義勇団員については広島市の資料調査待ち。[天皇]
51 11 21 広島市議会文教・厚生両委員会、原爆死没動員学徒・徴用工・義勇隊員の靖国神社合祀と遺家族援護法の適用の陳情について協議。中島ピース・センター内への原爆犠牲学徒の像建設を可決。[天皇]
51 11 26 広島市議会代表、靖国神社に、原爆死没動員学徒・義勇隊員の合祀を陳情。[天皇]
52 01 29 広島・長崎両市議ら、靖国神社事務総長に、原爆死没動員学徒・義勇隊員の同神社合祀を陳情。[天皇]
52 02 02 長崎市議会議員、原爆犠牲者援護等陳情から帰任報告。原爆死亡者調査費の支給が決り,学徒義勇軍・勤労報国隊員などの死亡者の靖国神社合祀について同神社と話合い。[天皇]
52 02 12? 広島市議会副議長、全国議長会より帰任報告。原爆死没学徒・義勇隊員の弔慰問題について、地元調査の完了・靖国神社合祀が先決、と語る。[天皇]
52 04 21 長崎県、戦後初の戦没者招魂祭長崎市の県護国神社で挙行。県下の遺家族千数百人が参列。(「長崎市史年表」)[天皇]
52 05 04 広島原爆犠牲者12800柱を靖国神社へ合祀。[天皇]
52 05 07 原爆犠牲者遺家族援護促進委員長任都栗一興、靖国神社へ合祀された広島市の原爆死没者のうち、学徒義勇隊死亡者8205人分の名簿を同神社に納める。[天皇]
52 07 02 第5回広島長崎特別都市建設期成委員会、広島市で開催。外国資金による被爆者治療機関設立など政府への要望事項決議。原爆死没学徒の靖国神社合祀推進を申し合わせ。[天皇]
52 12 06? 元海軍指定管理工場長崎三菱4工場に勤務中原爆・空襲によって死亡した徴用工・動員学徒・女子挺身隊員の靖国神社合祀が決定、長崎市、該当者に軍属任命手続きを呼びかけ。[天皇]
54 05 24 秩父宮妃、長崎原爆中心地を訪問。(長崎日々)[天皇]
54 07 17 高山広島市助役、高松宮に平和祭式典参加を懇請。出席を約束。[天皇]
54 08 06 広島市の世界平和記念聖堂完工式。高松宮出席。[天皇]
54 08 06 広島市、原爆死没者慰霊式ならびに平和記念式を挙行。高松宮夫妻出席。2万人参加。[天皇]
55 07 09 高松宮喜久子妃、呉市での全日本軟式庭球東西対抗試合に出席の途次、原爆資料館・日赤広島病院・ABCCを見学。[天皇]
56 01 14 高松宮妃、来広。原爆孤児ら7人に面会。[天皇]
56 01 15 広島赤十字原爆病院起工式、開催。初の原爆症専門病院。高松宮妃(日赤名誉副総裁)、出席。工費6500万円はお年玉付年賀ハガキの分配金を充当。[天皇]
56 03 23 天皇、東京日本橋高島屋で開催中のニューヨーク近代美術館など主催「ザ・ファミリー・オブ・マン」写真展を見学。その際、広島原爆被災の少年の写真にカバーがかぶせられる。(毎日新聞)
56 04 03 義宮、長崎国際文化会館の原爆資料館を見学。その際、原爆被災者のケロイド模型3体を除去。7日、これに対して、モデルの山口仙二が同会館に抗議。(毎日新聞)[天皇]
56 08 04 長崎市原爆資料保存会、4月義宮来県以来国際文化会館の陳列から除かれていたケロイド模型を陳列することなどを決定。(長崎日々)[天皇]
56 08 08? 広島市の画家神田周三、1947年来広した天皇に、当時の日赤院長竹内博士が原爆被害について説明している場面を写生した際の思い出を毎日新聞社に寄せる。(毎日新聞)
56 09 11 広島原爆病院開院式、開催。日赤名誉副総裁秩父宮妃、郵政・厚生両大臣、広島県知事・市長ら出席。[天皇]
56 11 13 高松宮、長崎入り。(長崎日々)[天皇]
57 04 09 義宮、来広。原爆病院を慰問、ABCCを見学。[天皇]
57 04 17 清宮、長崎市内を見学。(長崎日々)[天皇]
57 05 31 秩父宮勢津子妃長崎入り。6月1日、原爆慰霊塔に花束を献花。原爆病院の起工式に参列。[天皇]
57 08 06 広島市平和公園で平和記念式典と原爆死没者慰霊式。三笠宮夫妻など2万人が参列。[天皇]
57 12 07 森絹子(14才の長崎被爆者)・沢田律子(17才の広島被爆者)、三笠宮邸を訪問。藤居・香田・中村(原水協常任理事)なども同席。(「被団協連絡」NO.2)(「原水爆禁止ニュース」NO.49)[天皇]
57 12 07 三笠宮夫妻、福田須磨子が作製した唐人形と広島の被災者が折った千羽鶴を受け取る。森絹子(西浦上中1年)、所沢田津子(広島女子商2年)が届ける。[天皇]
57 12 11 森絹子、三笠宮から被爆者へのプレゼントとしてあずかったたばこ100本を長崎大学付属病院の入院患者13人に届ける。[天皇]
58 05 28 長崎原爆病院、開院と落成式を県立長崎東高体育館で挙行。日赤名誉副総裁の高松宮妃など500人が参列。[天皇]
58 05 28 長崎原爆病院、開院式を長崎東高校で開催。高松宮妃出席。(西日本)[天皇]
59 07 21 広島県知事、厚生省引揚援護局より、60年4月から動員学徒戦没者8,000人の霊が一般軍人なみに靖国神社に合祀されるとの連絡を受ける。[天皇]
59 07 22 秩父宮妃、山下義信前参議院議員を赤坂の宮邸に招き、社会福祉事業推進の功労を労う。[天皇]
59 10 04 小泉昌子(広島県世羅郡世羅西町の津名中学校教師。原爆孤児、23才)、中央青少年問題協議会が皇太子結婚を記念して実施する「青少年海外派遣団」の一員としてアメリカに向け横浜港を出発。(東京新聞)[天皇]
59 12 08 広島赤十字病院、日赤原爆殉職慰霊碑除幕式と広島赤十字病院開設20周年記念祝賀式を挙行。日赤名誉副総裁秩父宮妃・日赤島津社長・赤十字国際委員会駐日特別使節団長アンドレ・デュランら関係者200人が参列。[天皇]
60 02 12 平塩広島県議会議長、8月6日に予定の県主催の原爆被爆者大慰霊祭に皇太子はじめ衆参両院議長に出席してもらうよう打診したことを明らかにする。[天皇]
60 03 28 原爆15周年慰霊式・平和記念式典準備委員会、広島県議会会議室で開催。皇太子・岸首相・衆参両院議長・各政党代表を招待することを決定。[天皇]
60 05 09 大原広島県知事、宮内庁次長に皇太子夫妻の原爆犠牲者慰霊式典への出席を申し入れる。[天皇]
60 07 21 宮内庁伊集院侍従、来広。皇太子の平和式典への参列が内定。[天皇]
60 08 06 広島県・市、原爆慰霊式ならびに平和記念式典を挙行。皇太子・中山マサ厚生大臣・清瀬衆議院議長・各政党代表など参列。約4万人が参列。[天皇]
60 08 06 皇太子、広島原爆病院を見舞い、ABCCを訪問。[天皇]
60 08 06 皇太子、似島学園を慰問。[孤児][天皇]
63 06 10 厚生省、原爆死没動員学徒らの靖国神社合祭決める。[天皇]
64 12 04 鈴木直吉広島県原水協(共産党系)会長「核兵器禁止が大きな国際問題として取り上げられているとき、原爆投下を指揮したルメー将軍を叙勲することは、政府に何かの意図があるのではないか」[天皇]
69 04 25 政府、第30回戦没者叙位と第61回戦没者叙勲を26日付で発令することを閣議決定。広島市内で建物疎開作業中に原爆死した動員学徒のうち2,582人が勲8等瑞宝章に叙勲。[天皇]
69 07 19 第22回戦没者叙位叙勲伝達式、広島市の袋町小学校で開催。市内在住の803人(うち学徒犠牲者684人)の遺族に伝達。[天皇]
70 11 27 永野広島県知事、天皇・皇后の広島・島根巡幸の日程を山田広島市長に伝達。内々に。
71 04 15 三瓶山での全国植樹祭に出席の天皇、皇后、20年ぶり広島を訪問。16日、原爆慰霊碑、原爆養護ホームなど参拝、慰問
71 04 16 天皇・皇后、広島市の原爆慰霊碑を参拝。
71 04 16 天皇、広島護国神社を訪問。(『天皇陛下と広島』)
75 10 31 天皇・皇后、「日本記者クラブ」の求めに応じて訪米後初の記者会見。広島の原爆投下について「広島市民には気の毒に思うがやむを得なかった」と語る。
75 11 12 広島県原水禁、10月31日の天皇発言は容認できないとの声明文を発表。
75 11 12 吉川清、原水協理事会に出席。天皇記者会見での原爆投下についての発言に抗議の声明文を宮内庁に出すことを決定。
75 11 20 宮内庁の富田次長、参院内閣委で天皇の原爆についての発言は「真意が伝わらず残念。被爆者に対して常に気の毒に思っておられる」と答弁
75 12 26 広島県原水禁、10月31日の天皇発言を補足する宇佐美毅宮内庁長官からの回答を受け取る。
76 10 27 久保長崎県知事、天皇に対する地方事情の説明者に選ばれ、皇居で離島・被爆者・長崎空港の3点について説明。
77 02 11 天皇陛下御在位60年広島県奉祝委員会、『天皇陛下と広島』を発行。
77 03 31 浩宮(徳仁親王)、長崎平和公園に参拝。[天皇]
77 09 30 「天皇陛下御在位60年奉祝広島県記念式典」、広島厚生年金会館で開催。2000名が参加。(『天皇陛下と広島』)
77 11 10 秩父宮妃、長崎原爆病院を慰問。[天皇]
77 12 25 広島市比治山公園に天皇陛下御在位60年奉祝記念事業として「御製碑」を建立。「ああ広島平和の鐘も鳴りはじめ たちなほる見えてうれしかりけり」(『天皇陛下と広島』)
78 07 16? 詩人栗原貞子、エッセイ集「核・天皇・被爆者」出版。
78 07 24 皇太子夫妻、来広。[天皇]
79 05 13 中国軍管区司令部慰霊碑(基町・護国神社前)[天皇]
80 08 06 広島師友会、護国神社で旧中国管区司令部の原爆犠牲者慰霊祭。[天皇]
80 08 12 広島市の護国神社で、戦没者・原爆犠牲者慰霊の「みたま祭」。[天皇]
80 12 10 靖国神社の公式参拝を求める請願が広島県議会に提出され、被爆者団体ら反発。[天皇]
80 12 20 広島県議会、首相らの靖国神社公式参拝を求める請願を採択。[天皇]
81 05 09 常陸宮夫妻、来広し、原爆慰霊碑に参拝。[天皇]
81 07 11 浩宮、来広し原爆慰霊碑に参拝。[天皇]
81 08 07 皇太子、原爆投下日に黙とうをかかさないと発言。[天皇]
82 11 29 新築移転した日赤長崎原爆病院の完成祝賀会開催。落成式に三笠宮妃出席。[天皇]
83 02 11 広島キリスト者平和の会など広島で「紀元節復活反対2・11集会」を開催。「ヒロシマと天皇」と題して講演。
83 07 27 常陸宮夫妻、来広し原爆慰碑に参拝。[天皇]
83 08 06 広島護国神社で、原爆慰霊祭。[天皇]
84 04 21 東京の靖国神社に、被爆死した旧長崎市医科大学の学生五百五十三柱が合祀されていることが判明。[天皇]
84 05 17 皇太子家長女紀宮、学習院女子中等科の修学旅行で来広し、平和学習。[天皇]
84 05 29 広島市、写真集「広島‐HIROSHIMA」を宮内庁に寄贈。(5月11日、天皇陛下、広島市長に広島の現状について質問。)
84 11 07 常陸宮紀、長崎市を訪れ、日赤長崎原爆病院を慰問。[天皇]
85 08 06 広島護国神社で、原爆慰霊祭。[天皇]
85 08 15 「ストップ・ザ・戦争への道!ひろしま講座」のメンバーら、中曽根首相の靖国神社公式参拝に反対して広島市内で街頭ビラ配布。[天皇]
86 08 06 広島護国神社で、原爆慰霊祭。[天皇]
86 09 22 広島県原水禁、天皇陛下在位60年記念碑の比治山公園への建立計画は不適当と広島市に抗議。
86 11 08 広島県原水禁など、広島市の比治山公園への天皇在位60年記念碑建立計画について、許可しないよう広島市に再度申し入れ。
86 11 13 言論・表現を守る広島実行委員会、天皇在位60年記念碑建立計画について、被爆地の市民は戦争責任のある天皇在位を祝う碑建立に抵抗を感じると抗議。
86 12 25 天皇陛下御在位60年広島県奉祝委員会、広島市の比治山公園に御製碑を建立し除幕式(約100人出席)。同碑は市へ寄贈。
87 05 28 第3回「真宗遺族の集い」、広島市で開催(約130人参加)。テーマ「真宗にとって靖国とは」被爆者遺族ら、靖国問題について発言。[天皇]
87 08 06 広島護国神社で、原爆死没者慰霊祭。[天皇]
87 08 06 広島護国神社で万灯御霊祭。[天皇]
88 08 04 広島護国神社で、万灯みたま祭。[天皇]
88 08 06 広島護国神社で、原爆慰霊祭。[天皇]
88 09 27? 長崎県創価学会、28日から予定していた東彼波佐見町での「平和への行動展」開催を天皇病気のため延期することを決定。
88 10 22 原水爆禁止日本協議会、天皇の名による侵略戦争の結果、いまなお40万人近い被爆者が苦しんでいるとして、天皇美化、元首化の策動に反対するとの声明を発表。
88 12 21 沖縄県中頭郡読谷村村議会で、同村長、天皇を戦争の最高責任者であると答弁。
88 12 28 福岡県知事、天皇の戦争責任問題は「もう済んだこと」との見解表明。
89 01 07 日本原水協、「天皇の死去について」との事務局長談話を発表。その中で、天皇は戦争を早期に終結せず原爆投下を招いたと指摘。
89 01 07 日本被団協、「天皇死去にあたって」との事務局長談話を発表。1975年の天皇の「原爆投下はやむを得なかった」との発言に言及。
89 01 07 天皇、死去。同天皇は、1947年、来広し、広島戦災児育成所などを慰問、「広島市の受けた災禍には同情に耐えない」と発言。1971年、原爆慰霊碑に参拝。1975年、「原爆投下は、戦争中のことでやむを得ない」と発言。[孤児]
89 01 07 新天皇、即位。皇太子時代には4度来広、1960年には似島学園を慰問、これまでに原爆病院を3回訪問。[孤児]
89 01 08 テレビ番組「天皇とヒロシマ」(中国放送、1時間45分)、放送。原爆犠牲者・市民の声を基調にした昭和のヒロシマの記録。
89 01 09 広島市の本川小学校の始業式で、同校校長、昭和天皇死去に伴う講話の中で、同校の原爆被災に言及。
89 01 10 韓国原爆被害者協会、新天皇即位を機に植民地統治の傷跡をいやすよう求める声明を発表。そのなかで、「裕仁天皇と日本政府は在韓被爆者たちに一言の謝罪も一文の補償も行わなかった」と発言。
89 01 21 長崎総科大の長崎平和文化研究所、ことし第1回目の例会を開催(約30人参加)。天皇制問題について論議。
89 01 21? 新天皇の昭和20年当時(当時11歳)の作文が保管されていたことが判明。文中、原爆について言及、「遂には原子爆弾を使って何十万という日本人を殺傷し、町や工場を破壊しました」。
89 02 10 広島県原水協・県被団協(佐久間澄理事長)など26団体、「天皇死去にあたっての共同声明」を発表。そのなかで、昭和天皇の戦争責任を指摘。
89 02 11 「2.11平和教育研究集会」(日教組九州地区協議会主催)、長崎市で開催(約500人参加)。講演「天皇制と平和をめぐる問題」など。
89 02 16 「天皇代替り監視・情報センター広島局」運営委員会、広島市長らに、24日の「大喪の礼」に出席しないよう申し入れ。昭和天皇の原爆投下は「やむを得なかった」との発言に言及。
89 02 24 天皇代替り監視・情報センター広島局主催「抗議の座り込みと歌舞音曲パレード」、広島市の原爆ドーム前で実施(約30人参加)。「原爆許すまじ」を合唱。
89 02 24 長崎県被爆者手帳友の会、長崎市の平和公園で集会を開催(約50人参加)。「戦争被害者を力づけてくれた昭和天皇に対し、国民の一人として弔意を表す」と、長崎の鐘を鳴らし、黙とう。
89 02 24 広島県原水禁など主催「大喪の礼これでいいのか?2.24ヒロシマ集会」、広島市で開催(約100人参加)。天皇の戦争責任発言などについて論議。
89 02 24 長崎原爆被災者協議会経営の「被爆者の店」(平和公園内)、「大喪の礼」で休業せず、開店。同会副会長、「天皇の戦争責任は免責されるものではない」とコメント。
89 02 24 広島県原水協・県被団協(佐久間澄理事長)など、「天皇問題を考えるシンポジウム」を広島市で開催(約300人参加)。原爆投下はやむをえなかったとの天皇の発言を批判。
89 02 26 「現代史を語るシンポジウム」(広島平和教育研究所主催)、広島市で開催。天皇制・平和運動などについて論議。
89 05 28? 1947年天皇来広当時の記録「天皇と広島」(1949年発行、B6、134ページ)、40年ぶりに復刻。
89 06 24 第17回全国平和教育シンポジウム(日本平和教育研究協議会・広島平和教育研究所主催)、広島市で開催。(約600人参加、25日まで)。講演「平和教育の到達点と当面の課題」、13の分科会を開催。「天皇問題と平和教育」に関するレポートが集中
89 07 18 ラジオ番組「天皇とヒロシマ」(中国放送)、日本民間放送連盟賞のラジオ分野中国四国地区審査会の報道番組部門最優秀賞を受賞。
89 07 22 写真家福島菊次郎の写真展「天皇の戦争責任とヒロシマ」、広島市で開催(小西のぶ子記念館主催、24日まで)。
89 08 01 長崎大学、公開講座「平和を考える」の受講生を募集。8月29日開講、計10回。テーマ「原爆・原発・天皇制」。(申し込みがなく10日の締め切りを延長し募集。)
89 08 06 万灯みたま祭、広島市の護国神社で開催。[天皇]
89 08 16 宮内庁と広島県、天皇・皇后の9月広島訪問を発表。それによると、9日来広、広島赤十字・原爆病院を慰問予定。
89 09 08 「天皇の来広を許さない9・9広島行動実行委員会」、広島地裁に、9日のデモ申請の県公安委による大幅変更について、許可の執行停止を求める仮処分を申請。(申請は却下され、デモを中止。)
89 09 08 広島県公安委員会、「ストップ・ザ・戦争への道!ひろしま講座」の天皇来広反対を訴えるデモ申請を時間変更して許可。
89 09 09 「天皇代替り監視情報センター・広島局」など、天皇・皇后来広に抗議して広島市でデモ(約170人参加)。県公安委による時間帯変更で、1時間遅れでデモを実施。
89 09 09 天皇・皇后、来広。11年ぶり。原爆慰霊碑に参拝、広島赤十字・原爆病院を慰問(皇太子時代を含め4回目)。来広の感想として「この地が原爆による被爆の歴史を持つことに思いをいたさずにはいられません」と発言。
89 09 09 広島地裁・高裁、天皇来広反対デモを県公安委が時間帯を変更して許可したことに対する市民団体の不服申し立てを棄却。
89 09 20 中国放送の報道特別番組「天皇とヒロシマ」、日本民間放送連盟のラジオ報道番組の最優秀に選定される。
90 02 23? 皇太子、長崎市長狙撃事件について、「言論を暴力で封じる行為は断固としてあってはならない」と発言。[天皇]
90 05 15 全国植樹祭出席の天皇・皇后を迎える「特別奉送迎者」として案内を受けた長崎県被爆者手帳友の会会長、体調を理由に欠席することを発表。
90 05 18 天皇・皇后、長崎市を訪問し、平和祈念像に供花(市民約3800人が出迎え)。日赤長崎原爆病院を慰問。
90 08 06 原爆慰霊祭、広島市の護国神社で挙行。[天皇]
90 11 10? 広島世界平和の道を拓く集いの会、冊子「天皇と平和」(B5、69ページ)を刊行。昭和天皇と原爆にまつわる秘話などを収録。
90 11 13? 長崎市の被爆者団体、天皇の「即位の礼」に対しての意見を表明。長崎の証言の会事務局長=天皇を再び神格化しようとする動きがある、長崎県被爆者手帳友の会会長=素直に祝意を表したい、長崎被災協会長=政治との結びつきに危ぐとコメント。
91 04 16? 刊本「来るべき日本との戦争」、米で刊行。そのなかで、広島・長崎の原爆投下は「『非人道的新型兵器を連合軍が使った』とすることで、降伏に同意する天皇の面目を保った」と主張。
91 05 14 秋篠宮、来広し、原爆慰霊碑に参拝(市民ら約1000人が出迎え)。広島赤十字・原爆病院を慰問。「今日でも多数の被爆者が治療を必要とする核兵器の恐ろしさを改めて認識した。」とコメント。広島訪問は初。[天皇]
91 08 06 原爆慰霊祭、広島市の護国神社で挙行。[天皇]
92 07 14 皇太子、15日の第28回献血運動推進全国大会に出席のため広島入り。平和記念公園の原爆慰霊碑に参拝、広島赤十字病院・原爆病院の入院患者を慰問。[天皇]
92 07 15 皇太子、放影研などを視察の後、第28回献血運動推進全国大会に出席。[天皇]
92 08 12 紀宮、福岡からの帰途、広島市平和記念公園の原爆慰霊碑を参拝。[天皇]
92 09 29 常陸宮華子、広島市内で開催される日本いけばな芸術中国展の開会式に出席のため広島入りし、原爆慰霊碑に献花。[天皇]
93 06 07 「ピースバス長崎」・「ナガサキ平和サークル」・「県原爆被爆二世教職員の会」など5団体、皇太子の「結婚の儀」に対し、連名で抗議声明。[天皇]
93 08 06 広島護国神社原爆慰霊祭。[天皇]
93 09 03 天皇・皇后、ローマで法王ヨハネ・パウロ二世と会見。広島・長崎への訪問に謝辞。
94 06 20 秋篠宮、広島赤十字・原爆病院を慰問。[天皇]
94 08 06 広島護国神社で原爆慰霊祭。[天皇]
94 10 01 皇太子夫妻、昼前広島市入り。原爆慰霊碑に献花し原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」を慰問。[天皇]
95 04 12 「やめんさい植樹祭!広島県ネットワーク」の代表ら、広島市の平和記念公園の「平和の水」を天皇の「お手植え」した苗木にまくのをやめてほしい、など13項目の公開質問状を県に提出。
95 04 20 広島県、第40回全国植樹祭に出席する天皇・皇后の日程を発表。天皇として初めて広島市の原爆資料館を視察予定。
95 05 20 天皇・皇后、広島入り。平和記念公園の原爆慰霊碑に献花、原爆資料館を視察、原爆養護ホーム舟入むつみ園を慰問。天皇が原爆資料館を視察するのは初めて。
95 05 21 第46回全国植樹祭、広島県立中央森林公園で開催。天皇・皇后など1万2000人が参列。天皇、挨拶の中で原爆被害に言及。
95 05 24 五十嵐官房長官、天皇・皇后が今夏に広島・長崎の被爆地を訪問する方向で検討していることを明らかにする。沖縄・東京大空襲の慰霊堂も検討。
95 06 16 宮内庁、天皇・皇后の戦後50年の慰霊訪問について日程を発表。長崎7月26日、広島27日の予定。
95 06 29 長崎県警、警察署長会議を開催。天皇・皇后来県に伴う警衛警備などについて協議。
95 07 04 天皇・皇后の「慰霊の旅」の日程が閣議で報告される。26日-27日長崎など。
95 07 21 天皇・皇后の長崎国際文化会館視察(26日)の際、被爆者団体関係者5人(山口仙二・下平作江・大平力男・築城昭平・松村鹿夫)が説明補助者として加わることが決まる。
95 07 24 長崎県警、天皇・皇后の慰霊の旅に伴い、婦人警察官の警衛部隊を発足させる。
95 07 26 天皇、長崎・広島訪問に先立ち、文書「長崎および広島訪問に当たって」を発表。
95 07 26 天皇・皇后、長崎市を慰霊のため訪問。午後、長崎市入り。高田勇知事から「戦災50年の概況」説明を受ける。平和公園の平和祈念像前で供花。原爆資料センターを視察。原爆養護ホーム「恵の丘長崎原爆ホーム」を慰問。市内のホテルに泊。
95 07 26 8・9長崎反戦闘争実行委員会、長崎市内で「天皇・皇后の慰霊の旅に反対する集会」を開催。約10人が参加。
95 07 26 天皇・皇后、慰霊のため長崎市を訪問。
95 07 26 市民団体のメンバー10数人、長崎市の繁華街で天皇の「慰霊の旅」に反対するビラ約2000枚を配布。
95 07 26 長崎県警、天皇・皇后の慰霊の旅に伴い、警察官2500人を動員して警備。
95 07 27 「天皇制はいらない!広島ネットワーク」、天皇・皇后の原爆慰霊碑供花に合わせ、原爆ドーム前や本通りなどでデモや集会を開く。
95 07 27 天皇・皇后、慰霊のため広島市を訪問。
95 07 27 天皇・皇后、慰霊のため広島市を訪問。藤田知事が「戦災50年の概況」を説明。原爆慰霊碑に献花。原爆養護ホーム「倉掛のぞみ園」慰問。
95 07 27 藤田広島県知事、天皇皇后の慰霊の旅についてコメントを発表。
95 08 02 天皇・皇后、沖縄を慰霊のため訪問。
95 08 03 天皇・皇后、東京大空襲の犠牲者らを慰霊する東京都墨田区の都慰霊堂を訪問。
95 08 10 天皇、戦後50年に当たっての長崎・広島・沖縄・東京の戦争犠牲者慰霊施設への訪問の感想を文書で公表。
95 12 22 長滝重信長崎大学医学部長、御所で天皇・皇后に、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故の放射能汚染地区の子どもに多発している甲状腺がんの治療活動などについて説明。
95 12 22 天皇、62歳の誕生日を前に記者会見。長崎・広島・沖縄・東京での戦争犠牲者を追悼した「慰霊の旅」に触れ、体験の継承の必要性について語る。
96 08 06 広島護国神社で原爆慰霊祭。約200人が参列。[天皇]
96 09 11 天皇・皇后がひろしま国体秋季大会の開会式に出席することが決まる。
96 10 11 天皇・皇后、広島入り。平和公園参拝後、原爆養護ホーム「神田山やすらぎ園」を慰問。
96 10 12 第51回国民体育大会秋季大会の開会式、ヒロシマビッグアーチで開催。天皇、広島の被害に言及。
96 10 27 おりづる国体出席のため広島滞在中の皇太子夫妻、原爆資料館を見学。[天皇]
96 11 17 第14回国際熱帯医学・マラリア学会、長崎県立体育館で開会式を開催。皇太子夫妻、出席前に日赤長崎原爆病院を慰問。[天皇]
96 12 08 韓国人元徴用工・金順吉、長崎市内で開催された「靖国と侵略を考える集い」で講演。厚生年金の脱退手当金を請求する見通しを明らかにする。[天皇]
97 05 31 「天皇を広島へお迎えする広島県・市民の会」の設立準備会、広島YMCAで開催。9月に設立総会の開催を予定。
97 08 06 広島護国神社、原爆慰霊祭を挙行。約200人が参列。[天皇]
97 10 07 秋篠宮夫妻、広島市の原爆資料館を見学。翌8日、同市で開催の全国都市緑化祭・グリーンフェスタひろしまでの植樹祭に出席。[天皇]
97 10 08 秋篠宮夫妻、原爆養護ホーム倉掛のぞみ園を慰問。[天皇]
98 04 22 皇太子夫妻、広島市の平和公園を訪れ、原爆慰霊碑に参拝。23日、庄原市で開催される第9回全国「みどりの愛護」のつどい式典に出席。[天皇]
98 05 19 秋篠宮妃紀子、第49回結核予防全国大会に出席のため長崎市を訪問。-20日。[天皇]
98 05 20 秋篠宮妃紀子、恵の丘ホームを慰問。[天皇]
98 07 21 秋篠宮夫妻、第13回「海の祭典」に出席のため広島市を訪問。原爆慰霊碑に参拝。[天皇]
98 08 06 原爆慰霊祭、広島護国神社で挙行。110人が参列。[天皇]