原爆被害:時時刻刻(1945年8月7日)

原爆被害:時時刻刻(1945年8月7日)

時刻 事 項
07 0 「7日早暁、部長会議が招集され、とりあえず至急わたしが調査のため現地に向うことになった」(「有末機関長の手記」)
07 00:25 「船舶工兵第六聯隊補充隊・特設工兵第五二聯隊・船舶通信聯隊三原分屯隊の主力(衛生部は全員)を宇品に前進せしめ、直轄とした。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 01:30頃 「7日午前1時半頃に私の部屋に電話がかかってきた。川越に受信所を疎開して、アメリカ、イギリスの放送を全部キャッチしていたのですが、その電話でトルーマン大統領が原子爆弾で広島を攻撃したと発表し、アトリー・イギリス首相もおなじことをいっていたと知らせてきたのです。」(長谷川才次談「崩壊の前夜」)
07 03:過ぎ 「[李[金禺]公殿下の容体]似島御到着後も元気であられたが、七日三時過ぎ、御容体急変して薨去せられた。爆発点の直下を乗馬行進中であられたので、腸に強い衝撃を受けられたのは事実で、然も同時に原子的交感を受けられたものと拝察された。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 06:00 「午前六時県庁ヲ東警察二移設ス」(広島県「戦災記録」)
07 07:00 「未収容の患者を速やかに応急手当する為、教育船舶兵団長・船舶練習部長・船舶砲兵団長及び野戦船舶本廠長をして、現在収容しある患者の治療を一時停止し、第一線に進出し、物療の普及に勉めしめ、また、船舶衛生隊長に対しても、現収容患者の治療を一時中止し、救護班三ケを船舶練習部長の指揮に入らしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 08:00 「一、本日午前八時日本銀行広島支店及芸備銀行ニ対シ会計課長ヲ出頭セシメ速ニ金融対策ヲ講ズル様指示ス」(広島県「戦災記録」)
07 08:00 「船舶倉庫長をして向宇品に患者用衛生材料(主として火傷)二単位を集積し補給せしめた。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 10:00 「八日(七日)午前十時ヨリ防空本部ニ於テ戦災後ノ救護ニ関シ協議会ヲ開催」(広島県「戦災記録」8月8日の項)
07 10:00 「午前十時総軍司令部二於テ在広陸海軍、官衙長会議開催。正午終了 知事農務課長出席。」(広島県「戦災記録」)
07 10:00? 「7日午前第二総軍主催陸海軍各官衙等ノ総打合セ会ニ於テ東練兵場、牛田、己斐、横川ノ4ケ所ニ海軍救護所ヲ設置シ更ニ土橋方面ニ移動隊ヲ派出シ前記地区内ノ救護ニ任ズル旨決定ス」(「呉鎮守府広島派遣救護隊任務報告」)
07 10:20 「市の水道及び電灯復旧工事作業に対し、兵力を出し援助した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 10:30 「<調査隊>1030-1600 呉鎮調査隊11ケ班」(呉鎮守府「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)」)
07 12:00 「[宮内大臣室における定例会食の席上]昨朝、広島市に対し原子爆弾を米国は使用、被害甚大、死傷13万余との報告を受く」(「木戸日記」)
07 12:00a 「<在広陸海軍官衙長会議決定事項>1 今回ノ空襲ニヨリ(ハ)指揮系統ヲ(ノ)破壊セラレタルヲ以テ(ヲ企図セリ因ッテ)総軍ガ臨時指揮シ応急措置ヲ講ズルコトトス 各官庁ハ事務所ヲ決定スルコト 2 連絡員派遣 各官公署ハ総軍へ連絡員ヲ派遣スルコト 本日ハ特ニ十八時ニ比治山神社へ派遣ノコト 3 救護措置 テントヲ五○配布スルカラ適当二配分利用ノコト 救護所食糧配給所ノ位置ヲ示ス」(広島県「戦災記録」)
07 12:00b 「<在広陸海軍官衙長会議決定事項>4 屍体収容ハ出来ルダケ迅速ニ行フコト 輸送困難ニツキ現地デ焼クカ埋葬等ニ付スルコト 右ノ中比治山八丁堀紙屋町付近市役所土橋水主町付近ハ刑務所ノ囚人四○○名ヲ出動応援スルコト 郡部ヨリ僧侶(神官)ヲ集メ読経セシム」(広島県「戦災記録」)
07 13:30 「1時半より2時5分迄、御文庫にて拝謁、時局収拾につき御宸念あり、種々御下問ありたり」(「木戸日記」)
07 14:00 「島田中佐以下陸軍省ニ出頭指示ヲ受ク」(陸軍省広島災害調査班行動表)
07 14:00 「広警船作命第一号 八月七日一四、○○ 広島警備命令」(広島県「戦災記録」)
07 14:00 「一、午後二時県本部二於テ部長会議開催 イ、食糧其他ノ物資配給計画決定 ロ、屍体処理ニツキ刑務所ノ囚人四○○名ヲ使用スルコトト決定 僧侶ヲ動員シテ死者ニ対シ懇ロニ読経セシムルコトトシ安佐郡安芸郡佐伯郡内僧侶十数名八日午前八時迄ニ弁当持参集合セシム(ルコト)」(広島県「戦災記録」)
07 14:00 「わたしは同博士[仁科芳雄]のほか陸軍省軍事課の主任課員の新妻清一中佐などエキスパート10名と共に午後2時立川飛行場に集った」(「有末機関長の手記」)
07 14:00過 「仁科博士以下全員難を避けて明日出発することにきめたが、わたしは山田[耕作]副官と2人だけ予定通り2時過ぎ離陸、広島へ向った」(「有末機関長の手記」)
07 15:00 「井の口に在る陸上勤務第二百中隊の長以下、約百名を船舶練習部長に増加した」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 16:00 「調査班ノ編成ヲナシ出発準備ヲナス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
07 17:00 「市内警防伝達用として揮発油一○○缶を広島市に交付した。」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 17:30過 「午後5時半過ぎ広島上空に着いた。・・・飛行機は大きく旋回して海岸の吉島飛行場に着陸した」「宇品から回送出迎えてくれた小蒸気で急ぎ宇品の運輸部(船舶司令部)へ向った」「船舶参謀長馬場英夫少将の詳細にわたる報告を受けた」(「有末機関長の手記」)
07 18:00 「<研究会>1800-2230 呉鎮調査隊」(呉鎮守府「広島市ニ於ケル原子爆弾ニ関スル調査(一般的調査)」)
07 18:00 「一、午後六時船舶司令部ニ於テ罹災対策協議ノ為係員派遣決定事項等左ノ通 広警船作命第一号 八月七日一四、○○ 広警船作命第一号二基ク参謀長指示」(佐伯文郎「広島市戦災処理の概要」)
07 19:00 「陸医校出発」(陸軍省広島災害調査班行動表)
07 21:00 「広島災害調査班ハ7日21・00所沢陸病ニ集合ノ上一応編成ヲ完了セリ」(陸軍省広調班速報1)
07 21:00 「所沢陸病ニ集結編成完了ス」(陸軍省広島災害調査班行動表)
07 21:過 「[電文案]その要旨は、威力強大な特殊爆弾であり、爆風のほか特に閃光に曝される時の熱風による被害は大きく、想像に絶するにかんがみ、これが対策として、1.まず遮蔽物に身をかくすことの必要、2.身体の露出を避け、特に白色の着衣を推せんする。黒色はなるべく避ける。この2点に絞り、特に第2旦が東京か京都に落とされるというルーマーがあることを付け加えた」(「有末機関長の手記」)
07 21:過 「午後9時過ぎ、1頁の通信紙に書いた数行の電文案を持って。山田[耕作]副官は船舶司令部内の通信所へ行き、暗号に換えず生のままで発電を依頼した。・・・しかし、この報告は翌8日昼過ぎにおくれて到着したことを後で知った」(「有末機関長の手記」)
07 25 「八月七日応援救護班到着セルモノ 岡山県五班(一班概ネ医師三名歯科医師一名薬剤師一名看護婦五名)」(広島県「戦災記録」8月8日の項)
07 r <調査報告書>陸軍省広島災害調査班「広調班速報第1号」、「第2号」
07 r <調査報告書>[呉海軍工廠]電気実験部長「敵新型爆弾調査ニ関スル意見ノ件具申」
07 午後 「7日午後右原子爆弾につき関係閣僚の協議が行われたが陸軍側は成るべくその効果を軽視せむとする気持が表われていた」(「東郷外相口述筆記」)
07 「左ノ布告文ヲ六十枚宛各所二配布掲示セリ イ知事論告 ロ救護所布告」(広島県「戦災記録」)
07 「一、宣伝啓発ニツキ未曽有ノ空爆ナルタメ流言蜚語ニ留意シ戦意ノ昂揚復興敢闘ノ精神ヲ振作スルヲ要ス 其為表現法ヲ考慮シ蛸壷又ハ壕ニアリタルモノハ被害ナキヲ参酌シ宣伝啓発ヲナスコト」(広島県「戦災記録」)
07 相川勝六厚生大臣、加藤英市医務課技師など3名に広島の調査を命令。10-14日(「平和の勇者」)。
07 「一、昨夜手配、可部署ヲ通シ加計、吉田、三次、庄原、上下、海日市署ヲ通シ呉、広、忠海、西条各署ニ命ジタル応援警察官各署半数、救護班、道路警戒用警防団、食糧ノ集結ヲ命シタルモノ逐次到着シタルニヨリ夫々部署二着カシメタリ」(広島県「戦災記録」)
07 「<八月七日応援救護班到着セルモノ>県下救護班 竹原、木ノ江、河内、油木、三原、府中、庄原、忠海、尾道、上下、西条、吉田、三次、廿日市、加計、甲山各警察署管内医師九九名外歯科医師薬剤師看護婦ヲ以テ三十三班ヲ組織ス 配置場所 江波国民学校 被服廠 西警察署 日本製鋼所 東練兵場 泉邸 府中国民学校 比治山 東警察署 県庁 市役所 住吉橋 中山ノ十三ケ所ニ救護所ヲ開設ス」(広島県「戦災記録」8月8日の項)
07 「一、八月七日付広島警備担任司令官船舶司令官次ノ通布告文ヲ発ス 広島市民ニ告グ」(広島県「戦災記録」10日の項)
07 「広島市空襲被害状況一報は一報に次いで悲惨なり。」(竹内喜三郎<豊田地方事務所長>日記)
07 「8月7日総軍司令官は独断広島近郊の総軍隷指揮下外部隊及地方側機関を指揮し戦災者の救護、戦災地の整理復旧並広島周辺の治安等に関し一時指揮すべき命令を下達(実行動は6日直ちに採れり)し、船舶司令官をして之が実行を担任せしめたり。」(『本土作戦記録・第二総軍』)
07 「一、経済第一部長中心ニ農務課長地方事務所員等協議 食糧配給対策」(広島県「戦災記録」)
07 広島市、衣服全焼者に衣料給与。
07 「一、土木部ハ可部署ヲ通シ、近辺土木出張所二対シ応援ノ為メトラックニテ集結方連絡ス」(広島県「戦災記録」)
07 「一、市ニ対シ市長行方不明ノ間、第一助役指揮ノモト要(用)務遂行方並ニ県庁宛連絡連絡員一名派遣方指示 医療救護ニツキ県市一体(帯)活動ニツキ連絡」(広島県「戦災記録」)
07 吉川清、可部警察署の診療所で治療。勝円寺に収容される。正午ごろから意識混濁。
07 「一、経済第一部長、同第二部長(負傷)-登庁」(広島県「戦災記録」)
07 「一、広島市長死亡確実ノ旨森下助役ヨリ連絡アリ」(広島県「戦災記録」)
07 「一、広島鉄道局ヨリ連絡報告セル事項左ノ如シ 輸送状況ニ関シ山陽本線ハ海田市広島間八本日中ニ復旧開通ノ見込 広島横川間ハ明日中ニ開通ノ見込 宇品線ハ大須口宇品間ノ輸送ヲ強化シ一時間毎ニ運行ス 復旧状況ハ軍部ノ強カナル応援ニヨリ着々進捗セリ 災害状況ハ人ニハ相当多数ノ死傷アルモ物的資源ニツキテハ被害比較的少ク輸送復旧ニ好都合ナリ 駅本部ハ構内第二機関区ノ客車車内ニ在リ」(広島県「戦災記録」)
07 「一、新聞 温品中国新聞疎開先設備ニツキ至急配電印刷ノ予定ナルモ差当リ大阪ヨリ拾万部、門司ヨリ拾五万部、松江ヨリ壱万弐千部配布方連絡シ明八日ヨリ入荷ノ予定」(広島県「戦災記録」)

 
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