原爆資料および情報ネットワーク委員会経緯(宇吹メモ)

原爆資料および情報ネットワーク委員会経緯(宇吹メモ)

1991年

06 17 *(中国)より電話。慰霊施設について調べるため長崎に行く。7月に広島でこじんまりと話し合える場を持ちたい。考えておいて欲しい。
08 02 *広島市原対課長より電話。慰霊施設との関連で市内の諸機関所蔵の原爆資料が把握したい。援護課長を行かせる。
09 25 *(中国新聞デ-タベース部)来所。瀬戸内図書館連絡協議会委員の就任依頼。今年度中に3回ほど会議を開催の予定。パソコンネットワークについて3時過ぎまで話す。中国新聞のデ-タベースのモニターになることを勧められる。
10 04 厚生省の原爆慰霊施設検討にかかわる関係者、9人来所。手帳・病理標本・電算室・資料調査室を案内。電算室については、*が説明。放影研との違いを強調。
12 06 スウェインに慰霊施設や国際放射線被曝者医療推進協議会の動きを知らせる。岩波の原爆被災白書が今入手できないことを話すと驚いていた。
12 17 *より電話。慰霊施設検討委員会が動向の問い合わせ。放影研が原爆資料の一元化をめざしていることへの危ぐ。

1992年

01 13 *の情報=午後、放影研でHICAREと慰霊施設の合同会議。夕方、厚生省の医療保健局長が来所、*が応対予定。
01 16 *来室。藤居のこと(中国夕刊)、慰霊施設の委員会(17日長崎で会議)のことを話す。宇吹の感想=どういう態度をとればよいのか、頭が痛い。
01 24 *より電話。爆心地復元地図、NHKのものを使用してよいか。慰霊施設の動向にについて一度詳しく意見交換したい。
03 02 *来室。放影研の「原爆資料および情報ネットワーク委員会報告書(案)」を持参。1時間ほど話す。*=情報が一か所で見ることができるようになることは望ましい。宇吹=上下関係のあるネットワークシステムはうまくゆかない、対等のものにすべき。
03 03 *(不在)へ放射線影響研究所の「平成3年度原爆資料および情報ネットワーク委員会報告書」(案)への意見を渡す。新施設が「既設の機関の総合的機能を果たす」という意志表示は、貴重であるが、表に出すべきものではない。結果としてそうなるよう努力すべき。
04 21 原爆被災建物等継承方策検討委員会。-5時10分。*と隣合わせ。会議の進行のメチャクチャに対する文句を私にヒソヒソ言う。厚生省の慰霊施設の委員は股裂きになるので降りたとのこと。広島市としては、国がやろうとしていることに文句は付けられない。
05 24 *・*と酔心で昼食。*に慰霊施設が出来た場合、移れれば行く気持ちがあるかどうか聞く。
06 02 *(中国)より電話。「90反核」日本評論社より出版。1500冊(1冊2500円)を引き取ることが条件。慰霊施設の動向について聞かれる。彼の話では厚生省と広島市が全く意志疎通がうまくいってない模様。広島市衛生局長の評価が低い。
06 18 厚生省企画課長補佐来所。-3時。*応対。宇吹関わらず。慰霊施設関係で資料集めが目的とのこと。
06 24 *と話す。*より放影研の「ネットワーク小委員会」で民博などへ行くよう(7月10日?)に言われた由。
07 01 *に電話。慰霊施設に対する市のその後の動きを聞くが、何もない由。
07 02 *より電話。午後2時に来所。国際平和シンポジウムへのレクチュア依頼。慰霊施設関係の情報サービス小委員会の委員になったとのこと。また、原爆資料館に学芸員がいないことはおかしい。外部で指摘して欲しいとのこと。今後の講師候補に*の名前を挙げておく。
07 09 *(中国)来所。広島のあら捜しの取材。慰霊事業委員会で上坂冬子が全原爆死没者デ-タベースの作成を提案し、厚生省はそれを受けたとのこと。慰霊施設は、放影研とは別の建物を考えている模様。HICAREは一緒。秦野の作成した新聞記事デ-タベースの話をする。
07 14 *(中国)より電話。「ヒロシマはどう伝えられているか」の書評を宇都宮の軍縮問題資料に書いて欲しい。断わる。慰霊施設についての情報を交換。16日、炭谷企画課長が広島市に乗り込む由。
07 27 広島関係資料小委員会・長崎関係資料小委員会・情報サービス検討小委員会合同会議。-16時半。於広島厚生年金会館4階牡丹の間。座長小松隆二。個人的立場から、一元的ネットワークに反対の意見を述べる。情報サービスの中心はレファレンスであり電算化でカバーしきれない
07 31 慰霊施設「被爆者対策小委員会」。於放影研。-4時半。4時に中座。約2時間、「原爆被爆者対策史編集方針案」を説明。編集長・小委員会委員を引き受ける。
08 19 *(庶務)にネットワーク委員会のデ-タベースに関するアンケート調査を渡す。
08 28 宇吹が核被害情報が重要と発言したら、*(放影研)が、それは慰霊施設でやっているから、平和問題を中心にすべきと発言。平和文化センタ-は、平和記念資料館の資料のデ-タベース化は考えている。しかし、市公文書館の資料は、同館が独自に計画。
09 09 *に話す=コンピュ-タ-ネットワークは、技術者をいくら集めても答えは決まっている。問題は、何を入力するかだ。平和文化センタ-は、田原資料を中心にすればよい。
10 27 原爆資料および情報ネットワーク委員会・拡大委員会。於メルパルク5階。-5時半。5時過ぎより参加。11月8-14日、22-28日(*・*・*)アメリカ諸機関視察。炭谷厚生省企画課長は、被爆体験継承に熱意のあることは、伝わってきた。
10 27 ネットワーク委員会懇親会。長崎*の話=友の会は、長崎の諸悪の根元。*長崎市原対部長=平和記念式典の資料は、古くから残っている。伊藤達也長崎国際文化会館館長=資料の公開に尽力したい。原爆被爆地域の部落問題。
10 28 *日本医療情報センタ-常務理事(ネットワーク委員会)、*日本総合技術研究所取締役部長、*同主任研究員来所。新聞記事デ-タベースの紹介をするとともに、ネットワーク委員会をめぐる広島動向を話す。主に放影研批判。
12 03 *が広島の状況が知りたいというのでネットワーク委員会の話を中心に話す。-2時半。資料センタ-の仕事との関連を心配する。「諸君!」の中国新聞の内紛に興味を持っていた。被爆者数に関連して広島市の被爆者動態調査が取り上げられていたのを喜ぶ。
12 09 原爆資料および情報ネットワーク委員会デ-タバンク小委員会。於放射線影響研究所C211会議室。-4時30分。山中高女の死没者調査の様子を報告し、あいまいな情報から捜せるという機能が必要性を強調。データバンクに何が期待されているか。この2点について発言。

1993年

01 06 *より電話。*よりFAXが届いた。年賀状に予算がついたことの礼が書いてあったので、問い合わせたところ、中性子発生装置の3年度で、新たに予算がついた訳ではなかった。慰霊施設の中間報告が届いた。伊東壮は山梨大学の学長。
01 08 *=*資料について。公的資料を私物化している可能性。放影研が中心になって進めているネットワーク委員会の動向についての意見。宇吹=被爆者対策小委員会の委員として報告。
01 13 慰霊施設の中間報告が吉沢康雄名で委託事務局より届く。*がコピー。
01 30 立命館大学国際平和ミュージアム。一通り見終ったところで山辺昌彦と会う。館長室で話をする。途中、*課長が加わる。厚生省援護局・広島県・市平和記念資料館が見学に来たとのこと。援護局も慰霊施設の建設を計画していることを初めて知る。県は、被服廠の保存策について日本開発銀行に調査を依頼。
02 05 第4回デ-タバンク検討小委員会。於日本薬学会長井記念ホール1階会議室B。*の話=この事業は4年計画。平成6年度で一句切り。ソフトを形にして貰わないと、金を何に使ったのかということになる。事務局設置問題は、次の段階で考えるべきこと。慰霊施設は被爆50周年には間に合わない。早くて4年後。
02 05 宇吹=広島市の動態調査を貰うことを前提にしているがそれが大問題。原医研ABSも作成者としては出したくないだろう。靖国・川崎・立命館・大阪の資料館を見てきた。いずれも長い期間の資料収集の成果。今日のソフトだけが慰霊施設開館時の成果とすればオソマツ。
02 09 広島市平和に関するデ-タベース構築検討委員会(第3回)。於国際会議場3階研修室。宇吹の発言=1.それぞれ自機関が所有する資料の電子化の原則。2.死没者名簿を是非入力してほしい。3.ネットワーク使用を無料というのは非現実的。
02 11 藤居より自宅に電話。エソが出来たが、自宅で治療。中間報告(慰霊施設)を*と*に送った。*への連絡を頼む=*が今後どうのようにしたいのか。歴史をどうまとめてゆくか、日本被団協あるいは広島県被団協にもどるかどうか。今考えている。
02 28 藤居より自宅に電話。被団協の慰霊施設についてのシンポジウムが赤旗に掲載されていたかどうか。
03 03 藤居銘木より速達が届く。被団協の慰霊施設シンポジウムに関する資料。2時半、藤居より電話。自分は読んでいないが、よく読んでおくようにとのこと。
03 04 *=被爆者対策資料の補助者の謝金、12日の厚生記者会来所の件。被団協の慰霊施設シンポジウムへの意見書を貸す。
03 04 *の話=慰霊施設の中間報告は5~6月にずれそう。長崎は個別弔慰を要求するので断わったが、広島では、平和文化センタ-へという意見が出ている。慰霊施設と吉沢班の関係が良くわからない。川本原爆資料館館長は3月末で退官。
03 05 ネットワーク委員会被爆者対策小委員会。於長崎厚生年金会館2階雲仙・松の間。宇吹説明。被爆者対策の定義が問題になる。*=1.行政施策、2.その裏付けになった実態調査、3.その行政はどう評価されたか。*=法律や通知に基づかない施策も多い。
03 05 *の話=加藤は3月で定年。慰霊施設を広島と長崎のどちらが先に造るか今綱引きをしている。
03 08 *に、「被団協」新聞の慰霊施設シンポの記事をファックスで藤居銘木に送るよう依頼。
03 23 第3回原爆資料および情報ネットワーク委員会・拡大委員会。於広島ガーデンパレス2階白鳥の間。-5時。*の原爆資料の量の調査が必要との発言を受けて、原医研原爆文献デ-タベースの件数が約5000件で4.5メガバイトであることを紹介。
03 23 原爆資料および情報ネットワーク委員会懇談会。*=スミソニアンには困っている。*=長崎市医師会は原爆問題(IPPNWも含めて)に積極的だが、県医師会はそっぽを向いている。
03 25 原爆後障害研究会抄録原稿完成。*に原対協へ持参して貰うよう依頼。ついでに、23日のネットワーク委員会の模様を報告。
04 05 藤居より資料がファックスで届く。日本被団協の慰霊施設についての見解。
04 12 学内科研報告書を*に2部(含ネットワーク委員会事務局用)渡す。
04 14 *より電話。原医研デ-タベースがネットワーク化されているかどうかの問い合わせ。これからの課題と回答。
04 21 内科より電話。28日のネットワーク委員会デ-タベース小委員会に蔵本の代理で出席して欲しい。
06 03 *事務長来室。資料の返却。ネットワーク委員会、広島市のデータベース構築検討委員会、慰霊施設の中間報告を新たに貸す。学内科研報告書を1部贈呈。
06 29 ネットワーク委員会データバンク検討小委員会システム設計準備ワーキンググループ(第1回)。於広島・放影研C-211。-5時。*に資料目録のフローッピーを渡す。*の話=*が慰霊施設の委員になった。運営は、平和文化センターになりそう。
08 17 *より電話。27日に国会図書館に行けなくなった。被爆者対策小委員会(9月22OR24日)・ネットワーク委員会(10月8日)の連絡。
08 24 ネットワーク委員会国会図書館調査。16時15分、館内呼び出し。総務課へ行き*(機械化室長)に会う。中国新聞の*より電話があった由。*の部屋から*に電話。コンピュ-タ-関係の講演を依頼される(9月16日、11月18日、1月20日、3月17日)
08 25 国会図書館。10時過ぎ、*と*が来る。*から協力を依頼されていた様子。4時半、3人で館内の喫茶店で話す。*がネットワーク委員会のアメリカ調査を誉める。イギリス調査の話が出る。第102回国会まで終了。
09 02 藤居より電話。吾妻鏡総索引の話。村上との生活保護論争の時、著者の及川儀衛門も同席した。及川は認定被爆者。総索引が20数冊あった。宇吹が1冊持っておいて欲しい。石井勲が紙碑と言っていた。慰霊施設が出来たら、森田省三の骨とともに納めたい。
09 10 *(平和文化センター)から、「平和の推進」最新版(校正中)の新しいデータを貰う。*の話=原医研の改組は、厚生省の慰霊施設を取り込むためのものか?
09 22 ネットワーク委員会被爆者対策小委員会。於放射線影響研究所(広島)講堂。-4時半。*広島市衛生局長、気分が悪いとのことですぐに中座。宇吹=国会議事録索引の説明。吉沢=今年度中に報告書をまとめ、最終年度の来年は、一般から意見が聴取できるようにしたい。
10 07 広島国際会議場着。*の話=埼玉県平和館・川崎市平和館を見学してきた。来年の平和記念館開館時に、平和館の会合を開く予定。大久島は加えたくない様子。立命館はすでに大阪と連携。宇吹=原爆・戦災を基準にネットワーク化を進めてはどうか。
10 08 原爆資料および情報ネットワーク委員会(拡大委員会)平成5年度第1回会議。於広島ガーデンパレス2階孔雀の間。-5時半。*=慰霊施設関係の会議は7月・9月に会合。あと2-3回会議を持って結論。場所が決まらないので予算要求が難しい。
10 08 ネットワーク委員会懇親会。*に国会会議録の詰めの作業への協力を依頼。*に長崎側の被団協資料の調査を依頼。12日に具体的な要望をファックスで入れること。*の話=どこかの施設に合設して終わりということを恐れる。
10 08 *の話=1月に*副委員長が団長で海外調査予定。あと2-3人が随行。*の話=慰霊施設が修学旅行を対象に考えるのはナンセンス。*は昨晩帰国。気分が悪いということでIPPNWの記者会見だけすませて、この会議は欠席。
12 09 *より電話。3月28日にネットワーク委員会を開催。
12 28 国会議事一覧のネットワーク委員会提出用原稿を資料センターのプリンターで打ち出す。

1994年

01 14 *(中国)より電話。今朝の共同配信の記事について。厚生省をプッシュする必要は無いか。あまり意味は無い、ネットワーク委員会の海外調査でやっている、と回答。
02 07 原爆資料および情報ネットワーク委員会被爆者対策資料小委員会。於放射線影響研究所講堂。-5時。5時半、ステーション・ホテルの料理屋で懇親会。*が元気が無いように見える。*と*の間もうまくいっていない様子。
03 01 *の話=慰霊施設がレストハウスでは、狭すぎはしないか。広島市の被爆50周年の行事の新聞報道を見て、お粗末さに驚いた。湯崎の子どもは、通産省に入り、3年間アメリカに行っていた。
03 28 原爆資料および情報ネットワーク委員会(拡大委員会)。於広島ガーデンパレス。厚生省関係者は姿を見せず、盛り上がりに欠けた。休憩中、*に国会会議録の心残りメモを渡す。-5時半。6時-8時、懇親会。*(中国)が取材に来ていた。
05 12 HICAREパネル展担当スタッフ(日当:7900円)とネットワーク委員会被爆者対策小委員(日当:22000円)の就任依頼が届く。
06 16 HNP死亡.DBF作製。ネットワーク委員会の情報サービス小委員会の基礎資料として。
06 27 ネットワーク委員会「情報サービス検討小委員会」のメンバーが原田館長の案内で広島平和記念資料館(東館)見学。現在のところゆったりとしていて、良い。-14時30分。小委員会。-16時30分。於東館地下会議室。
06 28 放影研のネットワーク委員会事務局で宮川から話を聞く。宮川は昭和30年にABCCに就職、統計関係の仕事をしていた由。調査対象を図示したスライドのコピーを依頼。1950年調査の名簿が提供されたことを示す資料を宮川に渡す。
06 29 *来室。改組の案内発送先一覧を持参。その他の候補を聞かれる。長崎国際文化会館、慰霊施設懇談会関係者、広島大学の記者クラブを挙げる。藤居が日赤に入院したことを伝える。
07 04 *・*(大阪朝日・社会部)来所。-12時30分。特に原爆資料ネットワークについて取材。今日からしばらく広島で取材する予定とのこと。学内科研報告書2部、論文別冊「商用データベースと原爆・被爆情報」を進呈。
07 11 *(放影研)より電話。厚生省に昭和60年度調査の調査票をネットワーク委員会に提供するよう申し入れている。実現すれば整理について協力を依頼したい。
09 06 *(中国)より電話。ネットワーク委員会の各年度の報告書を見せて欲しい。中国新聞社から委員が出ているので、先にそれに当たるよう回答。
09 06 ネットワーク委員会情報サービス小委員会用の「原医研案内」(要覧0.JSW)を作成。
09 12 放影研へ。-11時20分。ネットワーク委員会原稿「広島大学原爆放射能医学研究所」を提出。センターの資料利用規定を欲しいとのこと。DC.DBFの1945-47年分を打ち出したものを渡す。
09 12 *の話=厚生省は、援護法問題で資料に関心は回らない。慰霊施設は早くて平成10年開館という状況。ネットワーク委員会を現状のままで、継続するのではもったいない。どういう方向が望ましいか、長崎の会議までにメモが欲しい。
09 28 ひかり172号広島駅発(*・*・*と)-新大阪11時47分着。旅費9570円。*の話=広島市の原対部調査課では*が慰霊施設担当、自分が援護史の担当とのこと。
09 29 10時、朝日新聞着。午後、*と少し話す。3時過ぎ、斉藤は広島へ。*の話=原爆関係の広島市の施策は来年の市長選挙待ち。慰霊施設は、平和文化センターが委託予定。
10 14 ネットワーク委員会被爆者対策小委員会。於ハーバーイン長崎。-4時20分。宇吹=佐久間澄・森滝市郎・長田新の資料について話し、資料の収集・保存について注意を促す。「被爆者対策資料」の定義について*の見解を質す。
10 31 原爆資料および情報ネットワーク委員会(拡大委員会)。於ガーデンパレス2階孔雀の間。-5時50分。懇親会は欠席し、すぐ帰宅。
10 31 *=教育は広島市が行う。慰霊施設は研究に集中すべきではないか。(私へのつぶやき=広島市は、慰霊施設の合築を断った。慰霊施設の将来は暗いのではないか。)
10 31 *(長崎市)の話(休憩中)=厚生省が慰霊施設の運営を広島・長崎に委託を考えている。腰を引かれると、大きな事業が出来なくなるので困る。伊東壮は、慰霊施設は東京に作るべきとの意見であった。
12 14 *=慰霊施設は、初めは原対協への委託が有力であったが、現在は平和文化センター。*は、委託して欲しいのは山々だが、センターの人的能力に不安を感じており、積極的になれないのではないか。*から英文図書の収集を依頼された。月末に委員会がある。
12 21 宇吹=佐久間・森滝・吉川など被爆者の資料の散逸を恐れている。慰霊施設が、そういう資料の保存機能を持つのならそれで良いが、いまのところ読めない。現在の広島市にこういう機能がない。
12 21 *=慰霊施設を平和文化センターに押しつけようとしているが、私は絶対反対。(宇吹=それでは原対協か)。国自身にやらせなくてはダメだ。

 

1995年

01 12 *(*出版部)来所。宇吹=完成原稿は、2月末締切の原稿を書き上げるまで待って欲しい。「平和教育」と「原爆被害白書」について書き足したい。原爆遺跡保存や慰霊施設をめぐる動きを見ていると、発想が萎縮している。歴史的には「原爆白書」提起は大きな枠組みを持っていた。
02 24 *広島市原対部調査課長=慰霊施設は平和公園内に設置の方向。5-6月に市としての意志決定の予定。公園の建物の規制面積が広がったので、レストハウスを壊さなくても考えられるが、今後どうなるか。地上は制限があり地下2階となるので平成8年度には着工する。
03 08 松林より電話。*の後任の件の連絡。松林の話=慰霊施設は迷惑施設。担当にならないよう願っている。白書の問題は全く進んでいない。
03 27 原爆資料および情報ネットワーク委員会(拡大委員会)。於東京・松本楼。2月24日に欠席の連絡。
04 04 高橋昭博退職挨拶、木村泰三広島平和文化センター事業部長就任挨拶のため来所。高橋は、語り部活動はこれまでどおり続けるつもり、重松から厚生省ネットワーク委員会の小委員は継続してやって欲しいと頼まれたとのこと。
04 21 *(放影研)より電話。慰霊施設の開館時に稼働予定の主要事項解説作成のワーキンググループ(高橋昭博・*・*などを予定)に加わって欲しい。方針が違うという理由で断る。
06 06 *より電話。ネットワーク委員会でセンターの蔵書データベースを試験的にインターネットに乗せたいとの意見があるので、その節にはデータの提供をお願いしたいとのこと。原医研にサーバーを設置しようとの話もあるとのこと。了承。
06 25 NHKスペシャル『沖縄・23万人の碑・戦後50年目の祈り』を見る。「平和の礎(いしじ)」の名簿作成過程に復元調査と同様の方法論を見る。これへの反応を原爆犠牲者慰霊施設の犠牲者名簿作製の参考とする必要がある。
07 05 *よりセンター所蔵文献データベースについての問い合わせ。ネットワーク委員会での作業が進んでいる様子。
07 25 平和会館で図書を購入。*(元*新聞)と会う。ネットワーク委員会の下請けで、解説事項の原稿を書いていた。*から「森滝市郎追悼集」を貰う。
07 25 *の話=高橋昭博は、人の批判を随分したが、本の中では省いた。彼は、事実なのにと言って、不満そうだった。ネットワーク委員会の原稿では、新聞記事は、参考資料に止めざるをえなかった。基本資料に当たる必要性を痛感している。
09 08 *=15日の京大の慰霊祭に出る予定。ネットワーク委員会は、当初の計画は吹き飛び、インターネットのホームページをつくることに集中している。12日に原爆文献データベースのファイルが欲しい。
10 24 広島市公文書館で松林らと話す。中国新聞社と原爆・平和報道50年展の写真についてゴタゴタがあった、午後*が慰霊施設について取材に来た由。*が宮川の日記と体験記集のコピーを撮ってくれる。
11 15 *より電話。共同配信で掲載された陸軍の調査団の報告と笹本のコメントについて。慰霊施設について、「市の決算委員会で取り上げたい」との反響が昨日あった。20日からパリに行く。
11 17 *より電話。慰霊施設について=レストハウス取り壊し計画、建物以外の予算的な裏付けは無い。市長は建物が建つのならそれで良いとの考え。関係者が市長宛に意見を出す必要あり。誰に声をかければ良いか。シラード関係の資料を集めたい。内田恵美子について。
11 17 *より電話。27日の平和部会の案内。*の慰霊施設についての意見を伝える。
11 21 *の話=慰霊施設を平和公園に設置する必然性はない。しかし、それを主張する委員はいない。レストハウス撤去の流れに乗っている。近藤幸四郎は、市政記者の内々の場では、取り壊しに反対はしない、と語っている。
12 04 *の話=松谷訴訟で、厚生省は、まじめに取り組んでいるようには見えず、勝つつもりがない様子。伊東壮は、慰霊施設の委員として何のために出ているのがわからない。役に立っていない。
12 06 *から電話。*が慰霊施設の連載記事で書いていた原水爆白書運動についての問い合わせ。中国新聞のデータベースについての報告書の拙稿を読むように返答。
12 08 *=被団協(伊藤サカエ)は理事会でレストハウスの取り壊しを決議した。*が完全に丸め込まれている。*(文団連、文学資料保存の会)から、慰霊施設について相談、近々会う予定。シンポジウムを開けないか。
12 08 宇吹=慰霊施設への意見は、現状では、追悼の場不要論と修学旅行生受け入れ施設論。広島国際会議場は、貸座敷になっている。これを修学旅行生向けにすれば良い。
12 08 *=慰霊施設問題は、原爆資料館の平和推進の*が担当することに決まった。来年度、広島平和文化センターに担当者を配置するということで話が進んでいる。
12 16 *とセレナーデで話す。広島市の官僚の質の悪さについて=14日の慰霊施設についての意見聴取で、金子がレストハウス取り壊しについて質問、それに対し、原爆資料館長が取り壊しの方針を説明。厚生省は困惑し、議事録から削除。
12 16 *の話=中国新聞社は、完全に報道の方向を見失った。在韓被爆者のビデオ収録に朝日の記者は随行したが、中国はダメ。慰霊施設についての情報を流しても、ありきたりの記事にしか書いていない。
12 20 *の話=レストハウス取り壊しには反対。慰霊施設は不要。これ以上、平和公園に建物は不要。伊藤サカエ・近藤幸四郎はレストハウス不要論。川本一郎は、こまめに資料を残している。竹内武、阿部静子、池田精子、村戸由子。*は、*と元の主人を天秤にかけていた
12 27 *来所。ネットワーク委員会の情報提供小委員会での論議についての批判。*が、頑張っている。*が責任者。石踊と一緒に比治山へ。シンポジウム「21世紀の平和記念公園を考えよう」(案)を持参。-2時半。95年出版物一覧を提供。

1996年

02 06 *・*と話す。二人とも熱心にあれこれ質問。ネットワーク委員会での資料収集について意見を聞かれたが、意見は避ける。平和祈念館で原爆手記を収集したい様子。改めて相談したいとのこと。
02 11 ネットワーク委員会用のレジメ作成。「被爆者対策資料の収集方法について」、「原爆手記掲載文献一覧(1995年発行分)」、「原爆被爆者団体の出版状況」。12日朝、*(放影研)に届ける。
02 14 *より電話。昨日の会議は独演場だったそうだな、と皮肉られる。原爆資料の収集について相談したい由。厚生省とネットワーク委員会の模様を伝える。市長に話を取り次ぐから何かあったら相談するように言われる。
03 25 平成7年度第1回原爆資料および情報ネットワーク委員会(拡大委員会)。於放影研講堂。-5時。間違って終了後の懇親会場である広島ガーデンパレスに行き、25分ほど遅刻。-5時。懇親会は欠席。
04 15 *来室。ネットワーク委員会の「原爆死没者追悼平和祈念館」原爆資料情報案内データベース構築作業グループに加わって欲しいとのこと。断る。
04 19 今朝届いたネットワーク委員会被爆者対策小委員会の議事録(案)の訂正を*(放影研)に連絡。被爆者団体の資料収集の必要性については、良く発言出来ていた。
05 02 *の話=開館時に目玉になるものが無い。*は、体験記を集めると言っている。「祈念館=ごみ箱論」は参考にさせて貰う。平和文化センターは、無くなっても良い。*は、市立大学に換わってもらえば良い。ネットワーク委員会の年間予算は3000万円。
06 27 *(大阪朝日)より自宅に電話。最近平和問題担当になった由。慰霊施設について意見を聞かれる。
07 08 *とネットワーク委員会へのセンターの資料提供・刊本の整理方法について話す。
11 11 *、来室。ネットワーク委員会用に原爆文献データベースの説明が欲しいとのこと。すぐ書いて渡す。
12 04 *(中国新聞)より電話。「生きているヒロシマ」について問い合わせ。ネットワーク委員会について。
12 12 午前中、長崎の会議のためにネットワーク委員会などの資料に目を通す。午後は、インターネットで、原爆関係のホームページを検索。
12 13 原爆資料および情報ネットワーク委員会全体委員会会議。於セントヒル長崎(筑後町4-10、TEL0958-22-2251)。-5時半。冒頭、*が、祈念館の地中化に異議。*が、広島市としては、景観を壊さないとの配慮から、と回答。

1997年

03 17 原爆資料および情報ネットワーク委員会全体会議(最終回)。「孔雀の間」。-16時半。*厚生省課長補佐=手記の収集は広島市に委託(5000万円)。データベース構築は引き続き放影研に依頼する予定(1億3000万円)。
04 17 *の話=今のところ、厚生省との委託契約を結ぶ準備で手一杯。担当者としては、手記を基礎に形あるものにし、その上で手を広げてゆきたい。放影研のネットワーク委のような結果を招きたくない。
06 05 ネットワーク委員会と原爆死没者追悼平和祈念館関係資料の整理。
09 04 *の話=森座長は、追悼平和祈念館=本堂論。原資料の展示を考えておらず、資料の電子化だけ。資料は、原爆資料館にあれば良いとの考え。従って、名称にもミュージアムを採用せず、メモリアル・ホール。*の影響。ネットワーク委員会は、大風呂敷を広げただけ。

1998年

03 13 比治山に上る途中、*(厚生省ネットワーク委員会)と会う。*と会った由。午後2時過ぎ来所。
04 07 *、来所。放影研で*と会った帰り。ネットワーク委員会3億円の成果についての疑問、50周年の厚生省調査結果の分析遅延、広島市立大学の平和研究所などについて話す。厚生省は、昭和40年の調査票などを東京へ送り返せと言っている由。厚生省では、廃棄される虞れ。
04 10 *より電話。ネットワーク委員会の吉沢座長と電話連絡が取れた。2年で終えるつもりが、長引いてしまった、とのこと。
04 16 *より電話。原爆資料ネットワーク委員会の件で、23日に来所とのこと。
04 23 *・*、*放影研ネットワーク委員会)・*、来所。日本総合技術研究所(*)「原爆用語シソーラス作成実施報告書」を基に検討。いくらか参考になりそうな文献を紹介。
12 16 *(放影研ネットワーク委員会)、来室。-4時。シソーラスの途中経過を聞く。若干の打ち出しを貰う。*と一緒に*に地図の件で会ってきた由。厚生省は、ネットワーク委員会の成果を無視、一切話に乗ってこないが、明日、*と一緒に課長と会うとのこと。