原爆文学

−平和文化−


作家・文学関係者とヒロシマ(被爆直後)

大田洋子=郷里の広島に疎開中,原爆に被爆。

『朝日新聞』(1945年8月30日)に体験記「海底のやうな光 原子爆弾の空襲に遭って」を掲載。

 新兵器の残虐性を否定することは出来ない.だが私は精神は兵器によって焼き払ふ術もないと思った.あの爆弾は戦争を早く止めたい故に,使った側の恥辱である.ドイツを軽蔑できなっかたと同じに,あの新型爆弾といふものを尊敬することはできない.広島市の被害は結果的に深く大きいけれど,もしその情景が醜悪だったならば,それは相手方の醜悪さである.広島市は醜悪ではなかった.むしろ犠牲者の美しさで,戦争の終局を飾ったものと思いたい.

 1945年中に疎開先の広島県内の山村で小説『屍の街』を書きあげ,それを中央公論社へ送った.しかし,プレス・コードを恐れた編集者は,すぐに出版することをためらい,3年後の48年10月にかなりの自主削除をおこなった上で出版(江刺昭子『草饐―評伝大田洋子』).

原民喜=郷里の広島に疎開中,原爆に被爆。

 1945年中に小説『原子爆弾』を書く.この原稿は,『近代文学』同人へ送付されたが,同誌には掲載されず,47年6月になってやっと『三田文学』に「夏の花」と改題して掲載される(仲程昌徳『原民喜ノート』).

正田篠枝=広島の被爆歌人

 1946年1月,かねて師事していた山隅衛(歌誌『晩鐘』主宰)を訪ね,自分の原爆歌集への序文を依頼したが,断られる.しかし,彼女の歌39首は,杉浦翠子が軽井沢で発行していた『不死鳥』の第7号(日本降伏一周年記念号)に「噫!原子爆弾」と題して掲載される。彼女自身も,占領軍の処罰を覚悟で47年12月に原爆歌集『さんげ』(「噫!原子爆弾」など九九首を収録)を自家出版.彼女は出版の動機を原爆のため「即死され,またあとから亡くなられたひとを,とむらうつもり,生き残った嘆き悲しみ,苦しんでいる人を,慰めるつもり」であったと書いている(水田九八二郎『目をあけば修羅』).

阿川弘之

 1946年3月、海軍から復員。死んだと諦めていた父母と再会する。そのような体験をまとめた作品「年年歳歳」を雑誌「世界」(1946年9月号)に発表し、新人作家として出発。

中国文化連盟

 1945年12月17日,広島近郊の国民学校で栗原唯一・貞子夫妻を中心に結成.細田民樹・畑耕一を顧問とするこの連盟は,翌46年,「中国文化人追悼大会」という名目で原爆犠牲者追悼大会を開催し,参加者150人が慰霊と平和の誓いをたてる.同連盟は,46年3月機関誌『中国文化』を「原子爆弾特輯号」と銘打って創刊し,8月には栗原貞子の詩集『黒いたまご』(原爆詩「生ましめんかな」を収録)を出版.『中国文化』の発行人であった栗原唯一は呉市にあった米軍民間情報部に呼びだされ,「原爆の惨禍が原爆以後もなお続いているというような表現は,いかなる意味でも書いてはならない」と厳重に言い渡される(栗原貞子『「中国文化」原子爆弾特集号・復刻』,『黒い卵―占領下検閲と反戦・原爆詩歌集』).

川端康成

文学報国会の1945年8月30日の会食会で「広島や長崎へ,作家が行ってその惨害をくわしく調べて後々のために書いておく,こういうことは必要だとおもうんだが・・・」と提案し,みなの賛同を得る(高見順『敗戦日記』8月30日の項).

美川きよ

 自身の被爆体験はないが,甥を広島で失う.それをモデルに書きあげたと思われる小説「あの日のこと」が,『女性公論』46年7月号に掲載予定であったが,検閲により,全文削除を指示される(『朝日ジャーナル』1982年8月6日号).

三島由紀夫

「私の中のヒロシマ」、『週刊朝日』1967年8月11日号

 「広島に”新型爆弾”が投下されたとき、私は東大法学部の学生であった。(中略)
 それが原爆だと知ったのは数日後のこと、たしか教授の口を通じてだった。世界の終わりだ、と思った。この世界終末観は、その後の私の文学の唯一の母体をなすものでもある。もっとも、原爆によって突然発生したというより、私自身の中に初めから潜在したものであろうが・・・。 ヒロシマ。ナチのユダヤ人虐殺。まぎれもなくそれは史上、二大虐殺行為である。だが、日本人は「過ちは二度とくりかえしません」といった。原爆に対する日本人の民族的憤激を正当に表現した文字は、終戦の詔勅の「五内為ニ裂ク」という一節以外に、私は知らない。(中略)
 核大国は、多かれ少なかれ、良心の痛みをおさえながら核を作っている。彼らは言いわけなしに、それを作ることができない。良心の呵責なしに作りうるのは、唯一の被爆国・日本以外にない。われわれは新しい核時代に、輝かしい特権をもって対処すべきではないのか。そのための新しい政治的論理を確立すべきではないのか。日本人は、ここで民族的憤激を思い起こすべきではないのか。」
[メモ:三島由紀夫]1970年(昭和45年)11月25日、「楯の会」のメンバー4名と、東京市ヶ谷陸上自衛隊東部方面総監部で、自衛隊の覚醒と決起を促し、「天皇陛下万歳」を三唱して、午後零時15分割腹自決。

参考資料:「プレスコードと原爆被害


作家・文学関係者とヒロシマ(1950年前後)

高村光太郎=「平和への燈−再版に序して」

小倉豊文「絶後の記録−広島原子爆弾の手記」(中央社・1949.3 6版)所収

 この記録を読んだら、どんな政治家でも、軍人でも、もう実際の戦争をする気はなくなるであらう。今後、せめて所謂冷たい戦争程度だけで戦争は終るやうになってくれなければ、この沢山の日本人は犬死になる。この本をよく読んで世界の人々に考へてもらひたい。

日本ペンクラブ

 1950年4月15日、「広島の会」を、広島市ガスビルで開催。川端康成会長ら10余名と広島ペンクラブ会員ら合わせて約80名が参加。


作家・文学関係者とヒロシマ(講和条約発効直後)

峠三吉

 1951年、謄写版刷りの「原爆詩集」を発行。

原爆文学論争

 1953年1月25日の『中国新聞』(夕刊)に掲載された作家志條みよ子のエッセー「『原爆文学』について」が契機となり始まる。
 志條は、このなかで、「もうそろそろ地獄の絵を描いたり、地獄の文章ばかりぴねり上げることからは卒業してもいいのではないか」と述べたが、この発言をめぐり、同紙上では、ぽぽ2か月間論争がくり広げられた。

『中国新聞』(夕刊)で展開された原爆と文学の関連に言及した論評

掲載日 執筆者 見出し
昭和27
10.17
梶山季之 一本の鉄道草−原爆文学のペンを執れ
10.26 喜蓬敏生 まず地馴らしを−梶山氏の原爆文学論に答う
11.18 梶山季之 沈黙は果して金なりや−続原爆文学
11.30 山口成昭 沈黙は金ならず
昭和28
 1.25
志條みよ子 「原爆文学」について
 1.31 筒井重夫 「原爆文学」ヘの反省−志條みよ子氏に与う
 2. 3 新屋 新 原爆を文学する心
 2. 4 小久保均 再ぴ「原爆文学」について
 2. 7 中川英二 「原爆文学論争」を読んで
 2.10 池田大江 平和を叫ぶもの「原爆文学」
 2.13 原田英彦 「原爆文学」とは何か
 2.14 今田龍夫 「原爆文学」の解釈
 2.17 斎木寿夫 原爆と文学
 2.21 豊田清史 如何に身をつめているか−原爆文学異論を読みて
 2.24 宮原双馨 広島の俳句−「原爆文学」に関連して
 2.25 吉光義雄 原爆文学への考察
 2.25 久井 茂 売りもの、買いもの−原爆文学への一考察
 2.26 喜蓬敏生 原爆文学への期待
 2.27 池田大江 再ぴ平和を叫ぶもの−原爆短歌からみて
 2.28 松原隆良 広いほんとに広い道がある−原子爆弾と文学
 3. 1 山口成昭 小説とは
 3. 4 細田民樹 「原爆文学」の一傑作−稲田美穂子の「見知られぬ旅」
 3. 7 深川宗俊 悲しみを耐えて−「原爆文学」論を中心に
 3.12 吉光義雄 原爆文学への祈り
 3.15 茜 秀穂 原爆文学雑感
 3.16 稲田美穂子 被害者の意識−「原爆文学」作者の立場から
 3.20 清水孝之 原爆俳句序説
 3.28 橋本修一 時代とレジスタンス
 4. 1 永井昭三 原爆文学と被害者
 4. 8 神田三亀男 ひろしまの歌人
 4.17
 〜19
阿川弘之
ほか6名
(座談会)原爆文学の行手を探る(上)(中)(下)


川手健

「半年の足跡」、『原爆に生きて』、三一書房、1953年、所収)

原爆被害者自身の口から全世界に向って原爆の惨禍と平和の必要を訴えるその意義は大きい。原爆の投下が世界史的な大事件であるなら、その被害者が立上がって原爆の反対を叫ぶこともまさに世界史的な出来事である。このことの重要性についてはまだまだ本当に考えている人は少ない様に思う。

大江健三郎

 1963年8月、初めて広島を取材。「世界」10月号に「広島1964年夏」として発表。1965年6月、「ヒロシマ・ノート」。

=「絶望しない人々」、被爆者運動へのコミット、世界への発信

高橋和巳

「滅びざる民」、『読書人』1966年8月1日号掲載

私たちはしばしば、一つの時代を、その繁栄の中心において記述しがちであるが、一つの時代は先端的な繁栄の場をもつと同時にその時代の矛盾と悲惨の集約の場をももつ。そして文化というものは、社会の先端を切る人々にのみ担われるのではなく、矛盾と悲惨の場に耐えた人々によっても担われる。その不運の場に居あわさねばならなかった人々の苦しみのうちに築かれてゆく価値を無視してしまっては、その時代、その民族の精神は十全ではありえないのである。


「核戦争の危機を訴える文学者の声明」とヒロシマ(1982年1月〜)

日本の原爆文学(全15巻)

「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者(編)、 ほるぷ出版、1983。

第1巻=原民喜、第2巻=大田洋子、第3巻=林京子、第4巻=佐多稲子/竹西寛子
第5巻=井上光晴、第6巻=堀田善衛、第7巻=いいだもも、第8巻=小田実/武田泰淳
第9巻=大江健三郎/金井利博、第10巻=短編T、第11巻=短篇U、第12巻=戯曲
第13巻=詩歌、第14巻=手記/記録、第15巻=評論/エッセイ


家永三郎・小田切秀雄・黒古一夫(編):日本の原爆記録(全20巻)、日本図書センター、1991。

1.天よりの大いなる声・長崎二十二人の原爆体験記・原爆体験記
2.長崎の鐘・長崎精機原子爆弾記・雅子斃れず
3.白夾竹桃の下・原爆に生きて
4.花の命は短くて・もういやだ
5.星は見ている・純女学徒隊殉難の記録
6.ヒロシマ日記・中国地方総監府誌
7.千羽鶴・黒い蝶
8.原爆の実相・われなお生きてあり
9.あの日から今もなお・炎と影・長崎原爆記
10.証言は消えない・炎の日から20年
11.長崎の証言
12.ナガサキの被爆者・被爆韓国人
13.煉瓦の壁・天の羊
14.被爆二世・原爆が遺した子ら
15.原爆孤老・沖縄の被爆者
16.原子力と文学(抄)・原爆文学史・原爆とことば(抄)
17.原爆歌集・句集−広島編
18.原爆歌集・句集−長崎編
19.原爆詩集−広島編
20.原爆詩集−長崎編・原爆記録文献年表
21.非核太平洋・被爆太平洋−新編棄民の群島

<<<<「ヒロシマ通信」 <<<「講座:ヒロシマ
<<「講座:被爆者問題」 <「残された課題」 <「被爆体験の継承」 <「平和文化」へもどる