12月忌(一覧)
日 | 没年 | 名前 | よみ | 享年 | 備考 |
02 | 2009 | 平山郁夫 | ひらやま・いくお | 79 | 『広島県現代文学事典』(西原大輔pp.415-417)。画家。平山郁夫美術館。資料年表:平山郁夫 |
03 | 1976 | 澤崎嘉衛 | さわさき・よしえ | 72 | 『組織活動ひとすじに~澤崎嘉衛先生を偲ぶ~』(社団法人広島県地区衛生組織連合会、1977.12.4) |
03 | 2013 | 山口氏康 | やまぐち・うじやす | 91 | 『ヒロシマもう一つの顔』(山口氏康、青弓社、1986.4.9)。1971年広島市議。以後3期。 |
04 | 1980 | アメラシンゲ、 | あめらしんげ | 67 | アメラシンゲ、ハミルトン・シャーリー |
1977年広島・長崎の平和式典に参加した元国連総合議長、死去。スリランカ出身。 | |||||
05 | 1975 | 田辺勝 | たなべ・まさる | 69 | 広島県被団協(原水協系)理事長。広島県立工業学校の教師の時、動員学徒指導中の安芸郡海田町の工場から救援にかけつけ被爆。『読売新聞』・『中国新聞』1975.12.6~8 田辺勝 |
05 | 1999 | 葉室潔 | はむろ・きよし | 81 | 本名:谷原多郎。米モンタナ州生まれ。1968年広島市バレエ協会会長。「原爆主題に創作バレエ」(『中国新聞』1999.12.7) |
05 | 2008 | 加藤周一 | かとう・しゅういち | 89 | 評論家。日米原子爆弾影響合同調査団の一員として広島入り。立命館大学国際平和ミュージアム(1992.5.19設立)初代館長。加藤周一 |
09 | 2009 | 村中好穂 | むらなか・よしほ | 84 | 日本共産党広島県委員会名誉県委員。2010年3月13日、「村中好穂さんをしのぶ会」(『赤旗』2010.3.14)資料年表:村中好穂 |
09 | 2022 | 北川建次 | きたがわ・けんじ | 87 | 1935年生。広島大学教育学部教授、附属東雲中学校長。資料年表:北川建次。 |
10 | 1963 | 大田洋子 | おおた・ようこ | 60 | [原爆被害者の会東京協力会世話人]。第4回女流文学賞(1952年)、文化人会議昭和29年度平和文化賞。『広島県現代文学事典』(岩崎文人執筆。pp.233-234)資料年表:大田洋子 |
10 | 1963 | 高田 静雄 | たかだ・ しずお | 54 | 砲丸投げのオリンピック(1936年ベルリン)選手。中国配電本店(勤務先)で被爆。長女千鶴子(広島女学院高女2年)は動員先で被爆し死亡。資料:西本雅実「被爆オリンピアンの視点」(『中国新聞』20180716)。19090305生 |
10 | 2001 | 江戸屋猫八 | えどや・ねこはち | 80 | 本名:岡田八郎。「江戸屋猫八さん死去 物まね名手 広島で被爆 後遺症・‥高座で体験語る」(『中国新聞』2001.12.11)江戸屋猫八(3代目) |
11 | 1988 | 任都栗司 | にとぐりつかさ | 91 | 『任都栗司資料目録(原爆被爆者援護関係)』(広島市公文書館、19880630)。元広島市議会議長。任都栗司 |
13 | 2003 | 清水栄 | しみず・さかえ | 88 | 京都大学名誉教授。「清水栄日記 昭和20・8・6~12・7」(『広島県史 原爆資料編』pp.521-551)。清水栄 |
14 | 2014 | 松尾尊兊 | まつお・たかよし | 85 | 日本近現代史研究者。 |
15 | 1997 | 関寛治 | せき・ひろはる | 70 | 元広島大学平和科学研究センター長。関寛治 |
15 | 2001 | 島原帆山 | しまばら・はんざん | 100 | 山流尺八演奏家。重要無形文化財保持者(人間国宝)。広島市名誉市民。広島被爆者。原爆投下翌日、衛兵をしていた八本松町(現東広島市)の海軍弾薬庫からトラックで広島市内へ。『中国新聞』2001年8月3日付。『竹韻一路 人間国宝島原帆山』(島原帆山、新芸術社、1990.5.8)。佐伯好郎墓前で島原帆山の尺八演奏。 島原帆山 |
15 | 2007 | 山瀬明 | やませ・あきら | 81 | 『山瀬明さんを偲んで』(2008.2.2)=「故山瀬明さんを偲ぶ会 於.光徳会館」での配布資料。山瀬明 |
16 | 1988 | 小磯良平 | こいそ・りょうへい | 85 | 洋画家。19030725生。1950年8月予定の広島市平和祭(直前に中止)のポスター原画を制作。小磯良平 |
16 | 2008 | 竹下虎之助 | たけした・とらのすけ | 84 | 広島県知事(1981-1993年)。「評伝竹下前広島知事」(『中国新聞』20081217、桝田勲・記) 竹下虎之助 |
16 | 2017 | 早坂暁 | はやさか・あきら | 88 | 海軍兵学校在学中に終戦。被爆直後の広島の惨状を目撃。脚本家・作家。「夢千代日記」シリーズなど。「市民が描いた原爆の絵」 を陶板画の碑にして広島市内に建立する運動を提唱(『中国新聞』2002.2.22)。『広島県現代文学事典』(森本穫執筆。Pp.404-405) 早坂暁 |
17 | 1992 | アンデルス・ギュンター | あんでるす | 90 | 『橋の上の男 広島と長崎の日記』(ギュンター・アンデルス、篠原正瑛訳、朝日新聞社、 1960.8.1)。『ヒロシマわが罪と罰 原爆パイロットの苦悩の手紙』(クロード・イーザリー、ギュンター・アンデルス、篠原正瑛訳、筑摩書房)。 |
18 | 2015 | 藤田雄山 | ふじた・ゆうざん | 66 | 広島県知事。1993年11月~2009年11月。 藤田雄山 |
19 | 1979 | 丸山益輝 | まるやま・ますてる | 60 | 1966年広島大工学部教授。同大平和科学研究センターの設置・運営に尽力。1979年12月19日中国・南京で死去。広島大学大学教育研究センター長。 |
19 | 2012 | 中沢啓治 | なかざわ・けいじ | 73 | 漫画家。『「ヒロシマ」の空白 シリーズ 昭和とはなんであったか』(中沢啓治、日本図書センター、1987.8.25)。『広島県現代文学事典』(小西清美pp.384-385) 中沢啓治 |
20 | 1983 | 武見 太郎 | たけみ ・たろう | 79 | 日本医師会会長や世界医師会会長を歴任。『戦前戦中戦後』(武見 太郎、講談社、19820310) |
20 | 1983 | 渡辺鼎 | わたなべ・かなえ | 93 | 広島大学文学部長。[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。[52広島平和問題談話会]。[54世界平和集会世話人(発起)]。原水禁世界大会(1955年)開催に貢献。 渡辺鼎 |
20 | 2023 | 植木 研介 |
うえき・けんすけ |
79 | 広島大学名誉教授。1990年代に広島市平和公園のレストハウスの保存を訴える。資料年表:植木 研介。 |
21 | 1997 | 片岡脩 | かたおか・おさむ | 65 | グラフィック・デザイナー。旧制広島一中1年生の時、原爆に被爆。「被爆者デザイナー故片岡脩さん制作平和ポスター託す 広島市立大に106枚(田原直樹記者)」(『中国新聞』2008.7.26) 片岡脩 |
21 | 2004 | 今西祐行 | いまにし・すけゆき | 81 | 児童文学作家。『広島県現代文学事典』(山元隆春執筆。Pp.212-214) 今西祐行 |
22 | 1994 | 乙羽信子 | おとわ・のぶこ | 70 | 女優。映画「原爆の子」に出演。1978年1月新藤兼人と結婚。 乙羽信子 |
22 | 2000 | 千田夏光 | せんだ・かこう | 76 | 作家。『赤旗』に小説「終焉の姉妹」を連載。 千田夏光 |
22 | 2004 | 山本良雄 | やまもと・よしお | 87 | 『ヒロシマを生きる』(山本良雄、19980920)大津市被爆者友の会 277 |
23 | 1985 | 三村明 | みむら・あきら | 84 | 映画撮影監督。被爆直後、米戦略爆撃調査団の映画班に加わる。『聖林からヒロシマへ 映画カメラマン・ハリー三村の人生』(工藤美代子、晶文社、1985.2.22) 三村明 |
23 | 2008 | 平田嘉三 | ひらた・かぞう | 83 | 文部省初等中等教育局教科書調査官。広島大学教育学部教授。1980年12月15日、家永教科書裁判第一次訴訟第二審で国側証人として出廷(東京高裁)。「洗礼という言葉には、人を祝福するニュアンスがあり、原爆という悲惨な事実を示すにはなじまない。教科書では主観的・比喩的表現は避けた方がいい」。(浪本勝年「第1次教科書訴訟控訴審の審理過程」)。 平田嘉三 |
23 | 2018 | 大田堯 | おおた・たかい | 100 | 元日本教育学会会長。「平和・軍縮教育-3つの視点- 大田堯 121」(『世界の平和・軍縮教育 1982年国際シンポジウム報告書』WCOTP、日教組報告書編集委員会編、勁草書房)大田堯 |
24 | 1951 | 木原一郎 | きはら・いちろう | 67 | 戦後初の広島市長。 木原一郎 |
24 | 1986 | 松下正寿 | まつした・まさとし | 85 | 元立教大学総長、元参議院議員。核禁会議議長。1957年に特使として渡英、英に核実験中止を訴え。 松下正寿 |
25 | 2007 | 井内慶次郎 | いない・けいじろう | 83 | 旧制広島高、東京大法学部を卒業。1947年に文部省(現文部科学省)に入り、大学局長などを経て、78年から80年まで事務次官。藤居平一追悼集に寄稿。 |
26 | 1925 | レツル、ヤン | れつる | 45
|
産業奨励館(原爆ドーム)を設計したチェコ人建築家。「ヤン・レツルの年表」pp.218-220(『レツルの黙示録』オルガ・ストルスコバ、佐々木昭一郎監訳、NHK出版、1995.7.20) レツルの黙示録 |
26 | 1972 | トルーマン、ハリー・S・ | とるーまんHarry S.Truman | 88 | アメリカ合衆国第33代大統領(1945~1953)。民主党出身。原爆投下を指令。 トルーマン |
26 | 1978 | 畠中敬恵 | はたなかよしえ | 58 | きのこ会会長。山代巴の紹介で面会。 |
28 | 1957 | 浦廉一 | うら・れんいち | 62 | 『浦廉一博士を偲びて―その小伝』(故浦廉一先生追悼事業会、1958.12.28)。広島高等師範学校教授(東洋史)の時被爆。 |
28 | 2013 | 吉川生美 | きっかわいきみ | 92 | 三次市出身。爆心地から約1・6キロの現広島市中区西白島町で被爆。夫は、「原爆1号」と呼ばれた吉川清。資料年表:吉川生美 |
29 | 1968 | 久富達夫 | ひさとみ・たつお | 情報局次長(1945.4~8.22)。<松前重義「終戦に導いた原爆の報告」(『久富達夫』(久富達夫追想録編集委員会<出版共同社内>、同刊行会、1969.12.15、pp.288-290>) | |
30 | 1975 | 稲富 栄次郎 | いなとみ・えいじろう | 78 | 広島文理科大学助教授の時被爆。教育哲学会会長。『世紀の閃光』(稲富 栄次郎著、銀のの鈴広島図書発行、19491220)。『広島原爆記 未来への遺書』(稲富 栄次郎著、講談社、19730801)。稲富栄次郎 |
30 | 1983 | 矢吹憲道 | やぶき・ | 80 | |
30 | 1988 | ノグチ・イサム | のぐち | 84 | 日系米国人の彫刻家。広島市の平和大橋などを設計。イサム・ノグチ |
30 | 2014 | ドレイゴ、カレリア | どれいごかれりあ | 93 | 白系ロシア人。父が広島女学院の音楽教師。牛田の自宅で被爆。 |
31 | 2022 | 郭貴勲 | くぁく・くぃふん | 98 | 韓国原爆被害者協会名誉会長。 |
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