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資料年表:谷本清

資料年表:谷本清<作業中

年月日 事項 備考
1909
**** 香川県 坂出市 で誕生。
1949
0425 『ヒロシマ』(ジョン・ハーシー著、石川欣一・谷本清訳、法政大学出版局)
1950
0401 『文芸春秋 第28巻第4号』(文芸春秋新社)
ハーシイ氏訪問記…谷本清 13
0725 『ヒロシマの十字架を抱いて』(谷本清、大日本雄弁会講談社)
1952
1001 『日本印象記-ヒロシマの家』(フロイド・シュモー著、大原三八雄訳、広島ピース・センター刊)
跋 谷本清 75
1960
0925 『ふるさとを訪ねて 少年少女文学風土記 9 広島』(井伏鱒二編、泰光堂)
谷本清「原爆と広島」  94
1969
04 『ひろしまの観光 35号』(広島市観光協会)
谷本清「ヒロシマ-その平和への姿」
0806 『濱井信三追想録』(浜井信三追想録編集委員会)
谷本清「原爆禁止10万人署名」 473
1976
0720 『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚』(谷本清著、日本放送出版協会)
 1201  『広島通信 No.54』(「広島通信」の会)
谷本清「原爆体験は風化するか」
1982
0501 『平和文化 第35号』(広島平和文化センター)
ヒロシマの原点に帰ろう
ヒロシマ・ピース・センター理事長 谷本清
1983
0730 『破壊の日-外人神父たちの被爆体験』(カトリック正義と平和広島協議会)
『破壊の日』発刊に寄せて ヒロシマ・ビース・センター理事長 谷本清
1986
0928 死亡。享年77歳
1997
0201 『原爆被爆者対策史の基礎的研究 原爆被爆者対策前史 1945年(昭和20)~1953年(昭和28) 資料集』(宇吹暁)
IV.占領期の原爆問題
2.平和祭・文化祭
3.被爆者援護の構想
【資料13】谷本清のヒロシマ・ピース・センター構想
2011
1206 『被団協  第395号』
第23回谷本清平和賞 坪井代表委員が受賞
2005
0624 『ヒロシマ、60年の記憶』(近藤紘子著、リヨン社)
2015
0601 『広島市公文書館紀要 第28号』(広島市公文書館)
光平有希「広島流川協会における復興と音楽の歩み、及びその原点 谷本清・太田司朗を中心として」 14
2018
 0110  『原爆の図 丸木美術館ニュース 第132号』(原爆の図丸木美術館)
丸木美術館が谷本清平和賞受賞 谷本清平和賞受賞を祝って(井野口慧子)……p2
谷本清平和賞受賞スピーチ抄録(岡村幸宣)……p3
2019
1201 『憎しみを乗り越えて ヒロシマを語り継ぐ近藤紘子』(佐藤真澄著、汐文社)
2021
1130 『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社)

広島原爆とアメリカ人(谷本清著)

『広島原爆とアメリカ人 ある牧師の平和行脚 』(谷本清著、日本放送出版協会 、19760720)

内容

章節 タイトル 備考
序にかえて
1 原爆に生き残って
1-1 運命の八月六日
1-2 廃墟の中で
1-3 一牧師のビジョン
2 和解の旅
1948年9月~1950年1月(15ケ月間)、31州、256都市、472の教会その他の団体で講演582、聴衆約160000名、旅行距離約65800マイル
2-1 ピース・センターの構想
2-2 第一印象
2-3 メンジスト教会ミッション・ボードと私
2-4 本格的巡回始る
2-5 ピース・センター独自の途を歩む
2-6 被爆地ヒロシマをどうするか
2-7 平和請願運動
2-8 平和請願運動潰される
2-9 真珠湾記念日とヒロシマ・デー
2-10 東京裁判と死刑執行への反応
3 嵐の中の平和行脚
1950年9月~1951年7月(8ケ月間)、24州、201都市、242団体 講演295、聴衆約5600名、旅行距離約34500マイル
3-1 朝鮮戦争下のアメリカへ
3-2 講演の新内容を求めて
3-3 ニューヨーク入り
3-4 カズン氏は極めて多忙である
3-5 ヒロシマ・ピース・センター理事会
3-6 今回の巡回旅行の特色
3-7  嵐の中の平和運動
4 原爆乙女アメリカに往く
1955年5月5日~同年12月20日(7ケ月間)、26州、195都市、212団体 講演245、聴衆約47500名、テレビ・ラジオ・新聞64、行程約38100マイル
4-1 日本における原爆乙女治療始る
4-2 米国での治療運動始る
4-3 資金はどのようにして集められたか
4-4 ニューヨークの受容態勢
4-5 ホスト・ファミリー訪問とカウンセリング
4-6 原爆乙女の渡米はアメリカに何をもたらしたか
〇ヒューストン市の1週間
〇原爆悲劇に対する読みが深くなった
〇国際時局に対する読みも深くなった
〇募金活動の実情
〇協力を申し出る4つの病院
〇一日本人医師の批判とその影響
4-7 ピース・センターはどこへ行く
4-8  平和の営み
5 「傷痕」の伴をして
1975年9月25日~同年12月15日(80日間)、19州、89都市、105協会その他団体 講演148、聴衆約28800名、旅行約38400マイル
5-1 「傷痕」ダイジェスト
5-2 講演後の質問応答
5-3 核兵器使用に際して新しい倫理の確立が要請されている
5-4 「傷痕」のどこに感動したか
5-5 被爆者治療問題の隘路
5-6 被爆者の悩みは被爆者以外には判ってもらえない
5-7 アメリカ講演旅行の総括

 

 

原爆乙女の会

原爆乙女の会

代表者
谷本清
設立年月日
1950年3月
目的及び事業
当初、原爆障害者が聖書を研究することにより、精神的に立ち上がることを目的として、「原爆障害者更生会」として発足した。会員は原爆乙女の外、男子障害者や高年齢の女子障害者も加わっていた。
 <中略>
組織内容
会員数約80名
その他の参考事項
この会は、上記のような経過から、現在では男子会員及び女子高齢者会員は徐々に少数となり、現在の原爆乙女の会となった。
『原水爆関係団体名簿』(広島市衛生局原爆被害対策課、19670201)

 

 

 

 

 

原爆傷害者更生会 設立:1951年8月27日

書名コード 書名 編著者 発行所
49081501 平和のともしび-原爆第一號患者の手記 吉川清・富田勝己(補註) 京都印書館
50072501 ヒロシマの十字架を抱いて 谷本清 大日本雄弁会講談社
76072002 広島原爆とアメリカ人-ある牧師の平和行脚 谷本清 日本放送出版協会
81072401 「原爆一号」といわれて 吉川清 筑摩書房

谷本清

谷本清

たにもと・きよし 19090627生 19860928没 享年77
日本基督教団広島流川教会牧師。[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。原爆乙女の米での手術実現などに尽力。86アキバ・プロジェクト」で来日した米記者、被爆牧師死去の記事(60行余)を掲載。AP通信を通じて米の各メディアに配信。[69原爆被災資料広島研究会]。『広島県現代文学事典』。教会で面談

資料

 谷本清賞
原爆手記追加
 谷本清「原爆とヒロシマ」(『住みよいまちを!通信』、発行:住みよいまちをめざす会(広島大学理学部付)、連絡先:広島大学工学部建築学科都市計画研究室
その1=通信第15号(1975.7.15)~その6=通信第32号(1979.3.15)完

原爆手記追加