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反核運動1998

反核運動1998


5月11日、インドが1974年5月以来24年ぶりに地下核実験を実施、さらに、同月28日にはパキスタンがこれに対抗し初の地下核実験を行った。また、アメリカが、前年に続き第3・4回目の臨界前核実験を3月25日と9月28日に実施し、核開発の意志を放棄していないことを示した。印パ両国は、1996年9月の国連総会において採択された包括的核実験禁止条約(CTBT)に加盟しておらず、また、臨界前核実験は同条約で禁止されていないものであった。そのため、これら一連の実験は、同条約に基づき核軍縮をめざそうとする国際社会に大きな衝撃を与えた。

**国内の動き**

この1年、日本の反核運動は、印パ両国の核実験問題を中心に展開された観があった。直後から国内のさまざまな団体が、抗議行動を繰り広げた。これを受け、衆参両院が両国の実験にたいする抗議の決議(参議院:5月13日、29日、衆議院:5月14日、6月4日)を採択した。今年初めから原爆展が印・パ両国内でつぎつぎに開催されるが、これらの多くは、広島・長崎両市や日本の反核団体などが現地の平和団体に働きかけて実現したものであった。実験前の1月と4月、インドのムンバイおよびニューデリーで広島・長崎両市の協力により原爆展「ヒロシマ・ナガサキ・ネバーアゲイン」が開催された。両国の核実験実施後には、ピース・ボート、原水爆禁止広島県協議会(広島県原水禁)、連合などの協力による原爆展も開催された。また、政府も原爆展に関心を示し、12月に、パキスタン日本文化協会主催(在パキスタン日本大使館後援)の原爆展が首都イスラマバードで開催された。

原爆記念日前後に広島・長崎両市を中心に開催された諸行事においても印パ両国の関係者への働きかけが行われた。その結果、広島・長崎両市の平和記念式典に両国の駐日大使の参列が実現したが、外国大使の式典への参加は初めてのことであった。また、原水爆禁止日本協議会(広島・長崎それぞれ7300人、3300人規模)および原水爆禁止国民会議(4500人、3000人規模)を中心に開催された二つの原水爆禁止世界大会に、印パ両国から代表が参加し、それぞれ、国内での反核運動の困難な実情を伝えるとともに、国際的な支援を訴え、注目を集めた。

8月30-31日に米ロなど核保有5か国と印パ両国を含む18か国の軍備管理・軍縮専門家らによる東京フォーラム「核軍縮・不拡散に関する緊急行動会議」の初会合が東京で開催された。印パの核実験直後、日本政府が核軍縮に関する国際フォーラムの開催を提唱していたが、これが具体化したものであった。12月18-19日、広島で2回目の会合が開催され、来年には、核軍縮に向けた具体的提案がまとめられる予定である。

このほか、11月24-25日、国連軍縮長崎会議(日本での開催は10回目、長崎では2回目)が、「核兵器のない世界に向けて」を基調テーマとして開催された。印パ両国を含む24カ国の政府の軍縮担当者・研究者・非政府組織(NGO)代表など71人が参加したこの会議では、宣言やアピールの採択はしないとのこれまでの慣例を破って初めて「長崎を最後の被爆地に」との決議が採択された。

**海外の動き**

6月6日、国連安全保障理事会が印・パ両国の核実験を非難し、核不拡散体制の堅持を求める決議を採択。また、同月9日には、スウェーデン・アイルランド・南アフリカ・ブラジル・メキシコ・エジプト・ニュージーランド・スロベニアの非核保有8か国(新アジェンダ連合)が、米ロなど核保有5大国と印パ両国およびイスラエルにたいし、核兵器と核製造能力を廃絶し放棄する意志表明を即刻行うよう求める共同声明を発表した。この声明の趣旨は、その後、8か国を中心に「核兵器のない世界に向けて-新しい課題(アジェンダ)の必要性」という決議案にまとめられ第53回国連総会に提案、11月4日に採択された。このほか、ジュネーブ軍縮会議(CD)の兵器用核分裂性物質の生産禁止(カットオフ)条約を交渉するための特別委員会設置の決定や、ドイツの新政権によるNATOでの核先制不使用を求める動きなど、核軍縮をめぐる新たな動きが見られた。

印パ両国の核実験を契機とする国内外での反核運動の盛り上がりにもかかわらず「核兵器のない21世紀」を迎える展望は未だ見えていない。国内では、広島・長崎への修学旅行の減少や平和教育の衰退などが懸念されている。原爆展の海外での継続的な開催とともに、国内での「被爆体験継承」の積極的な取り組みが期待される。

平和記念式典後の総理記者会見19980806

小渕内閣総理大臣記者会見録
広島市
平成10年8月6日(木)
【司会】 それでは、ただいまから小渕内閣総理大臣の記者会見を始めさせていただきます。

【質問】 早速ですけれども、国が広島市に計画している原爆死没者追悼平和祈念館建設についてお伺いしたいと思います。今年3月に衆議院の厚生委員会で小泉前厚生大臣が建設計画の見直しともとれる発言をなさいました。総理の方針を確認させていただきたいと思います。併わせて、予定どおりもし建設推進ならば今後の建設スケジュールと建設理念もお聞かせください。お願いいたします。

【小渕総理大臣】 まず、皆さん御苦労様でございます。若干、遅参をいたしましてお許しいただきたいと思います。

まず、ただいまのお尋ねでございますが、原爆死没者追悼平和祈念館につきましては被爆者援護法や同法制時の衆議院厚生委員会の附帯決議におきまして早期に設置を図るべきものとされておりまして、これを受けまして検討会を設けておりまして、開設準備のための検討を鋭意進めていると聞いております。この祈念館につきましては、国が原爆死没者の犠牲を明記し、かつ恒久の平和を祈念するための施設を設置することに意義があると考えております。

また、検討会におきましてはこの既存の施設と重複しない形での整理も可能との検討が進められておりまして、9月にも報告をまとめられるものと聞いております。その報告を受けまして、建設に向けて具体的な作業に入ってまいりたいと考えておりますが、私といたしましてもせっかく今、申し上げましたように国会の決議にも委員会の決議にもございますので、既存のこの施設との関係も十分検討していただきまして、ともにこの死没者のための慰霊も含めまして意義あるものが建設されることになれば望ましいと思っておりますが、いずれにしても検討会で進めておることでございますので、これ以上申し上げることは差し控えさせていただきたいと思いますが、気持ちとしてはそこにあると御理解いただきたいと思います。

【質問】 分かりました。続いて、臨界前核実験について広島では以前からCTBTの精神に反すると明確に抗議しています。それで今後なんですが、アメリカを始め核保有国各国の核軍縮と、このほど核実験を強行したインド、パキスタン、両国間の関係改善について総理はどうイニシアチブをとるおつもりなのか、お聞かせください。

【小渕総理大臣】 我が国は従来より核保有国に対し一層の核軍縮を推進することを求めてきておるところでございまして、今後とも米露両国に対して第二次戦略兵器削減条約、いわゆるSTARTⅡが今ロシアにおきまして、国会で批准が非常に停滞しておるということでございますので、私もプリマコフ外務大臣と会う度にこのことを申し上げてきておりますが、Ⅱが終わったらⅢの問題もあるわけですから、早期にこれが交渉開始を粘り強く米露、すなわち5大国において最も核保有国、この2つの国が徹底的に核を削減しなければ究極の核はなくなるという方向にならないわけですから、それを現実の問題としては是非両国に強く求めていきたいというふうに思っております。米露以外の核兵器保有国に対しましても、現在の核軍縮努力を一層強化していくように求めていくところでございます。

なお、未臨界高性能爆薬実験、包括的核実験禁止条約、CTBTにおきまして禁止されていないというのが国際的な認識であると考えておりまして、現時点では有効な検証手段が存在しない等の事情もあり、将来の課題として検討されるべきものと考えております。

いずれにいたしましても外務大臣時代、いわゆる印パの核実験に対して、日本政府は唯一の被爆国としての立場から両国に強くその中止を求めてきたところでありますが、残念ながらこれを強行してしまったということでありまして、その後ジュネーブの軍縮会議でもありましたし、G5での会合もありました。その後G8、ロンドンでの会議に私自身も出席をしまして強く求めましたが、私としてはいわゆるG8の中には核保有国があるわけでありまして、それと同時に核を保有をすればできたと思われる国、あるいはその開発を途中で中止した国について、その連携をできる限りとりたいと私が念願をしまして、G8につきましてもそうした国々の御参加を実は求めて会議が開かれたわけでございます。

その後、私もその国の一か国と思われるブラジルにこの間、日本の移民90周年に行った折にカルドール大統領に強くこのことを申し上げまして、できればアルゼンチン、それから今、言ったブラジル、南ア等々の国と連携を密にしていきたいというふうに考えておりますが、今日の新聞によればでございますけれども、あの永世中立国たるスイスにおきましても、核保有のための検討がなされておったやに聞いておりますが、これはもう中止されたと、正確な報道でないから私も承知しませんが、こういう国々と連携をとりながら現実に保有する5か国プラス2か国に対して、きちんとこれから核保有について人類のために少なくしていく努力を、確実になるように、日本の立場をより主張していきたいというふうに考えております。

【質問】 分かりました。続きまして、今日の式典のあいさつでも少し触れられたかと思うんですが、国際フォーラムの時期と内容、あとは出席候補者について構想を伺わせていただきたいと思います。 合わせて、2000年に日本で予定されておりますサミットの誘致について、広島も立候補しておるんですが、各地で地元を挙げた運動が始まっております。開催地選考についてのお考えを伺わせてください。

【小渕総理大臣】 インド、パキスタンの核実験を受けまして不拡散体制を堅持強化し、世界的な核軍縮を一層促進することについて検討を行うために日本国際問題研究所及び広島平和研究所の共催によりまして核不拡散、核軍縮に関する緊急行動会議を開催することとし、現在8月30日、31日に第1回の会合を東京で行うべく準備中でございます。内外の著名な有識者20名程度の参加を得て、この1年間に4回程度の会合を行いまして、国際社会の提言をまとめることを目的といたしておりますが、こうした類似ではありませんがいろいろな目的を持っての会合は豪州等で開かれた経緯もあります。

それで、このフォーラムにつきましては私がG8のときに我が国の主張ということで、こうした行動会議を開きたいという提案をいたしましたところ、参加国がこぞって賛同の意を表したわけでございます。そういった意味では、日本のイニチアチブの一つだというふうに私は認識をしておりますし、こうした地道ではありますけれども行動会議を通じて世界の有識者の皆さんに核廃絶、核軍縮に向けて、こうした努力の積み上げということは非常に地味でありますが効果を発揮するものだというふうに考えておりますし、今、申し上げましたように広島に平和研究所が設立をされました。長い間、私も国連と日本政府という立場でありますけれども、同一の考えを持ちまして行動してきた明石さんが所長に就任をされたということを大変心強く実は思っておるわけでございまして、是非この行動会議が意義ある会議として今後継続をしていっていただきたいと思っております。

時期によりましては、また当広島においての開催等も念頭に置いてしかるべきではないかと私自身は考えております。

それから、第2点の2000年のサミット、これにつきましては一時ロシアがこの年にサミットを開催したいという希望が申し述べられておりまして、実は今年のサミットにおきましてロシア側からそういう御希望が我が国にも伝えられておるところでございますが、いずれにしてもこれは開催国のイギリスがお預かりしておりまして、現時点においては恐らくこのサミットの開催地の変更ということはあり得ないのではないか。日本側としては、もしその他のサミット国が御賛成されれば、日本としては新しく加盟したロシアのお立場というものも決してないがしろにするつもりはないと思っておりましたが、ほかの国々も順序を変えることは望ましくないのではないかという考え方に傾いておるということでございますので、最終的にはイギリスのクック外相にお話申し上げておりますが、対応としてはそういう形であれば2000年には我が国ということになると思います。

そこで、その開催地につきましてですが、私は国会でも申し上げているように、過去3回実は東京で開いております。それで、それぞれのサミット国も実は3回同一でやったところはありますけれども、4回目からはその他の地区に移っているんです。それで、日本はもちろん首都東京が最も便利と言えば便利なのかもしれませんが、この機会に日本全国各地区で御希望があり、また国民の皆さんもそうした形を望まれると言うのであれば、いわゆる地方で開催することも望ましいと私は国会でも答弁しております。

でありますが、しからばいかなる地域かということでございますが、広島も希望されておると聞いておりますが、ほかの地区も熱心に熱心に希望しておりますので、今の段階ではいずれとも判断しておりませんが、あらゆる条件ができる限り整っておる地域に最終的には決定をしていくと思っておりますが、これまた御案内かと思いますけれども、従来のサミット、首脳会談と、その前に開かれる外相、大蔵大臣の会合がロンドンから実は2段構えになっております。したがって、2000年の東京におきましてはどのような方式になるか、これも一つの大きなポイントだろうと思っております。99年のドイツにおきまして、従来のような形で同一の地域において2つの会合が行われるか、今年開かれたようにロンドンで外相、蔵相会議をして、その後、首脳会談は静かなるバーミンガムで開くという初めてのケースもございますので、そうしたことを勘案いたしまして、我が国におきましても1か所で行い得るのか、あるいはそうした時間差を置いての会合になるか。これまたこれからの判断があるかと思いますが、現時点におきましてはいずれとも決定をしておらないということでございます。

【質問】 まず最初の質問です。不良債権処理の関連法案をめぐってですが、野党側には政府自民党は経営者の責任などが不明確だとして修正を求める動きがあります。総理は政策ごとの野党との連携にこれまで積極的なお考えを示してきたんですが、これらの法案の扱いについてどのような態度で臨むのか、よろしくお願いします。

【小渕総理大臣】

【質問】 続いてですが、政府自民党は所得課税の最高税率の引下げと、ほかの所得階層で税額を一定の割合で減らす定率方式との組み会わせで7兆円規模の減税を行う方向で調整中ですが、具体的な減税の方式や規模について総理としてお考えをお聞きしたいと思います。

【小渕総理大臣】

【質問】 最後の質問ですが、減税などの財源の確保のために総理は財政構造改革法の凍結を主張してきましたが、凍結の期間はどの期間が適当か。あるいはまた、凍結のための法案は通常国会での提出を考えているのか、それとも今の臨時国会か。併せてお伺いしたいと思います。

【小渕総理大臣】

ふるさと似島(平和学習参考資料)

ふるさと似島(平和学習参考資料)<再編集版>(ふるさと似島編集委員会、19980701 )

章節 見出し 備考
くすの木じいさんの話…表紙裏面
はじめに
似島町全図
1 似島町の概要
(一)似島と広島市街地
(二)似島の地勢
(三)集落と交通機関
(四)人口と生業
2 「生業の推移と伝統文化の基盤
(一)船乗りの伝統…6
(二)砂利運搬…6
(三)船の変遷…6
(四)砂利運搬船の就業先…7
(五)船長と乗組員…7
(六)砂利運搬船の経営…8
(七)農業の盛衰…9
(八)漁業の盛衰…10
(九)カキ養殖…11
(十)伝統文化の基盤…12
(十一)市街地とのつながり「緊急避難港」…12
(十二)将来への展望
3 神社と説教場
(一)竃神社(かまどじんじゃ)…13
(二)胡子神社(通称浜の宮)…13
(三)似島説教場…14
(四)説教場前の石碑
4 年中行事
(一)初詣と正月三が日…15
(二)「とんど」と「おたんや」…15
(三)春の行事…15
(四)盆の行事と盆踊り…16
(五)秋の行事…16
(六)報恩講…16
(七)日曜学校…17
(八)餅まき…17
(九)似島の春…17
・似島で生まれた洋画家
5 教育・福祉施設
(一)似島保育園…19
(二)似島小学校…19
(三)似島中学校…20~22
(四)社会福祉法人「似島学園」…23
(五)広島市似島臨海少年自然の家…24
(六)社会福祉法人「広島平和養老館」
6 合同庁舎とその他の施設
(一)似島合同庁舎…25
(二)似島診療所…25
(三)広島市水上消防署似島出張所/救助艇…26
(四)広島市南区役所似島出張所…27
(五)広島似島郵便局…27
(六)広島南警察署似島警察官駐在所…27
(七)広島市農業協同組合…28
(八)似島地区海運組合…28
(九)広島市漁業協同組合似島地区
7 宿泊施設
(一)瀬戸内「高見亭」…29
(二)マリンペンション「にのしま」…29
(三)貸荘「山田荘」…29
(四)貸荘「大下荘」…29
・ガイドマップ
8 連絡船の変遷
(一)第十五小富士丸…31
(二)こふじ…32
(三)第二こふじ…32
(四)第三こふじ…32
(五)第五こふじ…33
(六)第八こふじ…33
(七)第十こふじ
9 似島と平和教育
9-1 (1)戦争と広島…34
(2)戦争と似島…34~35
(3)原爆戦炎と似島…35
イ、炸裂の時…35
ロ、救護活動…35
ハ、火葬と埋葬…35~36
ニ、収容者数と来訪者…36
ホ、原爆孤児…36
・軍都広島と似島の略年表…36
・似島が「最期の地」となった李(ウ)公殿下…38
・原爆による似島の被害と被害者/被爆直後の絵図…39
・平和学習『似島』フィールドワーク…40
・第二検疫所の略図
9-2 戦争と伝染病
(1)戦後防疫の建議…42
(2)検疫部の官制…42-43
(3)検疫所の建設…43
(4)蒸気消毒缶の成功…43~44
(5)検疫兵の訓練と凱旋兵の教育…44-45
(6)検疫の作業順序…45
(7)白山丸のコレラ…46
(8)大暴風雨到来…46
(9)世界最初のコレラ血清療法創始…46~47
(10)検疫所の成果/後藤新平伯
9-3 似島検疫所と原爆と
9-4 写真で見る当時の検疫所
・似島のドイツ軍捕虜とサッカー…57
・掃海艇「にのしま
9-5 写真で見る似島の遺跡
10 似島を探る
(一)日本列島の誕生と陸地であった瀬戸内海…63
(二)似島の生活のはじまり…64~65
(三)似島の由来…65
(四)「仁保村志」より似島を探る…66~67
(五)似島の古い地名とそのいわれ…68~69
(六)似島全戸の分布状況…70~71
(七)聞き取りにより似島を探る…72~74
(八)似島の方言(似島弁)…74
(九)「沿岸部の音頭」より似島の音頭を探る…75
(十)「沿岸部の秋祭り」より似島の秋祭りを探る
11 似島のあゆみ(年表)
似島の各推移状況
編集に際し、参考・参照・引用した文献
おわりに

 

 

年表:原爆展(1998年)

年表:原爆展(1998年)

記事
01 13? 生協ひろしま、日本被団協が作成した写真パネル「原爆と人間展」をイタリアのボローニャ市のアドリアティカ生協に寄贈。
01 22 「つたえようヒロシマ・ナガサキ」事務局、「原爆と人間展推進ニュース」第1号を発行。
01 24? スイス・ジュネーブの国際赤十字赤新月博物館で、地元の写真家が広島・長崎の被爆者などを撮影した写真展「レ・ヒバクシャ」を開催。-4月20日。
01 29 広島・長崎両市がインド・ムンバイ(旧ボンベイ)のネールセンターで開催する原爆展のオープニング・セレモニー。州知事など300人が出席。英BBCなど28社が取材。
01 30 広島・長崎両市、原爆展「ヒロシマ・ナガサキ・ネバーアゲイン」をインド・ムンバイ(旧ボンベイ)のネールセンターで開催。-2月19日。(「平和文化」no.128)
02 03 畑口広島原爆資料館館長、インドでの原爆展について帰国報告。
02 04 生協ひろしま、日本被団協が作製した写真パネル「原爆と人間展」をイタリア・フィレンツェの生協に贈る。パネル寄贈は今回で4カ所目。
02 07? 広島女学院大学4年生・蘭(あららぎ)ゆかり、マレーシアで開催された「戦争の恐怖展」会場で中国系住民を中心に実施したアンケート調査の結果を卒論にまとめる。
02 12 ボルトガル・リスボンで開催される国際博覧会(万博)のプレイベント「今世紀の奇跡展」に、広島原爆資料館所蔵の被爆服が展示される。-5月21日。(「平和文化」no.130)
02 14 シンポジウム「平和憲法に生命を与える」、広島市・カトリック会館で開催。約130人が参加。故森滝市郎の2女春子が昨年11月にインドで反核を訴えた体験を報告。
02 17 スペイン・バレンシア美術館で「ヒロシマ展」の開会式。広島市の呼びかけで欧州を巡回する計画であったが、昨年5月のスペイン・バルセロナでの開催以降、次期開催地で決まらないでいたもの。
02 17 生協ひろしま、「平和博物館」の開設準備をしているイギリス・ブラッドフォード市の市民団体「平和にチャンスをトラスト」に被爆パネルを寄贈。
02 21 米国カリフォルニア州サンタバーバラ市の反核団体「核時代平和財団」のクリーガー所長、広島市を訪れ、原爆展の招請を平岡市長に申し入れ。
02 27 村井志摩子、自作のヒロシマ劇の公演と原爆被害のパネル展をチェコの地方都市リトミネジンツェの劇場で実施。
03 06 ポーランドで原爆展始まる。広島の平和団体「ワールドフレンドシップセンター」などが資料提供。
03 25 広島・長崎両市、原爆展をインドの首都ニューデリーで開催。-4月13日。(4月半ばに延期となる)
04 07 新潟県原爆被害者の会など、チェルノブイリ原発事故被災者への医療救援を訴える公演に合わせ、「原爆と人間展」を長岡市で開催。-8日。
04 09 広島・長崎両市がインド・ニューデリーで開催予定の原爆展の展示パネルのうち、インドのCTBTなど核政策に関連する3枚が、インド政府当局の命令で撤去させられていたことが判明。
04 10 インド・ニューデリーで「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」の開会式。平岡広島市長・小泉勝長崎原爆資料館長が出席。(「平和文化」no.129)
04 11 平岡広島市長、インドの国防大臣や前首相らと会見。国防省、日本も核保有国に圧力をかけるよう強調。
04 11 平岡広島市長、インド・ニューデリーのインド国際センターで、「希望のヒロシマ」と題して講演。約100人が参加。
04 12 インドの主要紙インディアン・エクスプレス紙、ニューデリーで始まった原爆展について、「広島市長に苦い思いをさせた」と報道。
04 14 平岡広島市長、インドで開催中の「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」から帰国、報告会見を広島国際会議場で開催。「核武装を考え直すきっかけを与えた」などと語る。
04 15 読売新聞[広島欄]「ヒロシマの願い実現へ継続を」(広島総局・福島勝彦)
04 15 「ひろしま・カンボジア市民交流会」、プノンペンに「ひろしまハウス」を建設するための募金集めのため、「ひろしまハウスin広島」展を広島市内で開催。-5月5日。広島アジア大会でカンボジア選手団を支援した市民運動から生まれた企画。
04 18 広島市の呼びかけで欧州を巡回する「ヒロシマ展」、イタリア・アオスタ市で開幕。スペインの2市に続く3回目の巡回展。-6月30日。(「平和文化」no.130)
04 18 朝日新聞「時時刻刻:広島・ナガサキ両市がインドで原爆展、政府も市民も揺さぶった」(広島支局・斎賀孝治)
04 22 米ワシントン大学の学生サークル「ヒロシマ・ナガサキ平和協会」、学内でパネル展示「核兵器と人間性」を開催。-23日。
04 24 読売新聞[広島版]「視点・直言:原爆展のパネル”撤去”、非核へ市民レベル連帯を」
05 02 宮城県原爆被害者の会、「原爆と人間展」を仙台市で開催。-4日。
05 02 広島・長崎両市企画の原爆展「ヒロシマ・ナガサキ・ネバーアゲーン」(コモ市・市文化協会主催)、イタリア北部のコモ市で開催。-29日。両市による海外での原爆展はこれが7回目。畑口広島原爆資料館長らが出席。
05 07 朝日新聞(広島版)連載「インドの論理-原爆展の周辺から」(-12日。5回)
05 18 米・スミソニアン航空宇宙博物館のエノラ・ゲイ機の特別展示、閉幕。2001年末、ダレス国際空港に完全修復した形で永久保存される予定。
05 20 東友会(東京都原爆被害者団体協議会)など、「つたえようヒロシマ・ナガサキ東京原爆展」を成功させるつどいを都内で開催。(「東友」)
06 02 神奈川県原爆被災者の会、「原爆と人間展」を横浜市で開催。-9日。
06 04 神奈川県原爆被災者の会・県生協連など、「原爆と人間展」を横浜市内で開催。-8日。期間中3万人が来場。
06 09 平岡広島市長、今秋米ボストンで「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開催予定があること、スイス・ジュネーブから同展開催の希望が寄せられていることを、市議会で明らかにする。
06 11 「ピース・ボート」、6月下旬にインド・パキスタンでの「ノーモア・ヒバクシャ」写真展開催に先立ち、広島市内で街頭展を開催。-12日。
06 12 「ピースボート」のメンバー、インドとパキスタンで開催する「ノーモア・ヒバクシャ」写真展の会場で上映するため、平岡広島市長のメッセージをビデオ収録。
06 15 広島県原水禁の「インド・パキスタン緊急派遣団」、成田を出発。インド・パキスタン両国内7カ所で原爆展や平和集会に参加。-27日。
06 16 広島県原水禁の「インド・パキスタン緊急派遣団」、インド・ニューデリー市の国立デリー大学(約50人が参加)と市内の繁華街で反核を訴える市民集会を開催。
06 20 日本のNGO「ピースボート」、パキスタンのラホール市で「ノーモア・ヒバクシャ」写真展を開催。-24日。
06 20 東友会(東京都原爆被害者団体協議会)など、「つたえようヒロシマ・ナガサキ東京原爆展」を大崎O美術館で開催。-30日。期間中2940人が参観(「東友」)。3000人が参観。
06 21 日本民主青年同盟と新日本スポーツ連盟、「原爆と人間展」をフランス・マルセイユで開催。
06 21 パキスタン第二の都市ラホールで、日本の「ピースボート」主催の反核写真展。-24日。
06 26 日本のNGO「ピースボート」、インドのニューデリー市で「ノーモア・ヒバクシャ」写真展を開催。-7月1日。
07 01 広島修道大学の学生、学内で原爆写真展を開催。-15日。会場でのアンケートに93人が回答。1割が「原爆投下に賛成」。(22日のまとめ)
07 01 専門職に従事する女性達でつくる国際組織「BPW」の大阪クラブ、被爆者が自らの体験を描いた絵を23の言語で紹介したインターネット用ホームページを広島市に寄贈。
07 02 広島県原水禁、インド南部・マドライ市の平和団体から原爆展開催への協力要請を受ける。
07 03 広島県原水禁、インド南部のマドライ市の平和団体に原爆写真パネルや資料の一部を発送。
07 04 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を仙台市戦災復興記念館で開催。-12日。(「平和文化」no.130)
07 15 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を盛岡市民文化ホールで開催。-19日。(「平和文化」no.130)
07 15 東京都三鷹市、「原爆と人間展」の巡回展示を開始。-9月2日。(「東友」)
07 16 広島市安佐北区高陽地区の4公民館、平和展示企画「あのとき閃光を見た高陽の空に」を開催。-31日。
07 17 長崎県・福江市、「原爆と人間展」を福江文化会館で開催。-20日。同市の平和行政の一環。
07 17 杉本雅親長崎県被爆二世の会会長、インド・パキスタン調査団の報告会の席上、両国に原爆写真を贈ることを提案。
07 17 広島市西区鈴が峰地区の住民らでつくる「広島カザフスタン友好の会」、「ヒロ・セミプロジェクト」を発足させる。来年8月に向け、「カザフ原爆展」の開催を計画。
07 23 東京都三鷹市、巡回平和展「原爆と人間」を市コミュニティーセンターで開催。
07 23 三重県原爆被災者の会(三友会)、県内の66市町村(全体の96%)が日本被団協制作の「原爆と人間展」写真パネルを購入し、この夏原爆写真展の開催を計画していることを明らかにする。
07 24 (現地時間)国際的な教職員組織「教育インターナショナル」(EI)、総会を米国ワシントンDCで開催。日教組、被爆写真パネルを展示。-29日。
07 24 北海道被爆者協会など、「原爆と人間展」を札幌市内で開催。-27日。約1300人が参観。
07 28 広島原爆資料館、ヒロシマ原爆展を広島県・本郷町の広島空港で開催 。-8月20日。
07 30 「原爆と人間展」、秋田市内で開催。-8月2日。1100人以上が参観。
07 30 秋田県原爆被害者団体協議会・原水爆禁止秋田市協議会など、「原爆と人間」展を秋田市内で開催。-8月2日。(「原水協通信」)
08 01 インド・カルカッタの女性団体「マイトレー」、日本から贈られた原爆の資料を催しの会場に展示。
08 01 広島市原爆資料館、ヒロシマ原爆展をJR広島駅で開催。-9日。
08 01 ピースボート大阪、インド・パキスタン原爆写真展の報告会を大阪市内で開催。
08 01 広島市安佐南区・東野公民館、地域の被爆者10人の証言を基に「平和展」を開催。
08 01 原水爆禁止鳥取市協議会、「原爆と人間展」を市内で開催。-2日。1000人が観覧。
08 01 毎日新聞「ウイークエンド・リポート:印パ原爆写真展に参加して-「ピースボート」の2学生」
08 02 昨年の「マレーシア原爆展」の実行委員会のメンバー浜辺行正(長崎市在住)、今年の原爆展の打ち合わせのためマレーシアを訪問。5日、長崎市役所で帰国報告。
08 02? 三次市・平和人権センター、「被爆資料でみる原爆展」を開催。-27日。
08 03 東広島市原爆資料保存推進協議会、原爆展を市役所ロビーで開催。-10日。
08 03? 広島平和文化センター、印パ核実験後から7月末までにインドや周辺の国の市民団体からの依頼を受け、原爆写真7件を送付。
08 04 広島県、JR新宿駅南口にある広島県の東京アンテナショップ「広島ゆめてらす」で原爆写真展を開催。-10日。
08 04 「原爆と人間展」、愛媛県松山市の愛媛新聞社1階ロビーで開催。-6日。
08 05 広島市舟入原爆被害者の会、地元の住吉神社の夏祭りで、原爆写真展などを開催。
08 05 長崎県職組長崎支部など、第8回長崎県職員原爆展を県庁で開催。-7日。
08 05 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を山形市中央公民館で開催。-15日。(「平和文化」no.130)
08 06 広島県府中市教育委員会、「戦争と平和展」を府中市文化センターで開催。
08 06 広島国際青少年協会、原爆写真展を、広島市の姉妹都市ドイツ・ハノーバー市で開催。-18日。
08 07 長崎原爆資料館、「原爆被災写真展」を平和公園内で開催。-10日。
08 11 「98山口・平和のための戦争展」、山口市民会館で開催。核兵器被害などを展示。-13日。
08 11 愛媛県・大西町非核平和都市宣言推進実行委員会、平和原爆写真展を星の浦海浜公園で開催。今年で4回目。
08 12 福井市原爆被害者福友会、「原爆と人間展」を市役所1階市民ホールで開催。-19日。1800人が参観。
08 14 全国被爆二世教職員の会など、「原爆展」をマレーシアの首都クアラルンプールで開催。-16日。
08 15? 東広島市の向陽中学校と板城小学校の生徒・児童、米国・タフツ大で開催が計画されている原爆展に飾るため千羽鶴を折る。
08 18 「98平和のための広島の戦争展」、広島市の県民文化センターで開催。-21日。
08 19? 岡山県矢掛町、「平和を願う原爆資料展」を役場1階で開催。-21日。
08 20 広島国際青少年協会・中国新聞社、写真展「ひろしま今昔物語-被爆の日から今日まで」を、広島市の姉妹都市ドイツ・ハノーバー市で開催。-9月12日。
08 20 ピースボート、「ノーモア被爆者写真展」を米カリフォルニア大学バークリー校で開催。-22日。
08 21 兵庫県神戸市原爆被害者の会、「原爆と人間展」を神戸市内で開催。-25日。8000人以上が参観。
08 21 大分県被団協、「平和のための戦争展」で「原爆と人間展」パネルを展示。約500人が参観。-23日。
09 04? 日教組・広島平和教育研究所、広島・長崎の原爆被害の実態を記録した写真ポスターを世界32カ国計55の教育団体に発送。
09 16 「千羽鶴ピースプロジェクト」のメンバー、来月から米タフツ大学で開催される原爆展に展示するための千羽鶴を広島市に託す。
09 17 インドで原爆展開催を計画している平和活動家トーマス・マシュー、広島平和文化センターを訪れ、協力を依頼。
09 18 インドで原爆展開催を計画している平和活動家トーマス・マシュー、坪井直・近藤幸四郎ら原爆被爆者団体代表を訪れ懇談。。
10 07 柳井俊二外務事務次官、11月にパキスタンで原爆展を開催することを広島市で開いた被爆者との懇談会の席上で明らかにする。
10 13 カザフスタン・セミパラチンスク市長、来年8月に広島・長崎の原爆展を計画し、両市に協力を要請。
10 15 米ボストンのタフツ大学、原爆展「広島/長崎-死の灰」を開催。-1999年1月3日。開会セレモニーで大牟田広島平和文化センター理事長が挨拶。約250人が参加。
10 22 大牟田広島平和文化センター理事長、米ボストンのタフツ大学で開催された原爆展「広島/長崎-死の灰」への参加から帰国。
10 23 平和祈念事業基金・元軍人軍属短期在職者協力協会など、「平和祈念展-戦争の時代を生きる」を島原市内で開催。-28日。長崎原爆資料館や県被爆者手帳友の会が提供した原爆の絵なども展示。
10 26 広島市、「国による原爆展の開催」(初)などを盛り込んだ来年度の主要事業に関する国への要望項目をまとめる。
10 27 長崎県原水協、パネル展「原爆と人間展」を長崎市内で開催。
10 28 インドの首都ニューデリーで原爆写真展。
10 31 広島県被団協・県原水協など、「原爆と人間展」を広島市内で開催。-11月3日。
10 33 連合など主催の原爆資料展、インド・ニューデリーで開幕。12月中旬のパキスタン・カラチまで6都市8会場を巡回展示の予定。
12 03 昨年5月に開催されたスペイン・バルセロナでの原爆展の実行委員会事務局長・丸島彰、平岡市長に入場者が記帳した署名簿を寄贈。
12 09 明治大学4年生・井上誠、インド・ムンバイで原爆写真展を開催し、祖母の広島での被爆体験を話す。-16日。
12 16 パキスタン日本文化協会、原爆展をイスラマバード中心部のホテル内で開催。在パキスタン日本大使館が後援。-18日。
12 20? オーストラリア在住のイバニエス・原智子、同国で原爆展の開催を企画し、広島に滞在し資料提供を呼びかける。

 

年表:平和教育(1998年)

年表:平和教育(1998年)

事項
01 12 北海道教職員組合帯広市支部の教職員21人、長崎原爆資料館を見学。
01 15? 愛知県甚目寺町、昨年8月に長崎を訪れた同町の小中学生でつくる平和学習派遣団の報告書「ピーストラベルもくじ」を発行。
01 18 広島平和教育研究所、中学生向けの平和学習の手引き「ピースハンドブック」のバックナンバーをまとめた「平和教材第2集」を刊行。
01 20 広島県教育委員会など、原爆ドームと厳島神社の世界遺産登録1周年を記念して高校生対象の「世界遺産講座」を広島市内のエリザベト音楽大学で開催。県立広島観音高校の生徒約880人が参加。
01 26 メキシコ・グァナファト州の青年文化交流団、広島市を訪れ平和学習。
02 01? 長崎総科大学工学部管理工学科の男子学生3人、長崎平和研究所と長崎の証言の会の活動を紹介したホ-ムページを卒業研究発表会で報告。
02 07? 広島女学院大学4年生・蘭(あららぎ)ゆかり、マレーシアで開催された「戦争の恐怖展」会場で中国系住民を中心に実施したアンケート調査の結果を卒論にまとめる。
02 12 広島平和文化センター、「平和のキャンパス-日本・韓国平和交流の集い」を市国際青年会館で開催。-14日。日本青年14人、韓国人留学生8人、大邱市からの学生10人が参加。(「平和文化」no.128)
02 21 長崎市立川平小学校、学習発表会を開催。全児童、被爆柿木の二世を育てながら原爆や平和について学んだ成果を劇で披露。
02 24? 大阪市の出版社「啓林館」、高校1年用教科書に、被爆50周年に広島市で開催された「こども平和のつどい」に参加した各国の子供たちの言葉を取り上げる。
03 03 東京・正則高校2年生、「平和修学旅行」として、韓国・長崎を訪問。
03 06 東京都の私立正則高校2年生371人、韓国・長崎平和学習旅行の一環として長崎市を訪問。-9日。
03 13 広島平和教育研究所、県内小中学校の平和教育推進体勢実態調査の結果をまとめる。同種の調査は1982年5月以来15年ぶり。平和教育の年間カリキュラムを作っているのは95%。
03 13 「被爆体験証言者交流の集い」、研修会を広島原爆資料館で開催。金沢寛太郎広島市立大学教授が「平和とマスメディア」と題して講演。
03 13? 広島平和教育研究所、「原爆の子の像」のモデル佐々木禎子の生涯を描いた「ヒロシマ平和カレンダー」の英訳版を作成。
03 25 米ハワイ・真珠湾地区のパールハーバー小学校の児童14人ら、福岡県のホームステイ先の児童らとともに、広島市の平和公園を訪問。
03 25? 「被爆体験証言者交流の集い」、研修会を広島国際会議場で開催。金沢寛太郎広島市立大学教授が、「平和とマスメディア」と題して講演。約50人が参加。
03 26 高校生平和ゼミナールのメンバーら、「5大陸の子どもたちの願いを集めて、核兵器のない21世紀をめざし、世界の子ども平和像をつくろう」と広島で呼びかける。(「東友」)
03 27 神奈川県高校生平和ゼミナールの再建1周年を記念して、高校生の平和集会「『世界高校生平和宣言』をつくろう!」を三浦海岸で開催。-28日。全国11都道府県から60人が参加。(「原水協通信」5月号)
04 11 長崎平和推進協会、被爆の実相の学習と語り部の後継者育成を図る「ながさき平和講座」を長崎原爆資料館で開催。荒木正人同協会写真資料調査部長が「写真は語る原爆前後」と題して講演。約50人が参加。
04 21 京都市立修学院小学校6年生136人、広島市内にあるかつての留学生寮・興南寮跡の石碑前で「折りづる集会」を開催。花岡俊男広島ブルネイ友好協会会長から話を聞く。
05 03 「ヒロシマ高校生平和ゼミナール-春の1日平和学校」、広島市内で開催。22回目。約200人が参加。
05 17 広島県加計町・安野中学校、被爆直後の避難者と同じ道を歩く「安野中歩こう会」を開催。
05 17? 長崎市・長崎平和推進協会、沖縄県での平和学習ツアー「少年平和と友情の翼」の参加者を募集。
05 20 広島平和教育研究所などでつくる「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真を世界におくる会」、ヒロシマ・ナガサキの被爆写真パネルをインドの4つの教職員組合に贈る。
05 21 広島大学付属東雲中学校3年生85人、原爆養護ホーム神田山やすらぎ園を慰問。
05 27 伊藤長崎市長、修学旅行で来崎した岡山市立桑田中学校3年生が平和公園で開催する平和集会に出席。
05 27? 広島県加計町の安野中学校、「被爆者のたどった道を歩き追体験しよう」と実施している「歩こう会20年のあゆみ」(A5判、20ページ)を発行。
05 30 「広島高校生平和ゼミナール」のメンバー約30人、インド・パキスタンの核実験への抗議を訴える「反核手形」の寄せ書きを東京の両国大使館に発そう。
06 08 京都市立峰ケ丘中学校3年生、修学旅行で長崎市を訪れ、日赤長崎原爆病院の慰問などを実施。
06 14 広島市平和教育委員会、今年8月の平和記念式典で「平和への誓い」を担当する子供代表らによる「こどもピースサミット98」を市内で開催。
06 15 京都市立加茂川中学校3年生248人、修学旅行で長崎市平和公園を訪れ、平和セレモニーを開催。
06 16 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」を主宰した江口保(長崎の被爆者)、東京都内の病院で死亡。19日、都内で葬儀・告別式。約250人が参列。
06 19? 「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」、インド・カルカッタの女性グループが計画している核知識の教育プログラムへの協力を呼びかける。
06 20? 広島市立長束小学校4年生、学校のインターネットのホームページにインド・パキスタンの核実験に対する抗議文を掲載。
06 21 広島県立広島観音高校2年6組の生徒39人、使用済みの割り箸で原爆ドームの模型を製作し、学園祭で披露。
06 27 第26回全国平和教育シンポジウム、広島市立袋町小学校(被爆建物)で開催。約500人が参加。佐貫浩法政大教授が講演、吉永小百合が原爆詩集を朗読。若い教職員を対象に原爆遺跡を巡るガイド養成講座を初めて分科会に取り入れる。-28日。
06 27 長崎県被爆二世教職員の会など、「子ども平和の集い」を長崎市立銭座小学校で開催。約250人の親子連れが参加。
06 28 読売新聞「追悼抄6月:「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」元教師・江口保さん」
07 01? 広島県原爆被害者団体協議会(伊藤サカエ理事長)、今秋から「原爆体験証言者養成講座」を計画。
07 01? 長崎県教育委員会と県教職員組合、日曜日となった今年の8月6日を登校日とするかどうか校長の判断とすることで合意。
07 03 長崎市教育委員会、同市小学校長会で、日曜日に当たる今年の8月9日をできるだけ登校日にするよう呼びかける。
07 04 広島市立己斐上小学校、全校児童の平和集会を開催。童話「まちんと」のスライド上映や朗読劇など。
07 09? 広島平和教育研究所、中学生向け夏休み用副本「ピースハンドブック」を発行。
07 09? 広島市の私立保育園「広島光明学園」、核戦争による人類の危機までの残り時間を示す「終末時計」の実物大の模型「核の時計」を園舎に掲げる。
07 10 愛知県豊橋市の桜丘高校の生徒と教師8人、自転車で長崎市に到着。19日から同校などで開催する「第10回愛知サマーセミナー」で紹介する伊藤市長のメッセージを受け取る。
07 10 朝日新聞文化欄「原爆投下の創作劇、広島で上演-核廃絶訴え若者に手ごたえ」(藤川伸治広島平和教育研究所事務局長)
07 11 「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」代表江口保を偲ぶ会、東京都内で開催。約180人が参加。
07 11 長崎市・長崎平和推進協会、被爆地長崎の小中学生が沖縄戦の悲惨さなどを学ぶ平和学習ツアー「少年平和と友情の翼」の事前研修を実施。-12日。
07 11 アジア太平洋都市サミット、福岡市内で開催。世界23都市の代表が参加。長崎市の助役が長崎で平和学習をするよう訴える。
07 14? 広島平和教育研究所、平和公園内の「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」の死没者名簿に新たな死亡者を記入するため遺族からの申し出を呼びかける。
07 15 福山市多治米小学校、原爆被爆者の体験を聞く「平和集会」を開催。
07 17 広島市立長束小学校、平和集会を開催。パソコンのメールで全国の小学校と交流している4年生が「全国こども千羽づる大作戦」の取り組みを報告。
07 17 広島県・廿日市市立金剛寺小学校、平和集会を開催。
07 18 広島県大竹市立玖波小学校、平和集会を開催。
07 18? 広島県・沼隈町の千年中学校、インド・パキスタンの人達へ核実験反対のメッセージを伝えるため「ピースキルト」の制作に取り組む。
07 21 長崎県教委、県内の公立小中学校の登校日設定状況をまとめる。110校(17.5%)が8月9日を登校日に、509校(81.0%)がその前後を登校日に設定。長崎市内では、86校(95.6%)が登校日とする。
07 22 広島市佐伯区公民館などで、コミュニティセンターネットワーク事業「芸術の中の平和学習-ピース・セミナー8・6」開始。-30日。四国五郎(画家)・沖田孝司(ビオラ奏者)・井出三千男(写真家)・大和喜久男(映画研究家)らが講師。
07 22 恵の丘長崎原爆ホームと川平小学校、長崎市の爆心地公園で平和祈願巡礼を実施。
07 23 米・仏の女子学生ら4人、広島市の平和公園で平和学習。
07 25 広島平和教育研究所、平和公園を中心に被爆建造物写生大会を開催。約50人が参加。
07 25 読売新聞連載「あしたの世界に向けて-平和教育の役割」(-27日、3回)
07 26 広島市平和公園の「原爆の子の像」の碑前祭、挙行。市内10中学校でつくる実行委員会主催で10回目。小・中・高校生約400人が参加。
07 28 地理教育研究会の広島大会、広島市内で開催。-31日。全国から約80人が参加。28日、「21世紀の平和教育を考える」をテーマにパネル討議。
07 29 東広島市被爆資料保存推進協議会、「平和学習バス」を実施。14回目。同市内小・中・養護学校29校の代表58人が広島市の平和公園を見学。吉川生美から被爆体験を聞く。
07 29? 「非核の政府を求める広島の会」、県と県内の全市町村を対象に行った平和行政に関するアンケートの結果をまとめる。県と82市町村から回答。「8月6日を登校日にして平和学習をしている」自治体は38件(45.8%)。
07 30 広島市安佐南区・倉掛公民館、平和学習会を開催。小学校低学年とその保護者など約50人が参加。
07 30 平成10年度第1回被爆体験証言者交流の集い研修会、広島原爆資料館で開催。田辺雅章が「「原爆ドームと消えた街並み」制作を終えて」と題して講演。(「平和文化」no.130)
08 01 広島市竹屋公民館、平和公園一帯20カ所の原爆慰霊碑めぐりを実施。小学1-5年生と保護者計38人が参加。
08 02 広島市手話サークル連絡協議会、広島市平和公園で原爆慰霊碑巡りを実施。約120人が参加。原爆資料館で開いた平和学習会ではろうあ者で被爆者の高夫勝己が証言。
08 02 中国新聞「この人:松元寛-「広島・長崎修学旅行案内」改訂版を出した広島大名誉教授」
08 02 広島市安公民館、平和公園の碑めぐりを実施。西尾隆昌が案内。
08 03 毎日新聞「教育ワイド21世紀へ:今年もまたやってくる8月6日、8月9日-被爆地の学校、継承への取り組みは」
08 03 広島市安佐公民館、平和学習会を開催。石田民生が「被爆体験から」と題する講演。
08 03 広島平和教育研究所、「親と子のヒロシマ体験学習」を開催。被爆者との交流、中沢啓治の話。-4日。
08 04 広島平和教育研究所など、原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑慰霊祭を挙行。過去帳に9人の名前を追加し、計1023人となる。約1000人が参列。
08 04 広島平和教育研究所、「広島市内の戦跡をたどるフィールドワーク」を実施。
08 04 広島平和教育研究所、「被爆電車に乗って被爆体験を聞く会」を開催。石田明広島県原爆被爆教職員の会会長ら2人が解説。小中学生など約120人が参加。
08 04 広島県東部地区高校部落解放研究部連合会府中・福山ブロック、「ピースウオーク98」を実施。25校から生徒94人が参加。松永高校を出発し、5日に夕方に広島市平和公園に到着。
08 05 広島市亀山公民館、平和のつどいを開催。
08 05 米国・アメリカン大学と立命館大学の学生約30人、高橋昭博元広島市原爆資料館長の被爆体験を同資料館で聴取。
08 05 広島平和教育研究所・広島高校生平和ゼミナールなど、「原爆犠牲ヒロシマの碑」碑前祭を開催。約300人が参加。
08 05 広島市祇園公民館、「ヒロシマの心を受けつぐ」を開催。
08 05? 広島市立幟町中学校の「平和委員会」、インドの中学生へのメッセージとして「原爆の子の像」のモデル佐々木禎子さんをテーマにした絵本作りに取り組む。
08 06 長崎市、市内の公民館での原爆映画上映会を開始。-9日。
08 06 広島市八幡コミュニティーセンター、「8月6日あるきんぐ」を実施。
08 06 福岡市内の小中学校51校(全体の24%)が登校日とし平和学習を実施。
08 06 長崎県五島岐宿町の山内小学校、平和集会を開催。福江市在住の被爆者・富上ミツノの被爆体験を聴く。
08 06 中国放送(ラジオ)、広島への修学旅行を全国に広めた江口保に焦点をあてた番組「伝え続けて・・・」を放送。
08 07 長崎県松浦市立志佐中学校、平和集会を開催。被爆者・小溝昭七郎の被爆体験を聴く。
08 07 長崎県壱岐の武生水中学校、平和集会を壱岐文化ホールで開催。
08 07 長崎県島原市立第二中学校生徒会、平和集会を開催。同市在住の被爆者・木下八重の被爆体験を聴く。
08 07 「沖縄市親子平和大使」一行22人、長崎市入り。「青少年ピースフォーラム」などに参加。
08 07 長崎県南高有家町の4つの小学校、平和集会を開催。
08 07 広島市馬木公民館の寿大学講座、「原爆講座」を開催。講師は緩急車雲助(本名:久保浩之)。
08 07 広島市舟入公民館、「平和ってなあに」を開催。
08 07 広島市船越公民館、「親子平和学習」を開催。
08 09 長崎市立城山小学校、平和祈念集会を開催。
08 09 長崎市の活水中・高校、平和祈念集会を開催。
08 09 長崎原爆資料館と慶応大学湘南藤沢キャンパスを結び、インターネットやテレビ会議などを使用した平和学習フォーラム。昨年に続き2回目。
08 09 長崎市・小榊小学校、平和祈念集会を開催。
08 09 長崎市の淵中学校、平和集会を開催。今年6月に実施した平和学習で学んだ成果を壁新聞で発表。
08 09 県立長崎北高校の放送部員4人、平和式典に参列したインド人記者にインタビュー。
08 09 長崎市立西浦上小学校、平和集会などを開催。
08 09 長崎市の純心中・純心女子高校、慰霊祭を挙行。
08 09 長崎県南高布津町の布津中学校、平和集会を同町の多目的集会施設「世紀の泉」で開催。
08 09 長崎市立山里中学校、平和祈念集会を開催。
08 09 長崎市立山里小学校、平和祈念集会を開催。
08 09 長崎市立銭座小学校、平和祈念集会を開催。
08 10 広島市安佐公民館、ロビー展を開催。過去10年間の平和宣言を展示。
08 10 長崎工業高校演劇部、平和登校日に朗読劇「トンボが消えた日」を上演。東京の劇団「クロカル」との共演。
08 10 広島市己斐上公民館、「子どもサマーシアター」を開催。
08 12 広島市三入公民館、「平和学習のつどい」を開催。
08 12? 第一学習社、同社の添削指導を受ける高校3年生3000人を対象に7月に実施した調査「現代高校生の平和観」の結果をまとめる。インド・パキスタンの核実験について9割が「いかなる理由でも許されない」と回答。
08 13 毎日新聞「深層:後世へ残せ・戦争遺跡-「平和教育に活用不可欠」
08 13? 長崎を訪れている関東方面の高校のうち75校程度が、来年旅先を別の地域に変更する予定が明らかになる。
08 15? 東広島市の向陽中学校と板城小学校の生徒・児童、米国・タフツ大で開催が計画されている原爆展に飾るため千羽鶴を折る。
08 22 広島市子ども会連合会、「広島・長崎子ども会親善交歓会」を広島市の平和公園で開催。広島市から78人、長崎市から36人が参加。毎年夏に両市で交互に開催し、今回が22回目。
08 24 長崎新聞「ばってん通信:福岡発-長崎被爆の吉永さんも招いて-原爆の日に平和学習」
08 27 愛知県甚目町の「児童・生徒平和体験学習派遣団」一行12人、長崎市を訪問。
08 28 中国新聞「シンポジウム「広島に原爆を落とす日」に何を見たか-ヒロシマ継承、刺激的提案」
08 33 広島平和文化センター、「平和学習支援ボランティア」を募集。
09 04? 日教組・広島平和教育研究所、広島・長崎の原爆被害の実態を記録した写真ポスターを世界32カ国計55の教育団体に発送。
09 07 広島平和会館、「被爆体験証言者養成講座」を開講。60人が参加。毎週月曜日に計4回開講予定。
09 13 朝日新聞(広島版)「風・取材ノートから:高齢化する被爆証言者-継承へ期待の養成講座」
09 13? 広島平和教育研究所、漫画「はだしのゲン」をテーマにした来年のカレンダー製作を計画。
09 20 広島市立基町高等学校、文化祭を開催。図書委員、夏休みに実施した原爆遺跡の現状調査の結果を展示。
09 26 第1回ナガサキ親子で行う平和学習、長崎原爆資料館で開催。長崎平和推進協会が本年度から実施している「98ナガサキ平和創造グラント事業」の助成事業の一つで小学生とその保護者ら13人が参加。
10 02 名古屋市の市邨学園高校、文化祭を開催。-3日。修学旅行で長崎を訪れた時に実施した被爆者の聞き取りを基に、「ナガサキ新聞」を制作、発表。「原爆と人間展」パネルも展示。
10 04 広島市の安田女子高校、文化祭を開催。社会科学研究部が琴乃若・森光子・イルカなど著名人を含む約2000人分の手形を展示。
10 14 高知県須崎市立須崎中学校、修学旅行で長崎市を訪れ、同市の原爆被爆者福祉基金に35万円を寄付。
10 15 広島を訪れる修学旅行生のピーク。この日、約5000人が原爆資料館を見学。
10 17 東京都国分寺市第5中学校2年生150人、岡畠鉄也中国新聞東京支社記者から、世界の核や被爆者の現状について学ぶ。
10 22 東京都立府中西高校2年生318人、修学旅行で訪れた長崎市内で平和宣言を発表。
10 26 財団法人「ヒロシマ・ピース・センター」、第10回谷本清平和賞の受賞者に故・江口保「ヒロシマ・ナガサキの修学旅行を手伝う会」主宰者を決定。
11 07 広島平和文化センター、「平和学習支援ボランティア」を対象にしたヒロシマ継承研修(第1回)を実施。60人が参加。
11 07 長崎市立山里小学校、第49回平和祈念式を挙行。
11 13 長崎市・深堀中学校、文化祭を開催。鹿児島市を修学旅行で訪れた2年生、市民を対象に実施した長崎原爆や知覧特攻隊などについてのアンケート調査の結果を発表。
11 13 長崎県大村市立桜が原中学校で文化祭。2年生、長崎に投下された原子爆弾とキノコ雲を描いた巨大パネルを展示。
11 22 沖縄県・南風原町の小学生、広島市牛田公民館で市立戸坂城山小学校の生徒と平和交流。
11 27? 長崎県北松鹿町の有志、同町内の被爆者・内山田若雄の体験記「想い出の兵営」を平和教育用にと出版。
11 28 「プロジェクトくすの木委員会」、設立総会を長崎原爆資料館で開催。
12 02 私立岩手白百合学園高校2年生300人、修学旅行で広島を訪れ、原爆資料館に車椅子2台を寄贈。
12 04 松原美代子「ヒロシマの心を伝える会」代表、NTT広島支店と福井県内の3つの小学校をテレビ電話会議システムを使い、被爆体験を話す。
12 06 大阪府八尾市の久宝寺中学校生徒、被爆体験を聞いた佐伯敏子に「1円募金」約18万円を寄贈。
12 07 広島県立庄原格致高校高野山分校、「教育に新聞を」(NIH=Newspaper In Education)の公開授業を実施。「国連軍縮長崎会議」・「被爆」などを取り上げる。
12 08 中国新聞「緑地帯:わが気象館8-平和教育」(斉藤政宏)
12 13 長崎平和推進協会継承部会と長崎を世界に伝える会、「アメリカでの平和活動報告会」を合同で長崎原爆資料館で開催。
12 15 沖縄県与那国町立与那国中学校3年生21人、修学旅行で長崎を訪れ、平和祈念像前でエイサーを披露。
12 24 テレビ会議システムによる被爆体験聞き取りを授業に取り入れた福島県葛尾村立小学校の岩崎秀一教諭、松原美代子の案内で広島市の原爆資料館を見学。
12 28 愛媛県東予市立西中学校の生徒と教諭11人、広島市平和公園の「原爆の子の像」に1万羽の折り鶴で作ったハトの絵をささげる。
12 30? 広島在住の原爆詩人・栗原貞子、福岡県筑紫野市築山中学校の生徒が「生ましめんかな」を題材に創作した劇のシナリオと上演ビデオテープを受け取る。
12 31 長崎の証言の会が修学旅行生を対象に実施してきた「碑めぐり」が今年は約70校で昨年の倍にのぼっていることが判明。

 

 

21世紀への平和と創造

『21世紀への平和と創造 摩擦を乗り越えて、若者へのメッセージ』(嶋矢志郎編著、溪水社、19980707)

目次

発刊に寄せて 田中隆荘(広島市立大学学長)
21世紀の平和と創造的多様性-摩擦を乗り越えて、若者へのメッセージ
Ⅰ-1 基調講演:新しい「始まり」へ向けて―21世紀への助走
シモン・ペレス(イスラエル前首相)
(1)日本の成功は未来への道標 (2)イスラエルと日本とロシアと (3)中東の和平構築への道 (4)新しい「始まり」へ教育投資を
Ⅰ-2 パネル・ディスカッション:創造的多様性を求めてー摩擦の克服へ
(コーディネーター) 嶋矢志郎嶋矢志郎(広島市立大学国際学部教授)
(1)苦しみを知る国に希望 大江健三郎(作家)
(2)憎悪を克服して核廃絶を 平岡敬(広島市長)
(3)核疑惑に抑止力効果を期待
(4)狂気を許さぬ正気の核管理を
(5)力点を戦争から経済・教育へ
Ⅰ-3 質疑応答
日本は中東和平へ経済と教育で貢献
(1)心の中にマンデラが生きている
(2)政治と宗教は区別すべきもの
(3)戦争を望む者は一人もいない
(4)人の心の中に平和の砦を
 21 世紀の平和秩序を求めて一国連と日本の役割-
  Ⅱ-1  講演
 前国連事務次長.広島市立大学広島平和研究所所長明石康
 (1)過去への正しい評価と反省
 (2)混沌の渦中で未来に期待
  (3〕日本の国連.平和主義の壁
 (4)増大するNGO
の活躍の場
(5)国連の強化で国際社会を進化
 (6)総合安全保障へ多彩な創意
 (7)文化相対主義の国際観を
 Ⅱ-2  質疑応答
国際社会が日本に期待する平和貢献の役割
(1)人権と人道、並行的に第三の道で
(2)民主化支援は自力更生の手助け
(3)世界連邦への土台づくりが先決
(4)アジアの信頼醸成は二一世紀の課題
(5)日本人の国際公務員採用枠は広き門
「平和」概念の位相とパラダイム転換
嶋矢志郎(広島市立大学教授)
Ⅲ-1 「平和」概念の位相と変容
(1)失って初めて知る平和価値
(2)絶対平和と相対平和のはざま
(3)改革と統一による平和の功罪
(4)軍縮による平和の限界
(5)道義による平和への期待
(6)東西で異なる語源の本義
(7)「神前法後」と「法前仏後」の違い
Ⅲ-2 「平和」思想のパラダイム転換へ向けて
(1〕生き残りへ基軸文明の転換を
(2)人類を惑わした西欧型の平和観1
(3)無差別大量殺戮への麻痺
(4)進化しない世界恒久平和への歩み
(5)世界に広がるバルカン化の風
(6)危機脱出へ地球的な統合と再生
付録
Ⅳ-1 ペレス氏のスピーチ(英文)
Ⅳ-2 用語解説
あとがき

 

 

 

第25回原水爆禁止似島少年少女のつどい

第25回原水爆禁止似島少年少女のつどい
1998年8月5日

予約が必要だったが、当日飛び入りで参加させてもらう。全国から集まった小・中学生とその保護者300人が参加。
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9時10分、第8こふじ丸、宇品港出航
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 慰霊祭(平和養老館前)11時~
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 山中高女の生徒もこの慰霊碑に祀られている。
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 似島野戦病院衛生下士官として、この島で救護活動に従事した方が大阪からかけつけてお話して下さった。
 昼食後
似島小学校講堂
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 交流会での歌唱指導
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 戦争に果たした似島の役割と、自らの被爆体験を語る江種祐司先生

 

韓国・歴史と平和の旅(1998)

韓国・歴史と平和の旅

主催:平和国際教育研究会
参加者:89人(内、高校生20人、大学生2人、大学院生1人)。
1998年8月17日(月)-21日(金)

地名 訪問施設 メモ
17 ソウル 景福宮
李朝の王宮。1395年創建。
明成皇后(閔妃)遭難の地
景福宮境内
パゴタ公園
正式名称:塔洞公園。
西大門独立公園
延世大学
18 漢陽大学
(韓日平和教育シンポジウム)
ハンギョレ新聞(当日夕刊)が、シンポジウムの模様を大きく取り上げる。
大半は、シンポジウムに出席したが、1人が板門店へ、8人(私を含む)が市内観光。
観光組は、ロッテワールド内の免税店と民族博物館で大半の時間を費やす。
安重根義士記念館
19 広州郡 ナヌムの家
水原市 レストラン
昼食。「堤岩里教会」(水原の虐殺事件現場=1919年4月15日)の近くだったが、日程の都合か、寄らなかった。
天安市 独立記念館
20 柳寛順(ユガンスン)記念堂
柳寛順の生家と梅峰教会
光州市 5・18メモリアルパーク
光州学生独立運動記念館
レストラン
光州の民主化運動関係者・犠牲者遺族との懇談会。

 

 

 

 

人間の心ヒロシマの心

『人間の心ヒロシマの心』(秋葉忠利、三友社出版、19881223)

目次

章節=頁 タイトル
はしがき
広島・長崎の経験を人類の祈りの基盤に〈基調講演〉 大江健三郎
被爆体験の意味と平和運動
028 なぜ広島でシンポジウムか〈主催者挨拶〉 柿木昇治
030 「ヒロシマの心」を世界の心に〈開会挨拶〉 荒木武
033 高い理想、そして具体的な出発〈オーガナイザー挨拶〉 秋葉忠利
035 何を誰にどう伝えるのか-そして何のために 秋葉忠利
被爆体験の人類史的意味
060 「被爆の証人」として生きる 高橋昭博
072 あらたな意味をもつ被爆体験の継承 宇吹暁
079 あたらしい被爆者像を求めて 舟橋喜恵
092 被爆後の年月を通して考える〈パネルディスカッション1〉
広島のメッセージを実現するために
116 教育の現場で平和を考える 片山美代子
127 仏教徒としての被爆体験と平和の願い 光寺重信
144 核廃絶の可能性を求めて 安江良介
153 心理学者と平和の問題 ジョン・J・フューレディ
158 「広島のこころ」を蘇らせるために〈パネルディスカッション2〉
193 平和シンポジウム趣意書
196 平和シンポジウム感想歌集から
198 パネリスト紹介
203 広島ターミナルホテルあいさつ
204 協力者一覧
205 フロアからの発言者プロフィル(発言順)
原田東岷
竹内千代
上神千波弥
江崎寿賀子
原伸幸
熊田信道
空フミコ
中川幹朗
山本誠
延本充弘
井上敬喜
ローレンス・ウィイグ
永井秀明
あとがき

私のヒジヤマメイト

私のヒジヤマメイト

私は、この9年間、雨の降っていない限り毎日、昼休みに比治山を散策している。比治山は、本学の霞キャンパスに勤務・在学した人には、桜や紅葉名所として馴染みが深いはずである。一度も登ったことのない人は、おそらくいないのではなかろうか。しかし、私のように日常的に歩き、その魅力を満喫しているものは数少ないのではないか、と秘かに自負している。

比治山は、二つの丘が南北に連なっており、それぞれの丘に登るいくつかの小道が用意されている。当初、さまざまな道を登ってみたが、まもなく定着したのは、南東の急勾配の坂から南の丘に登り、東側の道から北側の丘の西側、東側、南の丘の西側という「8」の字のコースである。これで、所要時間は約40分、歩数は「5000歩弱」。これだけ昼休みに歩いていれば、大抵の人は「1日1万歩」が達成できる。

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「最新大広島市街地図」(広文館、昭和8年1月15日発行)より

歩き始めた直後に、現代美術館が北側の丘の頂に完成(1989年)、今年(97年)には、その北側にあった青空図書館がまんが図書館に生まれ変わった。春秋には、これらの利用者や、遠足・修学旅行生などで、比治山は賑わいをしめす。また、日々、放射線影響研究所(旧ABCC)や丘周辺に所在する企業の関係者のマラソン姿に出会う。その一方で、真夏や雪降りの日には、人影を見ることはまれである。

この丘には多くの動物が棲んでいる。道ばたの蛇に驚いて飛び上がったことがあった。深い斜面の下にたぬきを確認したこともあった。小鳥たちは、毎日目にすることができる。職場の野鳥の会の会員に同行してもらったことがあったが、その時、しじゅうから・めじろ・ひよどり・やまがら・つぐみ・しろはら・えながなどがいることを知った。また、桜以外にも多くの木々・草花が花を咲かせ、実を付けている。名前は何回聞いても忘れてしまうが、それぞれの区別は付くようになった。

HJFYR01 さくら
HJFYR02  ふじ
HJFYR03 にせあかしあ

この9年間は、丘の東側に位置する段原地域が、再開発により急激に変貌した時期であった。歩き始めた当初は、丘の陰に隠れて原爆に耐えることのできた段原の街並みがまだ残っていた。これらが壊され新しい街に生まれ変わる様子を、毎日丘の上から眺めてきた。また、週に1回は、北の丘から段原に降りるコースを取り、この変貌を近くから観察した。西側の眺望からは、NTTクレド基町ビル(1994年竣工)など市街地の高層ビルの建設や己斐の山の造成の過程を知ることができた。

デスクワークが中心の人間にとって、昼休みに身体を動かすことは、健康維持のために大いに役立つはずである。そう信じてきた私は、就職以来、昼休みに、エスキーテニスや卓球を楽しんできた。しかし、これらは、最高で数ヶ月続いたことはあったものの、年間を通じての習慣となることはなかった。

私の比治山散策の直接の契機は、A君の糖尿病による入院であった。彼は、私の小学校時代からの友人である。霞キャンパスから数キロほどの地域に住んでいる彼は、それまでにもしばしば、私の職場を訪ねてくれていた。しかし、退院後、彼は、昼になると必ず私を訪ねるようになった。それは、医師から「毎日1万歩」を厳命された彼に、私が、昼休みに一緒に比治山を歩くことを提案したからであった。

入院中、糖尿病により失明の可能性があることを知ったA君は、真剣に医師の指示を守ろうとしていた。雨や雪模様の日もやってきた。止むのを待って歩こうとしたのである。一方の私は、軽い気持ちで言ったつもりはないが、毎日歩くことにそれほど執着してはいなかった。テニスや卓球をしたいと思うこともあった。仕事が途中で途切れることを嫌い、彼だけに歩いて貰ったこともあった。また、彼が仕事の関係で来ることのできない時に、私が一人で歩くことはなかった。

まもなく、この散策が私にとっても欠かすことのできないものとなった。私は、若い頃から血圧が高めであり、20年ほど前から健康診断のたびごとに高血圧の判定が下されていた。それが高じ、数年前には心筋梗塞の疑いが指摘された。薬を飲め、というのが医師の忠告であった。しかし、私は、A君のように医師の指示に忠実にはなれず、勝手に、激しい運動は避け、適度の運動を行うことで乗り切ることを心に決めた。こうして、以前には体力増進に役立つとは思えなかった散策が、私の健康にちょうど良い運動となったのである。それからは、昼休みにかかる来客があれば、A君一人で歩いてもらうのではなく、来客を誘って一緒に歩くようになった。

広島で社会科学の専門書を扱える数少ない古書店主であるA君は、散策を始める前から、私の研究上の良き協力者であった。しかし、散策を始めてからは、この関係はより深いものとなった。彼は、私が欲しい本を話せば、大抵の場合は数日中に、また、稀少なものでも数ヶ月中には入手してくれた。彼は、単に私が依頼した本を探してくれるだけではない。被爆40周年を契機に原爆手記に関心を持った私は、つぎつぎに出版される手記の確認とその収集・分析をおこなってきた。その結果、被爆直後から50周年までに3500冊余の原爆手記が出版されたことを確認することができた。このうちの彼が確認し、入手してくれた本は、100冊を下らないはずである。

二人の散策が始まった当初、私の中には、「私の言い出したことであるから断ることはできない」という気持があったように思う。しかし、今では、比治山散策は、私の健康維持と研究のために欠くことのできないものである。それを支えてくれているA君に感謝するとともに、これからもヒジヤマメイト(職場の若い女性が付けてくれた愛称)としての関係が続くことを願っている。