「08月忌」カテゴリーアーカイブ

安田リヨウ

安田リヨウ

やすだ・りよう 18840930生19771108没 享年93歳 『柔しく剛く 安田リヨウ』(記念誌編集委員会、安田学園、1979.11.8)

資料年表:安田リヨウ

年月日 事項 備考
1884
0930 誕生
1955
1107 『安田学園四十年史』(茶園義男著、安田学園) G
1965
1105 『安田学園五十年史』(安田学園四十年史編纂委員会編、安田学園創立四十周年記念行事委員会) G
1977
1108
1979
1108 『柔しく剛く 安田リヨウ』(記念誌編集委員会、安田学園) G
1985
1102 『安田学園七十年史』(七十年史編集委員会編、安田学園) G
2016
1220 『安田学園百年史 通史編』(安田学園一〇〇年史編集委員会編、安田学園) G

資料年表:孫振斗

資料年表:孫振斗<作業中

年月日 事項 備考
1927
** 大阪市生まれ。
1945
08 広島で被爆
1972
0915 『朝鮮人被爆者 孫振斗さんに治療と在留を』(孫振斗さんを守る東京市民の会編・刊)
1974
0925 『鎮魂の海峡-消えた被爆朝鮮人徴用工246名』(深川宗俊著、現代史出版会)
補章 外国人被爆者の間題 193

孫振斗さんの勝訴

1975
1005 『被爆者援護法の論理 援護法制定運動の手びき』(原水爆禁止日本国民会議)
資料

朝鮮人被爆者・孫振斗さん勝訴46

孫振斗さん裁判の判決文(福岡高裁)60

1124 『ヒロシマを持って帰りたい』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会広島支部)
日本政府の国家責任を問う裁判(幹国人被爆者孫振斗さんの原爆手帳獲得の闘い)90
1978
0710 『朝鮮人被爆者孫振斗の告発 たいまつ新書40』(孫振斗さんに治療と在留を全国市民の会編集委員会編、たいまつ社)
1979
0101 『わたしたちの被爆者援護法制定運動と政府・国会の動き』(日本原水爆被害者団体協議会)
1 孫振斗訴訟最高裁判決抜粋…39
0305 『原爆被爆者関係法令通知集』(厚生省公衆衛生局企画課編、ぎょうせい)
資料

(六)孫振斗訴訟最高裁判決410

1981
0801 『「援護法」と在韓被爆者 基本懇意見書と三項目合意 在韓被爆者問題を考える No.1』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会)
資料

孫振斗手帳裁判の最高裁判決(要旨) 26

1983
1208 『無援の海峡 ヒロシマの声、被爆朝鮮人の声』(平岡敬、影書房)
黙殺との戦い-被爆朝鮮人・孫振斗さんの訴え 67

圧殺される声 81

孫さんからの手紙 92

国家と被爆者-孫振斗さん勝訴の意味 149

1984
0731 『原爆と朝鮮人 長崎朝鮮人被爆者実態調査報告書 第三集』(長崎在日朝鮮人の人権を守る会)
第4章 全朝鮮人被者完全援護法の制定 96

2.「孫振斗訴訟最高裁判決」(全文)・前記に対する意見 109

1985
0625 『非核未来に向けて 反核運動40年史』(森瀧市郎著、績文堂出版)
16. 被爆者救援運動-国の責任を追及…215

被爆者救援運動の新段階 朝鮮人被爆者に対する責任 原水禁の援護法制定運動と総評被爆連 放射線被曝と原爆被爆者 国の責任を明らかにした孫振斗裁判と最高裁判決

1992
0731 『従軍慰安婦と戦後補償 日本の戦後責任』(高木健、三一書房)
第4章 戦後処理はまだ終っていない 138

孫振斗判決の意義 160

1995
0815 『在韓被爆者が語る被爆50年 求められる戦後補償』(韓国の原爆被害者を救援する市民の会)
起ち上がる在韓被爆者-日本の切り捨て政策に抗して 27

孫振斗手帳裁判 33

1998
0115 『朝鮮人被爆者孫振斗裁判の記録 被爆者補償の原点』(中島竜美編・著、在韓被爆者問題市民会議編・刊)
2000
1130 『ヒロシマを持ちかえった人々 「韓国の広島」はなぜ生まれたのか』(市場淳子著、凱風社)
第二章 立ちあがった在韓被爆者(一九六七~一九七八年)41

「座して死を待つことはできない!」と協会結成 41

「からだを治して!」と日本に直訴 46

孫振斗さん密入国、日本で支援始まる 50

孫振斗さんの手帳裁判闘争 51

「補償なるか」と期待高まるが 54

日本での治療の道、開かれる 55

2011
0615 『時代と記憶 メディア・朝鮮・ヒロシマ』(平岡敬著、影書房)
一九七〇年一二月三日 被爆朝鮮人孫振斗、来日逮捕さる 153
2014
0826 死去。

 

そん・じんどぅ 1927**生20140826没 享年87歳 韓国人被爆者訴訟の原告の草分け<資料年表:孫振斗>

 

上栗頼登

上栗頼登

かみくり・よりと 生19950830没 享年76歳 東広島市の児童養護施設「広島新生学園」元園長。<資料年表:上栗頼登>

資料年表:上栗頼登<作業中

年月日 事項 備考
****
**** 誕生
1983
0325 『広島県史-現代(通史Ⅶ)』(広島県)
「新生学園の歩み 1132」(今堀誠二著)
1995
0830
kamiguri01

資料年表:森田俊男

資料年表:森田俊男<作業中

年月日
1921
0625 誕生
1958
0701 『広島教育 No.89 7月号』(広島教育会館出版部)
教研講座 職場はいかに自覚されるべきか
学校経営の「私性」の克服 森田俊男 45
1973
1120 『戦前の教育と私』(広島平和教育研究所編、朝日新聞社)
戦争への準備と戦争への反省ー選評にかえて 森田俊男 304
1974
0201 『平和教育運動 創刊号』(全国平和教育研究協議会準備会・広島平和教育研究所編、広島教育会館出版部)
<総括意見>今次集会の意義と今後の課題 163 森田俊男
 2010
0829 死亡。享年89歳。

 

29 2010 森田俊男 もりた・としお 89 教育研究者。平和・国際教育研究会代表。<資料年表:森田俊男>

山内敕靖

山内敕靖

やまうち・ただやす 19180329生19830828没 享年65歳 広島ガス社長。期間:19710226-19820628。

資料年表:山内敕靖<作業中

年月日
1918
0329 誕生
1983
0828 死亡
1984
0813 『追憶 山内敕靖』(広島ガス・刊、19840813)
0930 『会報ともしび 第57号』(財団法人広島県動員学徒等犠牲者の会)
「訃報 本財団相談役、広島ガス社長」

御園生圭輔

御園生圭輔

みそのお・けいすけ 19121215生19950825没 享年82歳 終戦時、陸軍軍医学校教官として広島原爆の被害調査に当たる。

資料年表:御園生圭輔<作業中

年月日
1912
1215 誕生。
1936
03 東京帝国大学医学部卒業
 1945
 0814  陸軍省第2次調査班員として広島入り。~11月21日。  C
「ヒロシマの記録 各時代を刻む」 (『中国新聞』 20050805、西本雅実編集委員)
 1952
 0101  『婦人公論  1月号第416号(38巻1号)』(中央公論社)
 特集 平和への願い
原爆のない世界を〈座談会〉田中慎次郎/石垣綾子/山室民子/御園生圭輔 48
1967
09 放射線医学総合研究所長。『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局)
 1968
06  C
0601 『マスコミ市民  No.16』(日本マスコミ市民会議)
特集 原爆映画 いま、よみがえれ“幻のフィルム”!
いまだから話そう 御園生圭輔・三木茂 43
 1969
0501 『広島医学 Vol.22 No.5 原爆後障害広島シンポジウム』(広島医学会)
 原爆後障害研究のあり方
総括……中泉正徳 47(353)
原子力平和利用の立場から………御園生圭輔 49(355)
0620 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 [第9回]』(広島原爆障害対策協議会)
原爆後障害研究のあり方
総括 中泉正徳 47
原子力平和利用の立場から 御園生圭輔 49
 1971
 0316   C
 1973
 06  C
 1974
0712  C
1975
0523 原子力委員会委員に就任
 『原子力委員会月報第20巻第5号』(科学技術庁原子力局)
 1976
0328 『広島医学 Vol.29 No.3 原爆後障害広島シンポジウム 特集号』(広島医学会)
特別講演
御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97(285)
0331 『原爆後障害広島シンポジウム講演集 第16回』(広島原爆障害対策協議会)
特別講演 御園生圭輔「放射線防護と放射線影響研究」 97
1979
 0518  C
 0608  C
 1980
0328 『広島医学 Vol.33 No.3 第20回原子爆弾後障害研究会特集号』(広島医学会)
記念講演 広島で過じた日々…御園生圭輔 28(260)
0401 『原子爆弾後障害研究会講演集 第20回』(広島原爆障害対策協議会)
第20回原子爆弾後障害研究会
とき:昭和54年6月10日 ところ:広島医師会館
記念講演  広島で過ごした日々 御園生圭輔 28
 1211  原爆被害者対策基本問題懇談会、「被爆者対策のあり方」についての答申を発表  C
 1981
1110  C
 1986
 0430  C
1988
07 『竹ぼうき』(御園生圭輔先生退官記念事業会)
1995
0825 没。享年82歳。

 

資料年表:近藤幸四郎

資料年表:近藤幸四郎<作業中

年月日 事項 備考
****
誕生
1945
0806 自宅(爆心地から2・3キロ)で被爆。
2002
0821 死亡。享年69歳。
0822 「被団連事務局長近藤幸四郎さん死去 死没者への思い胸に活動」(『中国新聞』西本雅実)。
0822 「被爆者援護に尽力 近藤さん死去 関係者ら弔問次々」(『朝日新聞』)<宮崎安男原水禁代表委員:国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の説明文に『誤った国策』という文言が入ったのは、近藤さんが妥協しなかったからだ>
0824 近藤幸四郎葬儀。
0825 「被爆者運動には大きな痛手 近藤さん葬儀 700人別れ惜しむ」(『朝日新聞』)
0910 「惜別 広島被爆者団体連絡会議事務局長 近藤幸四郎さん 「怒りのヒロシマ」最後まで」(『朝日新聞』翁長忠雄)

 

21 2002 近藤幸四郎 こんどう・こうしろう 69 広島県被団協事務局次長、広島被爆者団体連絡会議事務局長、元日本被団協代表理事などを歴任。

資料年表:松前重義

資料年表:松前重義<作業中

年月日 事項 備考
1901
1024 熊本県生まれ
 1945
 0808  広島被爆調査団長として広島へ出発。
 0917  松前重義(逓信院総裁)褒状
 1947
 0104  ~19510620 公職追放
1987
 0330 『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)
 <『わが昭和史』(松前重義、朝日新聞社、19870330)への宇吹コメント
0401  礼状(東海大学秘書室長⇒宇吹暁)
  1201 『松前重義 その政治活動 Ⅰ』(学校法人東海大学)
1991
0825 死亡。享年89歳。

松前重義

まつまえ・しげよし 19011024生19910825没 享年89歳 東海大学創立者。広島調査団長として被爆直後に入市。