「01広島平和記念資料館 (原爆資料館)」カテゴリーアーカイブ

広島平和記念資料館総合図録 ヒロシマをつなぐ

『広島平和記念資料館総合図録 ヒロシマをつなぐ』(広島平和記念資料館編、広島平和文化センター刊、20201221 )

内容

見出し 備考
はじめに
展示室案内
1 08 被爆前の広島
10 軍都、学都としての広島
12 にぎわう広島の街
13 コラム「平和記念公園に眠る街」(藤村順平)
14 日中戦争から太平洋戦争へ
16 戦時下の街と暮らし
図版1-24(広島護国神社で撮影された三菱重工業朝鮮人徴用工の集合写真)
17 コラム「戦時下の服装」
2 原子爆弾投下への道
原子力の発見と原子爆弾の開発 20
コラム「ドイツと日本の原爆研究」 23
原爆投下の決定 24
コラム「原爆の模擬爆弾の投下」 27
原子爆弾 28
熱線 29
爆風 31
放射線 33
コラム「急性障害と後障害」 36
コラム「調査団の活動」 37
コラム「原爆被災記録映画の撮影」 37
3 被爆の実相
1945年8月6日午前8時15分 40
破壊された街 42
傷つく人々 46
亡くなった生徒たち 48
コラム「建物疎開作業」 49
黒い雨 50
高熱火災 53
救護所の惨状 55
混乱の中の救援・救護活動 58
魂の叫び 61
コラム「絵筆に込めて―『市民が描いた原爆の絵』」 70
コラム「故郷を離れた地で―外国人被爆者」 72
生きる 73
父母を亡くした子どもたち 74
独りとなって―原爆孤老― 75
体と心に刻まれた傷 76
原爆小頭症―親子の歩み― 78
N家の崩壊 80
一人の被爆少女の死から 82
消えぬ想い 84
4 広島の復興、さまざまな支援
都市機能の復旧 88
再生と支援 90
コラム「シュモーハウス フロイド・シュモーと『広島の家』計画」 92
広島平和記念都市建設法と復興事業の進展 94
コラム「広島平和記念資料館初代館長 長岡省吾」 96
コラム「カープ球団 誕生秘話」 97
被爆者援護施策の成立と拡充 98
5 核時代
兵器の開発と拡散 102
核兵器廃絶へ向けて 106
核実験の禁止 106
核兵器の不拡散 107
非核兵器地帯の創設と核兵器禁止条約 108
コラム「核実験への抗議」
6 平和への歩み
平和への祈りと誓い 112
原水爆禁止と被爆者援護を求めて 114
記録と保存と継承と 116
コラム「ヒロ子さんの日記と原爆ドーム」 118
コラム「被爆体験を語り、受け継ぐ」
年表
平和記念公園の慰霊碑・記念碑
被爆建物・被爆樹木
図版一覧
参考文献
英語版:『Hiroshima peace memorial museum collection catalogue : carrying the legacy of Hiroshima』

 

 

 

広島平和記念館と丹下健三

『広島平和記念館と丹下健三』(山崎荒助 編 吉田道郎 英訳、三友社出版、19800806)

内容

04 まえがき 山崎荒助
06 平和への願い 丹下健三論稿抄
08 設計のはじめにあたって
15 原爆慰霊碑
18 イグチ・イサムの橋
20 伝統について考える
23 建築の尺度についてまたは空間と社会
28 丹下健三の略歴
31 あとがき

 

きみはヒロシマを見たか

『きみはヒロシマを見たか 広島原爆資料館』(高橋昭博・NHK取材班・土田ヒロミ、日本放送出版協会、19821101)

目次

口絵
ヒロシマの語り部 高橋昭博
(広島平和記念資料館長)
1 真夜中の館内にて
2 8月6日の私
3 ひとりからの出発
4 たったひとりの修学旅行
5 語り継がれるヒロシマ
平和な日々
1 材木町の朝
2 中島本町
3 マンハッタン計画
4 軍都広島
5 リトル・ボーイ
6 建物疎開
最後の別れ
1 時間の止まった部屋
2 三位一体の遺品
3 広島市立中学校
4 軍国少年の日々
8時15分!!
1 空襲警報発令
2 炸裂の瞬間
3 放送断絶
4 被爆第1報
5 燃える中島
6 少女たちの被爆
7 広島2中隊の全滅
8 生皮と生爪
9 熱線と爆風
10 人影の石
11 石段の形見
その日8月6日
1 5枚の写真
2 父と娘
3 御幸橋
4 セーラー服の少女
5 死者の山
6 うしろ姿の少年
7 警察官
8 市立高女隊の悲劇
9 被爆直後の録音テープ
10 少女の下駄
11 37年目の再会
あとに遺されたもの
1 2次被爆
2 放射線
3 脱毛
4 ケロイド
5 ガラス片
6 被爆ピアノ
7 黒い爪
8 もうひとつの黒い爪
歴史のなかのヒロシマ
1 被爆全数
2 動員学徒被爆全数
3 消えた学校
4 30年目の卒業アルバム
5 37年目の被爆タイル
6 37年目の訪問
7 ヒロシマの語り部たち
あとがき

 

 

遺品は語る

『遺品は語る』(深沢一夫 (文)、森下一徹 (写真)、汐文社、19820806)

目次

見出し 備考(著者、寄贈者など)
巻頭言 被爆資料から声なき声が聞こえる 高橋昭博
1 無言の語部
2 消せない記憶
溶けた瓦に埋まった人骨
学生服上衣の一部 (寄贈者・河野寿)
罹災証明書 (寄贈者・)
学生服上衣 (寄贈者・)
原爆瓦
陸軍将校の軍服 (寄贈者・)
軍刀 (寄贈者・)
学徒の地下足袋 (寄贈者・)
学徒隊女学生の下駄 (寄贈者・)
象牙製の印鑑 (寄贈者・)
炭化した象牙のパイプ (寄贈者・)
眼鏡のレンズ・ハサミ等 (寄贈者・)
文字の焼け抜けたポスター片 (寄贈者・)
焼跡のついた竹 (寄贈者・)
硬貨の溶融塊 (寄贈者・)
懐中時計 (寄贈者・)
2 消せない記憶
八丁堀付近のガラス瓶 (寄贈者・)
23年後の爆発 (文・深沢一夫)
中学生の弁当箱、水筒、財布 (寄贈者・)
わが子の遺体に呼び寄せられて (文・深沢一夫)
学徒が残した生爪と生皮 (寄贈者・)
おもかげ (文・深沢一夫)
皮ベルト (寄贈者・)
母もあびた放射能 (文・深沢一夫)
陶製の学生服ボタン
剛武と名づけた父 (文・深沢一夫)
ガラス小瓶の集塊 (寄贈者・)
死者へのいとおしさ (文・深沢一夫)
女学生の弁当箱 (寄贈者・)
遺体すらかえらずに (文・深沢一夫)
妻のモンペ (寄贈者・)
永遠に妻の形見を (文・深沢一夫)
生死不明のままに (文・深沢一夫)
〈轟沈〉をうたいつつわが子は (文・深沢一夫)
おくれた後遺症対策におびえて (文・深沢一夫)
うす墨の空に黒い雨が (文・深沢一夫)
夫との最後の一夜 (文・深沢一夫)
いつかこの声がとどかぬ日が (文・深沢一夫)
遠ざかるヒロシマの記憶 (文・深沢一夫)
落果した青い果実 (文・深沢一夫)
兵隊がくれた金米糖 (文・深沢一夫)
シカゴにも落としてやったぞ! (文・深沢一夫)
いのち断つ炎の街が…… (文・深沢一夫)
不運の中の幸福 (文・深沢一夫)
忘れたい記憶をいま語り継ぐ (文・深沢一夫)
穿たれた青春 (文・深沢一夫)
穿たれた青春 (文・深沢一夫)
大義の末 (文・深沢一夫)
広島の惨劇 (文・深沢一夫)
資料館で胸に迫った兄の最期 (文・深沢一夫)
米軍の警告ビラ
ポツダム宣言ビラ (寄贈者・)
船舶司令官告諭
原爆投下が意味するもの (文・深沢一夫)
3 平和記念資料館の歴史
あとがき 高橋昭博(広島平和資料館館長)
取材後記 深沢一夫(作家)
撮影後記 森下一徹(写真家)

 

文献:原爆資料館

広島平和記念資料館(通称:原爆資料館)

関連文献

発行
年月日
書名 編著者 発行所
53020101 広島原子爆弾による被害状況 長岡省吾
54080602 HIROSHIMA 長岡省吾 資料集成後援会
55052501 広島あの日から-Hiroshima Rebuilds[写真集] 長岡省吾 広島市原爆資料集成後援会
61103001 HIROSHIMA 原子爆弾による被害状況 長岡省吾 原爆資料集成保存会
63133304 広島・長崎原爆関係文献目録〔増補版〕 [広島市立浅野図書館編]
65101501 原爆記念文庫所蔵原爆関係文献目録-昭和40年8月31日調 原爆資料保存会(編)
67042501 広島を訪れた内外人の感想文集 原爆資料保存会(編) 原爆資料保存会
68010101 ひろしまHIROSHIMAその訴え 原爆資料保存会(編) 原爆資料保存会
68011504 ヒロシマ原爆参考資料-原爆ドーム保存工事完成記念 朝日新聞社本社企画部・広島平和記念資料館(編)
68070103 ヒロシマ原爆参考資料集-原爆ドーム保存工事完成記念 朝日新聞社東京本社企画部・広島平和記念資料館(編) 広島平和記念資料館
68080602 原爆被災資料目録-昭和43年8月6日調〔増補改訂版〕 原爆資料保存会(編)
68133312 ひろしま・その訴え 原爆資料保存会
69062001 HIROSHIMA 長岡省吾
69080104 ひろしま・世界平和の聖都 広島原爆資料保存会編
69080608 原爆被災資料総目録第1集 原爆被災資料広島研究会編集委員会(編) 原爆被災資料広島研究会
69083308 ひろしま-平和の聖都 原爆資料保存会編
70072002 HIROSHIMA 長岡省吾
71091001 広島を訪れた内外人の感想文集その2 原爆資料保存会(編)
74033302 ヒロシマ-平和公園 原爆資料保存会編
74043301 広島原爆被害の参考要目 広島平和記念資料館(編)
75?? ヒロシマ[写真集]HIROSHIMA A-BOMB am 8:15 August 6, 1945 原爆資料保存会(編) 原爆資料保存会
77023303 ヒロシマ・平和公園 原爆資料保存会(編)
77133305 慰霊碑・広島 脇田守(編) 原爆資料保存会
78023311 広島原爆被害の概要 広島平和記念資料館編
78033304 広島原爆被害の概要〔改訂版〕 広島平和記念資料館(編)
78052001 ヒロシマ,ひとりからの出発 高橋昭博 筑摩書房
79072002 ヒロシマに,なぜ-海外よりのまなざし 小倉馨 溪水社
81080103 「ヒロシマの心」を若い世代に 高橋昭博 原爆資料保存会
82063305 ヒロシマの心[組写真集] 原爆資料保存会 横田工
82080605 遺品は語る 森下一徹(写真)・深沢一夫(文) 汐文社
82080609 子どもたちの見たヒロシマ-修学旅行感想文集 文沢隆一(編)広島平和記念資料館(監修) 汐文社
82110101 きみはヒロシマを見たか-広島原爆資料館 高橋昭博・NHK取材班(文)・土田ヒロミ(写真) 日本放送出版協会
82112401 ヒロシマの証 土田ヒロミ(写真)・杉原正・兼口芳成(文) 岩波書店
82133308 ヒロシマの心 原爆資料保存会(編)
83033306 広島原爆被害の概要[改訂第5版] 広島平和記念資料館
83072001 絵本・ヒロシマのおとうさん-ヒロシマの心を子どもたちに 高橋昭博(文)四国五郎(絵) 汐文社
83090501 Hiroshimaヒロシマ・土田ヒロミ 朝日新聞社(編) 朝日新聞社
84081001 ヒバクシャのこころ 高橋昭博 汐文社
86023305 広島原爆被害の概要[2版] 広島平和記念資料館(編) 広島平和記念資料館
86033311 広島平和記念資料館-ヒロシマをみつめて 広島平和記念資料館(編) 広島市市長室
87033306 [広島平和記念資料館]30年のあゆみ 広島平和記念資料館(編) 広島平和記念資料館
87033308 広島平和記念資料館-ヒロシマをみつめて(第2刷) 広島平和記念資料館(編) 広島市市長室
89030103 広島平和学習レポート-1988.10.25~28修学旅行資料集 神奈川県立東金沢高等学校第九期生旅行委員会(編) 神奈川県立東金沢高等学校第九期生旅行委員会
89070501 広島原爆被害の概要 広島平和記念資料館
94033303 広島原爆被害の概要 広島平和記念資料館
95061901 ヒロシマいのちの伝言-被爆者高橋昭博の50年 高橋昭博 平凡社
95073103 ヒロシマ・コレクション-広島平和記念資料館蔵 土田ヒロミ(撮影) NHK出版
96033103 ヒロシマの被爆建造物は語る-被爆50周年・未来への記録 被爆建造物調査研究会 広島平和記念資料館
97073302 きのこ雲の下に子どもたちがいた-平成9年度企画展 広島平和記念資料館
97110101 公園の下に眠る街、爆心地・中島地区-平成9年度企画展 広島平和記念資料館
98043301 広島平和記念資料館ハンドブック 広島平和記念資料館
98071701 子どもたちの戦場-集団疎開、おとうさん おかあさんと離れて 広島平和記念資料館
99020101 銃後を支える力となって-女性と戦争-平成10年度第2回企画展 広島平和記念資料館
99033101 ヒロシマを世界に-図録・広島平和記念資料館 広島平和記念資料館
99070701 焼け跡に響く子どもたちの声-焦土から平和記念都市へ 広島平和記念資料館・広島市公文書館 広島平和記念資料館
99080201 メリーランド大学「プランゲ文庫」展・展示目録 広島平和記念資料館

 

年表:広島原爆資料館

年表:広島原爆資料館

1951(昭和26)年~1969(26年)

Y M D NEWS1
51 02 12 広島市、平和記念館の陳列館の入札を実施。大林組が落札。[原爆資料館]
51 02 15 広島原爆資料館工事着工。設計:丹下健三計画研究室。施工:大林組。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
54 11 29? 広島市、原爆資料の収集・保存・陳列のための原爆資料館条例の立案進める。
55 08 06 広島平和記念資料館[広島原爆資料館]、完工し、原爆資料展示会を開催。
55 08 06 広島平和記念資料館、助役直属として設置される。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
55 08 18 広島市、平和記念施設管理事務所を助役直属として設け、広島原爆資料館もこれに所属。[「遺品は語る」]
55 08 24 広島平和記念資料館(広島原爆資料館)、開館。建設費(1951年~55年度)3167万円。
55 09 05 長岡省吾、広島原爆資料館の初代館長に就任(~1962年1月31日)。[「遺品は語る」]
56 01 22 広島原爆被害者連絡協議会、5月に開催予定の原子力平和利用展について、原爆資料館を会場とすることに反対声明を発表。原子力の平和利用には被害者補償・原爆症治療促進が伴わねばならないとの見解。(朝日新聞)
56 01 25 広島市当局、市議会産業委員会で、原子力平和利用展開催中は原爆資料館の資料を公民館に移す意向を表明。被爆者、遺品を移すのは心外だと反発。
56 02 06 原爆被害者連絡協議会世話人会代表岡本嵯峨次・島本正次郎・温品道義・小松きくえ・山田静代、5月の原子力平和利用博覧会に原爆資料館を使用することに反対し、広島市に善処を申し入れ。
56 05 27 広島原子力利用博覧会(広島県・市など主催)、広島市平和記念公園の平和記念館・原爆資料館で開催(6月17日まで、約11万人入場)。藤居原・水協事務局次長、平和利用に先だって原爆症に対する治療・予防の研究を第一目標に置いて欲しいと談話。
56 11 原爆資料保存会、発足(会長:長岡広島原爆資料館館長).
57 07 31? 東京都在住の斉藤実,呉の旧海軍病院から原爆投下3分後に撮影したきのこ雲の写真を広島原爆資料館に寄贈(産経時事).
59 07 31? 堀沢代(広島市在住)、原爆被爆者治療時に使用した救護隊腕章や米軍ビラを広島市の原爆資料館に寄贈。
60 08 17 浜井広島市長、広島平和記念資料館(原爆資料館)の移設の意向を表明。
62 02 01 森弘助治、広島原爆資料館館長(第2代)に就任(~1970年3月31日)[「遺品は語る」]
63 12 28 広島原爆資料館の入場者、ことし1年で80万人。昨年より20万人増加。うち20%の15万9000人が外人観光客。
64 04 01 広島市、平和記念施設管理事務所を廃止。広島原爆資料館は総務局の所属となる。[「遺品は語る」]
64 05 19 西日本磁波(株)、広島原爆資料館館内で解説テープ(英語版)の貸出を始める。吹き込みは岩国米軍放送のアナウンサー。[「遺品は語る」]
65 04 広島原爆資料保存会、原爆資料館に原爆記念文庫を設置.1500点の文献.6月6日から一般公開.
65 06 06 原爆記念文庫開く。原爆資料保存会が広島原爆資料館内に開設。体験記録、原爆文学、医学、原子科学など1550点を公開。
66 12 27 広島平和記念資料館展示協議会要綱設置。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
67 02 16 広島平和記念資料館展示協議会第1回会議を開催。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
67 04 25 広島平和記念資料館展示協議会第2回会議を開催。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
67 07 03 日高六郎、広島で開催中の全国自治研集会の記念講演で原爆資料館展示品の全国巡回公開を提案。
67 09 05 広島市・朝日新聞社、ヒロシマ原爆展を東京・松阪屋で開催。被災者の遺品、壁面に残る黒い雨など78点。大阪・仙台・札幌・名古屋・北九州でも。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
68 02 広島原爆資料館、館内展示物総括説明版に6か国語表示。[「遺品は語る」]
68 07 02 広島市・長崎市・朝日新聞社、「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を本土9会場(福岡・熊本・北九州・東京・名古屋・静岡・横浜・京都・四日市)と沖縄で開催。~11月28日。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
68 07 26 明仁皇太子夫妻、山陽路訪問中、広島原爆資料館を見学。[「遺品は語る」]
68 12 04 広島市、市長決裁により1969年1月3日を広島原爆資料館を開館日とする。[「遺品は語る」]
69 08 02 常陸宮夫妻、広島原爆資料館を見学。[「遺品は語る」]
69 11 02 広島平和記念資料館条例施行規則を一部改正し、毎年1月3日を開館日とする。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
69 11 11 広島原爆資料館、廃墟と化した広島市街地のパノラマ(1000分の1)の製作を古田耕三に委託。製作費298万円。[「遺品は語る」]

1970(昭和45)45(昭和52)年

Y M D NEWS1
70 04 01 小倉馨、広島原爆資料館館長(第3代)に就任(~1972年3月31日)[「遺品は語る」]
70 07 02 広島市・長崎市・朝日新聞社、原爆国内展を高崎・浜松・長野・東京・札幌・函館で開催。~8月30日。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
70 10 19 広島原爆資料館、館内ロビーに「対話ノート」を設置。[「遺品は語る」]
70 11 広島原爆資料館、「広島原爆被害の参考要目」を発行。[「遺品は語る」]
71 01 26 広島市紙屋町、住友銀行広島支店新築で旧館玄関石段の〃死の影〃が原爆資料館へ被爆時の熱線で座っていた人の影が焼きつけられたもの。この日切り取り工事。二月二日に資料館に移る
71 04 20 広島原爆資料館、総務局から広島平和文化センターの所轄となる。[「遺品は語る」]
72 02 18 広島市が編さんしていた「広島原爆戦災誌」全5巻が10年ぶりに完成。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
72 04 01 広島原爆資料館観覧料の収納事務を原爆資料保存会に委託するため、資料館条例を一部改正。[「遺品は語る」]
72 04 01 浜崎一治、広島原爆資料館館長(第4代)に就任[「遺品は語る」]
72 07 09 広島平和公園爆心復元委員会、中島地区の復元銅板図(縦4メートル、横3メートル、重さ500キロの青銅製)を広島市に寄贈。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
72 11 広島市企画会議、平和記念資料館整備改善計画(1973~75年度)を承認。73年度5119万円、74年度9751万円、75年度17021万円、計3億1890万円。
73 02 01 被爆資料収集に努めた長岡省吾(初代広島原爆資料館長)死去
73 05 09 米軍が持ち帰った広島、長崎の被爆資料、28年ぶりに広島大原医研に届く。病理標本、カルテ、被爆直後の写真など。広島市関係1万1131点、長崎市関係1万2147点。[広島原爆資料館][「遺品は語る」]
73 07 31 広島原爆資料館、被爆人体模型(ジオラマ)を製作。京都・西尾製作所、費用350万円。[「遺品は語る」]
73 09 岩崎友吉東京国立文化財研究所修復技術部長、広島原爆資料館の被爆資料の保存状況についての所見をまとめる.風化の危険を警告.
73 12 01 広島原爆資料館の大幅改修工事始まる。3ヶ月間休館。広島平和記念館で仮展示。総工費2億2000万円。
74 02 18 広島市、昭和49年度当初予算案を発表。平和記念公園・原爆資料館の整備費1億500万円など。
74 04 01 荒田誠之助、広島原爆資料館館長(第5代)に就任。(~1976年3月31日)
74 11 27 広島原爆資料館、展示改装の基本設計と実施設計をデザインワークショップ方円館坂本和正に委託。委託料250万円。[「遺品は語る」]
75 06 01 広島原爆資料館、展示室改装のため、2ヶ月間展示を北側ロビーで実施。[「遺品は語る」]
75 08 01 広島原爆資料館、開設以来20年ぶりの大改装を終え、開館。[「遺品は語る」]
76 04 01 矢野俊夫、広島原爆資料館館長(第6代)に就任。(~1979年1月16日)。広島平和文化センター局が廃止され、資料館は総務局所属となる。
76 06 01 広島原爆資料館、総務局から市長室へ所属替えになる。[「遺品は語る」]
76 06 26 広島原爆資料館、館内ロビーに長崎の原爆被災資料を展示。[「遺品は語る」]
76 06 26 広島平和記念資料館に「長崎コーナー」開設。(「平和の推進」)。
77 03 11 広島原爆資料館の“被爆パノラマ”大掃除。
77 03 26 広島市長、アウシュビッツ市長の話し合いで広島原爆資料館とアウシュビッツ博物館の姉妹提携決まる。
77 06 18 安芸郡の武田シヅコ、被爆資料約150点、広島原爆資料館に寄贈。
77 06 19 広島市の原爆資料館と平和記念館で、原爆説明文の記述に食い違いがあることが判明。
77 07 31? 7月末までの広島原爆資料館外人入館者、増加。
77 08 06 8月6日の広島原爆資料館の入場者、昨年より大幅増。「対話ノート」に様々の感想記入。
77 08 23? このほど呉市在住の高校教諭、広島原爆資料館の説明テープにエスペラント語加えようと翻訳作業開始。
77 08 24 このほど広島原爆資料館への被災資料の寄贈相次ぐ。この1ケ月で7件。
77 11 02 広島学院中学生、原爆資料館の英訳展示に多くの間違いを指摘。
77 11 06? 近く、広島原爆資料館英訳ミスの多い展示板の修正始める。(11/2)
77 12 14 広島市の空博行、被爆8ケ月後の広島市の中心部を撮影した写真原板を原爆資料館へ寄贈。

 

Y M D NEWS1
78 01 01? 広島原爆資料館、資料の永久保存のための実験を近く開始。
78 02 22? 広島市、広島原爆資料館・平和記念館の外装の修理を、8月以降に行うと発表。工事費448万円。
78 03 13 広島原爆資料館の「対話ノート」がきっかけで肉親の消息が判明。
78 03 17 広島原爆資料館の「対話ノート」がきっかけで、いとこ同士が37年ぶりで再会。
78 04 19? 広島原爆資料館、52年度(3月末まで)の入館者数発表。3年ぶりに減少。
78 04 22 広島平和記念館・広島原爆資料館合同で、第1回特別展「最近寄贈された被爆資料展」を平和記念館で開催。(7月20日まで)
78 05 10 広島市、庁内関係課長等12人で構成する原爆遺跡選定調査会議を設置(広島市資料)。原爆に関係のある155件の建物・橋梁などが候補にのぼるが、そのうち重要なものとして41件を選ぶ。[広島原爆資料館]
78 06 24 広島呉市のエスペランチスト、広島原爆資料館にエスペラント語の案内用テープを寄贈。
78 07 26 広島原爆資料館・平和記念館合同の被爆資料特別展「ヒロシマ動員学徒の遭難」開催。(11月23日まで)
78 07 28? 広島市在住の婦人、被爆死した長女の遺品を原爆資料館に寄贈。
78 08 05 原爆資料館、英文パンフレット「広島原爆被害の概要」を刊行。6日、外人客に配布。
78 08 19 原爆投下直後のキノコ雲を写したカメラ、広島原爆資料館に寄贈される。
78 08 28 元安川東岸で被爆カワラが大量に見つかり、広島原爆資料館調査開始。
78 08 29 軍服の被爆資料、松江市の婦人より広島原爆資料館に寄贈される。
78 08 30? 広島の被爆者、原爆の後遺症である“黒いツメ”を原爆資料館に寄贈。
78 09 22 広島市原爆資料館、元安川の被爆カワラについて、土産品扱いは困るので川から拾わないよう指示。
79 01 07 昭和21年当時売られていた“被爆絵はがき”、広島原爆資料館に寄贈される。
79 01 12 平和記念館・平和記念資料館の外装改修工事始まる。[広島原爆資料館]
79 01 16 小倉馨広島市市長室次長、広島原爆資料館の事務取扱となる。(~1979年3月31日)
79 03 28 広島原爆資料館長に、高橋昭博広島県被団協事務局次長が就任。
79 04 01 高橋昭博、広島原爆資料館館長(第7代)に就任。(~1983年3月31日)
79 04 05 愛知県の中学生、被爆者援護にと広島市の原爆資料館に寄金。
79 04 05? 広島原爆資料館・平和記念館の外装工事完了。(1月12日参照)
79 04 25? 泰緬鉄道建設に参加した元連合軍捕虜から、広島原爆資料館長のもとへ反核を訴える手紙が届く。
79 05 18 広島市在住の老女、被爆死した息子の遺品を広島原爆資料館に寄贈。
79 06 16 故ジュノー博士によって被爆直後に運び込まれた薬品等、広島原爆資料館に寄贈される。
79 07 21 広島原爆資料館、オーディオガイドに韓国語(ハングル)版を追加。9カ国語となる。
79 07 25 広島原爆資料館、被爆資料の貸し出しを開始することを決定。
79 07 26? 広島県在住の婦人、被爆死した息子の遺品を原爆資料館に寄贈。
79 07 31? 広島平和記念資料館[広島原爆資料館]、「対話ノート」の内容整理し、出版する計画を進める。
79 08 01 広島平和記念資料館、収蔵資料の無料貸し出し制度を開始。[広島原爆資料館]
79 08 02 広島市沼田公民館で、原爆資料館の資料貸し出し第1号が展示される。
79 08 06 被爆死した息子の遺品を寄贈した3人の母親、広島原爆資料館で対面。
79 08 13 広島福祉青年会議、広島原爆資料館などを車イスでも利用できるよう整備することを広島市に要望。
79 09 17 広島市の「原爆遺跡選定会議」(学者・文化人・平和運動関係者等市民代表15人で構成)の初会合開かれる。(「平和の推進」)。[広島原爆資料館]
79 11 22 被爆死した旧陸軍青年将校の遺品、広島原爆資料館に寄贈される。
79 12 04 広島平和記念資料館のコンクリート柱に落書きされているのが、発見される。
79 12 12 広島原爆資料館の被爆資料を他都市に永久貸与することを決定。
79 12 14 広島平和記念資料館に落書きした少年、補導される。
79 12 24? 広島市の身障者グループ、平和記念資料館見学し、身障者用設備の不備を訴え。
79 12 25 広島平和記念資料館、今年4月~11月末までの入館者数をまとめ公表。

1980(昭和55)1981(昭和56)年

Y M D NEWS1
80 01 29? 広島原爆資料館ピロティーの改装工事行われる。
80 02 28 広島原爆資料館、ジュノー博士の医薬品を展示。
80 02 28? 広島市平和記念公園内原爆資料館前の緑地帯の整備始まる。
80 03 04 米上院議員より、米で6月頃被爆写真展の開催が可能であるとの見通しを伝える手紙が、広島原爆資料館長のもとへ届く。
80 03 25 広島原爆資料館、「佐々木雄一郎原爆被災写真遺作展」を開催。全紙大の写真52点を展示。
80 05 07? 広島原爆資料館、54年度の入館者数・入館状況まとめる。(入館者数は前年度より10%増)
80 05 21 米での「広島原爆展」に展示される被爆資料、広島原爆資料館で梱包される。
80 06 09 広島青年会議所主催「広島原爆展」、米上院議員会館で開催。(13日まで)。高橋昭博広島原爆資料館長出席。
80 07 24 広島市在住の被爆者ら、被爆した食器など原爆資料館に寄贈。
80 08 03 広島テレビ制作のドキュメンタリー番組「戦争を知っているか①原爆資料館」、放送される。
80 08 04? 広島原爆資料館、米政府作成のレポート「核戦争の影響」の翻訳を完成。
80 08 05 被爆死した立命館大学の学生の遺族、原爆資料館の投書がきっかけで、当時の同級生と広島で対面。
80 08 06 横浜市在住の被爆者、被爆ズボン等を広島市原爆資料館に寄贈。
80 08 06 広島市の原爆資料館、開館以来最高の入館者を記録。
80 08 27 京都府立舞鶴養護学校生徒会から、広島原爆資料館に平和を訴える作品・手紙が届く。
80 09 04 京都府相楽郡の小学生の広島での平和学習についての感想文を掲載した町報、広島原爆資料館に届く。
80 09 04? 広島原爆資料館、夏休み中の入館者数など発表。開館以来最高の入館者数を記録。
80 09 09 京都市在住の被爆者、保存していた被爆資料を広島原爆資料館に寄贈。
80 09 13 広島原爆資料館、館内解説テープにヒンディー語を追加。全部で10か国語となる。
80 11 03 広島原爆資料館など設計した建築家丹下健三、文化勲章受賞。
81 01 19 米上院議員から、広島原爆資料館長のもとへ、レーガン政権にも軍縮を主張していくとの書簡届く。
81 01 20? 広島原爆資料館、昨年4月-8月の入館状況をまとめ発表。
81 01 27 広島市、原爆遺跡選定会議の選定した原爆ドームなど3カ所に説明板を設置し、除幕式。[広島原爆資料館]
81 02 07? 広島市、原爆資料館に、被爆体験を吹き込んだ「証言テープコーナー」を設置。
81 02 21? 岡山県真庭郡湯原中学校生徒、平和学習の成果を文集にまとめ、広島原爆資料館に届ける。
81 03 11 全米被曝退役軍人協会の機関誌、広島原爆資料館に届く。(それによると豪にも被曝退役軍人組織が結成)
81 03 11 米のE・ケネディー民主党議員の軍縮への決意を述べた書簡、広島原爆資料館に届く。
81 03 19? 広島原爆資料館、ローマ法王のアピールを米のマーク・ハットフィールド上院議員に送付。
81 03 20 広島原爆資料館、仙台市に被爆資料を永久貸与。
81 03 23 広島市の老カメラマン、被爆直後の広島市を写した被爆写真を広島原爆資料館に寄贈。
81 04 10 広島原爆資料館、昨年度の入館状況をまとめ発表。(それによると1955年開館以来の入館者が2000万人を突破。)
81 04 17? 広島原爆資料館に、海外から被爆資料請求する手紙相次ぐ。
81 05 02 宮崎県延岡市の中学生ら、昨年の広島への修学旅行の成果を文集にまとめ、広島原爆資料館に送付。
81 05 16 米政府関係者から、米下院で原爆展を開催したいとの手紙が広島市の原爆資料館に届く。
81 05 21 広島への原爆投下後、米空軍が京都でまいた宣伝ビラ、広島平和記念資料館へ寄贈される。(ビラは原子爆弾に言及)
81 06 03? 米国被曝退役軍人協会の機関誌、広島原爆資料館に届く。
81 06 16 広島に原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長P・チベッツより広島原爆資料館長へ書簡届く。
81 06 17? 広島で平和学習をした東京・横浜の高校生から、学習成果をまとめた文集が、原爆資料館に届く。
81 06 26 米国被曝退役軍人協会の機関誌、広島原爆資料館に届く。それによると、米政府は核実験参加米兵の精神障害を被曝の影響と認め補償金を支給。
81 06 29? 「エノラ・ゲイ」号機長P・チベッツより、広島原爆資料館長に手紙届く。米のテレビ映画「エノラ・ゲイ」について。
81 07 10 広島原爆資料館、米国立博物館に被爆資料を展示する運動を進めている米国日系市民協会に、協力を約束。
81 07 17? 広島市の日浦中学校で、原爆資料館館長を招き平和学習。
81 07 25 旧相生橋の橋げたの一部、広島原爆資料館で一般公開。[原爆遺跡]
81 07 25? 広島原爆資料館の対話ノートの出版を計画。
81 08 01 被爆直後の広島県知事告諭(7日付)、原爆資料館に寄贈される。
81 08 02 巡航ミサイル反対ウィンチェスター支部・世界軍縮運動連盟共催原爆写真展、英で開催。(英より写真展の新聞切抜など広島原爆資料館に届く)
81 08 03 「大阪府平和祈念戦争資料室」、開設。被爆資料も常設展示。(広島原爆資料館から永久貸与。)
81 08 03 広島原爆資料館長、「エノラ・ゲイ」号保存を進めている元機長に手紙を送付。
81 08 04 広島原爆資料館に、新しい館名碑設置。(株)岩崎大理石が寄贈。
81 08 04 広島原爆資料館館長、「オーストラリア被曝退役軍人協会」に核廃絶に向けて連帯を呼びかけ。
81 08 14 原爆で焼け残った防弾チョッキ、広島市の原爆資料館に寄贈される。
81 08 26 広島市、原爆資料館に原爆写真集を寄贈した被爆者に感謝状を贈る。
81 09 04 西独・ホーヘンフェルス市の市民、広島原爆資料館へ、近く開く“平和週間”への協力を依頼。
81 10 08 兵庫県在住の被爆者、被爆死した息子の遺品を広島原爆資料館に寄贈。
81 10 17 被爆直後の広島地方気象台の職員の活動を描いた「空白の天気図」の著者、同書百冊を広島原爆資料館に寄贈。
81 10 27 広島原爆資料館、館内西側に男女便所、身障者用便所の新設等の改装工事を実施。工費は2175万円。
81 11 18 広島原爆資料館高橋館長、横浜市の戸田平和記念館に、被爆資料として“黒い爪”を寄贈。
81 12 12? 米国被ばく退役軍人協会の機関誌「ニューズレター」最新号、広島原爆資料館に届く。核実験参加米兵にガンが続出し、社会問題化していることが判明。
81 12 22 米・ハットフィールド上院議員から核戦争偶発の危険性を指摘したレポート、広島原爆資料館に届く。

1982(昭和57)年~1983(昭和58)年

Y M D NEWS1
82 01 12? 広島原爆資料館、昨年1年間に同館を訪れた修学旅行生の数を集計。それによると、初めて40万人台に達する。
82 02 04? 英のキング・アルフレッド大学のデビット・ナイト博士、広島原爆資料館に、教材用原爆スライド作成のための資料提供を要請。
82 02 16 衆議院憲政記念館、「第5回憲政史特別展」を開催。-3月16日。広島原爆資料館の被爆資料14点を展示。
82 02 23 西独の市民グループが核廃絶の願いを込めて作った小冊子「二度と戦争はごめんだ」、広島市の原爆資料館に届く。
82 02 26 広島原爆資料館に「被爆者の証言コーナー」を新設するため、被爆者ら、被爆体験を録音。
82 03 04 尾道市在住の被爆者、被爆の影響とおもわれる変形の黒いツメを広島原爆資料館に寄贈、同館に展示される。
82 03 06? 米のキリスト教団体の反核パンフレット、広島原爆資料館に届く。同館館長の被爆体験記、1945年当時のテニアン島の従軍神父の証言など掲載。
82 03 17 広島原爆資料館に、被爆者の被爆体験をテープに吹き込んだ被爆証言コーナー、新設。8人の被曝体験者の声を収録。
82 03 21 広島原爆資料館・平和記念館、閉館時間を1時間延長。
82 04 01 広島市、高校生団体の広島原爆資料館入館料金の無料化を実施(小・中学生団体は無料)。
82 04 14 広島原爆資料館、昨年度の入館者状況をまとめ公表。それによると入館者数は過去最高。(128万人余入館。)
82 06 03 広島市、原爆資料館入館者を対象にした観光客調査結果を発表。
82 06 12? 米のマーク・ハットフィールド上院議員らから、核兵器凍結決議案・資料など、広島原爆資料館に届く。
82 06 25 広島市福祉青年会議、広島市に原爆資料館にエレベーターを設置するよう要望。
82 07 08 旧広島中電話局の被爆タイル、広島市原爆資料館に寄贈される。[原爆遺跡]
82 07 09 幟町国民学校跡から堀り出された被爆遺品、広島原爆資料館に寄贈される。
82 07 28 広島原爆資料館保存の資料の記録集「遺品は語る」(森下一徹・深沢一夫作)、刊行。
82 08 10 呉市の坪内小学校のエスペラントクラブの児童ら、広島原爆資料館を訪れ、同館のエスペラント語テープなど聴取。
82 08 18 広島原爆資料館高橋館長と交流を続ける神奈川県の青年、来広し同館を見学。
82 09 04 米・シカゴ市の日刊紙「シカゴ・トリビューン」記者によるヒロシマ特集記事、広島原爆資料館に届く。
82 10 07? 広島原爆資料館、4月~9月に同館を訪れた修学旅行者数を集計(約22万人)それによると昨年同期に比べ、26.6%増。
82 11 09 広島原爆資料館に英・オランダの教科書出版社から被爆資料提供依頼の手紙が届く。(海外からの依頼急増し、今年30件)
82 11 10 広島原爆資料館を訪れた修学旅行生数が過去最高になったことが判明。(11月8日現在、40万4253人。)
82 12 03 スウェーデンのオロフ・パルメ首相から、広島原爆資料館に反核を誓う手紙が届く。
82 12 03? 広島原爆資料館を見学した印象を綴った修学旅行生らによる感想文集、同館に届く。(東京・大阪・鳥取などから。)
82 12 04? 広島原爆資料館の展示資料を紹介した「きみはヒロシマを見たか」、刊行。
83 01 11 広島市の遺族ら、被爆死した子らの遺品を広島原爆資料館に寄贈。学生服など。
83 01 17 山口県在住の遺族、広島市内で被爆死した息子の遺品(学生服)を広島原爆資料館に寄贈。
83 01 22 米人牧師のヒロシマでの見聞をうたった反核詩集、広島原爆資料館に届く。
83 01 31 広島原爆資料館、5月にデンマークで開催される「日本展」で展示する被爆資料を発送。
83 02 99 広島原爆資料館に被爆資料の寄贈相次ぐ。(今年に入って、17点寄贈される。)
83 02 99 ハットフィールド米上院議員から、広島原爆資料館長宛に手紙届く。その中で、レーガン軍拡路線に反対する意向を表明。
83 03 09 広島市、原爆資料保存会が原爆資料館で経営している売店を撤去する方針を発表。
83 03 10 米の平和団体から世界核軍縮デーを呼びかけるメッセージが、広島原爆資料館に届く。6月20日を「世界軍縮デー」にすることを提唱。
83 03 31 米のエドワード・ケネディ上院議員から、米議会内外での「核凍結」運動を伝える手紙が、広島原爆資料館長に届く。
83 04 01 高橋昭博、広島原爆資料館長、退任。広島平和文化センターに転出。
83 04 01 川本義隆、広島原爆資料館長(第8代)に就任。
83 04 99 米のエドワード・ケネディ上院議員から、広島原爆資料館前館長に米議会で審議中の核凍結決議案に対する支持を訴える手紙が届く。
83 05 13 広島原爆資料館昨年度の入館者状況をまとめ発表。入館者数は過去最高の136万8989人。
83 06 22 広島県御調郡在住の被爆者遺族、弟の遺品(被爆資料)を広島原爆資料館に寄贈。
83 06 99 (4.23.)今春来広した中国人民日報訪日代表団の団長、平和をたたえる漢詩を広島原爆資料館に寄贈。
83 07 11 広島市の遺族、被爆死した夫の遺品を原爆資料館に寄贈。
83 07 19 広島市の被爆者遺族、夫の形見を広島原爆資料館に寄贈。
83 07 30 広島原爆資料館に被爆資料の寄贈相次ぐ。(30日現在)38人より、121点。
83 08 01 広島原爆資料館、開館時間を1時間延長。(午前9:00~午後6:00、11月未まで)
83 10 01 広島原爆資料館の業務を委託されていた原爆資料保存会の不祥事で、同資料館、広島平和文化センターに業務を委託。(従業員の顔ぶれ変らず)
83 10 01 広島市、原爆資料館にあった売店を広島平和記念館一階に移設。
83 11 11 広島原爆資料館内の長崎コーナーの移設作業開始。(見学者の目に留まりやすい館内巡路の出口付近に移設)、(13日まで)

 

1984(昭和59)年~1987(昭和62)年

Y M D NEWS1
84 04 99 広島市、平和記念資料館(原爆資料館)と平和記念館を一体化する方針を打ち出し原案づくりを開始。
84 04 99 広島市の原爆資料館、1983年度に同館を「公式訪問」した外国人数を発表。1983・4‐1~1984・3.未:118人cf1974年度1975年度は各6人
84 05 08 広島原爆資料館昭58年度の入館者数をまとめ発表。それによると135万1104人、7年ぶりに前年度を下回る。うち修学旅行生は49万8657人(3,339校)
84 05 28 広島原爆資料館濡水防止のための補修工事開始。(7日完成予定)。(見学には支障なし)
84 06 99 広島市、原爆資料館で配布している小冊子「広島原爆被害者の概要」(A5、16ページ)の中国版を発行することを決定。
84 07 27 長崎市の平和祈念像の作者北村西望の書(「平和祈念」)平和祈念像のミニチュア、広島市に寄贈される。(原爆資料館に展示)。
84 08 99 広島市に投下された原爆で感光した旧広島陸軍病院赤十字病院のレントゲンフィルム、原爆資料館で展示。
84 10 99 広島平和文化センター原爆資料館貸し出し用の被爆資料の利用が伸び悩み。現物資料貸し出し1982年度27件 83年17件(84年9月末で13件)。
84 11 19 広島市の被爆者吉川清、被爆資料193点を原爆資料館に寄贈。
85 03 14 広島国際平和文化会館の基本設計、決定原爆資料館、平和記念館を一体利用することを計画。
85 03 99 広島市、原爆資料館所蔵の資料の台帳を作成することを決定。(2年計画で取り組み)。
85 05 09 広島原爆資料館、入館者数などをまとめ発表。入館者数約144万7447人で過去最高。小・中・高校生の団体入館が増加。
85 08 29? 広島市の原爆資料館に、海外から原爆資料の送付を依頼する手紙など、相次ぐ(8月に入って42通目、昨年の2.5 倍) 。
85 09 20 広島市の平和記念施設展示基本構想検討委員会、同市内で、初会合開催。原爆資料館・国際平和文化会館 (仮称) などの運営について協議。
85 10 07 広島原爆資料館、同館が保存している被爆資料( 約6800点) の写真台帳の作成を開始。
85 10 23 ブラジル・サンパウロ市で、「広島被爆四十周年記念平和展」( サンパウロ州立美術館・日伯毎日新聞社主催)、開催( 11月10日まで) 。広島市、原爆資料館の資料を貸し出し、同館長を派遣。
85 11 01 ブラジル・サンパウロ市での原爆平和展に出席した広島原爆資料館館長、帰広し、同展のもようを報告。
85 12 01? 広島市の原爆資料館の調査で、同市内の小・中学校生徒の約 1割が同資料館を見学していることが判明。
85 12 12? ブラジル・サンパウロ市で開かれた原爆展(10.23 -11.10 )について報道した現地の邦字新聞、広島原爆資料館に届く。それによると、入場者数約 7万 5千人。
86 02 26 ビキニ水爆実験で被ばく、死亡した久保山愛吉の声を記録したテープの複製テープ、広島市の原爆資料館に寄贈される。
86 03 18? 広島原爆資料館、同館保存の資料の新台帳づくりで、約5800点の資料の写真撮影を完了。
86 05 20 広島市の原爆資料館、昭和60年度の入館者数まとめ、発表。それによると総入館者は 144万人、うち 4割が修学旅行生。これまでの最高の59年度より約5500人減。
86 08 13 原爆資料館、「広島原爆被害の概要」フランス語版・スペイン語版を作製、配布を開始。
86 08 15 広島市佐伯区の奥田寿雄、花瓶などの被爆遺物を原爆資料館に寄贈。
86 12 17 「ヒロシマを語る会」のメンバー、広島市の原爆資料館の朝鮮人・韓国人被爆者の資料の改善を求める大阪市などの中学生らの要望書を同資料館に提出。
86 12 19 広島市、「平和記念施設展示基本計画検討委員会」を設置。[広島原爆資料館]
87 03 28 人間の指の跡をとどめたガラスの薬瓶、広島市の原爆資料館に寄贈される。
87 05 07 広島原爆資料館、昭和61年度の入館者数をまとめ発表。それによると入館者数約142 万6千人で前年度に比べやや減。
87 05 18 「ストップ・ザ戦争への道!ひろしま講座」など、広島が軍都だったことを示す資料を原爆資料館に展示するよう広島市に申し入れ。
87 06 20 広島平和記念施設展示基本計画検討委員会、原爆資料館の新展示の基本計画をまとめ、発表。展示の見直しは、1955年の開館以来初。
87 06 27? 広島原爆資料館・平和記念館の「記帳ノート」、450冊を超える。(資料館では1970 年から、記念館では1983年からノートを設置。)
87 07 24 広島市の原爆資料館、大阪市の中学生の申し入れで、朝鮮人被爆者についての記述を訂正。
87 08 02 テレビ番組「ドキュメント’87 ・ヒロシマをみました・原爆資料館対話ノート・」 (広島テレビ)、放送。
87 08 05 広島市の被爆者遺族、被爆時に着用していた妻の衣類を原爆資料館に寄贈。
87 08 10 広島市の原爆資料館、同館の歴史をまとめた「30年のあゆみ」(B5、66ページ)を 刊行。
87 08 12 広島市の元職員黒田清史、広島市の原爆資料館に被爆資料19点を寄贈。
87 10 06? 広島市、原爆資料館のパノラマを作り替えることを決定。旧県庁・市役所などの主な施設の場所表示ランプの設置などを計画。
87 10 07 広島市、平和記念公園内の原爆資料館・碑などに、夜間照明をあてることを決定(23日から30日まで実験的に実施)。
87 10 24? 秋の観光シ-ズンで、広島市の平和記念公園など修学旅行生でにぎわう。原爆資料館入館者数、1万人余。
87 11 27 「韓国の原爆被害者を救援する市民の会」など、広島市に、原爆資料館に「加害者コーナー」を設置することを要望。
87 12 25 広島文化センターの高橋昭博事業部長、自分の指に生えていた黒いつめを被爆資料として原爆資料館に寄贈。

 

1988(昭和63)年~1990(平成2)年

Y M D NEWS1
88 02 24 広島原爆資料館の入館者数、1955年開館以来通算3000万人を突破。
88 04 28 広島原爆資料館、昭和62年度の入館者数をまとめ発表。それによると入館者数は約14 4万人で、開館以来3番目の記録。
88 06 03? 広島市、平和記念公園内の原爆資料館付近のアスファルトをみかげ石の石畳に切り替えることを決定。11月着工、来春完成予定。
88 07 16 広島市の唐津幹雄、父の形見の被爆仏像を原爆資料館に寄贈。
88 08 15 広島市の原爆資料館で、終戦記念日を迎え入館者倍増。
88 10 29? 広島市平和記念公園で原爆資料館周辺のアスファルトを石畳に模様替えする工事を開始。
88 11 04 広島市の旧警察練習所で被爆死した警察官のサーベルと短刀、安芸郡府中町の遺族宅で見つかり、原爆資料館に寄贈。
89 02 16 広島平和記念資料館、同館所蔵の被爆資料の風化に対して、抜本的な永久保存対策に着手する方針を決定。
89 02 20 広島市、消費税導入による使用料などの値上げを新年度予算案に計上。原爆資料館入館料(50円)は端数処理で据え置き。
89 05 01? 広島市、「広島平和記念施設展示基本構想」をまとめる。それによると、原爆資料館を「被爆体験継承の場」、記念館を「平和学習の場」と位置づけ、来年4月から改修工事を開始。
89 05 17 旧広島地方貯金局(中区千田町)の被爆タイル、原爆資料館に寄贈される。[原爆遺跡]
89 05 20? 広島市の原爆資料館に置かれた原爆ドーム保存募金箱に、修学旅行生らの募金相次ぐ(17日現在、114万円)。
89 05 25? 広島市による「ひかり感覚都市ひろしま」計画、まとまる。それによると、「平和記念公園周辺河畔ゾ-ン」として、原爆資料館・碑などのライトアップを計画。
89 06 01 広島市、原爆資料館の1988年度の入館者数をまとめ発表。それによると、入館者数は145万人で、1955年開館以来最高。このうち修学旅行生が39%。
89 07 30? 広島市の原爆資料館の改装構想、まとまる。それによると被爆直後の市街地のパノラマの作り替え、被爆者遺品コーナーの設置などを計画。1990年4月着工予定。
89 09 09? 広島原爆資料館、被爆実相を伝える「ヒロシマをみつめて」の英語版(A5、32ページ)を出版。第9回核戦争防止国際医師会議(IPPNW)世界大会参加者らへの配布を計画。
89 10 12 広島市の平和記念館、改修工事のため休館(1990年3月まで)。原爆資料館の改修工事に伴い、同館資料を仮展示するため。
89 11 06 広島平和記念館の改修工事、開始。1990年の原爆資料館改修に伴い、同館の展示物を置くための仮展示場を設置するため。
89 11 30 広島市平和記念公園の原爆資料館南側で、アスファルト面をみかげ石の石畳に模様替えする工事を開始。
90 02 22? 広島市の原爆資料館と平和記念館の建て替え計画の内容が判明。資料館は9月から改修、来年8月完成予定、記念館は9月着工。
90 02 23 広島市の原爆資料館などに「加害者コ-ナ-」を設置する問題で、市が同コ-ナ-設置に消極的な姿勢を示していたことが判明。
90 03 14 広島県議会予算特別委で、水馬義輝みづま工房社長が、文化行政について意見陳述。その中で、原爆資料館について、「あんな悲惨なものをいつまで飾っておくのか」と発言。
90 03 15? 広島市の原爆資料館の改修工事を前に、同館の母子人形像をめぐって、市側と被爆者の考え方が対立し議論再燃。被爆者ら、人形がきれいすぎると批判。
90 04 01 広島市の原爆資料館、改装工事のため、閉館(1991年7月末まで)。被爆資料(約600点)は平和記念館の仮展示場に移設。
90 05 15? 広島市の原爆資料館の平成元年度の入館者数、発表。それによると総入館者数は157万人余で、開館以来最高。
90 06 26 「今、平和公園のあり方を問うシンポジウム」実行委、広島市長に同シンポ(7月15日)への出席を要請(7月12日にも再要請)。韓国人原爆犠牲者慰霊碑問題・原爆資料館展示などを討議の予定。
90 07 12? 広島市平和記念公園内の「全損保の碑」、原爆資料館などの改修に伴い、移設工事を開始。
90 08 02 原爆投下直前に米軍機が落とした爆発観測用装置の落下傘の一部が、広島市の原爆資料館に寄贈される。
90 08 29 広島市の被爆者遺族、被爆した茶器を広島市の原爆資料館に寄贈。
90 09 12 広島市の原爆資料館の改修工事、開始(工事に先立ち、3月末に閉館。1991年8月オープン予定)。
90 09 30 仏カーン市で、原爆写真展開催(広島市国際交流協会・カーン市共催、10月5日まで)。広島原爆資料館所蔵の被爆写真などを展示。

 

1991(平成3)年~1993(平成5)年

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91 01 26? 湾岸戦争開始以来、広島市の原爆資料館の入館者が増加し、同館の「対話ノート」に戦争反対を訴えるメッセージが相次ぐ。
91 05 01? 広島市の原爆資料館長川本義隆、人事移動で留任が決まり、平和の大切さを訴えていきたいとの抱負を語る。
91 05 21 広島原爆資料館の川本義隆館長、改装中の同資料館の展示方法について、原爆の恐さだけでなく、人間社会の「心の物差し」に訴える内容にするとの方針を発表。8月1日新装オープンの予定。
91 05 21 広島原爆資料館、1990年度の入館者数を発表。それによると、入館者数は150万4618人で、開館以来二番目に多く、2年連続150万人台を記録。前年度に比べると、約7万8000人減。平和学習の修学旅行で訪れた学校数は、過去最高の3900校。
91 05 22? 広島市の原爆資料館、原爆の閃光を浴びた人の影を残した住友銀行広島支店の「人影の石」の風化が進み、影のコントラストが薄れてきたため、保存方法の検討を開始。[原爆遺跡]
91 07 16 広島市の原爆資料館で、廃墟の市街地を再現したパノラマの設置が完了し、改修工事をほぼ終了。
91 07 26 広島平和記念資料館、全面改装工事を終え、報道関係者に公開。
91 08 01 被爆直後の広島を撮影したカメラマンら、新装オープンした原爆資料館の展示内容に不満を表明。写真の展示数が大幅に減ったのに加え、廃墟の再現などが「つくり物」のようだとコメント。
91 08 01 広島原爆資料館、1年4ヶ月の全面改装を終え、新装開館。開館式には広島市長ら約100人が出席。遺品の展示を増やし、映像・模型を駆使して展示内容を一新。広島市の被爆者遺族、寄贈した長男の遺品の三輪車に対面。
91 08 06 テレビ番組「プラス1スペシャル『生まれ変わった原爆資料館』」(広島テレビ)、放送。
91 08 06 広島市の原爆資料館、改装後初の8月6日を迎え、入館者は1万1500人で1日の開館以来最高。
91 08 15 広島市原爆資料館の入館者、1万2000人。6日の入館者1万1500人を上回り新装開館以来最高を記録。
91 09 13 米軍戦略爆撃調査団の海軍写真班員が被爆直後の広島を撮影した写真・ネガ106枚が、広島市の原爆資料館に寄贈され、公開される。
91 09 15? 広島市の原爆資料館、連休で、団体客・家族連れなどの入館者が相次ぐ。15日は約8000人で例年の6割増。
91 10 31 広島市の障害者グループ、原爆資料館の展示が車イスからは見えにくいと改善を要望。
92 02 19? 広島平和文化センタ-、原爆資料館全面改装に伴い中断していた資料館の展示物解説テープの貸出を再開。
92 03 09? 広島市原爆資料館、原爆投下直後の廃墟を再現した円形パノラマを世界各国に貸し出すことを計画。
92 04 24 広島市の原爆資料館、平成3年度の入館者数を発表。159万人で過去最高。
92 06 14 平和展「ヒロシマ原爆」、沖縄県の南風原文化センタ-で開幕。-28日。広島市原爆資料館や広島平和文化センタ-から借り出した資料を展示。
92 06 26 広島市、平和記念公園の原爆資料館南側の石畳の補修工事を開始。370万円の予算。
92 06 30 広島市の原爆資料館に展示されていた被爆直後の市街地パノラマ、市立本川小学校の平和資料館に搬入。平和教材として再活用。
92 07 30 広島市の原爆資料館で薬を使って鳩を追い払う実験を実施。
92 08 06? 藤木チエ子(広島市在住)、被爆2年後に首筋から取り出したガラス片を広島原爆資料館に寄贈。
92 12 01 東広島市と同市原爆被爆資料保存推進協議会、原爆資料館の分館を福祉センタ-「松翠苑」に開設。
93 03 31 川本義隆広島原爆資料館館長、定年で退任。4月1日、原田浩が9代目の館長に就任。
93 05 19 広島市の原爆資料館、1992年度の入館者数をまとめる。143万4773人で4年ぶりに150万台を割る。
93 08 01 埼玉県平和資料館、オープン。広島・長崎の原爆被災のコーナーも設置。
93 08 05 第3回世界平和連帯都市市長会議の参加者約250人、広島市の原爆資料館を見学。

1994(平成6)年~1995(平成7)年

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94 01 08 韓国ソウルの惟石国民学校の児童ら30人(広島市古田公民館の交流事業で広島に滞在中)、原爆資料館を見学。
94 02 16? 広島市、平和記念館と原爆資料館を一体として運営する方針を決める。
94 03 16 広島市、平和記念資料館の東館(旧記念館)について、西館(旧資料館)に対し過去の歴史を反省し「つくり出す平和」の視点から積極的に企画展を開催する意向を、市議会予算特別委員会で表明。
94 03 24 広島市の原爆資料館の支柱に落書きがあることが判明。
94 03 31 広島市、春の定期移動を発令。新たに平和担当理事を新設し、原田浩原爆資料館長を発令。
94 04 06 ピーター・ダンカン英国ブラッドフォード大学平和学部助教授、広島市の原爆資料館を見学。
94 05 20 広島市平和記念資料館、1993年度の入館状況を発表。139万人で過去10年間の最低。
94 05 21? 広島平和記念資料館南側の石畳への化粧直し工事完了。
94 05 24 第2回国連軍縮広島会議の参加者、原爆資料館を見学。
94 05 26 広島女学院大学で平和学習を行っている米バージニア州のランドルフ・メイコン大学の学生8人、本川小学校の平和資料館・平和公園などを見学。
94 06 01 広島市の平和記念資料館(原爆資料館)東館の開館記念式。約250人が参列。
94 06 01 原爆資料館東館(旧広島平和記念館)、開館。
94 08 04 広島平和文化センター、「核の半世紀-目撃者は語る」写真展を原爆資料館東館で開催。63枚のパネル写真を展示。-15日。
94 08 06 広島市原爆資料館の入館者は1万2000人以上。
94 09 08? 広島市の原爆資料館、アジア大会の期間中、開館時間を1時間延長することを計画。
94 09 13 広島市が呼びかけた「平和博物館会議」、原爆資料館東館で開催。埼玉県平和資料館・川崎市平和館・立命館大学国際平和ミュージアム・大阪国際平和センター・ナガサキ国際文化会館・沖縄県立平和祈念資料館・広島市原爆資料館の館長らが出席。
94 10 06 広島アジア大会関係者、この日までに1478人(うち選手は457人)が広島市の原爆資料館を見学。
94 10 12 2881人のアジア大会関係者が、この日までに広島市の平和記念資料館(原爆資料館)を見学。
94 10 15 広島アジア大会に参加しているタイの射撃とバトミントンの選手ら47人、広島市の原爆資料館を見学。
94 10 16 広島市の原爆資料館、広島アジア大会に参加した各国選手・役員など大会関係者の入館者数をまとめる。9月21日以来の累計は選手1994人、役員640人(選手団員全員の約4割に相当)、報道関係者938人、その他628人。
94 10 18 広島市の原爆資料館の通算入館者数が4000万人を突破。
94 10 19 広島市の原爆資料館、広島アジア大会に参加した選手ら関係者の入館状況をまとめる。9月21日から10月19日までの総入館者数は4330人。
95 01 10 広島市の原爆資料館東館の売店が1階から3階に移動。売上の回復を図るため。
95 02 24? 鳥取県の戦災を記録する会など、8月9日から4日間、米子市内で「戦争展」を開催することを計画。「広島原爆資料館から借りた原爆の絵」などを展示。
95 03 01 広島市の原爆資料館東館で「被爆直後の写真展「あのとき広島は」を開催。-4月20日。
95 03 20 広島市、米国での原爆展開催の事前調査のため、大原健次原爆資料館主幹を派遣。25日、帰任。
95 04 20 広島県、第40回全国植樹祭に出席する天皇・皇后の日程を発表。天皇として初めて広島市の原爆資料館を視察予定。
95 05 10 広島市、カナダ・モントリオール市が8月に開催する「広島展」に原爆資料館の被爆資料の貸出を決める。「50周年」海外展示決定の第1号。
95 05 12 広島市の原爆資料館、1994年度の入館者数を公表。141万7040人で東館開館の影響か3年ぶりに増加。
95 07 15 広島市の原爆資料館、企画展「ヒロシマの軌跡」を開催。-8月27日。
95 07 24 パグウォッシュ会議の参加者、広島市の原爆資料館を見学。
95 08 16 第2回平和博物館国際会議(オーストリア平和・紛争解決研究センター主催)、オーストリアで開催。日本から広島市原爆資料館・埼玉県平和資料館・丸木美術館・第5福竜丸展示館・立命館大学平和ミュージアムなどが参加予定。
95 08 16? ひろしま国体の広島市実行委員会、原爆資料館の無料入場券を国体リハーサル関係者に配布。
95 08 24 インド全ベンガル自治体労働者連盟のビジャリ・ミトラ共同書記長、広島市の原爆資料館を見学。
95 08 24 広島市原爆資料館、開館40周年を迎える。先着40人に記念品を贈る。
95 08 31 広島市原爆資料館。8月1か月間の入館者数をまとめる。25万6408人で過去最多。
95 09 03 中国・内蒙古青年文化芸術訪日団一行6人、広島市の原爆資料館を見学。
95 09 18? 広島市の原爆資料館、核をめぐる世界のニュースを掲示する「関連ニュース」コーナーを設置。
95 09 27 広島市東区の区民75人、平岡市長と原爆資料館を見学。
95 10 01 広島平和記念資料館、「原爆ドーム世界遺産化展」を開催。-13日。
95 10 16? 広島市の原爆資料館、ノーベル平和賞受賞が決まったロートブラットが7月に記帳した同館のノートをの公開。

1996(平成8)年~1997(平成9)年

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96 03 02 広島市の法輪幼稚園の年長組291人、原爆資料館を見学。
96 03 18 広島市の原爆資料館の1995年度の入館者数が4年ぶりに150万人を突破。
96 03 24 広島市平和記念資料館(原爆資料館)、「小学生の平和教室」を開催。小学生90人と保護者ら計160人が参加。
96 04 06 広島市、現代美術館と原爆資料館を結ぶ無料送迎バスを開設。
96 05 12? 広島市、西日本の小・中・高校に原爆資料館を訪れるよう呼びかける原田館長名の手紙を送付。
96 05 16? 広島市の原爆資料館の1995年度の入館者数は155万人(史上3位)であったことが判明。
96 07 20 広島市原爆資料館、常設展示されていない資料などを集めた「収蔵資料展-あの日、そして灼けついた記憶」を東館で開催。-9月1日。
96 08 02? 広島平和記念資料館、被爆資料の損傷の科学的調査とレプリカ(複製品)制作を計画。
96 08 04? 広島平和文化センター、原爆資料館の所蔵する被爆遺物をデータベース化し、インターネットで世界に発信することを計画。
96 11 27 広島県沖美町の主婦越智幸子、旧住友銀行広島支店の人影が自分の母であるとの説明を加えるよう広島市の原爆資料館に申し入れ。
96 12 27 広島市の原爆資料館、「人影の石」が自分の母と名乗り出た越智幸子に、申し出のあったことを説明に書き加える方針を伝達。[原爆遺跡]
97 01 04 広島市の原爆資料館、劣化が進む被爆資料のレプリカ作成に着手。
97 03 28 広島市の人事異動で4月1日に胎内被爆者の畑口実が広島原爆資料館館長に就任することが判明。原田浩館長は市民局理事(国際平和推進担当)に専任。
97 04 28? 広島市平和記念資料館、被爆した時計のレプリカを完成。被爆した三輪車のレプリカも製作中。
97 05 05? 愛媛県菊間町に開館予定の「かわら館」に広島原爆資料館から同町で作られた被爆瓦が永久貸与されるこことなる。22日、引き渡される。
97 05 15 広島市原爆資料館、昨年度の入館者数をまとめる。144万1739人で前年度を約11万人下回る。
97 07 19 広島市原爆資料館、企画展「きのこ雲の下に子どもたちがいた」を開催。-8月31日。
97 07 23 公明党広島県本部、核兵器廃絶をめざす第17回広島平和市民集会を広島市内で開催。畑口原爆資料館長が講演。
97 07 31 広島市の原爆資料館に展示してある「人影の石」に越智幸子が自分の母であると名乗り出た経緯を説明版に加える。8月1日から公開。
97 08 03 広島市の原爆資料館、約1万2000点の収蔵資料の記録・検索台帳を完成。
97 08 13? 第4回世界平和連帯都市市長会議に参加したイタリア5都市から、被爆し助けを求める姿を表現した銅製の像「マザー・セイブ・ミー」が広島市の原爆資料館に寄贈される。
97 10 06? 広島市原爆資料館、被爆資料の図録の作成を計画。
97 10 14 ロシア空軍工学アカデミー(モスクワ)のウラジミール・コバリョノク総裁、広島市の原爆資料館を見学。
97 11 01 広島平和記念資料館、企画展「公園の下に眠る街、爆心地・中島地区」を開催。-31日。
97 12 02 岩手県・盛岡白百合学園高校2年生319人、修学旅行で広島市を訪れ、原爆資料館に車椅子2台を寄贈。

1998(平成10)年

Y M D NEWS1
98 01 12? 広島市の平和記念資料館、佐々木禎子の病床記録のレプリカを作製することを決める。
98 01 19 広島市、原爆資料館を外郭団体の広島平和文化センター・国際交流協会と統合する方針を決定。
98 02 03 畑口広島原爆資料館館長、インドでの原爆展について帰国報告。
98 02 05 広島県被団協(伊藤サカエ理事長)、原爆資料館の管理・運営を外郭団体に委託しないよう求める要望書を広島市に提出。
98 02 09 日本被団協、代表者会議を開催。-10日。高橋昭博広島県被団協理事、広島原爆資料館の財団法人委託に反対するよう提案。平岡市長に委託撤回を求めることを決定。
98 02 12 ボルトガル・リスボンで開催される国際博覧会(万博)のプレイベント「今世紀の奇跡展」に、広島原爆資料館所蔵の被爆服が展示される。-5月21日。(「平和文化」no.130)
98 02 12 石田明ら広島県原水禁代表ら7人、広島市に、原爆資料館の管理・運営を財団法人・広島平和文化センターに委託しないよう申し入れ。
98 02 12 広島平和記念資料館(原爆資料館)、展示資料の説明文164点を1991年の改装以来初めて変更、大本営調査団の「広島爆撃調査報告書」の草案などの複製を展示品に加える。
98 02 13 日本被団協、原爆資料館の外部委託に反対する要望書を平岡広島市長と今田市議会議長あてに送付。
98 02 15 シンポジウム「原爆資料館の外部委託を考える」、広島市内で開催。約90人が参加。田村和之・河瀬正利・宇吹暁・橋本和正・原広司らが報告。
98 02 16 広島県原水協・県被団協・県平和委員会の代表7人、広島市を訪れ、原爆資料館外部委託の撤回を求める要請書を提出。
98 02 16 広島市原爆被害者の会(瀬戸高行会長)、広島市に原爆資料館の外部委託を撤回するよう申し入れ。
98 02 18 二つの広島県被団協と県原水禁の50人、原爆資料館の外部委託に反対し、原爆慰霊碑まえで座り込み。
98 02 18 広島県被団協(伊藤サカエ理事長)、緊急拡大委員会を広島市・平和会館で開催。広島市の原爆資料館外部委託問題について、寄贈・寄託している被爆資料の返還要求も辞さないことを申し合わせる。
98 02 19 社民党広島県連合の役員ら7人、原爆資料館の外部委託計画の撤回を平岡広島市長に申し入れ。
98 02 19 二つの広島県被団協など広島の被爆者6団体の約20人、上川広島市助役に原爆資料館の外部委託撤回を申し入れ。同館に寄贈・寄託している遺品・手記の撤回などを示唆。
98 02 20 市民団体「デルタ女の会」、原爆資料館の外部委託計画を撤回するよう求める要望書を広島市に送付。
98 02 20 広島市議会定例会、開幕。-3月26日。平岡市長、原爆資料館の外部委託のための条例改正案などを上程。
98 02 22 大阪府枚方市、広島市の原爆資料館から借りた資料などで「原爆資料展」を開催。-25日。24日、広島原爆体験証言者の会の小松清興、枚方原爆被害者の会の平井シズエを招き、「被爆体験を聞く集い」を開催。
98 02 25 広島市議会総括質問。平岡広島市長、原爆資料館の財団委託への理解を求める。
98 02 26 平岡広島市長、市議会総括質問で、原爆資料館には人材の育成が必要との見解を示し、外部委託に理解を求める。
98 02 27? 広島市原爆資料館、「佐々木禎子病床記録」と「女学生の下駄」のレプリカの作製を業者に委託。
98 02 28? 広島市の原爆資料館、東館の傘立てを撤去。見学記念のためか、鍵の持ち去りが相次いだため。
98 03 06? 広島の被爆者団体、原爆資料館の外部委託問題で平岡広島市長と話し合う考えのないことを同市に通告。
98 03 11? 広島市、新年度予算に原爆資料館の図録製作費2600万円を計上。
98 03 16 平岡敬広島市長、原爆資料館財団委託のメリットについて市議会予算特別委員会で強調。
98 03 20 広島市、原爆資料館が担当していた被爆建物の保存・継承問題を、同館の外部委託に伴い、市の国際平和推進室が引き継ぐ方針を明らかにする。[原爆遺跡]
98 03 25 広島市議会予算特別委員会、原爆資料館の管理運営を財団法人広島平和文化センターに委託する条例改正案を原案通り可決。
98 03 26 広島市議会本会議、原爆資料館の管理運営を財団法人広島平和文化センターに委託する条例改正案を原案通り可決。社会・市民クラブ、共産党などは反対。
98 03 31? 広島原爆資料館、今夏に企画展「子どもたちの戦場」の開催を計画。資料の提供を呼びかける。
98 04 01 広島平和文化センター、原爆資料館などを引き継ぎ再出発。大牟田稔理事長が再任される。市からの出向者33人らに辞令交付。
98 04 10 インド・ニューデリーで「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」の開会式。平岡広島市長・小泉勝長崎原爆資料館長が出席。(「平和文化」no.129)
98 04 12 読売新聞[広島欄]「ルポ広島-平和記念資料館の運営委託、市と被爆者団体、反目続く、被爆者「身を切られる思い」、広島市「必ず機能充実させる」(広島総局・上田真由美)
98 04 30 毎日新聞「深層:原爆資料館の運営、市から財団へ委託-広島市の平和発信義務は・・・」(高橋一隆・花岡洋二)
98 04 30? 広島市の原爆資料館、所蔵する被爆資料1万2000点のデータベース化を3年がかりで終え、全面公開する方針を決める。
98 05 01 広島市原爆資料館、1997年度中に市民から寄贈された被爆資料191点のうち31点を公開。
98 05 02 広島・長崎両市企画の原爆展「ヒロシマ・ナガサキ・ネバーアゲーン」(コモ市・市文化協会主催)、イタリア北部のコモ市で開催。-29日。両市による海外での原爆展はこれが7回目。畑口広島原爆資料館長らが出席。
98 05 06 広島市の原爆資料館、「被爆三輪車」の補修処理を終える。「佐々木禎子の病床記録」・「女学生の下駄」のレプリカも完成。9日から一般公開。
98 05 14 毎日新聞[広島版]「ひと・人・交差点:福島忠則さん(26)原爆資料館の学芸担当-教師経験生かす展示を」
98 05 18 広島市原爆資料館、昨年度の入館者数をまとめる。総数は138万7855人で最近10年間で最低を記録。
98 05 30 広島平和文化センター、原爆資料館の入り口に「インド・パキスタンの核実験に強く抗議する」との張り紙を掲示。
98 06 19 八尾洋二・鈴木咲子兄妹、学童疎開中に両親や家族から送られてきた手紙と葉書計38通を広島市原爆資料館に寄贈。
98 06 24 広島市の原爆資料館、2倍の分量(170ページ)でホームページを一新。
98 06 26 広島原爆資料館、インド・パキスタンの核実験の背景を説明し、核拡散の危険性を訴えるパネル2枚を館内に設置。
98 07 03 故・木村一治東北大学名誉教授が描いた原爆ドームの墨絵を同夫人が広島原爆資料館に寄贈。
98 07 04 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を仙台市戦災復興記念館で開催。-12日。(「平和文化」no.130)
98 07 15 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を盛岡市民文化ホールで開催。-19日。(「平和文化」no.130)
98 07 17 広島原爆資料館、子供向け企画展「子どもたちの戦場-集団疎開、おとうさんおかあさんと離れて」を開催。-9月30日。(「ひろしま市民と市政」)、(「平和文化」no.130)
98 07 23 広島原爆資料館、小学校4-6年を対象とした「98ピース・サマースクール」を似島臨海少年自然の家などで開催。-25日。(「ひろしま市民と市政」)、(「平和文化」no.130)
98 07 28 広島原爆資料館、ヒロシマ原爆展を広島県・本郷町の広島空港で開催 。-8月20日。
98 07 30 広島原爆資料館、「お話と音楽物語でつづる集団疎開」を開催。企画展「子どもたちの戦場」の関連イベント。(「平和文化」no.130)
98 07 31 広島市の中村太矩次、53年前の8月6日を描いた連作の水彩画11枚を完成。近く原爆資料館に寄贈予定。
98 08 01 広島市原爆資料館、原爆供養塔納骨名簿の掲示と相談、原爆死没者名簿への登載受付と確認を実施。
98 08 01 広島市原爆資料館、ヒロシマ原爆展をJR広島駅で開催。-9日。
98 08 01 広島市原爆資料館、被爆約2カ月後に撮影された広島のパノラマ写真を展示。-30日。
98 08 01 広島市の原爆資料館、開館時間を1時間延長し、午後7時閉館とする。-16日。
98 08 05 広島市・同原爆資料館、「ヒロシマ原爆展」を山形市中央公民館で開催。-15日。(「平和文化」no.130)
98 08 14? 広島県被団協(伊藤サカエ理事長)、広島平和文化センターの原爆資料館で実施している「被爆体験講話」を土曜日・日曜日にも実施するよう要請。
98 08 15 広島市内在住の被爆者・船井洋治、被爆した「唐獅子瓦」を広島市の原爆資料館に寄贈。
98 08 18? 広島市の原爆資料館、入館者に配布するリーフレットの中国語版を作成。
98 09 04? 広島市の原爆資料館、被爆の被害を直接伝える資料に加え、原爆に関する文書や原爆投下前の生活品など、より幅広い関連資料を積極的に収集していく方針を決める。
98 10 09? 広島平和記念資料館、広島・長崎の原爆被害の実態を伝える「写真ポスター」を製作以来16年ぶりに改訂する予定。印パ核実験の写真などを追加。
98 10 16? 広島市、平和記念資料館展示調査研究会を発足させ、展示の見直しを始める。
98 10 17? 建設省、「公共建築百選」に広島市の原爆資料館、広島国際会議場などを選ぶ。
98 10 21? 広島原爆資料館、来年2月に開催予定の企画展「武器をもたない戦士たち-戦時下の女性」(仮題)に向け写真・資料の提供を呼びかける。
98 12 02 私立岩手白百合学園高校2年生300人、修学旅行で広島を訪れ、原爆資料館に車椅子2台を寄贈。
98 12 09 1995年のノーベル文学賞を受賞したアイルランドの詩人シェイマス・ヒーニー、広島市の原爆資料館を見学。

 

 

広島平和記念資料館メールマガジン

広島平和記念資料館メールマガジン
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多くの人々に広島平和記念資料館に関心を持ってもらうため、資料館に関する最新情報(コラム、資料館トピックス、企画記事、図書紹介等)を配信
●配信日 毎月1日
●配信形式  テキスト形式
●発行者 広島平和記念資料館啓発担当

 

 号 発行年
月日
 記事  著者等
2003
創刊準備 0718 メールマガジンの創刊にあたって 畑口實(広島平和記念資料館長)
「コラムは、広島平和記念資料館の運営をしている( 財 )広島平和文化センター齊藤忠臣理事長を中心に、私を含めた資料館のスタッフが執筆していきます。このコラムでは、ヒロシマにまつわるいろいろな話題や資料館に来られた方とのエピソード等を読みやすい文章でお伝えする予定です。ご期待ください。」
創刊 0801 コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
資料館
ニュース
 平成15年度第一回企画展「原子爆弾ナリト認ム」―原爆投下後に行われた被爆調査の軌跡を追う― の概要をご覧いただけます。
2  0901  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
3  1001  コラム
ヒロシマの風
 畑口實
4  1101  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
5  1201  コラム
ヒロシマの風
 斎藤忠臣
6  1226 コラム
ヒロシマの風
  畑口實
対話ノートから
「対話ノートは、1970年10月17日から、当館西館北側ロビー出口付近に設置しており、館内展示を観覧された方々に、
記名匿名にかかわらず、自由に感想を書いていただいてい
ます。来館者同志、あるいは来館者と資料館職員との対話
のためのノートです。
対話ノートの冊数は、今年12月26日現在で879冊。今月は
対話ノートに残された海外から来館された方の感想をごく
一部ですが、紹介いたします。」
 2004
7 0130 コラム
ヒロシマの風
広島平和記念資料館 副館長(啓発担当)山本靖彦
「昨年10月、市民の方から「啓発という言葉は不遜ではな
いか」という趣旨の投書をいただいた。私どもの職場の名
称である『啓発』という言葉には、「役人が市民を教育す
るというようなニュアンスが感じられる。この役所的なネ
ーミングを変えるつもりはないか。」
これに対し、私ども啓発担当として、「『啓発』という言
葉には、“知識をひらきおこし理解を深めること(広辞苑
新村出編第四版)”という意味があり、『啓発担当』のネ
ーミングは、原爆による広島の被害状況や平和への取り組
みについて普及し、理解を深めたいとの思いから付けられ
たものであり、(中略)教育しよう、ということでこの名前
になったものではない」と、その市民の方には回答申し上
げた。もちろん、今後、組織改正の際などに検討していき
たい旨の一文も添えた。」
資料館
ニュース
ヒロシマを知る講座(第二回)
「復興資料を読み解く」講師 松林俊一(広島市文化財団文化財課普及担当課長)
8  0301  コラム
ヒロシマの風
 広島平和記念資料館 副館長(学芸担当) 高野和彦
9  0401  コラム
ヒロシマの風
 齊藤忠臣
広島市内の学校における平和への取組み(1) 平和学習のため、全国から多くの学校が、広島、長崎そして沖縄などの地を修学旅行で訪れます。
もちろん、広島においても、多くの学校が被爆体験を正しく伝え、平和について考え、平和を創造していくための様々な取り組みや活動を行っています。
千羽鶴で有名な佐々木禎子さんの母校・広島市立幟町中学校では、かつて「原爆の子の像」建立の原動力となる行動を起こしました。平成12年には校内に「折り鶴の碑」を設立。平成13年には、サダコの物語を漫画化した「わたしからのメッ
セージ」を刊行。現在も「平和委員会」を中心に「原爆の子の像」碑前祭、県内外の学校との平和交流など、平和に関する様々な行事を行っています。(詳しくは↓の学校のホームページをご覧ください)
http://www.noborichou-j.edu.city.hiroshima.jp/これからも、随時、特徴的な具体例を取り上げて紹介したいと考えています。みなさんの学校での平和学習や平和への取組みの参考になれば幸いです。
  読んでみたい―この一冊 吉田守男 『日本の古都はなぜ空襲を免れたか』朝日新聞社(朝日文庫) 本体640円 ISBN-02-261353-X C0121
「第二次世界大戦末期、京都・奈良・鎌倉など、貴重な文化財の残る古都が米軍の空襲を免れたのは、日本の文化・芸術をこよなく愛し、それを戦禍から守ろうと政府に働きかけた米国人学者の努力のお蔭である」
こんな逸話に聞き覚えがありませんか?
この本の著者は、この「伝説」の拠り所になった事柄を精緻に考察し、伝説が創られた過程を検証しています。つまり、戦争中、京都の文化財保護のために尽力したといわれるウォーナー博士の「伝説」は、終戦直後の情報不足からくる噂話を利用して、GHQ民間情報教育局(CIE)が作り上げた
ものではないだろうかと。そして、京都が空襲を免れたのは、「原爆投下候補地に指定されていた」ためであるといいます。
未知の兵器である原爆の威力を正確に測定するため、原爆の投下目標になった都市(広島・新潟など)は『爆撃禁止都市』に指定されていました。8月15日の終戦がなければ、京都に3発目の原爆が投下されていた可能性もあったのです。
著者が示した原爆と京都の関係は、あまり声高に語られてきませんでした。未だに古都の景観保存運動では、「米国人が残してくれた町並みを日本人が壊すのか」という話をよく聞きます。この本を読みながら、あなたも「伝説」の謎解きに参加してみませんか。
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ヒロシマの風
 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
館長 前田耕一郎
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臨時  0430  広島平和記念資料館メールマガジンの休刊について  当館では、資料館東館・本館のリニューアルオープン(平成30年夏予定)に合わせて、メールマガジンを一新するよう検討しています。
このため、しばらくの間、メールマガジンを休刊しますので、ご理解いただきますよう、よろしくお願いします。
生まれ変わるメールマガジンを、どうぞご期待ください。

 

 

広島平和記念資料館平和データベースの中の「原爆ドーム」

広島平和記念資料館平和データベースの中の「原爆ドーム」  検索年月日:2020年1月7日http://www.pcf.city.hiroshima.jp/database

分類 件数
被爆資料 403件
写真 60件
原爆の絵 86件
美術品 17件
本【単行本】 551件
本【雑誌】 125件
音楽・音声 1件
動画 17件
被爆者証言ビデオ 4件

「記憶の継承」―次世代に引き継ぐ資料館を目指して

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志賀賢治広島平和記念資料館館長 講演「記憶の継承」―次世代に引き継ぐ資料館を目指して
開催日時:2017年8月2日、会場: 広島大学東千田キャンパス>
出典『平成29年度第1回広島大学平和科学研究センター主催国際シンポジウム「原爆体験・戦争の記憶の継承~託す平和遺産」 No.33 Editor: Institute for Peace Science, Hiroshima University 201804』