「11中川秋一」カテゴリーアーカイブ

資料年表:中川秋一

資料年表:中川秋一(かがわ・あきかず)

年月日 事項 備考
1910
1110 広島県高田郡甲立村で誕生。
 1949
 1010  『ひろしま民報 第19号』(日本共産党広島県委員会)
 平和擁護広島大会
原子兵器の禁止 広島市民から全世界に打電
国際平和闘争デーの10月2日、原爆都市広島では(既報)10数団体の共同主催で「平和ようご広島大会」が、流川広島女学院講堂にて参加者300名でひらかれた。大会は午後2時民科代表中川氏の司会で始まり議長団には今堀文理大助教授(学術団体)、小西民婦協支部長、高橋自由法曹団弁護士、松江地労委員長、郷土詩人峠三吉氏が選出された。
 <未入力
 1978
 0201 『文団連ニュース』
 1979
 0427  広島県社会運動史研究会
中川秋一
1980
1111 死去。享年70歳。
1114 告別式。
1981
1111 『中川秋一遺稿集』(中川秋一先生遺稿・追悼文集刊行委員会、1981.11.11)
 「文団連を担った人びと」中川秋一さん
 2012
 1115 『広島文団連ニュース 120号』 (広島県文化団体連絡会議)
 「文団連を担った人びと」中川秋一さん

中川秋一遺稿集

中川秋一遺稿集・付追悼文集(中川秋一先生遺稿・追悼文集刊行委員会編、刊、19811111)

目次

今堀誠二
I 随想
広島市民劇場創立二十周年に寄せて
II  戦後の広島
一九四九年平和擁護大会宣言文草案
声明書
意識と行動の一致について
実践の優位について-歴史は実践の優位を保証する-
ファッショとたたかえ-T君への便り-
ユネスコと勤労階級
地方自治はどうなったか
青少年文化の現状
民科広島支部の活勤
中国文学の新人たち-趙樹理のことなど-
広島における戦後啓蒙期初期の演劇運動
対談 戦後第一回メーデー
民科広島支部のころ
改造社版 M・E全集
増岡敏和氏宛書簡「控」
初期の峠君
峠三吉について
峠三吉没二七周年平和のための朗読と講演のつどい-あいさつ-
III 平和を求めて
「平和を求めて」休載について
「平和を求めて」草稿
原水爆報道三十年の軌跡
水爆の発明と平和運動
人間性を破壊するもの-有事立法の一側面-
新聞記者にのぞむもの
マスコミを国民のものにする県民集会
IV  高い山・河上肇
「求道の旅人」河上肇
高い山・河上肇
美しい夫婦の一典型-河上肇夫妻の場合-
三木清小論
中井の学問について
V 回想
屐履私記-心猿*記
続心*記
西田哲学との邂
「柳老記」について
「柳老記」に寄せて
「柳老記」断片
遺蹤点々-亡き友におくる-
噫呼 高橋茂雄君
八景園
微笑の激励
弔辞 -同志古末憲一君をおくる
田谷春夫君の印象 -一九三○年代のあのころ-
泥をかぶるの記
中川先生をしのんで
中川秋一先生をしのんで  荒本昱夫
師・中川秋一さん-甲立疎開のころの出会い- 石田成雄
中川 生を悼む 今中保子
本当に、楽しかった 奥田胤暢
東京での中川さんを想う 数本英次郎
追悼の句 数本タキヱ
中川秋一先生の教え 河原崎国太郎
πをかける 切明悟
中川先生と文団連 小森敏廣
一冊の本 里信敏行
広島の文化が必要とした人 四国五郎
中川秋一さんと私 下村仁一
中川先生のこと 水藤晋
青春まっただ中 杉田俊也
中川さんの笑顔 立川すゑ
秋一さんを偲ぶ 建林正喜
広島演サ協と中川先生 土屋清
中川秋一さんとの出会い 土肥秀一
朋友を失った寂しさ 中村吉郎
十四子会と中川さん 福永明
中川さんのこと 深川宗俊
人間解放の学 藤原茂
中川先生と広島県労働文化協会 藤原浩修
中川先生から学んだこと 塀ひろじ
光芒を放つ支柱―中川秋一氏のおもいで- 増岡敏和
遊子見ゆ 町川範彦
中川さんを失って 渡辺悦次
新聞記事
官憲の弾圧に抗し、土にうめたり天井裏にかくしたり
哲学者 中川秋一さん
葬送の記 水原肇
中川秋一遣稿集について 森祐二
解題
中川秋一先生略年譜
あとがき

 

中川秋一

中川秋一

19801111 中川秋一 なかがわ・あきかず 70 広島県文化団体連絡会議代表委員。戦後の広島の文化復興に尽くした哲学者。研究会で面識

資料

 『中川秋一遺稿集』(中川秋一先生遺稿・追悼文集刊行委員会、1981.11.11)