「23 被爆国」カテゴリーアーカイブ

原爆裁判<『中国百年 第3部 重い軌跡』所収>

原爆裁判<『中国百年 第3部 重い軌跡』所収>

 243 戦勝国の不正義
/ 隠されていた実相/わき上がる怒り/”正義漢”岡本弁護士/父親と激しい議論/
 246 歌集『人類』
 /人類の運命/ナンポリア記者来訪/訴訟理論の究明/
249 「原爆民訴或問」
 /平和への寄与/原爆被害者の会に依頼/平和条約第19条/
 251 原爆損害求償同盟発足
 /30万円を寄付/少ない賛成者/米国の反響/日弁連の調査委員会/岡本さんのいらだち/三浦弁護士も意見書/
 256 失望
 /提訴の利害得失/外交の根底に被爆体験を/米からの反対の返事/屈しない岡本さん/
 259 ビキニ事件
 /高まる原水禁運動/同盟の規約改正/良心的な弁護士/ウイリン氏の返事/最低2万5千ドル/米での裁判を断念/
 264 火の玉
 /まくら元にノート/軍司令部にどなり込む/
 267 未知への挑戦/
  /新しい理論の創造/法律とは何か/古野弁護士の弔辞 /死んでわかったえらさ/
 269 原告たち
  /慰謝料20万円/5人の子供失う/ 一人生き残る/みなし子/妻子全滅/
 272 ゆがんだ社会
  /多田さんの手記/入浴も断られる/夫が家出/20年目の真相/原爆被害者の勇気
 277 訴状
 /17項目の請求要因/原爆の人的被害/トルーマン声明/ヘーグ陸戦条約/国際法の立法精神/米の責任は明白/
 282 賠償請求の権利
  /二つの見解/調和の道/侵害された財産権 /
 284 食い足りぬ答弁書
  /請求棄却求める/賠償義務の否認/”政治問題” /
 286 政府の議声明
  /被告の釈明を要求/「人類文化に対する罪状」/「交戦国としての抗議」 /
 289 二つの論理
  /原告の主張/被告の反論/法相の申し送り事項 /仕事の鬼/
 291 後継者
  /学徒出陣で北支へ/岡本さんとの出会い/ 原水禁大会に参加/
 294 国際法違反で一致
  /国際法に苦労/3人の鑑定人/ 害的手段の制限禁止//不必要な苦痛/高野説に反対/田畑教授の見解/
 298 三鑑定人の解釈
  /国家代行が原則/権利を放棄した政府/ 高野、田畑説/追及する羽仁議員/強者の論理/
 303 裁判官の怒り
  /主文はあと回し/国家の破壊力と殺傷力/ 規定のない新兵器/防守と無防守の区別/違法な戦闘行為/軍事目標と非軍事目標/キメ細かい違法性の立証/トルーマンに責任なし/”東京裁判”の論理/個人にない請求権/異例の感想/8年7カ月の歳月/
 313 あふれた真情
  /さまざまな反響/被爆者の声を代弁/真の争点だけを考察 /人類絶滅の警鐘
 316 回想と反省
  /真正面からの判断/「提携が不十分」/
 318 戦後は終わらない
 /恵庭事件/衆参両院の決議/被爆者の苦しみ/救いの手を待ちながら/法廷内論争に終始 /

岸田文夫『核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志』

『核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志』(岸田文夫日経BP、2020/10/19)

内容

はじめに
1 故郷・広島への想い 11
生い立ちと家族 12
ニューヨーク時代 15
四賢人のビジョン 20
プラハ演説 26
分断から協調へ 34
運命の訪問 40
2 保守本流の衿持 65
池田勇人と宏池会 66
広島県というルーツ 68
戦後保守の源流 73
吉田ドクトリン 78
リベラル派の衿持 85
宏池会のリアリズム 87
憲法改正について 96
3 核廃絶のリアリズム 107
米朝電撃会談 108
失われた三十年 116
CVIDを巡る応酬 121
核超大国・中国 132
ロシアの核偏重 141
変わるNPR 150
ブッシュ・ドクトリンの影 154
4 核の傘と非核三原則 169
核の先制不使用 171
「核の傘」を巡る葛藤 179
密約外交の功罪 183
「日本核武装論」の虚実 192
脱・密約の時代 199
爆弾発言の底流 205
5 岸田イニシアティブ 215
核兵器禁止条約を巡る逡巡 217
NPTの守護神として 224
日米拡大抑止協議 235
李下の冠 244
「核兵器のない世界」に向けて 255
ローマ教皇のメッセージ 263
おわりに 270
あとがき 276

 

ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼

『ヒロシマと廣高 被爆五十二年・回顧と追悼』(廣島高等学校同窓有志の会、1997/08/01)

内容<作業中

発刊の辞 廣高同窓有志の会代表 松浦道一 1
回顧 3
廣高とは 松浦道一(昭9文甲)4
幻のヒロシマと母校 扇畑忠雄(昭6文甲)7
「青春の碑」より 近藤芳美(昭9理甲)13
私の中の日本人-中島光風-阿川弘之(昭15文乙)25
廣高生の8月6日 三野濱雄(昭23文甲・当時理甲)32
追悼 37
恩師・遺族の部 38
被爆の前後 故 澄谷泉 38
29年前のこと 羽田野三郎 41
8日の記憶-原爆そしてトーマスマン『魔の山』 登張正實 45
ひろしま 故 鳴沢富女(恩師夫人)49
忘れられない体験 楠木キミヨ(昭2文乙・楠木保夫人)52
父 岸野禮子(昭2文乙・楠木保長女)55
遺族の思い 松本隆允(昭13理乙・松本清徳長男)57
アンケート回答 60
同窓生の部 62
第1部 原爆想起(昭和22年卒業生)62
「偶然」の重み 稲賀敬二(昭22文甲)62
私にとっての8月6日 岸本弘(昭22文甲)66
私の原爆体験記 杉山俊彦(昭22文甲)68
一文科生の回想(入学より原爆まで)竹尾吉郎(昭22文甲)71
文科2年生の8月6日 永原誠(昭22文甲)75
悪夢の高校時代 浅野卓(昭22理甲1)78
ピカドン 應和俊雄(昭22理甲1)81
廣高原爆鎮魂記-核廃絶に向けて 片山淳(昭22理甲1)84
戦争末期の呉海軍工廠における廣高生 渡辺正彦(昭22理甲1)87
20年8月6日 浴厚夫(昭22理甲2)89
遠い閃光 小林健郎(昭22理甲2)92
被爆50周年に想う 隅田正二(昭22理甲3)95
原爆回想記 古坂良雄(昭22理甲3)98
原爆の日々 岩政正男(昭22理乙1)99
悪夢の月曜休日 片岡進(昭22理乙1)102
あの日、あの時、廣高第三報国寮 佐藤保雄(昭22理乙1)105
被爆2日後の広島市内を歩いて 竹田正彦(昭22理乙1)112
あの日 中西昭夫(昭22理乙1)114
原爆の思い出 日野八州行(昭22理乙1)118
炎天の1日 川崎正輝(昭22理乙2)121
昭和20年8月6日廣高原爆の日 丹比邦保(昭22理乙2)124
私と原爆(直後の入市)三輪谷俊夫(昭22理乙2/)127
原爆の被爆体験記 渡辺寛(昭22理乙2)131
アンケート回答 133
昭和22年卒業予定者にして被爆死された方 144
第2部 被爆・追悼(昭和23年卒業生)145
「やすらかにお眠り下さい あやまちは二度とくりかえしません」内海健寿(昭23文甲)145
被爆寮生の搬送・和歌山へ 日野八州行(昭22理乙1)・友久武文(昭23文甲)・弘津崔宗(昭23理甲1)・山中茂和(昭23理甲2)148妹と私 中島敏直(昭23文甲)151
1945年8月6日、ヒロシマにて 中野武彦(昭23文甲)154
運命の岐路 御藤良彰(昭23文甲)157
二つの原爆-金言と業 溝本満男(昭23文甲)160
私の昭和20年8月 鶴田耕造(昭23文乙)162
向洋駅にて 藤田弘人(昭23文乙)166
薄れゆく記憶よ、戻れ 藤村瞬一(昭23文乙)169
原爆体験 蒔田二朗(昭23文乙)172
一瞬の出来事であった 寺谷忠郎(昭23理甲1)175
風化しないあの日の事 中田隆康(昭23理甲1)180
広島駅で原爆に遭う 弘津崔宗(昭23理甲1)184
原爆が投下された前後の日日 光易恒(昭23理甲1)186
私の原爆体験 幸本茂(昭23理甲2)189
師の荼毘 高木健治(昭23理甲2)192
師と二人の友のの鎮魂を祈りつつ 西山隆三(昭23理甲2)195
原爆投下前後のこと 坂本知三(昭23理甲3)201
あの日の広島に地球最後の日を見た 中条一雄(昭23理甲3)204
被爆前後のこと 橋本隆(昭23理甲3)207
原爆の生き証人の1人として 大門哲(昭23理甲4)210
私の原爆記 田部忠行(昭23理甲4)213
あの日の惨禍に思いを馳せ核兵器のなくなる日を目ざして 三宅信雄(昭23理甲4)216
神の臨在 吉村博光(昭23理甲4)219
原爆前後 江戸義治(昭23理乙1)222
1945年8月6日の私 小野一郎(昭23理乙1)225
原爆・妹達の死 蔵本築(昭23理乙2)227
恐怖の殺人ドウナッツ 小林豊(昭23理乙2)230
私の被爆エッセンス 中谷孝(昭23理乙2)234
炎熱地獄に消えた友 星埜惇(昭23理乙2/)237
原爆の思い出 南碩哉(昭23理乙2)240
茸雲ができる前 森脇垂果(昭23理乙2)243
昭和23年卒業予定者にして被爆死された方 260
第3部 ヒロシマ(昭和22年・23年以外の卒業生)263
近藤芳美とヒロシマの夏 扇畑忠雄(昭6文甲)263
知らせることの難しさ 原田東岷(昭7理乙)266
原爆の日のこと 沖博(昭10文甲)269
原爆被災の記 大槻光雄(昭14文甲)273
過ちは繰りかえしませぬから 大山広司(昭14文甲)276
焦土を歩く 大田垣正圓(昭17文乙)280
危機一髪、生きるという運命に支えられて 砂田碩司(昭18文甲)282
ウント君のこと 香川不苦三(昭18文乙)286
廣高生の原爆被災記-昭和20年入学者の場合 神田照家(昭19文甲)288
江村美智也君の想い出 長井正勝(昭19文甲)291
金井利博氏とヒロシマ・核問題-『核権力』を読む 山田浩(昭20文乙)293
被爆全滅部隊 竹本孝(昭20理乙2)297
金井さんへのレクイエムと広大平和科研のこと 熊田重克(昭24文甲)303
ピカドンの朝 池田一(昭24理1)312
私の廣高時代 中本康雄(昭24理4)319
アンケート回答 321
附録 323
被爆前後の廣高略年表 松浦道一(昭9文甲)324
廣島高等学校同窓会の現況 川上貞光(昭25文乙)329
編集後記 編集委員代表 神田照家(昭19文甲)331

廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想

『廣高とヒロシマ 被爆五十年の回想』(廣島高等学校同窓有志の会、1995/07/20)

内容<作業中

広高とは
発刊の辞
1 被爆・追悼
【遺族の部】
父「細川藤右衛門」 細川藤次(細川藤右衛門・恩師) 12
「朝な夕なに」の碑におもう 谷川湛子(中島光風・恩師) 15
“船に乗って遠くへ行くから”想い出より 真鍋敦子(真鍋義雄・恩師) 16
想い出すまゝに 加計邦夫(加計敏吉・昭2文乙) 19
夫の被爆死 山根澄子(山根彦次郎・昭3文甲) 21
優しさを永遠に 山本百合子(山本利・昭10文乙) 23
高明の被爆死-母横山雪の手紙から 横山滋(提供)(横山高明・昭14文乙) 25
兄の無念の死 高田勇(高田正弘・昭17・9文甲) 27
悪夢の八月六日 浜野忠二(浜野蔵一・昭18文甲) 31
亡兄荒木朝広の思い出 荒木公子(荒木朝広・昭19文乙) 34
弟「靖」のこと 横山滋(横山靖・昭23理乙) 36
「やっと僕たちの時代が来た」原爆症で亡くなった兄 吉田千代子(吉田武重・昭23理乙) 37
【同窓生の部】
広島原爆と級友 田中嗣郎(昭13理乙) 40
細川先生を偲びて 上野義夫(昭14理乙) 42
光風先生夫妻追慕の記 観山文雄(昭17文乙) 46
光と風の生涯 吉野友己(昭17文乙) 50
伊藤隆之君と濱野蔵一君 林勉(昭18文甲) 52
イップ(一夫)のこと 吉田良夫(昭18文甲) 56
成宮貞一君と桐原康之君を偲ぶ 米田博(昭18理甲) 59
真鍋先生の思い出 岡昌宏(昭19文甲) 61
学徒動員始末記-昭和二十年入学者の場合 神田照家(昭19文甲) 63
目崎一三君の遺稿集 河合正美(昭19文乙) 66
弟藤井壽を偲びて 藤井実(昭19理乙) 72
久保原篤夫君、山口健二君を偲ぶ 瀧本正義(昭20文甲) 75
レクイエム 三野濱雄(昭23文甲) 78
鎮魂の詩 高橋節夫(昭23理甲) 79
半世紀ぶりに帰って来た廣高生たち! 谷川正昭(昭23理甲) 81
五十年目の廣高生 津田修三(昭23理乙) 82
○廣高七十年誌記念座談会 84
「原爆と廣高」
○原爆死没者名簿 92
2 平和公園
恒久の平和を象徴する都市の創建 100 寺光忠(昭4文甲)
ヒロシマと平和記念施設  113 丹下健三(昭8理甲)
雑賀先生の原爆碑文 124 藤本千万太(昭12文甲)
補遺 中国新聞 平成七年四月十六日「検証ヒロシマ-1945~95⑬原爆慰霊碑」より
3 ヒロシマ
原爆症との対面  138 原田東岷(昭7理乙)
ヒロシマの心  143 故 荒木武(昭10文乙)
ラバウルで聞いた被爆の報 152 松谷健一郎(昭14理甲)
真珠湾から五十年 157 阿川弘之(昭15文乙)
「八月六日の雲」抄 160 板倉秀(昭17・9文甲)
世界平和巡礼  164 庄野直美(昭19理甲)
付録映画「黒い雨」制作余話-運命の日の朝-  175 前田修治(昭19理甲)
ヒロシマと阪神大震災-五十年後のわたし- 183 森一久(昭19理甲)
社会科学者と原水爆問題-故石井金一郎氏と私-191 山田浩(昭20文乙)
ヒロシマ被爆者医療二十五年の記録 195 石田定(昭20理乙)
廣高と平和公園と-亡き友二井谷彰君に捧ぐ-  204 原田雅弘(昭23理乙)
被爆五十周年の広島  212 平岡敬(昭23理乙)
さんび歌 221 茨木博(昭25文乙)
私が見た八月六日の広島  224 川上貞光(昭25文乙)
焼跡学校 228 小久保均(昭24修文乙)
付録
廣高小史 236
廣高史略年表 241

核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志(岸田文雄)

『核兵器のない世界へ 勇気ある平和国家の志』(岸田文雄著、出版者 日経BP、20201019)

内容

はじめに(2020年秋 岸田文雄)
1 故郷・広島への想い 11
生い立ちと家族 12
ニューヨーク時代 15
四賢人のビジョン 20
プラハ演説 26
分断から協調へ 34
運命の訪問 40
2 保守本流の衿持 65
池田勇人と宏池会 66
広島県というルーツ 68
戦後保守の源流 73
吉田ドクトリン 78
リベラル派の衿持 85
宏池会のリアリズム 87
憲法改正について 96
3 核廃絶のリアリズム 107
米朝電撃会談 108
失われた三十年 116
CVIDを巡る応酬 121
核超大国・中国 132
ロシアの核偏重 141
変わるNPR 150
ブッシュ・ドクトリンの影 154
4 核の傘と非核三原則 169
核の先制不使用 171
「核の傘」を巡る葛藤 179
密約外交の功罪 183
「日本核武装論」の虚実 192
脱・密約の時代 199
爆弾発言の底流 205
5 岸田イニシアティブ 215
核兵器禁止条約を巡る逡巡 217
NPTの守護神として 224
日米拡大抑止協議 235
李下の冠 244
「核兵器のない世界」に向けて 255
ローマ教皇のメッセージ 263
おわりに 270
あとがき 276

 

桑原原爆裁判支援ニュース第1号(1974年5月15日)

桑原原爆裁判支援ニュース第1号(桑原原爆裁判を支援する会、1974年5月15日)

dc19740515-01
dc19740515-011
 桑原原爆裁判を支援する会
 代表委員:相原和光、佐久間澄、庄野直美、宅和純、田辺勝、馬場雅夫、森滝市郎
 桑原裁判の経過:<参考:年表:桑原原爆訴訟 1969~79
 桑原裁判の問題点(主任弁護士:相良勝美)
dc19740515-02
 桑原訴訟に対する田辺判決の矛盾について(広島大学名誉教授:佐久間澄)

原水爆被災資料センター(仮称)の設置について(勧告)

 

日本学術会議から政府への勧告
原水爆被災資料センター(仮称)の設置について(勧告)
(昭和46年11月9日付総学庶第1682号 日本学術会議会長から内閣総理大臣宛)

標記のことについて,本会議第59回総会の議に基づき,下記のとおり勧告します。

日本学術会議では,原水爆被災資料の収集・保存・利用の問題について,かねてから検討を進め,1968年4月の第50回総会の議に基づき,この問題について政府に申し入れを行なった。(別添資料1)一方,本申し入れの具体化のため原水爆被災資料センター(仮称)の設置についてもひきつづき検討を行なってきた。

戦後四分の一世紀を経過した今日,原水爆被災資料センター(仮称)を設置して,原水爆被災問題についての学術的資料を収集・整理・保存し,これを正しく活用すること,とりわけ,このことを通じて被爆者の福祉と世界の平和・人類の福祉に寄与するよう努めることは,国家的急務であると考え,このたび別記のような一案をえたので,ここにこれを勧告する。

なお,本勧告の具体化に当っては,日本学術会議に協議されたい。

く本信写送付先>総理府総務長官,科学技術庁長官,大蔵・文部・厚生・自治各大臣
〔別記〕
(紙数の都合で要点のみ掲載します)

原水爆被災資料センター(仮称)
1.設立の趣旨
1945年8月,米軍による広島,長崎への原爆投下による被害は人類の経験した最大の悲惨事であり,1954年3月のビキニ水爆実験による日本人漁夫の被害もまたわれわれに深刻な衝激を与えた。われわれは,この悲惨な経験を正しく受けとめ,人類として絶対にこのような過誤を再びおこさせないよう自ら努力する義務を有すると共に広く全世界の人々に要請する権利がある。そして,それと同時に現在なお身体的・精神的・生活的に苦しめられている幾多の被爆者に完全な援護が行なわれねばならないことも勿論である。

原水爆の悲惨から人類を防衛するための努力と被爆者に対する完全援護実現のための努力とは相互に切りはなすことのできない関係にある。核兵器の禁止、平和への寄与と被爆者援護への寄与は,センター構想の当初より,その目的とするところである。

この目的を達成するためには,原水爆被災の実態を明らかにすること。そのための諸資料の収集,整備,それを基礎とする研究などが必要である。しかるに広島,長崎に原爆が投下されて25年を経過した今日に至るまで原爆被災に関する年次を追っての継続的実態調査も行なわれておらず,被爆者は十分な援護のみちもないままに年々老令化し,また死亡しつつつある一方で被爆二世問題など新たな問題をも生みだしており,戦後25年の生活史を含めた完全な実態調査を行なうことが緊急に要請されている。

そのうえ,上記目的達成に貢献しうる原水爆被災に関する学術的価値のある標本,研究文献,調査報告,公私の文書,統計その他の記録,文学作品,映画,写真,絵画などの総合的,体系的収集,保存,整理などもいまだに行なわれていない。

もとより,これまで広島及び長崎においては,両市を始めとする地方自治体や民間篤志の団体,個人等の多大の苦心によってかなりの貴重なモニュメント的な資料が収集,陳列,展示され,年々,これらの施設を訪れる多数の人々に原爆の惨禍と平和の意義を訴え,偉大な社会教育的意義を発揮しているが,これらの貴重な活動に対して,これまで国は何らの財政的負担をも行なっていない。

加えて戦後25年は世代交代の時期,一つのエポックであり今の時期に関係する未発掘,未着手の資料の収集,整理や調査を行なわないならば,今後,ことは甚だ困難となるおそれがある。

したがって,各地に分散し,冬眠しつつあるあらゆる原水爆被災関係の学術的実践的価値ある資料を収集,保存,整理し,文化・社会・経済・行政・法学・医学,生物学,物理学など各方面からの総合的追究に活用しうる態勢を樹立し,原水爆被災の全貌を科学的に明らかにするための資料センターの設置が強く要望されるのである。

2.審議の経過
以上のような趣旨から,日本学術会議では,原水爆被災資料の収集・保存・利用の問題について,すでに1968年5月,原子力特別委員会のもとに原水爆被災資料小委員会をおいて検討をすすめ,1967年9月及ぴ11月の両度にわたって政府に申入れを行ない(別添資料1及び別添資料2)被爆現地の意見をきくため「原爆被災資料に関するシンポジウム」1967年12月,広島)及び「原水爆被災資料センター構想に関する懇談会」(1968年9月,広島及び長崎)また1969,70両年度においては,文部省総合科学研究費による「原水爆被災資料の蒐集・保存・利用の方法に関する基礎的研究班(略称「原水爆資料基礎研究班」)と協力して研究を続け,被爆者健康手帳や被爆者の健康診断ないし治療カルテの保存につき政府に要望した(別添資料3)のをはじめ,熱心な共同討議を継続し,その結果に基づき,今回の本勧告を行なうに至ったものである。

(注)班員は,人文・社会科学系より石田忠一ツ橋大学教授他12名,自然科学系より内野治人広島大学教授他13名の計27名。班長は広島大学原爆放射能医学研究所長志水清教授,1970年度は同所長岡本直正教授である。

3.設立の目的
1)原水爆被災についての学術的資料を収集・整理・保存しこれを正しく活用すること。

2)とりわけ,そのことを通じて被爆者の治療・援護などその福祉に寄与すること。

3)さらに上記学術的資料の整備等を通じて,核兵器の廃絶・世界平和と人類の幸福に寄与すること。

4.センターの事業
(1)学術的資料の収集,整理,保存,活用すでに現地においてこれまで市,民間団体等によって収集,保存,展示などが行なわれているモニュメント的資料は,現地現物主義に立って,これを尊重し,センターはこれとの重複をさけ,これら既存諸機関の機能と重複しないよう留意し,全体的・社会科学的,自然科学的学術研究,被災者援護に貢献しうる資料(研究文献,公私の文書,被爆者手帳,カルテその他の記録,調査報告や諸統計,立法,行政資料医学標本,文芸作品,映画,写真など)の収集,整理,保存,閲覧,資料,データ提供など,活用のため必要な業務を行なう。

既存諸機関所在の資料または現地で発掘される諸資料で現地保存を希望するものなどのうち,センターの目的に照らして必要なものは許可協力を得てコピー,マイクロフィルムなどを作成してこれをセンターに保存する。

既存諸関係機関所蔵の資料を含め全国的な資料リストを作成し,どのような資料がどこにあるかを明らかにする。

なを,このセンターは上記の目的達成のためには,さらに今後の原子力被害問題なども扱う必要があるのではないかと考えられる。

(2)調査,研究を自ら又は委託もしくは受託して行なう。共同利用の便宜を提供する。

なお,調査研究プロジェクトの参考例として別添資料4のようなものがある。

(3)成果の刊行。情報や複写,提供などのサービス業務を行なう。

(4)連絡,調整。関係諸機関との連絡,調整をはかる。

(5)国際的連絡,資料収集。スウェーデンの国際平和研究所など国際諸機関との連絡,国際的資料の収集などを行なう。

(6)被爆者援護に寄与する事業を行なう。

(7)研究会,講演会,展示会その他,センターの目的達成に必要な事業を行なう。

5.センター設置の場所
東京に東京センターをおく。

広島に広島センターをおく。

長崎に長崎センターをおく。

場合により,又は必要に応じて,大学,研究所等に分室等をおくことができる。

6.設置全体及び運営
(1)本センターの設置主体は国とする。

(2)運営

本センター設置の趣旨・目的に即してセンターの業務を推進し,その民主的運営をはかり,センター相互及びセンターと全国の関係研究者,被爆者などとの密接な連絡協力をはかるため次のような運営方式がとられることが望ましいと考えられる。

センターの所長は,日本学術会議の推薦によって任命する。

全体の長はおかず,各センターの所長のうち1人がその互選によって所長代表となる。

センター運営協議会及びセンター運営委員会をおく。

運営協議会は全国的運営協議会と各センターごとの運営協議会とする。

全国的運営協議会は,各センターの所長,各センターより選出された若干の所員,被爆者代表及び日本学術会議から推薦するものをもって構成し,所長代表が議長となる。

各センターごとの運営協議会は,当該センターの所長,当該センターの所員中より選出された若干名,被爆者代表及び日本学術会議から推薦するものをもって構成し,当該センターの所長が議長となる。

運営協議会はセンターの運営に関する重要事項の大綱を協議決定する。

運営委員会は,各センターごとに当該センターの所長,部室長およびその他の所員中より選出された若千名とをもって構成し,当該センター内の運営に直接に参画し,それに関する重要事項を協議する。

(3)センターの目的達成のためには,大学等研究機関との緊密な連けい、協力が不可欠であることから,センターの所長及び調査研究的職務を行なう所員の身分については教育公務員特例法に準ずる保障がなされねばならない。

7~8.(各センターの業務)(略)
9.機構
いずれのセンターをも通じて,既存諸活動を科学的に総合し,深め,サービスするという機能が重視される。流動研究員などのように若い研究者がたえず活用しうるようなうけ入れ体制が必要と考えられる。

過去と将来の架橋として将来にむかって,国際的にも発言しうるような基礎的データを準備するなどの機能が重視される必要がある。

センサスの分析なども重要な研究プロジェクトとなろう。こういう期待にこたえうるよう,機構が考えられる必要がある。

(各センターの機構)

(概略,各センターとも所長室,事務部門のほか,研究調査部門,資料管理部門,資料サービス及び相談室よりなるサービス部門電子計算機室などとしている)

10.設備
(各センターとも,概略,事務室,会議室,資料作成室,閲覧室,書庫,展示室,研究室,講堂,相談室,宿泊室,電子計算機室などのほか特殊設備として電子計算機,撮影機,マイクロリーダー,ゼロックス,映写装置,印刷機,計算機,タイプライター,写植装置,空調装置,エレベーターなどを考えている)

11.所要人員及び費用
東京,広島,長崎3センターともそれぞれおおむね同規模とし,人員は,各センター50人以上を予定し,費用については,

建設費 3か所 合計5~6億円
付帯設備費 3か所 合計7~8億円
年間経営費 3か 所合計4~5億円
程度と考える。

別添資料1-4(略)