広島県原水協年表(1971年)
月日 |
事項 |
|
0208 |
広島県被団協, インドシナに原水爆を使うなとの声明を発表. |
|
|
2. 8
5.23 「基地のない平和で豊かな沖縄を返せ!真の沖縄返還をめざす全国キャラバン」来広.
6. 8 広島県原水協・被団協, 7日の仏の核実験に抗議の電報をポンピドー大統領に打つ.
6.17 広島市原水協総会.
6. 広島県原水協, 世界大会成功へ総決起するようアピール.
7. 9 広島市原水協, 平和網の目訪問を実施.
7.25 呉市原水協, 網の目平和行進を実施.
7.25 庄原原水協, 福島病院から原爆検診車を招いて被爆者検診を実施. 120人がつめかける.
7.26 江田島町議会特別委員会, 爆発事故が起こった米軍秋月弾薬庫の撤去を決議 7.29 広島地裁で桑原訴訟第 1回口頭弁論.
7.29 広島市で草津被爆者の会結成. 「黒い雨」特別地域への編入を要求へ.
7. 山下会, 「あさ第 7号」発行.
7. 新日本婦人の会広島県本部, 「木の葉のように焼かれて第 6集」発行.
8. 吉島被爆者の会, 「老いと怒りと第 6集」発行.
8. 5 不破共産党書記局長, 広島県庁で「被爆者の健康と生活をまもるための緊急政策―とくに高齢被爆者と子どもにたいする特別措置について」を発表.
8. 5 第17回原水爆禁止世界大会開会総会. 広島県立体育館に 1万人が参加. 7年ぶりに入国をかちとったベトナム民主共和国代表も参加.
8. 6 一万人討論集会, 30会場で開催.
8. 6 県立体育館で文化大集会. 1万人が参加.
8. 6 福島地区被爆者の会, 「壁第 4集」発行.
8. 7 被爆者家庭訪問. 問題別・階層別集会.
8. 7 第17回原水爆禁止世界大会閉会総会.
8.21 広島県原水協常任理事会.
8.22 被爆二世の百中利典, 白血病で死亡.
9.11 向洋原水協, 世界大会の報告集会を開催.
9.18 広大教育学部東雲分校自治会の14名, 岩国基地を調査.
10. 3 中四国の安保破棄・諸要求貫徹実行委員会の主催により10・3 岩国・中四国集会開催. 2500人(広島から 400人)参加.
10.19 自衛隊記念行事反対共闘会議, 陸上自衛隊第13師団司令部と広島市に抗議. 10.21 10・21統一行動, 広島市・福山市・庄原市の統一集会をはじめ県下で 5万人参加.
10.27-28 自衛隊記念行事反対共闘会議, 自衛隊パレードの中止を要求し, 広島市役所前で座り込む.
11. 6 被爆者の完全援護法をめざす九州方面遊説団(田辺勝・中本剛)の出発式. 於広島市平和公園.
11. 7 弾薬輸送反対・米軍基地撤去広島県民共闘会議, 軍事基地(黄幡・秋月・川上)即時全面返還・沖縄返還協定批准阻止広島県中央集会を呉市役所広支所前で開催. 62団体・2000人参加.
11. 7 広島県原水協・被団協, 広島市内で第五福龍丸保存の募金活動を実施.
11.13 沖縄協定批准反対・アムトチカ核実験抗議・被爆者援護法要求・国際共同行動広島集会.
11.19 沖縄協定の強行採決に抗議して, 広島・福山・呉など県下13地区で13万人が集会・デモに参加. 22日にも県中央集会開催. 4300人参加.
11.22 似島で10月29日から計 617体分の原爆被爆者の遺骨を発掘. |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1128 |
広島県平和委員会総会. |
|
空襲・戦災を記録する会全国連絡会議http://kushusensai.net/
全国連絡会議全国大会開催状況(抄)
回 |
年月日 |
開催地 |
備考 |
01 |
19710814 |
東京 |
|
|
|
|
|
07 |
19770807 |
福山 |
|
|
「福山空襲の記録運動の中で」 (岡田智晶) |
10 |
19800801 |
那覇 |
|
|
『今、平和のために(那覇市史だより)第16・17・18号』 |
12 |
19820807 |
佐世保 |
|
|
|
|
|
14 |
19840804 |
呉 |
資料一括あり |
|
|
|
|
|
|
|
|
71 |
01 |
09 |
広島県被爆教師の会(石田明会長)、中学生向け英語・平和教育教材「Let’s Cry for Peace」刊行 |
71 |
07 |
06 |
広島市教委、「平和教育の手引き」試案・小学校編を作成。市内全校に送り意見を求める |
71 |
07 |
06 |
東京都被爆教師の会結成 |
71 |
08 |
04 |
「原爆爆牲国民学校教節と子どもの碑」、広良市平和記念公園前緑地帯に完成。碑に納めた過去帳には子供七百七十四人(死亡推定二千人)、教師百三十一人(同二百人)記入 |
71 |
08 |
06 |
山田広島市長平和宣言。「すベての国家は、いっさいの軍備主権を人類連帯の世界機構に移譲し、解消すベきでおる。まず、すべての戦争の即時停止と核不使用協定の早急な実現を要請し、次の世代に戦争と平和の意義を正しく継承するための平和教育が |
71 |
10 |
09 |
埼玉県浦和市立高校、文化祭を開催。-11日。映画「ヒロシマ・ナガサキ-1945年8月」の上映や被爆資料の展示をおこなう。 |
71 |
10 |
17 |
原爆被爆教師の会全国連絡会結成。石田明会長。平和教育の全国的展開などをきめる. |
71 |
11 |
02 |
修学旅行で広島を訪れた埼玉県浦和市立高校の生徒30人、市内の宿舎で広島商業高校・広島女学院高校・廿日市高校3校の生徒13人と交流。 |
71 |
12 |
07 |
原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑建設委員会が追悼集「流灯」刊行 |
『平和を叫ぼう!-”ひろしま”についての自主教材として(試案)』(2訂版)(広島県平和教育教材英語部門編集委員会・広島県被爆教師の会編、広島平和教育研究所出版部、19730701)
<「あとがき」=1971年1月>
『ながさきの平和教育Ⅰ 原爆を教えつづけて』(長崎原爆被爆教師の会平和教育資料編集委員会編・刊、19710720 )
目次
|
|
|
|
■ |
「ひろしま」「ながさき」を教えつづけることの誓いと訴え |
|
|
■ |
ながさきの平和教育 |
坂口 便 |
|
|
一 夾竹桃の花咲くころ
二 「沈黙の壁をやぶって」以前
三 「沈黙の壁をやぶって」以後
四 これからなさねばならぬこと
五 ながさきの平和教育 |
|
|
■ |
ながさきの原爆 |
大嶋 隆三郎 |
|
|
まえがき
一 原子爆弾の投下
二 原爆投下の惨状
三 ツメあとはまだ深く
四 平和への祈願 |
|
|
■ |
平和教育の実践記録 |
|
|
|
一 滑石小でのとりくみ |
今田 斐男 |
|
|
1 小学二年の実践(国語・道徳・図工) |
清水 聡 |
|
|
2 小学四年の実践(国語・社会・文集) |
今田 斐男 |
|
|
3 小学五年の実践(社会) |
山川 剛 |
|
|
二 小学六年・戦争をどう教えたか |
貞方 一将 |
|
|
三中学一~三年・社会科の実践 |
末永 浩 |
|
|
四 中学一年・「原爆記念日」の実践 |
吉里 良輔 |
|
|
五 中学一年・国語科の実践 |
西浦上中学校 |
|
|
六 中学二年・社会科学習における実践 |
浦口 安巳 |
|
|
七 中学・学活の中で |
田吉 義明 |
|
|
八 中学・「原爆教育の日」の指導 |
橋本 正勝 |
|
|
九 広島市大手町中との交歓会 |
山里中学校 |
|
■ |
平和教育の指導資科 |
|
|
|
一 おとうさん・おかあさんの子どものころ |
今田 斐男 |
|
|
二 父と母の昭和二十年前後 |
松永 とき子他 |
|
|
三 死線をさ迷って |
斉藤 昌彦 |
|
|
四 平和教育分料会の中で(20次県教研) |
編者 |
|
|
五 英語科でどうとりくむか |
田吉 義明 |
|
|
六 美術教育をどうとらえるか |
吉田 克二 |
|
|
七 「夏休みの友」での八月九日 |
編者 |
|
■ |
平和教育の定着化と問題点 |
田吉 義明 |
|
■ |
原爆関係の参考資料 |
|
|
|
一 原爆関係年表 |
|
|
|
二 原爆と平和教育に関する本 |
|
|
|
三 原爆資料室展示目録 |
|
|
|
四 原爆遺跡・塔碑所在地図 |
|
|
『文学教材をどうとられどう教えるか―自主教材「ヒロシマのうた」をめぐって』(児玉晴子 国語教育研究サークル・ニ土会 段原中学校)
日教組第21次・日高教第18次教育研究全国集会報告書 34
第5分科会
注:『ヒロシマのうた』=今西祐行の小説。1970年刊。
『『ヒロシマ原爆の記録』でどう教えるか―ひろしまをすべての子らに―(試案)』
(広島県原爆被爆教師の会、197106) 所蔵:ピカ研
内容
章節 |
タイトル |
備考 |
|
ヒロシマ 原爆の記録 |
|
01 |
指導のねらい |
|
02 |
指導にあたっての留意点 |
|
|
指導展開例(中学校) |
|
|
|
|
|
あとがき(この指導を機に発展させたいもの) |
|
|
図書の紹介 |
|
|
|
|
|
この映画は、1970年7月広島市民の参加と支持のもとに、広島市および地元報道機関の協力により制作された。 |
|
企画・監修・広島原爆映画製作委員会 |
|
制作:株式会社日本映画新社 |
|
共同構成・小笠原基生、松川八州雄 |
|
語り手:宇野重吉 |
|
ドキュメンタリー映画、16ミリ白黒(一部カラー)上映時間29分 |
|
|
|
|
<ナレーション台本>ヒロシマ原爆の記録 |
|
『なつやすみ(46年度)』(広島県夏休み帳編集委員会(編)広島教育会館出版部(発行)、1971) 所蔵:ピカ研
『ひろしまの平和教育』(第2輯)
章節(頁) |
見出し |
備考 |
1 |
(平和教育へのあゆみ)広島県における「平和教育」第二十次教研までのあゆみ |
|
1-1 |
第18次県教研での問題提起とその討議 |
|
1-2 |
第18次日教組全国教研へ問題提起 |
|
1-3 |
第19次県教研での取組みとその内容 |
|
1-4 |
県被爆教師の会の結成とその活動 |
|
|
会の活動方針とその動き |
|
|
「ひろしま」「ながさき」を教えつづけることの誓いと訴え |
|
|
さらに活動を強化発展させるために |
|
|
|
|
1-5 |
平和教育教材づくり |
|
|
|
|
2 |
(第20次県教研の実践報告より 1)人権と民族平和への課題-平和教育の土台づくり |
|
|
なぜ平和教育が必要か(23)/平和教育をいつどのように行うか(27)/研究体制づくりと研究の経過(28)/教材の自主編成によって平和を認識させる(31)/ |
|
|
|
|
3 |
(第20次県教研の実践報告より 2)平和教育の実践でかわりつつあるその実態 |
|
|
平和教材「ひろしま」を使って(40)/8月6日を学校行事にして(49)/今後の課題(55 |
|
|
|
|
4 |
(第20次県教研の実践報告より3)大久野島-毒ガスをどう教えるか |
|
|
大久野島を教える意義(56)/大久野島の地理と歴史(57)/毒ガスの島(60)/基地の島(71)/レジャーの島の中に(71)/従業員のくらしと運動(74)/今日の生物化学兵器(85)/大久野島をどう教えたかの実践例(88) |
|
|
|
|
5 |
(平和教育への認識と展望)ひろしまの教師はなぜ平和教育を実践するのか |
|
|
平和教育への阻害条件 |
|
|
“ひろしま”で何をどう教えるのか |
|
|
平和教育は最高の倫理を教える教育 |
|
■ |
平和教育教材“ひろしま”指導資料(全) |
|
平和キャラバン 1971年、山口大学ユネスコクラブ(被爆者福祉会館『ゆだ苑』内)が第1回を実施。
出典:『第十回平和キャラバン総括集』(山口大学ユネスコクラブ、1981年?)目次
|
|
|
第1部 |
第10回平和キャラバン総括―歴史を再検討しつつ― |
|
1. |
趣意書 |
|
2. |
第10回平和キャラバンの足どり |
|
3. |
各企画紹介 |
|
|
(1)被爆者懇談会 |
|
|
(2)自治体交渉 |
|
|
(3)6・9行動 |
|
|
(4)行進 |
|
|
(5)施設訪門 |
|
4. |
平和キャラバン、第10回迄の歩みと今後の発展方向 |
|
5. |
各企画総括 |
|
|
(1)自治体交渉被 |
|
|
(2)爆者懇談会 |
|
|
(3)施設訪門 |
|
第2部 |
基本懇答申をのりこえて~状況とユネスコクラブの運動の方向~ |
|
第1章 |
基本懇答申の経緯と内容 |
|
第2章 |
被爆者援護法の根本精神と答申批判 |
|
第3章 |
基本懇答申に反映される社会情勢 |
|
第4章 |
地域の申に援護法精神を~ユネスコクラブの今後に向けて~ |
|
|
※哀悼の意を表します |
|
|
※第10回平和キャラバン会計報告 |
|
|
※協力団体 |
|
|
※県内被爆者を支える『ゆだ苑』にご協力を |
|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。