女にとっての戦争 「ひととき」欄の30年から 2

『女にとっての戦争 「ひととき」欄の30年から 2』(影山三郎・中村智子・草の実会編、田畑書店、19820815)

内容

年・見出し 投稿者
1968(昭和43)
血を流させたものへの憤り  高見悦子  12
また免疫になるのを恐れる 早川恭子   12
最も日常的な存在から 立原未知   13
私の思い描く戦死者の墓地 藤川渓子   14
こんどこそベトナム和平を 飯野周子   16
韓国の原爆患者にわびたい 田中テル   17
憲法を六十の手習い  石黒周子   19
「備えあれば」の恐ろしさ 伊藤つや子   20
百日紅に思う原爆の悲劇 吉田菊枝  22 
亡き弟への追憶  武井貞代   23
赤い雲のつめ跡  谷川寿子  24 
「あの日」の記憶のある限り 持田郁子   26
お国にささげた故郷の家  大西信子   27
仏壇の奥に入れた兄の勲章  関和子   29
育てよう「デモをする権利」  匿名希望  30 
時代の逆流をせきとめたい  斉藤淑子   32
戦死者慰霊祭に出席して 加納昌子   33
 
1969年(昭和44年)
兄たちの羽根つき  長尾彰子 36
終ってなかった父母の戦後  吉川美智子  37
戦死した父の墓が欲しい  斉藤由恵  38
肩身の狭い被爆二世  匿名希望  40
戦時中の「聖火リレー」  高橋文子  42
父が戦死して二十四年  西山悦子  44
戦災孤児だった夫  佐々木三枝子  45
父の味がするギンナン  斉藤由恵  46
昔の疎開先から届いた喪中の報  大森輝子  47
 
1970年(昭和45年)
女は執念深いのである  溝口悠紀子  50
出てきた予科練の合格通知書  河野ひさ江  51
主婦として何とかしなければ 旗手みどり  52
 捨てきれない二つの帽子  北垣甲子  54
焼け野原でのコンサート  永田周子  55
八月の太陽は悲しい  水原富子  56
植木バチに拾われた母の骨  奥山俊子  57
作られた「敵」を恐れた私  福本英子  58
夜の品川駅の別れ  牧野弘子  60
平和はいいなあ  畠山美恵  61
ベトナム帰休の沖縄出身兵士 小林節子  62
   
1971年(昭和46年)
一人暮らしの母を案じつつ  県洋子  66
戦災生きぬいたひな人形  木村冨美子  67
戦死の兄を待っていた亡父  大島かづ子  68
ヒロシマを語りつぎたい  三宅泰子  70
東京空襲を記録する文集  紀伊艶子 71
兄を奪われた妹の体験  仁木悦子  73
妻たちの戦後はつづく  星野美子  74
私も戦争で兄を失った妹  寺島弘子  76
責任追及の執拗さが大切  渡辺瑞代  77
   
 1972年(昭和47年)
 横井さんのニュースに思う 林和子  80
 箱根国立療養所の人びと  福田昌子  81
遺骨収集への肉親の願い  棚田良子  82
鏡台を買った古稀の母  石井鞆音  84
相模補給廠前で逮捕された息子  鈴木芳子  85
希望の顔はすばらしい  中井道子  86
信濃路の秋に木の実を拾う
加藤静  88
兄の霊は南の海の底深く
滝沢美子  89
カボチャを受けつけない夫  鳥海陽子  90
 
1973年(昭和48年)
「北爆指輪」に願いを託して  片野和子  94
ベトナム停戦と六歳児  佐藤静子  95
 二十八年前の集団疎開の友達へ  馬場カヨ  96
 南の島への里帰り  吉田福子  98
父親の温かさを知らない父親  宮川久美  99
防空ごう掘りとトロロイモ  藍原リエ子  100
忘れ得ぬ「八月十三日の人」  上脇霜子  102
「鷹匠」で思い出した祖母の話  小泉寿子  103
女性は軍歌を歌わない  勝又喜美子  104
「飢え」思い出したイモ掘り  亀谷美智子  106
 
 1974年(昭和49年)
 めぐり来る東京大空襲の日  笹本喜久子  110
「絶対」に納得しないわが子  犬伏すみ  111
いま思い出す祖母の涙  五十嵐登美子  112
戦争で見た人間の二つの顔  椿芳子  114
スタコラ逃げ出せる勇気  松本節子  115
白いホカホカご飯とアジの塩焼  今里綾子  116
両親の金婚式でなつかしい対面  加藤美智子  117
我慢の押しつけはゴメン!  八木原道子  119
 
1975年(昭和50年)
空襲で拾った命、今日も無事  及川とし子  122
 夕日の中で思う東京大空襲 志野原勝子  123
平和のため、私にできること  加藤とも子  124
 八歳の娘に語り継いだ原爆  玉手理子  123
インドシナの民衆に手を  小林礼子  127
ベトナム募金に協力したいが  安江明子  131
「昔は手で洗たく?」と驚く子  小出慶子  129
父の履歴書  内田明子  131
疎開児童と再会、老父の涙  雨宮昭世  132
まだ忘れられぬ戦争の悪夢  石原愛子  133
死を覚悟していた父の言葉  戸野谷由美子  135
娘へ小包、思い起こす戦争  槇文子  136
粗食に耐えた幼児はいま…  川島浪子  137
親と娘の「意義ある宿題」  中石節子  138
天皇訪米の風景  相原ゆう  140
忘れられないカキの思い出  深沢真理子  141
     
 1976年(昭和51年)    
チョコレートの箱と父の死  小林ルミ子  144
草もち喜んだ寝たきりの姉  宮沢寿子  145
日の丸は戦死した息子の…  後藤雍子  146
「お父さん」と呼べなかった私  関博子  148
戦争がこわいという娘の誌  猪野富子  149
あまりにむごい戦争の思い出  鞍智美知子  150
軍隊のビンタ忘れぬうらみ  金山愛子  152
「正八位」よりも青春を返して  藤井友子  153
しみじみ三十一年ぶりの卒業式  米川琴  154
1977年(昭和52年)    
受けとれなかった一万円  蓮沼とよ子  158
SLを見て戦争を思い出す  山村美恵子  159
出生兵の背の赤いコイのぼり  森本郁子  160
軍歌をくちづさむとき  永井百合子  162
子に「君が代」を歌わせたくない  山内保子  163
未体験の戦争も語り継ごう  中村陽子  165
     
 1978年(昭和53年)
悪夢のようだった預金封鎖  山芝美枝子  168
雑のうで作ったランドセル  長田幸  169
赤いひものついた防空頭巾  鈴木妙子  170
集団疎開の友の顔なつかし  山口久枝  172
シベリヤから父が帰った日  冨山美枝子  173
夏祭りで思い出す戦争  高橋照子  174
花火は空襲の死者への川供養  後藤雍子  175
つらかった戦争中の生理日  広瀬秋江  177
娘の宿題に残す終戦の体験  西内八重  178
母を通じてしのぶ父のこと   小林雅代 179
二十四歳で戦死した父の証言  藤波倭文子  181
1979年(昭和54年)     
書きとめた義父の戦争体験  石山みえ子  184
憲法前文はわが青春の書  西茂子  185
石けんの香りに平和をかいだ頃  木村靖子  186
涙が流れた三十六年前の家計簿  細野政子  188
戦没学生の母の悲しさ知る  高橋洋子  189
うそで包まれていた時代  桜井静子  190
 1980年(昭和55年)    
「流れる星…」で知った苦難  角澄子  194
亡夫の母の世話をする嫁の私  田中たかの  195
心ふるえたビスケットの味  河合洋子  196
再び「きけわだつみのこえ」を  福田フジ子  198
「語りつごう、静岡大空襲」のビラ  田宮ますえ  199
ひめゆりの乙女の友として 兼次京子  200
あの日々は風化させられぬ  滝沢よし子  202
木綿の感触に平和しみじみ  平柳喜和子  203
たった一人で戦い続けた父  大里祥子  204
難病の女性と共に祈る平和  和田三千代  206
小さなデモで反戦への決意  宮下喜代  207
まりつき唄に食糧難しのぶ  坂内敦子  208
平和の尊さを語り継ぎたい  吉武洋子  210
「平和教育」を見捨てないで 岡本早苗  211
四十五歳の小さなナベいとおし  大津一女  213
真珠湾の夜、反戦主張した父  加藤道子  214
軍人一時恩給と生命の重さ  落合典子  215
「私も戦争担った」、でも今は 新谷れい子  217
 
 1981年(昭和56年
定年後にこそ平和な日々を  佐々木かづ子  220
戦死した兄の供養と針供養  今野てる  221
ミカンの味は母の苦労の味  金内迪子  222
アルバムに思い出数々三十五年  鈴木勝子  224
平和こそが級友への鎮魂歌  高見沢幸子  225
日本にも戦争があったの?  新井恵美子  226
肉親捜す顔写真に重なる自分  西田清子  228
「はやらない」!? 非核三原則  岩野由美子  229
戦争は過去のことでしょうか 池上従子 230
平和な社会の軍事化に恐怖  村上福子  232
生かしたい敗戦後の教科書  小林眸  233
 どう残すおばあちゃんの嘆き   萩原美穂子  234
父の枕辺、平和を祈る  宇津山久子  235
戦争体験集にも五度目の夏  西山正子  237
「すいとんうまい」平和だね  増口千代世  238
ささやかに祝う「終戦の日」  鈴木アヤ  240
「非国民」の名に兄は耐えた  宮崎史子  241
中国に残った父の作品  西本芳子  243
軍服よりジーパン姿が好き 筒井真樹子  244
 
 1982年(昭和57年)
 米軍機墜落事故の日  長谷川玲子  248
核禁止署名、当然と思ったが  多田美津子  249
子を残した親たちのつらさ  奥田千鶴子  250
卒業式を焼いた東京大空襲  海口陽子  252
つらく長い姉の戦後終わる  宮沢寿子  253
反核署名待つ人と断る人と  五十嵐まつ  254
再び象を殺さないだろうか
福井由紀子  256
 「ひとときの」趣旨と役割  影山三郎  259
   

女にとっての戦争 「ひととき」欄の三十年から 1

『女にとっての戦争 「ひととき」欄の三十年から 1』(影山三郎・中村智子・草の実会編、田畑書店、19820715)

内容

年・見出し 投稿者
まえがき <草の実会> 小野和・金子きみ・熊井志津子 3
1952(昭和27)
原爆の少女たちに 細渓正子 17
子供を守るため 倉持ひろ子 18
水爆の実験 小野沢君子 19
城ヶ島にて 石川溪子 20
 
1953年(昭和28年)
戦車の地ひびき 岡谷志摩子 24
船足の音を聞きつつ 村沢テル子 25
未亡人と特需 木村誠子 26
旭川このごろ 大場智子 27
男の子の夢 中山千代子 28
八月六日 安藤貞香 30
八月十五日 赤堀あい子 31
中学生と戦争映画 松平芳子 32
思いがけない来客 白岩栄子  33
このごろゆううつ 杉本治子 34
君死に給ふことなかれ 北沢君枝  36
古いチャブ台 大塚多美 37
石も叫ぶべし 原伊久  38
 
1954年(昭和29年)
国民のいのちと再軍備 高田雪枝  42
原爆マグロの恐ろしさ ほりしずこ  43
原爆症の美しい友 米田葉子  44
X線技術者の妻 富田冨佐子 46
限りない孤独 政田章子 47
魚屋の娘として 青木薫子  48
ルーズベルト夫人に感謝 九里雅子  50
放射能の雨 1 虎谷信子  5
慣れっこになるな 山根清子 52
九年前の傷うずく  鈴木俊子 54
あるクェーカー教徒の母親 大森和子 55
久保山さんの死に想う 川名多恵子  56
少年自衛隊のこわさ 原田初代  58
山形の炭焼小屋から  印野千代子  59
 
1955年(昭和30年)
中国から帰国して十年 大須賀清子 62
季節めぐり来る時  福岡弘子 63
卒業式をおえて  飯窪恵紀子  65
イタリアからの旗 匿名希望 66
日本母親大会に出席して 水谷幸子 67
母親大会で思ったこと 永田みどり  69
自衛隊のうた 榎本芳枝 70
原爆症への恐怖 木下朝子 71
ああ、今年も生きられた! 奥田れい子  73
特車の不気味な砲口 高橋ツネ 74
日ソ交渉に祈る 大津一女 76
石川達三さんへ 伊藤利子 77
オネスト・ジョン 大黒敏子 79
さつまいもの味 金井寿美子 80
魯迅未亡人の手記によせて 古島琴子 82
ハバロフスクの写真に憶う 松下暢世  83
神宮球場と私 窪島睦子  85
 
1956年(昭和31年)
うこぎのおひたし 荒井きく子 88
こどもの日によせて 広田豊子  89
あやめ城のあと 細野多知子  92
沖縄を郷里にもって 仲里京子 93
息子 仲川いち  95
沖縄に平和を 成光和子 96
原水爆禁止運動に参加して 石島京子 98
満州野の遺骨の喜び 板垣享子 102
家庭の灯を守る女性たち 柴崎初枝 104
「避難民」はもうごめん 斉藤トミノ  105
今年をふりかえって 今村光子 106
1957年(昭和32年)
防衛費を削ってください 市毛栞 110
死んでほめられるより… 浅井千里  111
もっと易しく、訴える記事を 小林利果  112
憲法を読みましょう 堀江秋子 114
次の世代に降る恐怖 笠原美恵 115
原子力の村から農婦のお願い 塙きく代  116
1958年(昭和33年)
「信仰の暴力」に負けるな 匿名希望  120
兵隊を喜劇化しないで下さい 中村静子 121
悪魔の記憶 桑田竜子 122
原爆の傷は生きている 福田二三 124
続・悪魔の記憶 富田清子  125
被爆者の生活を守ろう 本間典子  127
映画「千羽鶴」と文部省 岡野稔子 128
私にもできること 渥美京子  130
どんな国にも、どんな町にも 篠田良子 131
原水爆禁止大会によせて 塚本順子 132
戦争体験を書いて 牧瀬菊枝  134
原爆症の夫を入院させたいが 小幡国子  135
この美しい行進を、母に 滝沢あい子  137
大砲や戦車の列を見ながら 小畑喜子  138
夫の見た夢 信太正子 140
1959年(昭和34年)
はかまをたたみながら 江上和代 144
おにぎりを思う 匿名希望 145
原爆記念日とおなかの子  中神二三子  146
戦争のツメあとはまだ… 黒沢園子  148
水密桃をむきながら 有馬志津子 149
傷痍軍人の妻は悲し 久保田浪子  151
遺族の生き方 井上糸英 152
沖縄に苗木がほしい 河野弘子 154
映画「ああ江田島」と若い人たち 山岸克子 155
朝鮮人の髪の毛で編んだくつ下 斉藤貞子 157
1960年(昭和35年)
善意とは積極的な生きる力 紀伊艶子  160
「十日の別れ」に思うこと 槇文子  161
ラオスからの便り  砂屋敷美恵子 162
防衛庁からの注文拒否 村山桂子 164
「精神とメシ」で夫婦問答 高橋雅子  165
常夏の故郷、小笠原島 匿名希望 166
「おかあさんの宿題」に感慨  南雲すみ 168
街頭で署名しながら 大石美千子 170
自衛隊員の投書に寄せて 春川まさ子 171
日系人の友へ  石橋晴美 173
グァム島生き残り日本兵の教訓 清水千枝子 174
熱意をもっと地道な方法で 田島清子 175
米青年に安保反対の真意を 中村一枝  177
私たちの集まり 薬袋みゆき 179
遅いけど…憲法読む母の会 大江みち  180
平和な主婦の時代は過ぎたか 山田美恵子  182
早く忘れたい八月六日の悲しみ 匿名希望  183
傷兵たちの一群 田中美智 185
私の学んできた民主主義  村松愛子 186
戦争のない世界を 田中美代子 189
子供たちの幸福を祈る 早川智恵子  191
もし女の子だったら… 原田さえ子  194
戦死した息子よ安心しておくれ 石浜きみ 195
1961年(昭和36年)
戦争未亡人と減税 長沢三枝子 198
かあさん、つらかった 匿名希望  199
リバイバルの軍歌 市原まゆみ 200
この地図のどこかへの旅 小林佐智子 202
遺族のシベリア墓参と母の願い 広田英美子 203
1962年(昭和37年)
母性愛を平和にそそごう 匿名希望  206
ひな人形を捨てた悲しみ  安部薫 207
小さな声集めて核兵器の絶滅を 安達みお子 209
「池田総理を囲んで」のテレビ 伊丹久子  210
私の八月九日 青野悦子  212
わが家の菜園にて 渡辺まさ子 214
終戦記念日に思う 村田静子  215
集団疎開した妹の思い出  村松弥生 216
平和への国際婦人の日 松沢昌子 217
キューバ危機に思ったこと 間瀬きみ子 218
矢ガスリ模様のはんてん 笠原芳枝  219
1963年(昭和38年)
ケネディの死と北京の子供たち 立木達子 222
知らないことの恐ろしさ 古川ユリ  223
1964年(昭和39年)
あなたと呼びかけるもの 白山ユキ 226
わが家の災害避難訓練 倉田ゆり子 227
1965年(昭和40年)
アメリカの友も悩んでいる 浮田久子  230
教えよう、戦争の恐ろしさ 槇文子 231
「未完成交響曲」と娘と私 藤田千枝子 233
夜桜と空襲の思い出 桜井愛子  234
お米をかついだ修学旅行 土屋まさ子 236
従軍看護婦の思い出と祈り 山口重子  237
心痛めるベトナム報道 山田昭子 238
戦争体験の文集「嵐」をよんで 岩崎多鶴 240
雑草と強制連行の朝鮮人 熊倉ひろ子 241
原爆で散った兄と友人たち 室野芙美 243
原爆跡に「ミナブジ」の父の文字 本橋正子 244
収容所で生まれた子も二十歳に 岩崎いさ 246
いたけな戦争の犠牲 堯信恵 247
戦争を知らぬ娘から母親へ 新津とも江 248
1966年(昭和41年)
兄の遺骨に平和を祈る 田熊千代  252
胸をつかれた捕虜の写真 堀畑美代子 253
菜切り包丁に二十一年の感慨 吉田竹代 254
漱石の「こころ」にうたれて 石沢スゲ 256
空襲とヤミ市と京人形 大野治子  257
「母さん、おにぎり、おにぎり」 多 田慶子 259
隣組結んだ亡夫の絵日記 中島さと子 261
1967年(昭和42年)
ひな人形への強い愛着 岡村彩子 264
「血液型」と暗い思い出 後藤信子 265
ベトナムへ帰ったある米兵 田中みよ子 266
反戦ちょうちん行列に参加して 永網泰代 268
反戦記念日のスイトン 井上照子 269
被爆者のこの声を聞け 小野和 271
あとがき 中村智子 274

朝日新聞よ、変わりなさい!

『朝日新聞よ、変わりなさい!』(朝日新聞労働組合新聞研究委員会編、葉文館出版、20000413)<作業中

内容

まえがき
1 朝日新聞よ、変わりなさい!
1 テリー伊藤の「私が社長だったらこう変える」
2 討論会「テリー伊藤VS朝日新聞」
2 ジャーナリズムよ、変わりなさい
斎藤茂男の「世紀末日本を歩いて」
斎藤茂男の「世紀末日本を歩いて」
有山輝雄の「報道機関と言論機関」
辻元清美の「お互い因果な商売や」
目加田説子の「市民の力が世界を変える」
杉山隆男の「メディア・ビッグバン」
宮崎学の「アウトローからみたジャーナリズム」
3 ニッポンよ、変わりなさい
1 講演録 戦後沖縄の挑戦  大田昌秀
2 討論会 響け、われらの声 –沖縄・アイヌ・在日から
3 インタビュー だから変だよ、ニッポン人
萱野 茂の「言葉こそ民族のあかし」(前半)
貝澤裕子の「二つの文化を学ぶ」(後半)
大田昌秀の「ニッポンに異議あり」(前半)
又吉栄喜の「眠っているパワーを探れ」(後半)
藤本英夫の「違いを認め合うことから」(前半)
辛 淑玉の「言論のタブーをなくそう」(後半)
服部孝司の「見えない国境を見る」(前半)
外岡秀俊の「多文化社会の可能性」(後半)
あとがき

 

爆心(朝日新聞連載)

『爆心』(朝日新聞(広島版)連載 19850403~0822)

被爆死の空白
1 白い花の記憶 遺骨の中に一輪 手向けの主は呉服商と判明 消えた繁華街・中島 消息不明なお多数
2 小さき骨
3 軍用旅舎
4 天神町北組
5 検校社
6 支社史
7 1/37
8 アイゴー
9 白衣
10 通行人
11 動員学徒
12 68.8キロ
その生活史
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
40年の歩み
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
生還
1
2
3
4
5
6
7
8
9 二度とあっちゃいけんこと 9歳の記憶

 

 

原爆展(朝日新聞社主催)

原爆展(朝日新聞社主催)

資料

資料名 年月日 備考
本冊子 (編著者・発行所)
ヒロシマ原爆展 朝日新聞東京本社企画部、  広島市・朝日新聞社 19670905 G
原爆展アンケート集 朝日新聞社 19680101 G
ヒロシマ原爆参考資料集-原爆ドーム保存工事完成記念 朝日新聞社東京本社企画部・広島平和記念資料館 19680115 G
原爆展 朝日新聞西部本社企画部   広島市・長崎市・朝日新聞社 19680702 G
長崎原爆展 朝日新聞東京本社企画部 長崎市・朝日新聞社 19680806 G
ヒロシマ・ナガサキ原爆展 朝日新聞東京本社企画部 19700701 GU
原爆展 忘れまい、この惨禍 朝日新聞東京本社企画部 1982/07/01 GU
「原爆展」を見て 会場アンケートから 朝日新聞東京本社企画部 19820920 G

 

 

原爆展 忘れまい、この惨禍

『原爆展 忘れまい、この惨禍』(朝日新聞東京本社企画部、19820701 )

内容

表紙 写真
ヒロシマー1945 ナガサキー1945 挿図写真
02 ごあいさつ 広島市・長崎市・朝日新聞社
広島市から 荒木武(広島市長)
03 長崎市から 本島等(長崎市長)
05 広島ー人類最初の日
13 地球最後の地
21 非核日本の責務 岸田純之助
24 原爆の開発・破壊力
27 目標都市の選定
28 日本の原爆開発
29 広島・八月六日
32 被爆直後〈松重美人〉
34 被爆の品々
40 遺品など
48 原爆被害の全貌 庄野直美
51 長崎・八月九日
54 余燼くすぶるなかで 〈山端庸介〉
60 被爆の品々
64 遺品など
70 ラジオゾンデ・伝単など
76 原爆による人体の障害 西森一正
81 ヒバクシャの戦後 〈福島菊次郎〉
84 原爆の図-救出 〈丸木美術館〉丸木位里・丸木俊
86 原爆以後の核開発と反核
88 米ソの核戦力
89 もし「核」が落ちたら
90 私の反戦 瀬戸内晴美
92 出品目録

敗戦と原爆投下(週刊朝日百科)

『週刊朝日百科日本の歴史122 現代1敗戦と原爆投下』(朝日新聞社、19880821)

目次

所蔵
藤村道生(責任編集) GU
02 日本の降伏をめぐる国際政治 藤村道生( 上智大学教授)
04 昭和二十年八月十五日 藤村道生
08 コラム:東京大空襲-昭和二十年3月十日 伊藤正徳 (聖徳学園関東高校教諭)
10 「和平」への戦い サイパン陥落以後  藤村道生
16 全国主要都市の空襲被害
18 玉砕―その「構図」と精神的風土 黒沢文貴 都(立日比谷高校講師)
18 連合軍の反攻から原爆投下まで
20 戦術としての<特攻> 櫻井良樹 (麗澤大学非常勤講師)
21 沖縄戦と原爆投下 藤村道生
23 原爆の惨劇
24 広島・長崎被害地図
26 もの言わぬ証言者
27 戦時下の教育-学徒動員と学童疎開 斎藤聖二 (茨城キリスト教短期大学助教授)
29 ポツダム宣言の受諾 藤村道生
30 満州開拓団とソ連軍の進入

アサヒグラフ

アサヒグラフ(原爆関係記事一覧)

発行年月日 記事  所蔵
19500816  18  ヒロシマを記録した人々告知板本  G
19520806 特別増刷 原爆被害の初公開 U
 19530701  04 原爆症患者その後-被爆八年目の広島にて

 G
 19530826  04   原爆記念日 広島 長崎   G
 19530930  06

本【雑誌】|広島平和記念資料館 平和データベース

原爆傷害調査委員会 広島
 G
 19531223  03  本年度”浮世バンザイ”告知板 国内で初めて縁組 原爆孤児を精神養子に   G
 <未入力>
19650528 表紙・くずれゆく原爆ドーム(広島)  U
 03 霊界から来だ”歌手・丸山明宏
 27  くずれゆく原爆ドーム
19730824 19 この人々に「戦後」はない―韓国・陝川郡の原爆被災者たち(写真と文:吉岡攻) U
19770617 特集:日本原発地図 U
 19780811  12  追跡全調査「原爆の子」106人の33年 閃光の記憶 いまも深く生々しく U

 

 

ヒロシマ 21世紀へのメッセージ

『ヒロシマ 21世紀へのメッセージ』(朝日新聞社文化企画局大阪企画部(編・刊、199409)

目次

口絵写真
020 19940927-1030 熊本県立美術館
19950551-0612 大丸ミュージアム・梅田
19950812-0924 郡山市立美術館
19951007-1203 広島市現代美術館
021 ごあいさつ 主催者
024 霊魂よ眠れ 新藤兼人
033 コレクションテーマ[ヒロシマ]
087 ヒロシマ―半世紀への黙示
114 コレクション、テーマ「ヒロシマ」について 竹澤雄三(広島市現代美術館学芸課長)
120 21世紀への黙示―ヒロシマ 小泉晋弥(郡山市立美術館主任学芸員)
127 原爆写真とは何か―次代の人類のヴィジョンのために 平木収(写真論)
133 戦争を風化させないために―フォトCD[ヒロシマ・1945] 後藤和雄(朝日新聞写真データベース委員会幹事)
135 市民が描いた原爆の絵 小泉晋弥
136 作家略歴
140 出品目録

 

東京朝日の原爆批判キャンペーン(1945年8月~9月)

東京朝日の原爆批判キャンペーン(1945年8月~9月)
朝日新聞は、広島に原爆が投下された翌日から連日、原爆に関する報道を行った。1945年8月7日~9月18日の43日間で、原爆関係の記事が掲載されなかったのは、8月22日、同月26日、9月13日の3日のみである。また、この間の関係記事数は115件におよぶ。当時の新聞が表裏2面のみという限られた紙面であることを考えれば、当時、原爆問題がいかに重視されていたかがうかがえる。
同新聞は、占領軍当局により、原爆批判キャンペーンの「先頭にたっ」ていると目され、1945年9月18日、48時間の発刊停止処分を受けた。この発停が直接の契機となり、翌19日には、プレスコードが指令される。
プレスコードを契機に原爆関係の記事は激減し、原爆投下を非難する記事は一切無くなった。次表は、朝日新聞の記事数を、プレスコード(ps)の前(b)と後(a)で比較したものである。

社説 外電 報道
(含コラム)
一日平均
記事数
ps-b 8 30 77 115 2.7
ps-a 3 66 30 99 0.3

注:ps-b=1945年8月7日~9月18日(43日)  注:ps-a=1945年8月21日~1946年8月6日
(322日)

国際平和シンポジウム(朝日新聞社・広島市)

国際平和シンポジウム(朝日新聞社・広島市)

平成7 年(1995 年)度から、核兵器廃絶をテーマに市民の平和意識啓発を図ることを目的として、広島市、広島平和文化センター、朝日新聞社の共催により広島で開催。平成18年(2006 年)度からは広島・長崎の交互開催に改める。

開催年月日 テーマ 会場 備考
19950718 核兵器廃絶への道を探る―ジャーナリストは何がいきるのか 広島 1
19960802 核兵器ゼロの世界を目指して
19970729 北東アジアの非核化と日本の役割
1998 1998年8月4日(第4回)国際シンポジウム・講演会「核廃絶へ今、私たちは何をすべきか」
1999 1999年8月5日(第5回)「語ろう、核兵器廃絶を!~ヒロシマから21世紀に向けて」
2000 2000年8月4日(第6回) 「非核の傘を広げよう!核のない21世紀めざして」
2001 2001年8月3日(第7回)「核廃絶の流れを確かなものに~地球市民としてなにをなすべきか」(原爆資料館蔵)
2002 2002年8月3日(第8回)「呼び戻そう核廃絶の流れを-報復から対話へ」(原爆資料館蔵)
2003 2003年8月3日(第9回)「語り続けよう核廃絶の道を-力の論理に抗して」
2004 2004年8月1日(第10回)「再び築こう核廃絶の流を-強めよう都市と市民の連携」(原爆資料館蔵)
2005 2005年月日(第回)2006年7月29日(第12回)<会場:長崎>
「核なき世界へ~61年目のナガサキから」
2006
2007 2007年8月4日(第13回) 「再び核廃絶のうねりを~ヒロシマから世界へ」
2008 2008年7月27日(第回)<会場:長崎>
「核兵器廃絶への道~NGOとミドルパワーの可能性」
2009 2009年8月1日(第15回)
「核兵器廃絶への道~2010年NPT再検討会議に向けて」2009年8月1日(土)広島国際会議場
国際平和シンポジウム「核兵器廃絶への道~2010年NPT再検討会議に向けて」
2010 2010年8月7日(第回)<会場:長崎>
「核兵器廃絶への道~2010年ナガサキ」
2011
2012
2013 2013年7月27日(第19回)
「核兵器廃絶への道~核兵器の非人道性と被爆体験の伝承~」(原爆資料館蔵)
2014
2015 2015年7 月25 日第回)
「核兵器廃絶への道~被爆70 年:核兵器の非人道性を見つめ、非合法化へ~」
2015年7 月25 日(土)午後1 時~午後5 時 広島国際会議場「ヒマワリ」
テーマ:核兵器廃絶への道~被爆70 年:核兵器の非人道性を見つめ、非合法化へ~
内 容:①オープニング:広島女学院高校音楽部による「リメンバー」合唱
②被爆体験を語り継ぐ:山本 定男(被爆体験証言者)
③特別講演:為末大(世界陸上競技選手権メダリスト)
④基調講演:モハメド・ベジャウィ(元国際司法裁判所裁判長)
⑤パネル討論:
〔パネリスト〕モハメド・ベジャウィ(元国際司法裁判所裁判長)
2016
20170729 核兵器廃絶への道~この世界の分断を越えて 広島国際会議場
▽特別対談「映画『この世界の片隅に』を語ろう」 片渕須直、蔵本順子
▽基調講演「トランプ時代における挑戦」 ジョン・ウォルフスタール(オバマ政権で特別担当補佐官)
▽パネル討論 ジョン・ウォルフスタール、ニーナ・タネンウォルド、小溝泰義氏、林田光弘
20180728 核兵器廃絶への道~持続平和な平和のために~ 長崎原爆資料館
2019
20200801 核兵器廃絶への道~世界の危機に、歩みをとめない~ 長崎原爆資料館ホール
一般傍聴者は募らず、海外の登壇者とはオンラインでつなぎ、その模様をライブ配信
20210731 核兵器廃絶への道~『希望の条約』が照らす新しい世界~
会場での参加者は募らず、広島国際会議場から無料ライブ配信
20220730 核兵器廃絶への道~世界を『終わり』にさせないために~ 長崎原爆資料館ホール
20230729 核兵器廃絶への道~被爆地が核戦争の「歯止め」となるために 広島国際会議場
ライブ配信の視聴も可能

中条一雄

中条一雄(Kazuo Chujo)著書(発行所:朝日新聞社)

書名 出版年 備考
私のヒロシマ原爆 1983/3/25 = The nuclear holocaust
原爆乙女 1984/3/25 =Hiroshima Maidens
原爆と差別 1986/7/25 =1985年夏(8月3日~8月27日)連載第3部作として朝日新聞に掲載。原文に大幅に加筆。