「書誌1978」カテゴリーアーカイブ

アメリカもうひとつの顔(カール・ヨネダ)

『アメリカもうひとつの顔』(カール・ヨネダ、新日本出版社、19780630)<作業中

アメリカに生きる日本人
三十一年ぶりに見た日本―1960年来日の印象
/原水爆禁止世界大会に出席して―感激とショック/”神風運転”と女性の変わりようにびっくり/(「アカハタ」19600802)
六〇年来日から十二年目の印象―私にも日本人の血がある
(「文化評論」197210)
わが妻を語る―何度つかまっても”自己弁護士”で無罪に
/法律でも禁止された結婚/親子3人で日本人収容所へ/際限ない人生への熱意/「アカハタ」19600524)
母の想い出―入営拒否した私にアメリカ行きの切符
母はさる7月23日、広島原爆養護ホームで95歳5カ月の生涯をとじた。母の子ども3人、孫10人、曾孫28人は全部アメリカに住んでおり、たった一人で死んだ。
/広島で生まれハワイへ/息子をアメリカに送りだす/(「アカハタ」19760912)
アメリカの五十番目の州ハワイ
ハワイの反戦デモ
在米日系人の強制収容キャンプ
強制収容されたカナダの日本人
天皇訪米にたいする日系人の反応
アメリカの地に生きた日本人労働者
片山潜の在米時代
病めるアメリカ
物価高は日本もアメリカも
今なおつづく「怒りのぶどう」
ニクソン大統領はスト破り
ウォーターゲート事件のニクソン
弾劾にゆれるニクソン政権
ニクソン弾劾と今後のアメリカ
ニクソン辞任の日
さびしいクリスマス
失業者の群の中でむかえたアメリカ建国二百年祭
老人めあてのかっぱらい増える
アメリカの労働運動
みんなの力で百万ドルの会館
港の闘士と日系女性のロマンス
オートメーションと労働者
オートメーションと労働運動
手を組む″流刑の兄弟″
たたかう港湾労働者
立ちあがる黒人と青年・学生
がんばれトーマス君
気狂いざたの黒人差別
完全な自由をめざす黒人たち
ロサンゼルスの黒人″暴動″
黒人に就職と教育の道を
ネズミと一緒に住むのはもういやだ
アメリカの″長い暑い夏″
働き口がない青少年
前途にまつ不安と絶望
ひろがる徴兵拒否の運動
黒い喪章の学生たち
ベトナム反戦運動
やがて「多数の声」に
ぼくの父さんを返して
ベトナム侵略反対に動きだした労働者
徴兵センター前ですわりこみ
ワシントンの反戦大デモに参加して
アメリカの内と外
インディアン保留地をたずねる
わたしたちのメキシコ訪問
不況下につれてこられたベトナム難民
終戦三十周年とアメリカ市民
アメリカのテレビ
天皇をむかえた米国民の反応
觧説(塩田庄兵衛)

私たちは敵だったのか 在米ヒバクシャの黙示録

『私たちは敵だったのか 在米ヒバクシャの黙示録』(袖井林二郎、潮出版社、19781210)

内容

1 広島からヒロシマヘの道…7
2 砂漠の中の生と死… 21
3 母国の劫火が焼く…36
4 原子野に向かう男たち…53
5 来る二世、帰る二世…70
6 祖国は異国だった…84
7 絵のないジクソウパズル-1…106
8 大統領の患者が死んだ…123
9 「死に損い記念日」の呼びかけ…138
10 発見されたHIBAKUSHA…152
11 お前たちは敵だったのだ…173
12 被爆線量を求める旅…197
13 絵のないジグソウパズル-2…213
14 アメリカ-1975・8・6…231
15 はげましと利用と支持と… …245
16 医師団は来たけれど…254
17 ワシントンがやってきた…269
18 「我ら皆ヒバクシャ」…286
あとがき…301
主要参考文献・資料
備考 英訳:Were we the enemy? : American survivors of Hiroshima