奈良県立医学専門学校
「原子爆弾ニ依ル白血球減少症ノ報告」(1945年9月1日) |
「原子爆弾ニ依ル白血球減少症ノ報告(続報)」(1945年10月1日) |
京都大学原子爆弾災害総合研究調査班資料 |
奈良県立医学専門学校
「原子爆弾ニ依ル白血球減少症ノ報告」(1945年9月1日) |
「原子爆弾ニ依ル白血球減少症ノ報告(続報)」(1945年10月1日) |
京都大学原子爆弾災害総合研究調査班資料 |
『広島新史-資料編Ⅱ(復興編)』(広島市編・刊、19820331)
内容
部 | ||
解説・解題 | ||
Ⅰ | 復興過程関係資料 | |
1 | 戦後初期の復興構想 | |
〔1〕 | 復興審議会の記録 | |
1 広島市復興審議会規程 3 2 広島市復興審議会の顧問および委員 4 3 昭和21年度広島市復興予算概要 5 4 第1回審議会議事録 6 5 復興審議会決定の研究項目 7 6 第2回審議会議事録 9 7 第2回審議会実施計画表 13 8 第3回審議会議事録 14 9 第4回審議会議事録 17 10 第5回審議会議事録 21 11 第6回審議会議事録 24 12 第7回審議会議事録 29 13 第8回審議会議事録 33 14 復興審議会の希望意見報告 35 15 復興審議会の審議経過と決定意見についての中間報告 36 16 第9回審議会議事録 38 17 旧陸軍運輸部関係港湾施設転用にかんする陳情書 44 18 第10回審議会議事録 45 19 第11回審議会議事録 48 20 第12回審議会議事録 52 21 第13回審議会議事録 56 22 第14回審議会議事録 61 23 復興審議会学校問題小委員会の議事概要 63 24 第15回審議会議事録 65 25 復興審議会大学その他学校関係位置決定小委員会報告 66 26 復興審議会審議決定事項 67 27 第16回審議会議事録 68 28 第17回審議会議事録 69 29 第18回審議会議事録 71 30 復興審議会盛り場座談会概要 73 31 復興事務所設置促進の進言 74 32 第19回審議会議事録 75 33 第20回審議会議事録 76 34 第21回審議会議事録 78 35 復興審議会の解散 80 |
||
〔2〕 | 戦後初期の復興構想 | |
1 桑原市男(旭株式会社社長)の広島建設案 81 2 木原七郎市長の復興構想 82 3 渡辺滋(広島市復興局嘱託)の復興私案 85 4 峠三吉(広島青年文化連盟委員長)の「ユートピア広島の建設」応募一等当選作 91 5 戦災復興計画における公園計画 93 6 長島敏(広島市復興局長)の復興計画案 97 7 浜井信三市長の復興計画案 100 8 戦災復興計画の樹立 104 9 広島復興懇談会の記録概要 107 10 産業復興計画試案 110 |
||
〔3〕 | 戦後初期の太田川改修問題 | |
1 太田川改修促進特別委員会名簿 149 2 太田川改修促進特別委員会の審議経過 149 3 水害防止にかんする陳情 177 4 太田川改修促進特別委員会委員長報告 178 |
||
2 | 復興関係の組織と資金 | |
〔1〕 | 戦後初期の組織構想 | |
1 広島復興民団の発起人委嘱 180 2 広島市復興局事務分掌規則 181 3 広島復興民団発起人会次第 184 4 広島復興民団発起人名簿 184 5 広島復興民団設立趣意書 185 6 復興事業のための新団体設立要綱 185 7 広島復興会社についての新聞社説 187 8 復興資金の問題 189 9 広島復興会社の構想 190 |
||
〔2〕 | 広島建設委員会と復興資金 | |
1 広島建設委員会会則 192 2 広島建設委員会委員名簿 193 3 アメリカ人および在米邦人に対する広島復興資金募集趣意書 194 4 在米邦人に対する広島復興資金募集依頼書 196 5 広島建設委員会をめぐる広島市議会の質疑 197 6 広島建設委員会の事業経過報告 201 |
||
3 | 広島平和記念都市建設法 | |
〔1〕 | 1 旧軍用地処理問題をめぐる市議会の質疑(1)203 2 旧軍用地処理問題をめぐる市議会の質疑(2)206 3 旧東練兵場処分にかんする市議会の意見書 232 |
|
〔2〕 | 平和記念都市建設法の施行 | |
1 楠瀬県知事の復興構想 235 2 広島平和記念都市建設法にかんする広島市長の請願書 236 3 衆議院本会議における広島平和記念都市建設法案の審議 239 4 広島平和記念都市建設法の成立経過と感謝決議 246 5 広島平和記念都市建設法の住民投票における浜井市長・任都栗市議会議長の訴え 251 6 広島平和記念都市建設法制定記念切手発行の申請 257 7 記念切手発行にかんする逓信省よりの回答メモ 259 8 平和記念都市建設財源に見返り資金充当方を請願 259 9 復興財源についての市議会の建議 260 10 平和記念都市としての復興 261 11 広島平和記念都市建設専門委員会の都市建設計画についての答申 263 12 広島平和記念都市建設法をめぐる浜井市長の回想(1)278 13 広島平和記念都市建設法をめぐる浜井市長の回想(2)280 14 広島平和記念都市建設法をめぐる浜井市長の回想(3)282 15 広島平和記念都市建設法をめぐる浜井市長の回想(4)285 16広島平和記念都市建設法と連合軍総司令部(G.H.Q.)の動向 287 |
||
4 | 昭和20年代の復興状況 | |
〔1〕 | 戦後初期の復興状況 | |
1 被爆直後の復興談義 293 2 金融緊急措置令と中小企業 293 3 木原市長の食糧危機に対する訴え 295 4 「闇市場」の状況 296 5 転用物資活用委員会海部委員長の報告 297 6 転用物資活用委員会大横田委員長の報告 302 7 被爆1年後の復興状況 306 |
||
〔2〕 | 朝鮮戦争と産業経済の復興 | |
1 朝鮮戦争特需による産業経済の復興(1)308 2 朝鮮戦争特需による産業経済の復興(2)309 3 朝鮮戦争特需による産業経済の復興(3)310 4 広島市工場設置条例 311 5 広島市工場設置委員会条例 312 6 朝鮮戦争後の製造工業の状態と将来計画 313 |
||
Ⅱ | 平和祭関係資料 | |
1 | 平和祭の開催(昭和22~24年) | |
1 広島平和祭協会創立趣意書・会則 399 2 連合軍総司令官マッカーサーのメッセージ 401 3 昭和22年広島市平和宣言 401 4 広島平和記念館建設趣意書(案)402 5 「アトミック・ヒロシマ」の映画化の依頼と返信 403 6 映画“No More Hiroshimas”にかんする協議概要 406 7 連合軍総司令官マッカーサーのメッセージ 409 8 英連邦軍総司令官ロバートソンのメッセージ 409 9 昭和23年広島市平和宣言 410 10 世界各都市市長に対するメッセージ 411 11 広島平和協会改組要綱試案 413 12 広島世界平和本部の進捗にかんする覚書 414 13 平和婦人大会開催準備懇談会 417 14 海外への呼びかけ(英文)419 15 広島市戦災死没者慰霊祭の案内 426 16 連合軍総司令官マッカーサーのメッセージ 427 17 昭和24年広島市平和宣言 427 18 ヒロシマ1949年8月6日に寄するうた 428 |
||
2 | 昭和25年度平和祭の準備と中止 | |
1 平和祭用煉羊かん生産原料特配を申請 430 2 昭和25年度平和協会事業計画(案)435 3 広島平和協会常任委員就任依頼状 438 4 広島平和協会常任委員会議事録(1)439 5 広島平和協会常任委員会議事録(2)441 6 英文プログラムの印刷 443 7 英文メッセージの印刷 445 8 平和祭用アイスキャンデー原料特配の申請 446 9 連合軍総司令官・英連邦軍司令官に対するメッセージ要請 447 10 中国地方民事部長に対するメッセージ要請 449 11 平和祭用揮撥油特配の申請 451 12 平和子供会への招待状 452 13 広島平和協会会員募集趣意書 454 14 内閣総理大臣・衆議院議長・参議院議長に対するメッセージ要請 455 15 平和祭案内状の発送 456 16 中国地方民事部長の出席通知 457 17 海外都市市長宛書簡の発送 458 18 広島平和協会常任委員あて通知 459 19 中国地方民事部長のメッセージ 461 20 ABCC所長の欠席通知 462 21 ABCC渉外部の出席通知 463 22 広島平和協会常任委員会の概要 464 23 浜井市長に対する平和祭中止の連絡 465 24 サイレン所有者に対する平和祭中止の通知 465 25 広島郵政局長に対する平和祭中止の通知 466 26 中国地方民事部長の連絡 467 27 広島市警察本部の平和祭中止にかんするビラ 468 28 平和祭中止にともなう予算減額分の返却 469 29 平和音楽会の準備と中止 470 30 広島市民の平和祭への要望 479 31 海外からの平和祭への期待 481 |
||
3 | 平和式典(昭和27~28年) | |
1 昭和27年広島市平和宣言 500 2 広島県知事の式辞 500 3 広島県議会議長の式辞 501 4 広島市議会議長の式辞 501 5 内閣総理大臣の式辞 502 6 衆議院副議長の式辞 502 7 参議院議長の式辞 503 8 昭和28年広島市平和宣言 503 9 広島県知事のメッセージ 504 10 広島県議会議長の式辞 505 11 広島市議会議長の式辞 505 12 内閣総理大臣のメッセージ 506 13 衆議院議長のメッセージ 506 14 参議院議長のメッセージ 507 |
||
Ⅲ | 原水爆禁止運動関係資料 | |
1 | 世界連邦アジア会議 | |
1 アジア会議開催と広島準備委員会設立の経緯 511 2 アジア会議の日程と議題 514 3 アジア会議出席者名簿 516 4 アジア会議総会の概要 517 5 アジア会議あて広島17団体のメセージ 525 6 アジア会議の広島宣言 527 |
||
2 | 原水爆禁止世界大会(第1回) | |
1 広島市文化団体協議会の決議 533 2 原爆・水爆禁止広島市民大会への招請状 533 3 原爆・水爆禁止広島市民大会要綱案 535 4 原爆・水爆禁止広島市民大会の宣言・決議・発送状 536 5 原爆・水爆禁止広島市民大会常任世話人会 538 6 広島市議会原水爆禁止にかんする決議 539 7 原爆・水爆禁止広島県民運動連絡本部の大会への協力要請 541 8 原爆・水爆禁止広島平和大会決議文 544 9 広島平和大会決議文発送状 544 10 原水爆禁止県民運動関係収支計算書 545 11 原水爆禁止運動広島協議会の経過報告 548 12 原水爆禁止運動広島協議会役員名簿 550 13 世界平和集会広島推進大会決議 551 14 世界平和集会広島世話人会の経過報告 552 15 第2回西日本学生平和会議準備会の招請状 557 16 原水爆禁止運動広島協議会の経過報告 561 17 世界平和愛好者大会広島準備会の協力依頼状 564 18 原水爆禁止世界大会広島準備会加盟者名簿 565 19 原水爆禁止世界大会への協力依頼状 569 20 広島市議会原水爆禁止世界大会支持決議 573 21 世界大会の議事概要(英文)574 22 原爆被害者の訴え(英文)585 23 外国代表者名簿(英文)589 24 原水爆禁止世界大会宣言 592 25 原水爆禁止世界大会宣言(英文)593 |
||
あとがき 597 | ||
止
広島大学文書館紀要
号 | 発行年月 | 内容など |
01 | 20020331 | 広島大学史紀要 |
06 | 広島大学史紀要 | |
07 | 20050331 | 広島大学文書館紀要<改称> |
菅真城「論文 広島大学文書館の設立経緯と現状」 | ||
<作業中> | ||
19 | 20170228 | 「青木晴夫氏(広島大学一期生、カリフォルニア大学名誉教授)インタビュー」 |
20 | ||
21 | ||
22 | 20210331 | |
原子爆弾後障害研究会で取り上げられた海外のヒバクシャ
年 | 回 | 報告者 | タイトル | |
1964 | 06 | 熊取敏之 | ロンゲラップ島被曝住民の調査報告(特別報告) | |
1987 | 28 | 蔵本淳 | チェルノブイリ原発事故における医療の実態 | |
1989 | 30 | 蔵本淳 | チェルノブイリ原発事故における医療の実態(第2報)-骨髄移植の適応と再評価 | |
1991 | 32 | 佐々木英夫ほか | IAEA国際チェルノブイリ計画検診報告 | |
パネルディスカッション:放射線被曝者医療の国際協力 | ||||
平田克己 | 放射線被曝者医療の国際協力:広島県医師会の立場から | |||
迎英明 | 過去の経験をふまえての被曝者への海外協力の問題点 | |||
石野誠 | 放射線被曝者医療の国際協力:長崎における国際協力 | |||
蔵本淳 | 放射線被曝者医療の国際協力:チェルノブイリの場合(医療サイドから) | |||
河合護郎 | 医療推進事業への願いと提言 | |||
矢野周作 | 放射線被曝者医療の国際協力:行政としての立場から | |||
本間泉 | 放射線被曝と国際協力 | |||
寺崎昌幸ほか | 腫瘍登録による国際協力-長崎市医師会腫瘍統計・組織登録 | |||
1993 | 34 | 竹岡清二ほか | ヒューマンカウンターによるチェルノブイリ周辺地域から来日した子供の137Cs体内放射能測定 | |
難波裕幸ほか | チェルノブイリ周辺地域住民の尿中ヨード測定 | |||
武市宣雄ほか | チェルノブイリ原発事故と小児甲状腺癌-広島の原爆被爆者例と比べて | |||
武市宣雄ほか | 広島の胎内原爆被爆者にみられた甲状腺癌の経験、チェルノブイリ原発事故の胎内被爆症例も含めて | |||
佐藤幸男ほか | WHOのInternational Program on the Health Effects of the Chernobyl Accident (IPHECA) のプロジェクト “Brain Damage in Utero” 紹介 | |||
1994 | 35 | 久住静代ほか | チェルノブイリ原発事故による広域放射能被曝の心理的影響(国際シンポジウム報告) | |
島崎達也ほか | チェルノブイリ原発周辺住民の内部被曝線量の測定 | |||
伊東正博ほか | チェルノブイリ原発周辺地域における小児甲状腺疾患の形態学的検討 | |||
瀬山敏雄ほか | チェルノブイリ事故汚染地域における小児甲状腺癌の遺伝子変化 | |||
高木昌彦 | セミパラチンスク医科大学における第1回国際会議(環境・放射線・健康)の報告 | |||
<以下未調査> |
止
財団法人放射線影響研究所年報に見る放影研の「国際化」
年度 | 内容(抄) | |
75-78 | 「研究所の名称で、放射線影響学会及び日本学術会議よりクレームが出されていました」 「吸血鬼とか、禿鷹のような異名まで付けられ、比治山で睥睨[へいげい=周囲をにらみすえて威勢を示すこと]しているのはけしからん、早く山より下りて、もっと被爆者の福祉につながる仕事をしろというような声が高くて、それを打ち消すのにもかなりの期間と隠忍自重と努力とを要しました。」 |
|
85-86 | 第13回放影研専門評議員会議事録(昭和61年3月18日-20日) 非公開会議 「その第1は、調査対象となり得る被爆者の数が徐々に減少しているという自明の事実であった。この事実により、放影研の将来を検討しなければならない問題が生じてくる。放影研は、その使命が次第に終結に近づくにつれて、厚生省が支援する他の団体に吸収合併されれば理想的である。言及されたように、加齢研究所が設立されれば、放影研はそこに同質の棲家を見いだすかもしれない。日米双方の専門評議員がこの問題の対策をたてられるように真剣に取り組む必要があるという点で意見が一致した。」 |
|
86-87 | 重松逸造理事長「緒言」「昭和61年度における重要ニュースの一つは、4月に突如起こったソ連Chernobyl原子力発電所の爆発事故である。これに関連して、昭和62年1月11日から21日まで5名のソ連視察団が日本に派遣され、その一行は1月13日と14日の両日放影研の調査研究を見聞するために来訪した。広島・長崎の長年にわたる協力によって得られた当所の経験とデータは、原発事故被害者の保健福祉に役立つものと確信しているが、これはまた被爆者各位の御意向に沿うものと考えている。」 | |
87-88 | 重松逸造理事長「緒言」 「現在、放影研で進行中の研究課題は67件あり、そのうち29件(43%)が実験研究である。20年前に実験室研究が占める割合は10%に過ぎなかった。」 |
|
88-89 | J.W.Thissen副理事長「緒言」 「本年報で報告の対象となっている昨年度は、放影研の学術活動が極めて盛んに行われた記念すべき年であった。[中略] 世界の舞台において増大しつつある放影研の役割の一つに「国際化」がある。外国からの来訪者が増加しているばかりでなく、放影研の科学者に対し、世界保健機関、国際放射線防護委員会(ICRP)、欧州共同体委員会などの国際的機関が主催する活動への参加依頼が増加している。この原因の一端は、1986年のソ連Chernobylの原子炉事故と、ソ連における医学的追跡調査研究計画を作成するにあたり放影研をモデルにしていることにあるが、より大きな原因は、ICRPや国連科学委員会(UNSCEAR)等の機関の報告書や勧告に繰り込まれている人体に対する放射線リスクの測定に関する当研究所の所見の重要性が認められていることではなかろうか。」 |
|
90-91 | 重松逸造理事長「緒言」 「最近では、当研究所で調査・研究してまいりました後影響の問題が重要視され、WHO(世界保健機関)、IAEA(国際原子力機関)などの国際機関のほか、日ソ政府間協力事業を通して協力が要請されております。」 「国際協力」の項 「放影研は、1979年に世界保健機関(WHO)の「放射線の人体影響に関する研究協力センター」に指定されている・・・」 「ソ連政府は、Chernobyl事故の健康影響についての科学的調査を国際原子力機関(IAEA)に依頼し、これを受けてIAEAは各国の専門家で構成された諮問委員会を組織し、重松逸造理事長がその委員長に任ぜられた。」 「日ソ両政府の間で1990年9月にChernobyl原発事故被害対策で協力することに合意し、それに基づく日ソ専門家会議が1990年12月に東京で、続いて1991年3月4-5日の両日、Moscowで開催された。重松逸造理事長は日本政府派遣専門家(9人)の団長としてこの会議に出席し、長期的な健康被害疫学調査に関する日本政府の協力内容の細部についてソ連専門家と協議した。」 「広島県が中心となって、人類初の原爆被爆地の使命として、世界各地の放射線被爆者の医療援助に資するため、県、市、医療・研究機関が参加して「放射線被曝者医療に関する国際協力検討委員会」を設立することになり、重松逸造理事長がその会長に選任された。原爆後40数年の経験について世界各国から情報提供、助言、医療面での援助などの要請が数多く寄せられており、関係各機関や行政が連係をとりながら、窓口を統一してより効率的に対応するための協力体制を検討することが目的であり、放影研も大きな役割を果たすことが期待されている。」 |
|
原爆放射能医学研究所沿革(抄)<宇吹勤務期:1976年5月~2001年3月> 沿革 | 広島大学 (hiroshima-u.ac.jp)
年月日 | 事項 | |
195804 | 医学部附属原子放射能基礎医学研究施設設置 原子放射能医学理論の部門を置く。 |
|
195901 | 原子放射能傷害医学の部門を置く。 | |
196101 | 原爆放射能医学研究所設置 医学部附属原子放射能基礎医学研究施設廃止 研究部門:障害基礎、病理学・癌、疫学・社会医学、臨床第一(内科)が置かれた。 医学部附属病院に診療科「(原爆放射能医学研究所)内科」増設 |
|
19610401 | 初代所長(渡邊漸 わたなべ・すすむ) | |
196109 | 医学部附属病院に病床50床設置 | |
196204 | 研究部門:血液学、遺伝学・優生学、化学療法・生化学、臨床第二(外科)増設 医学部附属病院に診療科「(原爆放射能医学研究所)外科」増設 |
|
196302 | 研究所第1期建物竣工 196403研究所第2期建物竣工 196503研究所第3期建物竣工 | |
196504 | 医学部附属病院に病床40床増設 | |
19670401 | 第2代所長(志水清 しみず・きよし) | |
196706 | 附属原爆医学標本センター設置 | |
196903 | 附属原爆医学標本センター竣 | |
196904 | 生物統計学研究部門増設 | |
197004 | 病理学・癌研究部門を病理学に改称し、放射線誘発癌研究部門増設 | |
19700401 | 第3代所長(岡本直正 おかもと・なおまさ) | |
197103 | 研究所第4期建物竣工 | |
197404 | 附属原爆医学標本センターを附属原爆被災学術資料センターに改称 | |
19770401 | 第4代所長(大北威 おおきた・たけし) | |
19810401 | 第5代所長(横路謙次郎 よころ・けんじろう) | |
198303 | トリチウム実験棟竣工 | |
198403 | 放射線照射動物実験棟竣工 | |
19850401 | 第6代所長(栗原登 くりはら・みのる) | |
198603 | RI実験棟その他竣工(RI-A、B、C棟完成) | |
19870401 | 第7代所長(服部孝雄 はっとり・たかお) | |
19890401 | 第8代所長(藏本淳 くらもと・あつし) | |
19950401 | 第9代所長(佐藤幸男 さとう・ゆきお) | |
199606 | 附属原爆被災学術資料センターを附属国際放射線情報センターに改組 10研究部門から「環境生物、分子生物、社会医学、病態治療」の4大研究部門に改組 |
|
19960401 | 第10代所長(峠哲哉 とうげ・てつや) | |
19970401 | 第11代所長(鎌田七男 かまだ・ななお) | |
199806 | 放射線先端医学実験施設設置(所内措置による。) | |
19990401 | 第12代所長(早川式彦 はやかわ・のりひこ) | |
<以下略> |
止
『広島県史-現代(通史Ⅶ)』(広島県、1983/03/25)
内容
Ⅰ | 戦時体制の解体と「民主化」の進展 | ||
一 | 連合軍の占領と旧軍の解体 2 | 小谷朋浩 | |
1 広島県進駐前夜 2 2 連合軍の進駐 7 3 占領軍と県民 14 4 在広部隊の解体 18 5 在外部隊の解体 23 |
|||
二 | 政治体制の「民主化」 30 | 甲斐英男 | |
1 公職追放の進展 30 2 新憲法の制定と県民 38 3 選挙制度と地方制度の改革 45 4 警察制度の改革 53 |
|||
三 | 地方自治体制の確立 63 | 児玉正昭 | |
1 県民の民主化 63 2 戦後復興期の県財政 81 |
|||
四 | 政党の結成 93 | ||
1 | 政党の動向 93 | 安藤福平 | |
2 自由党 98 3 民主党 109 4 国民協同党 115 |
林立雄 | ||
5 日本社会党広島県支部連合会の結成 119 6 日本共産党広島地方委員会の結成 127 7 社共両党のその後の動向 132 |
北西允 | ||
Ⅱ | 経済の「民主化」と産業の復興 | 有元正雄 | |
一 | 農地改革の実施 138 | ||
1 農地改革の推進 138 2 農地改革の成果 148 3 農地改革をめぐる諸対抗 155 |
|||
二 | 軍需産業の転換と企憲業の再編成 169 | 田中利憲・高橋衛 | |
1 軍需産業の停止と「戦時遺産」の継承 169 2 主要工場の賠償指定と生産のと停滞 179 3 集中排除法による企業の再編成 186 |
|||
三 | インフレーションの高進と県民生活 193 | 高橋衛・田中明和 | |
1 悪性インフレーションの高進 193 2 県民生活の困窮化 202 3 ドッジ不況と企業倒産 211 |
|||
四 | 朝鮮戦争と資本蓄積 217 | 高橋衛 | |
1 朝鮮戦争ブームと経済復興 217 2 計画造船の本格化 226 3 三輪トラック生産の展開 229 4 昭和20年代後半の経済的発展 233 |
|||
五 | 都市計画の推進と都市の復興 248 | 千田武志 | |
1 都市計画の概要 248 2 被爆直後の広島市の都市計画 257 3 広島平和記念都市建設法の制定とその後の都市計画 266 4 呉市の戦災復興 277 5 福山市の戦災復興 285 |
|||
六 | 軍港都市呉の展開 293 | 千田武志 | |
1 呉港の開港と企業の進出 293 2 旧軍港市転換法の制定とその後の企業誘致対策 299 3 旧軍港市転換法制定後の企業誘致 310 4 国連軍引揚対策と企業誘致 321 5 旧海軍施設転換の成果と課題 325 |
|||
七 | 生産県構想の推進 331 | 千田武志 | |
1 生産県構想の進展 331 2 生産県構想第2次計画 342 |
|||
Ⅲ | 戦後の社会と文化 | ||
一 | 労働組合の結成と労働運動の高揚 352 | 竹内常善 | |
1 労働運動の再生 352 2 2・1スト前後の動向 366 3 占領期労働運動の到達点 376 |
|||
二 | 平和運動の発展 385 | 宇吹暁 | |
1 占領下の原爆問題 385 2 朝鮮戦争下の平和運動 392 3 国民諸階層と原爆問題 397 |
|||
三 | 新教育制度の発足 407 | 藤原浩修 | |
1 教育基本法の制定と教育改革 407 2 6・3・3・4制の実施 414 3 広島県教職員組合の結成と活動 433 4 社会教育 440 |
|||
四 | 文化活動の新展開 | 八木佐市 | |
1 | 文化活動の背景と状況 448 | ||
2 | 各分野の活動 456 | 藤原浩修 | |
3 | マスコミの発達 469 | 藤原浩修 | |
五 | 社会運動の新展開 473 | ||
1 | 戦後部落解放運動の成立 473 | 天野卓郎 | |
2 | 在日朝鮮人の活動 493 | 上原敏子 | |
3 | 婦人運動 503 | 鈴木裕子 | |
4 | 占領期の青年運動 514 | 藤原浩修 | |
Ⅳ | 新県政の確立 | ||
一 | 県政の進展 526 | 甲斐英男 | |
1 県政の推移と県会の動向 526 2 県政機構の拡充 552 3 広島県警察の誕生とその推移 560 |
|||
二 | 地方自治制度の再編成 569 | 児玉正昭 | |
1 市町村合併 569 2 市町村行政の近代化と広域行政 584 3 市町村財政の推移 603 |
|||
三 | 各政党の動向 613 | ||
1 | 保守政党の動向 613 | 林立雄 | |
2 | 革新・中道諸政党の動向 633 | 北西允 | |
Ⅴ | 経済の高度成長 | ||
一 | 高度経済成長の展開 654 | 佐藤正志 | |
1高度経済成長の諸相 654 2 県の経済政策と高度成長の終息 664 |
|||
二 | 臨海工業地帯の創成 672 | 千田武志 | |
1 大竹臨海工業地帯の形成 672 2 石油科学コンビナート形成への歩み 681 3 日本鋼管の誘致と備後工特地域の指定 694 |
|||
三 | 重化学工業の発展 717 | 田中明和 | |
1 造船工業の発展 717 2 自動車工業の発展 730 3 鉄鋼業の発展 741 4 石油科学工業の発展 748 5 低成長下の重化学工業 755 |
|||
四 | 農業の近代化 771 | 小野茂樹 | |
1 広島県の農業の特徴 771 2 農業構造の変貌 774 3 兼業の深化 786 4 農業の機械化 7945 戦後の農政と農業の協同か 799 6 作目の推移とその変化 807 |
|||
五 | 在来産業の動向 819 | 児玉正昭・藤田正司 | |
1 特産工業の概況と推移 819 2 中小企業施策の推移と地場産業 836 |
|||
六 | 高度経済成長の基盤整備 849 | 高橋衛・ 千田武志・ 藤原浩修 | |
1 金融 849 2 芸北特定地域指定と電源開発 862 3 交通 871 |
|||
Ⅵ | 高度成長下の社会と文化 | ||
一 | 経済成長と社会問題 900 | ||
1 | 公害・環境問題とその対策 900 | 桧和田祥起 | |
2 | 過疎化の進展 924 | 藤原浩修 | |
二 | 労働運動の動向 950 | 竹内常善 | |
1 労働組合運動の体制的整備 950 2 春闘体制の定着 961 3 労働運動の分野別諸相 975 |
|||
三 | 平和運動の展開 985 | 宇吹暁 | |
1 原水爆禁止世界大会 985 2 被爆体験と平和運動 995 |
|||
四 | 社会運動の展開 1008 | ||
1 | 住民運動 1008 | 桧和田祥起・湯浅良之輔 | |
2 | 婦人運動 1022 | 鈴木裕子 | |
3 | 広島県青年連合会の活動 1033 | 藤原浩修 | |
五 | 部落解放運動の展開 1044 | 天野卓郎 | |
1 差別の現実と大衆化路線 1044 2 共同闘争の発展 1057 |
|||
六 | 教育の拡充 1077 | 藤原浩修 | |
1 教育の再編と教育運動 1077 2 学校教育の動向 1087 |
|||
七 | 新生活運動と文化活動の展開 1105 | 八木佐市 | |
1 新生活運動の推進 1105 2 文化活動の進展と文化施策の充実 1116 |
|||
終章 | 県民生活の展望 | ||
序 | 1128 | 高橋衛 | |
一 | 新生学園の歩み 1132 | 今堀誠二 | |
1原爆孤児と引揚孤児のために 1132 | |||
2引揚民孤児収容所 1138 | |||
3 新生学園 1155 | |||
二 | 昭和30年代の山村 1171 | 今堀誠二 | |
1 専業農家への道 1171 2 農業自立の挫折 1188 |
|||
図・表一覧 | |||
あとがき |
止
『京都大学原子爆弾災害綜合研究調査班遭難 「記念碑建立・慰霊の集い」のあゆみ』(芝蘭会広島支部・京都大学 1993/09/01)
内容
章 | |||
Ⅰ | 遭難の状況、回想、報道 | ||
大野陸軍病院に於ける京大原爆災害綜合研究調査班の山津浪による遭難の状況 (私の日記から) 菊池武彦 1 再生 木村毅一 8 京大原爆災害綜合研究調査班の遭難 木村毅一 10 原水爆被害調査の体験と現在 清水榮 11 木村毅一先生の死去を悼む 清水榮 13 広島への想い-原子爆弾被害調査団の遭難- 中野進 14 広島県大野陸軍病院にて-枕崎台風災害に遭難した思い出- 品川武久 16 弟の思い出 原佳之 18 |
|||
当時の報道記事 京都新聞 昭和20年9月22日、25日、27日 20 | |||
回顧報道記事 京都新聞 昭和28年8月8日 21 中国新聞 昭和60年1月25日、26日 23 京都民報 昭和62年9月13日 25 |
|||
Ⅱ | 記念碑 | ||
碑文 27 記念碑設立当時の事情 菊池武彦 28 記念碑除幕式に列席して 木村廉 31 |
|||
Ⅲ | 慰霊の集い | ||
慰霊の言葉、挨拶、辞、偶感 ・昭和60年 杉本茂憲、菅原努、阪田数年 33 ・昭和61年 西島安則、杉本茂憲 36 ・昭和62年 杉本茂憲 38 ・昭和63年 杉本茂憲、内野治人、長谷川博一、杉本茂憲 39 ・平成元年 杉本茂憲、西島安則、西島安則、井村裕夫、日高敏隆、杉本茂憲、西島安則 42 ・平成2年 土井憲策、井村裕夫、日高敏隆、杉本茂憲 47 ・平成3年 井村裕夫、丸山和博、土井憲策 49 ・平成4年 佐々木和夫、佐藤文隆、小田順一、土井憲策 51 報道記事 中国新聞 平成元年9月16日 53 読売新聞 平成4年9月16日 53 |
|||
Ⅳ | 関連記録 | ||
爆発後数日間に行える広島市の放射能学的調査に関する報告 原子爆弾災害調査報告集(第一分冊) 55 広島市における原子爆弾傷に関する研究(臨床編) 原子爆弾災害調査報告集(第二分冊) 59 EFFECTS OF ATOMIC RADIATION ON THE BRAIN IN MAN JOINT REPORT 62 広島の原爆症-京大調査班の運命- 64 |
|||
止
広島新史に期待する(宇吹暁)
出典:『広島新史編修手帖 No.1』 |
止
原爆ドームの世界遺産化活動<作業中>
『広島県医師会史 第II編』(広島県医師会、20040330)第6章第8節
1 | 「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」結成…683 | |
原爆ドームの概要 | ||
2 | 請願運動、署名の重み…684 | |
原爆ドームの世界遺産化に関する請願 | ||
3 | 被爆50周年記念に実現を期す…685 | |
平和の象徴・広島原爆ドーム西岸の全会一致にむけた要請 | ||
4 | 世界遺産化早期実現ヒロシマの集い…686 | |
原爆ドーム世界遺産化早期実現を求めるアピール | ||
5 | 「原爆ドーム」の世界遺産、登録決定…687 | |
ヒロシマからのアピール | ||
止