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ドキュメント:1990年8月6日

ドキュメント:1990年8月6日<作業中

できごと 備考
長崎県の山口彊(広島・長崎の二重被爆者)、45年ぶりに広島市を訪問。
長崎県被爆二世教職員の会会長平野伸人に、ソウルでの韓国人原爆犠牲者追悼式で、韓国原爆被害者協会から感謝の盾が贈られる。
日本弁護士連合会の在韓被爆者問題委委員長、訪韓し、強制連行され被爆した韓国人らが三菱重工業に補償を求めている問題について現地調査。
広島県甲奴郡の元陸軍上等兵、被爆直後に救援トラックに乗せた女学生の消息捜しを呼びかけ。
広島電鉄、「広島電鉄家政女学校および女子挺身隊員のつどい」を広島市で開催(106人参加)。
広島市の広島信用金庫横川支店(原爆遺跡)で救護活動をした元医療学生ら、同支店を再訪。
広島市の路面電車の中で被爆した被爆者ら、被爆電車に乗り込み、「電車内被爆者のつどい」を開催(34人参加)。
「被爆者代表から要望を聞く会」、広島市で開催(広島県両被団協代表ら7人が参加)。在日居留民団代表、北朝鮮在住被爆者への支援を要請。
海部首相、原爆死没者への弔意の表し方について、年末をめどに結論を出したいとの意向を表明。被爆者援護法についは消極的見解。
「原爆被爆者援護法制定を求めるヒロシマ集会」(連合・原水禁・核禁会議共催) 、広島市で開催。
海部首相、広島原爆養護ホーム舟入りむつみ園を慰問。
小山参院副議長、広島市の原爆養護ホーム神田山やすらぎ園を慰問。
広島赤十字・原爆病院で、入院患者ら、原爆投下時刻に黙とう。
広島県警、平和祈念式などに伴い、平和記念公園一帯で交通規制を実施。
夏の全国高校野球大会に参加する広島代表の山陽高校の選手ら、原爆投下時刻に、大阪市で黙とう。
広島県・市の在外被爆者招待事業で、米在住の韓国人被爆者、来広し、平和祈念式に参列。
呉原爆被爆者友の会、広島市での平和祈念式へ参加するための大型バス3台を運行。うち1台を市内在住被爆者に無料開放。
長崎市、広島市の原爆投下時刻に、サイレンを吹鳴。
「’90女性国際シンポジウム・イン・ヒロシマ」に出席する米・ソ連などの代表、平和祈念式に参列。
広島市原爆死没者慰霊・平和祈念式典、広島市平和公園で開催(約5万5千人参列)。海部首相、参列し、あいさつの中で原爆死没者調査に言及。広島市長、「平和宣言」で、「海外のヒバクシャ」の救援を訴え。
海部首相、平和祈念式参列後、原爆資料館仮展示場を見学。
広島市の元安川などで、とうろう流しを実施。
広島市の原爆供養塔の遺骨名簿(960人分)、韓国で初めて公開。歌人深川宗俊が名簿を携え訪韓。
長崎市の原爆犠牲者慰霊・世界平和祈念旬間、開始(15日まで)。
世界平和祈念ポスター・標語展、長崎市で開催(15日まで)。
滋賀県被団協、追悼慰霊祭を大津市・円城寺、堅田教会で挙行。各生協などと共催。
大竹市の原爆慰霊碑「叫魂」前で、追悼・平和祈念式(約500人参列)。
新潟県被団協、追悼慰霊祭を新潟市役所前広場で挙行。
福井県被団協、追悼慰霊祭を福井市・西山光照寺で挙行。終了後体験発表と懇談。
北海道被団協、追悼慰霊祭を札幌市・新善光寺で挙行。15時、語り継ぐ会、18時とうろう行列。
原爆殉難者慰霊祭、広島市の原爆ドーム横で挙行。
広島県高田郡の敬覚寺で、被爆者ら、平和祈念の集いを開催(約150人参加)。
米ミシガン州の郵便局員の作った千羽づる、静岡県の姉妹郵便局を通じて、広島市の「原爆の子の像」に供えられる。
広島市の原爆供養塔前で、各宗派合同慰霊祭(約100人参列)。
キリスト教慰霊集会、広島市の原爆供養塔前で挙行。
広島県安芸郡府中町の原爆の碑前で、府中町原爆慰霊式(約100人参列)。
仏教慰霊法要、広島市の原爆供養塔前で挙行。
広島市の平和記念公園前で、献燈式。
原爆慰霊祭、広島市の護国神社で挙行。[天皇]
「第23回韓国人原爆犠牲者追悼式」、韓国・ソウルで挙行(約300人参列)。日本政府による40億円の一括・即時支払いなどを要求。長崎市長の謝罪メッセージを発表。
第18回国鉄原爆死没者慰霊式典、広島市の同慰霊碑前で挙行。
広島郵便局原爆殉職職員慰霊祭、広島市の多聞院で挙行(約200人参列)。
広島県職員原爆犠牲者追悼式、広島市中区で挙行。
郵政関係職員原爆死没者慰霊式、広島市の中国郵政局で挙行。
原爆殉職会員並びに医療従事者の追悼法要、広島市の平和大通りで挙行。
広島市平和記念公園内の慰霊碑前で、損保従業員慰霊祭(約200人参列)。
中・四国土木原爆殉職者慰霊祭、広島市の原爆ドーム横で挙行(約90人参列)。
新聞労働者慰霊祭、広島市の「不戦の碑」前で挙行(約100人参列)。
電気通信関係原爆死没者慰霊式、広島市のNTT基町ビル前で挙行(約200人参列)。
広島第一県女原爆犠牲者追悼式、広島市の平和大通りで挙行(約120人参列)。
第34回原爆追悼式、広島市の動員学徒慰霊碑前で挙行(約200人参列)。
広島市の平和記念公園内「平和観音像」前で、中島本町追悼法要(約120人参列)。
広島市の旧天神町北組の遺族ら、平和記念公園の慰霊碑前で慰霊祭。
広島県比婆郡の禅仏寺で、東城平和祈念式(東城町原爆被害者の会会員ら120人参列)。
第45回広島県被団協慰霊祭、広島市の浄園寺で挙行。
鳥取県原爆被害者協議会主催被爆45周年鳥取県原爆死没者追悼・平和祈念式典、鳥取市で開催(約180人参列)。
嵐の中の母子像の供養式(広島市地域婦人団体連絡協議会主催)、広島市の平和記念公園で挙行(約100人参列)。
平和祈念茶会、広島市平和記念公園で開催(裏千家淡交会広島県支部青年部主催、約600人にお茶)。
「非核の政府を求める徳島の会」、「原爆の火」を保存する灯ろうを建設し、完成式開催。(福岡県八女郡星野村、「原爆の火」の分火の申し入れに対して、政治的利用の恐れを理由に分火を拒否。)
「ヒロシマを語る会」、在韓被爆者の証言集「海峡を越えて-訪韓・在韓被爆者の訴えを聞いて」(B5、102ページ)を出版。
原爆詩集「原子雲の下より」(1952年刊行)に収録されなかった原爆詩を集めた「行李から出てきた原爆の詩」(B6、227ページ、広島文学資料保全の会発行)、刊行。
広島県神石郡の原爆被害者協議会、「被爆45周年記念誌 ピカドン第2集-終わりなき闘い」を発行。
原爆被害者相談員の会、広島市で、「原爆被害者証言の集い」を開催(約350人参加)。被爆者援護法制定を訴える寸劇などを上演。
「第1回広島原爆俳句展」(中国地区現代俳句協会広島県支部主催)、広島市で開催(10日まで)。作品42点を展示。
原爆記録映画会、長崎市の各公民館で開催(8日まで)。
「第2回ヒロシマ平和映画祭in府中」、広島県府中市で開催(9日まで)。ポーランドの映画監督の講演「ヒロシマへの私の思い」、など。
ポーランドのアンジェイ・ブジォゾフスキ監督、来広し、被爆45周年を迎えた広島・長崎両市を描いたドキュメンタリー映画の製作を開始。
コンサート「8月の祈り」、大阪市で開催。原爆をテーマにしたオラトリオ「鳥の歌」を演奏。
歌手さだまさしによるコンサート「長崎から・1990・夏・さだまさし」、長崎市で開催。
「ノー・ニュークス・コンサート’90」(広島高校生平和ゼミナール主催)、広島市で開催。女優吉永小百合、友情出演し、原爆詩を朗読。
「HIROSHIMA’90コンサート」、広島市で開催(聴衆約1200人)。収益金は原爆養護ホーム建設資金として活用。
「’90平和コンサートの夕べ」(広島平和文化センターなど共催)、広島市で開催。「広島レクイエム」(糀場富美子作曲)などを演奏。
テレビ番組「ヒロシマから世界へ、世界からヒロシマヘ」(衛星第一テレビ)、放送(午前6時から終日)。
中国新聞社、6日付夕刊で、英語版「ヒロシマ45周年」を特集し、発行。
テレビ番組「特集フレッシュモーニング」(原爆特集、広島ホームテレビ)、放送。
テレビ番組「いま過ちをくり返していないか~ソ連反核運動からの教訓」(新広島テレビ)、放送。
テレビ番組「45年目の朝ヒロシマから」(広島テレビ)、放送。
米NBCテレビ制作のドキュメンタリードラマ「ヒロシマ、灰の中から」、全米に放送(夜のゴールデンアワーに、2時間放送)。
テレビ番組「ニュースプラス1特集 被爆45年ヒロシマ・フォーク歌手小室等が見たヒロシマ・平和記念式典・海部首相と被爆者など」(広島テレビ)、放送。
テレビ番組「マミーの顔がぼくは好きだ~母と子のヒロシマ」(NHK)、放送。在米被爆者の半生をドキュメンタリー部分を交えて構成。
テレビ番組「RCCスコープスペシャル いまヒロシマを問う・韓国の8・6ほか」(中国放送)、放送。
テレビ番組「衛星ブリッジ~ヒロシマ・ナガサキ・セミパラチンスクとの対話」(中国放送)、放送。
NHK・民放各局、広島市の平和祈念式典の模様を中継放送。
テレビ番組「墓標からの伝言~原爆ドームとヤン・レツル」(広島テレビ)、放送。
テレビ番組「現代ジャーナル『作家が語る・自作への旅①堀田善衛“審判”』」(NHK教育)、放送。
テレビ番組「徹子の部屋『夫妻で原爆を描く 丸木位里・俊』」(広島ホームテレビ)、放送。
テレビ番組「核・平和・女性~女性国際平和シンポジウム・イン・ヒロシマ」(NHK)、放送。
テレビ番組「世界に広がる核被害、いまヒロシマの役割」(広島テレビ)、放送。
テレビ番組「特集ズームイン! 朝 ヒロシマ被爆45年・チェルノブイリは今」(広島テレビ)、放送。
長崎で被爆した大串正喜ら、広島-長崎450キロを歩き通す「平和アピール・ウォーク」を開始(15日、長崎着)。
日本被団協、「被爆者の森」植樹と記念碑完成式を広島市内で挙行。約130人が参加。
「被爆者援護法を求めるヒロシマ集会」(連合・原水禁・核禁会議主催)、広島市で開催(約1000人参加)。援護法の早期制定を求めるアピール採択。
原水爆禁止1990年世界大会「平和の波」行動、広島市で実施。
日本原水協主催の原爆ドームを取り囲む「折鶴・人間の鎖行動」、実施(約2500人参加)。
三原市の社会奉仕団体、市民に折りヅル作りを呼びかける「おりづるの会」を同市内で開催。
広島市の福島生協病院前で、平和風船飛ばし。
核兵器廃絶第4回8・6ヒロシマ平和マラソン大会、広島城周辺で実施(4回目、56人参加)。
平和集会、広島市の西隣保会館で開催 。講演「被爆者医療の歩みと現状」など。
広島市の原爆ドーム周辺で、原爆投下時刻に「ダイ・イン」実施(約1000人参加)。
「セイクレッド・ラン・ヨーロッパ1990」、ロンドンを出発。モスクワまで約8000キロを走破し、核廃絶などを訴え。
「アジア・太平洋地域の戦争犠牲者に思いを馳せ、心に刻む広島集会」、広島市で開催(同集会実行委主催、約800人参加)。韓国人被爆者らを招待。
ソ連の「サマンサ・スミス少年少女合唱団」・広島女学院高校生・米ワシントンの高校生ら、広島市の元安川で灯ろう流し(約100人参加)。
「ヒロシマ・デー国際電話プロジェクト」、広島市の平和祈念式の様子などを、国際電話でカナダなど十数カ国に生中継。
「非核の呉港を求める会」、呉入港の外国艦船に非核証明の提出を義務づける市条例改正の直接請求署名簿(約3万4千人分)を、呉市選管に提出。
米コネティカット州の高校生と広島女学院高校生徒が折った千羽づる、広島市の「原爆の子の像」に供えられる。
北海道の占冠中学校生徒ら、来広し、平和学習。山県郡安野中学校生徒らと交流。
広島市の舟入高校演劇部、第36回高校演劇コンクールで、原爆劇「ともこのオルゴール」を上演。
原爆フィールドワーク、広島市平和記念公園で実施(広島県高校生平和ゼミナール主催、約400人参加)。
カトリック広島司教区、広島市で、韓国の戦争犠牲者から証言を聞く集いを開催。
広島国際少年協会、西独ハノーバー市を訪問。同市主催「ヒロシマ被爆45周年平和記念式典」に参列。
広島市、庁内関係部局による「被爆建物等継承方策検討会議」を設置。(広島市資料)[原爆遺跡]
「’90女性国際平和シンポジウム・イン・ヒロシマ」(広島市・広島平和文化センター主催)、広島市で開催(聴衆約1000人)。日・米・ソ連・中国などのパネリストらが討論。テーマ「世界平和を考える 国際平和と核軍縮のために」。
「国会議員・ヒロシマプロジェクト」に参加する議員ら、放影研などを見学。
長崎市の国際文化会館、長崎市民に限り無料開放(15日まで)。
日本被団協、広島市の平和大通りに「被爆者の森」を建設、完成式を開催(約100人参加)。
1958年に、原爆資料館の展示品の説明文を英訳したアンドルー・ヒューズ、今秋の帰国を前に来広し、平和記念館などを見学。
韓国のキリスト教アジア研究院生徒ら(15人)、来広。
「原爆の図・丸木美術館」、原発分の電気料金支払い拒否で送電をストップされているため、太陽光発電装置を設置し、初点灯。

 

 

反核運動1990

反核運動1990


広島・長崎の原爆被爆45周年という区切りの年,ヒバクシャ問題をめぐり,国内外で新たな動きが見られた.国内では,「ふたたび被爆者をつくらない」保障として被爆者援護法制定を求める声が高まり,米ソでも,原発事故や核開発による被曝者の救援をめぐる動きが活発となった.

[ヒバクシャ問題]

1989年12月15日,参議院で原爆被爆者援護法案が可決,90年5月15日には,厚生省が,85年度に実施した原爆死没者調査の結果を5年ぶりに発表した.また,地方議会の援護法制定を求める促進決議・意見書の採択が,昨年から今年にかけ千を越え,全体で1,500議会(全地方議会の45%)となった.在外被爆者援護については,海部首相が来日した盧泰愚大統領に在韓被爆者への40億円の基金提供を約束(5月24日)という具体的な進展が見られた.

アメリカでは,6月,エネルギー省が,「マンハッタン・プロジェクト」以来アメリカの核兵器製造に携わった約20万人分の健康被害調査データの公表を開始した.また,10月15日には,ブッシュ米大統領が「核被害者補償法案」に署名し,ネバダ核実験やウラン採掘による核被害者に最高5-10万ドルが支払われることになった. ソ連のチェルノブイリ原発事故による被曝者をめぐってもさまざまな動きが見られた.9月6日,日ソ両外相が「チェルノブイリ原発事故の結果生じた事態を克服するための日ソ協力に関する覚書」に署名,23日には,ソ連とIAEA(国際原子力機関)が,「チェルノブイリ原発事故研究センター」設立協定に調印した.また,10月26日には,広島市で開催された世界保健機構(WHO)科学諮問委員会が,被曝住民20万人の疫学調査など研究プログラムに関する6項目の勧告をまとめている.

[原水爆禁止世界大会]

広島・長崎の原爆記念日を中心に,さまざまな団体による恒例の行事がおこなわれた.原水爆禁止日本協議会(原水協,共産党系)は,8月1日~9日,広島・長崎を舞台に原水爆禁止1990年世界大会を開催した.この大会には,13の国際・地域組織と26か国の34組織から69人の海外・国際代表と1万5000人(両地の参加者合計)が参加した.大会期間中に実施した第4の「平和の波」行動は,世界64か国と国内2000か所でも取り組まれた.

原水爆禁止国民会議(原水禁,社会党系)の被爆45周年原水爆禁止世界大会も,8月3日~9日,広島・長崎で,それぞれ7000人・3000人規模で開催された.海外からは,初参加のネバダ・パラチンスク運動の代表(オルザス・スメイロフ議長など11人)と朝鮮民主主義人民共和国の被爆者(広島被爆)をはじめとする12か国・1地域組織の43人が参加した.

このほかに,核兵器禁止平和建設国民会議(核禁会議,民社党系)が,7月31日に広島市で核兵器禁止全国集会(600人参加)を開き,公明党も6月から8月にかけ第10回核兵器全廃と軍縮をめざす平和市民集会を沖縄・広島・佐世保で開催した.また,8月6日には,連合・原水禁・核禁会議三者が共催で原爆被爆者援護法の制定を求めるヒロシマ集会を開催している.

[国内の動き]

8月15日現在で,国内の非核宣言自治体は1491自治体(全体の45%)となった.非核三原則をめぐる動きとしては,核軍縮を求める22人委員会(座長:宇都宮徳馬)が,6月初め非核三原則法制化のための要綱を作成し,非核法についての理解を広めるため7月20日と11月27日に東京都内と広島市内でシンポジウムを開催した.また,8月の原爆記念日に広島・長崎両市長が読み上げた平和宣言に,揃って非核三原則の法制化が盛り込まれた(広島の宣言では初).3月26日には,東京都中野区議会が,法的拘束を平和行政に求めたものとしては国内初の「平和行政の基本に関する条例」を可決した.

[海外の動き]

5月24日-26日,核実験禁止国際市民会議が,ソ連カザフ共和国の首都アルマアタ市で開催された.同共和国のセミパラチンスクとアメリカ・ネバダ両核実験場の風下住民や広島の被爆者など,20か国から核被害者や反核活動家1,000人が参加し,核実験禁止の連帯を誓った.ソ連のカザフ共和国では,このほかに10月1日,セミパラチンスク州ソビエト総会が,セミパラチンスク核実験場での地下核実験を即時中止するよう求める決議を採択,25日には共和国最高会議が採択した国家主権宣言の中で核実験全面禁止を規定するなど核実験禁止を求める動きがこれまでになく広まった.

11月8日~11日には、イギリスのグラスゴーで第5回非核自治体国際会議が開催された。23か国から約400人が参加し、反核の課題とともに、イラクのクエート侵攻非難とアメリカの軍事力行使にたいする警告を盛り込んだ決議を採択した。

年表:原爆展(1990年)

年表:原爆展(1990年)

記事
03 30 福島YMCAと婦人問題懇談会、原爆展を福島市内で開催。-4月2日。
04 17? 在日ブラジル長崎県人会会長、長崎市を訪れ、長崎市長に、9月のサンパウロ市での「原爆資料展」への協力を要請。
05 07 「戦争と平和展」(国連軍縮局など主催)、米ボストン市で開催。被爆遺品なども展示。(4年がかりで世界各都市を巡回予定。)
05 25 「平和への行動展」(同展実行委主催)、長崎県東彼波佐見で開催(27日まで)。被爆資料なども展示。
07 14 原爆絵画展、芦屋市で開催(15日まで、憲法を守る芦屋市民の会主催)。被爆者による証言や映画も上映。
07 14 「世界の子どもとユニセフ展」、広島市で開催(29日まで、創価学会婦人平和委員会など主催)。「広島コーナー」に、被爆者の体内から摘出されたガラス片などを展示。
07 25? 広島市の五月が丘公民館で、被爆写真展開催(8月5日まで)。
08 01 広島市の祇園公民館で、被爆写真展開催。
08 01 伊丹市立中央図書館、「平和を考える市民フォーラム’90」を開催(7日まで)。被爆資料の展示・映画「黒い雨」の上映など。
08 01 「ヒロシマ・ナガサキ原爆被災写真ポスター展」、広島市役所・各区役所ロビーで開催(10日まで)。「たちのぼるキノコ雲」などポスター20点を展示。
08 01 市民が描いた原爆の絵展、広島市の平和記念館で開催(31日まで)。
08 01 被爆45周年記念展「物産陳列館から原爆ドームへ-75年の歴史」(広島市公文書館主催)、広島市役所市民ロビーで開催(8月10日まで)。(1日、約800人が見学。)
08 01? 広島市の牛田公民館などで、原爆の絵展開催(10日まで)。
08 02 原爆の絵展、広島市祇園西公民館で開催(4日まで)。
08 05 「ピースフェスティバル’90」(実行委主催)、三原市で開催。
08 07 ながさき原爆写真展(長崎市主催)、長崎市の平和公園で開催(10日まで)。被爆写真25点を展示。
08 09 「焦土の戦争展 大空襲から45年」(読売新聞大阪本社主催)、大阪市で開催(14日まで)。「原爆」コーナーに原爆遺跡など展示。
09 16 写真展「いのち・愛・人権」、長崎市で開催(30日まで、長崎旅博ながさき展実行委主催)。爆心地近くにあった被差別部落の被災状況なども紹介。
09 30 仏カーン市で、原爆写真展開催(広島市国際交流協会・カーン市共催、10月5日まで)。広島原爆資料館所蔵の被爆写真などを展示。
10 12 「語りつごう原爆被災」写真展・映写会、長崎県の西彼時津町役場ロビーなどで開催(18日まで)。長崎市・長崎平和推進協会が、平和推進事業の一環として1982年から県内の市町村を巡回。
10 15 「世界の核被害展」、長崎市で開催(11月4日まで)。長崎旅博「愛と平和のゾーン」実行委員会が企画。米・ソ連・オーストラリア・韓国などの核被害状況を紹介。
10 19 創価学会「平和への行動展」、長崎県上五島町で開催(21日まで)。長崎・広島の原爆被害写真なども展示。
10 24 第五福竜丸の被災写真など、長崎市の国際文化会館で展示(30日まで)。国連軍縮週間の催し。
12 20? 広島逓信病院1階ロビーで、原爆資料展を開催(28日まで)。被爆当時の病院長蜂谷道彦による「ヒロシマ日記」や被災写真など約30点を展示。

 

資料調査通信(広島大学原医研)1990年

資料調査通信 1990年

第84号(1月号)-第90号(12月号)

分冊 記 事
84   1 被爆問題年表 1990年1月 1 6
84   1 原爆関係新聞社説・投書一覧 1989年 7 14
85   2 被爆問題年表 1990年2月 1 5
85   2 被爆問題年表 1990年3月 6 12
85   2 被爆問題年表 1990年4月 13 19
85   2 特集 新聞記事による被爆韓国人・被爆問題年表 (1)1989年 20 24
86   5 被爆問題年表 1990年5月 1 8
86   5 被爆問題年表 1990年6月 9 18
86   5 特集 新聞記事による被爆韓国人・朝鮮人問題年表(2)1988年 19 21
87   7 被爆問題年表 1990年7月 1 14
87   7 特集 新聞記事による被爆韓国人・朝鮮人問題年表(3)1982年-1987年 15 28
88   8 被爆問題年表 1990年8月 1 25
88   9 被爆問題年表 1990年9月 26 31
89   10 被爆問題年表 1990年10月 1 9
89   11 被爆問題年表 1990年11月 10 17
90   12 被爆問題年表 1990年12月 1 7
90   12 被爆問題年表 1990年補遺 8 10
90   12 1990年連載記事一覧  11 34

 

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書誌1990年

書誌1990年

シンポジウム 非核・平和教育を国民のために 非核の政府を求める会編、平和文化 19900120
小岩井増夫「高校生平和ゼミナールで自立を」
山口勇子「世界史をつくる若者たちを支えるもの」

 

 

ヒロシマの声を聞こう

『ヒロシマの声を聞こう-原爆の碑と遺跡が語るもの』(「原爆碑・遺跡案内」編集委員会編・刊、19900801 )

目次

碑・遺跡
発刊にあたって
04 (序)広島の碑や遺跡がわたしたちに語りかけるもの
08 原爆ドームと爆心地 核兵器廃絶のシンボル
10 原爆の子の像 子どもたちの建てたモニュメント
12 原爆供養塔 7万人の遺骨が眠る
14 慈仙寺跡の墓石 爆風の威力示す
16 平和乃観音像と復元地図 消された街への思慕
18 広島平和都市記念碑 平和公園の中心
20 天神町北組と材木町の碑 名のない死者への思い
22 峠三吉の詩碑 にんげんをかえせ
24 全損保労組の記念碑 あの日を問い続ける
26 ジュノー博士記念碑 医薬品15トンで救援
28 広島市立高女の慰霊碑 「校歌」を歌いながら死んだ少女たち
30 嵐の中の母子像 核兵器から子供を守って
32 原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑 私たちの死をむだにしないで
34 県立二中と広島市商の慰霊碑 可憐なる学徒はいとし
36 義勇隊の碑 一瞬に消えた部落中の働き手
38 韓国人原爆犠牲者慰霊碑 祖国を奪われ異郷の地で被爆
40 本川小学校 爆心地にいちばん近い学校
42 原爆犠牲ヒロシマの碑 原爆瓦に託す高校生の誓い
44 原民喜詩碑 生きのびてこのありさまを
46 広島城跡の地下壕・大本営・ユーカリ 広島全滅の第1報は13歳の少女
48 陸軍病院跡の被爆榎 子どもたちに守られてきた
50 縮景園 遺骨を抱いた傷だらけの名園
52 昔のおもかげを残す京橋 被爆者が殺到した橋
54 比治山陸軍基地と放射能線影響研究所 戦争・被爆の惨状を語り続ける
56 陸軍被服支廠の倉庫跡 爆風にひん曲がった鉄扉
58 さくら隊原爆殉難の碑 全滅した劇団
60 広島赤十字・原爆病院 その日1万人を治療した
62 似島 被爆者の眠る島
 64 (案内地図)
表紙・カット 四国五郎
写真 池上利秋
校閲・編集 金子一士・高橋信雄・武田寛・村中好穂

 

 

 

昭和史を学ぶ高校生たち

『昭和史を学ぶ高校生たち』(亀井博編著、平和文化 、19900720)

目次

はじめに
刊行によせて
ヒロシマの心いつまでも-継続は力なり 高橋昭博
広島平和文化センター事業部長
いまヒロシマは-「ヒロシマ研究旅行」によせて 植野浩
ヒロシマ学習証言センター世話人代表
1990年のヒロシマ 澤野重男
安田女子高校教諭
1 ヒロシマ研究旅行
広島の感想/広島に行って感じたこと/広島研究旅行報告/「ヒロシマ」研究旅行を終えて/広島で考えたこと/広島研究旅行を終えて/広島との出会い/ヒロシマは生きている/広島研究旅行と私/広島を訪れて/広島旅行の後/「広島原爆の旅」を終えて/広島から帰って/研究旅行で学んだこと/広島旅行を終えて/「ヒロシマ」を感じて/平和を祈る/広島へ行って
2 父母の戦争体験を聞く
戦争体験を間く/「戦時中の体験」を聞いて/父母の戦時中記/戦争体験を聞く/母の戦争体験を間く
3 戦争加害を考える
横浜事件について/日本の戦争加害者としての側面を考える/戦争と女性/「三光」/「特別高等警察」について/朝鮮人強制連行/天皇制/「悪魔」の残した教訓/第七三一部隊について/国防婦人会にみる女性の戦争協力/「南京大虐殺」にみる日本/「大東亜共栄圏」という言葉による加害について/平頂山事件を知って/「沖縄戦」は人間性を奪った/戦争と女性
4 祖父母・父母、そして私の昭和史
わが家の昭和史/私の昭和史/私の父の昭和史/私の祖父母たちの昭和史/私の父母の昭和史/私の祖母の昭和史/私の昭和史/父の昭和史/私の祖母の昭和史/わが家の昭和史/私の昭和史/私の父の昭和史/祖母の昭和史/私の昭和史
5 社会科特別講座「昭和の歴史」にとりくんで 亀井博
5-1 学校の紹
5-2 なぜ「昭和の歴史」という講座を設けたのか
5-3 「昭和の歴史」講座の内容
5-4 生徒の昭和史についての知識
5-5 なぜ、ヒロシマを選んだのか
5-6 「ヒロシマ研究旅行」の事前学習としての「原爆学習」
5-7 ヒロシマでの学習と活動
5-8 日本(軍)の戦争加害の問題を考える
あとがき
亀井博
法政大学女子高等学校教諭

広島教育研究所(資料年表)

広島教育研究所(資料年表) <敬称略>

年月日 事項 備考
1989
12 全教広島結成
http://ww5.enjoy.ne.jp/~zenkyo/
1990 広島教育研究所設立
1991
0306 <全日本教職員組合結成>
http://www.zenkyo.biz/
0907 設立1周年のつどい
0913 <民主教育研究所設立準備会>
0924 藤井敏彦より電話。27日、藤井研究室で全教の平和教育研究会を開催する。研究員は佐中・田村・宇吹。1年かけて平和教育の基礎資料集を作成したい。<宇吹メモ>
1003 藤井敏彦研究室。広島教育研究所「平和教育部会」第1回会合。藤井・江種・川島・沢野・忍岡・宇吹。研究テーマを「平和と人権」にする。19時から21時過ぎまで。<川島資料><宇吹メモ>
1127 第1回拡大研究評議会。
1204 広島教育研究所「平和教育部会」第2回会合。宇吹は欠席<川島資料><宇吹メモ>
1992
0113 広島教育研究所「平和教育部会」第3回会合。藤井・沢野・忍岡・田村。川島は欠席。宇吹・忍岡が報告。沢野=朝鮮人問題に取り組みたい。<川島資料><宇吹メモ>
0218 広島教育研究所「平和教育部会」。藤井・横山・忍岡・田村・江種・宇吹、出席。忍岡の報告「核実験と環境破壊」。<宇吹メモ>
0327 広島教育研究所「平和教育部会」。欠席。前日「世界のヒバクシャ」の数をまとめて郵送。<宇吹メモ>
0427 92年度研究員総会
0824 広島平和教育研究所平和教育部会。於広島教育研究所会議室。忍岡の「ビキニ」原稿の検討。忍岡・田村・高橋・藤井・宇吹。始まる前、楠と話す。6時半-9時50分。田村の話=平和学会で会った高知で原爆文学を教えている女性が宇吹のことを知っていた。<宇吹メモ>
0831 広島教育研究所「平和教育部会」。江種・忍岡・沢野・高橋・藤井・宇吹。忍岡の原稿「核実験と環境破壊」原稿完成。藤井の話=*はイタリアのユダヤ人と結婚している。<宇吹メモ>
1009 広島教育研究所平和教育部会。藤井・高橋・江種・沢野・忍岡・川島・宇吹。高橋=「平和教育への提言」案の説明。沢野=安田の平和教育の紹介。川島=意識調査が、広島の平和教育の出発点だった。再度、意識調査を実施し、その分析の中で、提言をまとめる。<宇吹メモ>
1110 「広島教育研究所・平和部会のまとめ」出席者:藤井・沢野・楠・高橋。(資料)
11 『環境破壊から地球を救うための平和教材 教育・教材シリーズ Vol.1(広島教育研究所平和教育部門)』(冊子)
1216 平和教育部会。江種・高橋・田村・藤井・川島・沢野重男・宇吹。「平和意識アンケート」案について検討。8時30分から20分ほど、被服廠保存について意見を聞く。江種=400人位が平和学習できる場が欲しい。<宇吹メモ>
1993
0107 平和教育部会。平和意識調査の質問票の検討。藤井・田村・川島・沢野・江種・高橋。<宇吹メモ>
0225 平和教育部会。藤井・江種・沢野・忍岡・高橋・田村・宇吹。今年度の活動の総括と来年度の計画についての意見。アンケート(案)の検討。<宇吹メモ>
0421 広島教育研究所研究員総会。於研究所。<宇吹メモ>
0608 広島教育研究所平和教育部会。連絡が無いので欠席。<宇吹メモ>
1206 平和教育部会。江種・高橋・川島・沢野・田村・宇吹。「平和に関する意識調査」の検討。<宇吹メモ>
1994
0107 広島教育研究所へアンケート結果に対する意見を郵送。<宇吹メモ>
0125 広島教育研究所平和部会。開始前、忍岡にエスペランチストについて聞く。藤井・江種・川島・高橋・沢野・忍岡。アンケート結果の分析。沢野の提案で小・中学校の例数を増やすことになる。森滝の死去が話題になる。<宇吹メモ>
0301 8時過ぎから広島平和教育研究所平和部会に参加。平和意識調査の分析。担当:原爆資料館、原発関係の3項目。3月末締切。<宇吹メモ>
0323 広島教育研究所平和意識調査の分析に取りかかるが意外と難しい。<宇吹メモ>
0422 「94年度広島教育研究所研究員総会」<資料>
0519 平和教育部会。欠席。<宇吹メモ>
0606 全教広島より電話。今晩、平和部会開催の由。欠席を伝える。<宇吹メモ>
0615 教育研究所平和教育部会。藤井、田村、高橋、沢野、江種。-10時20分。意識調査のまとめ。<宇吹メモ>
0629 広島教育研究所平和教育部会。田村・高橋・沢野・江種・宇吹。意識調査の最終まとめ。<宇吹メモ>
0722 広島教育研究所平和教育部会。平和意識調査分析の最終会合。藤井・高橋・沢野・江種・宇吹。6時半-8時半。<宇吹メモ>
0801 広島教育研究所平和教育部門『<被爆50周年・平和教育への提言>今、ヒロシマの子どもたちは・・・-広島県下小・中・高・大学生の平和意識調査』(冊子)
1005 広島教育研究所平和部会開始前の藤井の話=アジア大会の開会式に参加したが、演出が全くけしからん。特に、君が代。アジアへの配慮に欠ける。小倉豊文の娘は同級生。その関係で小倉の考えに接する機会があった。原爆投下を責めることは出来ないという考えは一貫していた。私の考えには、良い感情を持っていなかったようだ。<宇吹メモ>
1005 「広島教育研究所平和部会まとめ(10月5日)」。<資料(B4 1枚)>
1005 被爆50年に向けて何をするか。藤井・江種・高橋・沢野・宇吹。「語り部」は差別的表現である、との強い指摘があったのでこれからは使わないことにする。この日の会の結論として、全教平和部会の被爆50周年の活動としては、広島の近現代史をまとめることになった。<宇吹メモ>。
1005 *の話=ABCCから学校に迎えがあった時、柱にすがりついて離れない女子生徒がいた。占領期のことでもあり、宥めて行かせた。ABCCの職員が、病理解剖の申し入れをするため、遺族の所にきて、胸のポケットから金をちらつかせながら説得していた。<宇吹メモ>
1021 広島教育研究所平和部会。藤井・江種・高橋・沢野・田村・宇吹。-9時。広島県の近現代史の構想。大久野島・宇品・加計など、歴教協の優れた成果のあることは確認出来たが、うまくまとまらず。藤井の提言で、「原爆投下をめぐって」をテーマに考えることとなる。<宇吹メモ>
1021 沢野に、図説戦後50年記念史のために「原爆瓦」関係の写真提供を依頼。来週までに調べてくれるとのこと。<宇吹メモ>
1021 田村の話=パグウォッシュの会議は、ほとんどが東京で準備されるので、広島準備委員会は、あまり仕事は無い様子。<宇吹メモ>
1022 <川島メモ>前日の欠席事情。当日提出予定の教材「宇品」案
1125 広島教育研究所平和部会「被爆50年・アジア太平洋戦争終結50年を迎えるにあたって 平和教育部会として何に取り組むか」(資料B5 1枚)。22日欠席の連絡。<宇吹メモ>
1214 平和教育部会=藤井・田村・江種・高橋・忍岡・川島・沢野・宇吹。
 1214 教育研究所平和教育部会。「被爆50年・アジア太平洋戦争終結50年をどう迎えるか -平和教育部会として―」(資料B4 1枚)。
 1214 被爆50周年の取り組みについて議論。宇吹が、報道・出版・行事など沢山計画されているので、その動きを平和教育の立場から評価し、紹介してはどうか、編集はできないが、資料は提供すると提案。<宇吹メモ>川島が宇吹提案を積極的に支持。宇吹提案に沿って、月2回の通信を発行することになる。しかし、実行部隊の裏付けは無し。スミソニアン見学ツアーについても関心があったが、通信発行の中で検討することになる。<宇吹メモ>
1021 全教平和教育部会。於二葉中学校。-8時半。間違って二葉公民館で20分ほど待つ。メンバー全員が出席。「82反核」と自治研での講演のコピーを皆に贈呈。タイトルは「被爆50年」、月2回刊、4頁とすることが決まる。私が毎号、4頁目を担当することになる。<宇吹メモ>
 1129  広島教育研究所第13回市民教育講座「子どもたちの学力を豊かに育てるために―教課審「中間まとめ」をどう読むか―」。講師:大槻和夫。会場:二葉公民館。(資料 ビラ1枚 B5 1枚)
1995
0105 全教「被爆50年」用の資料をまとめる。<宇吹メモ>
0106 全教平和教育部会。「被爆50年」1月上旬号編集会議。於二葉中学校。藤井・川島・高橋・江種・忍岡・宇吹など計10人。良いスタート。<宇吹メモ>
0116 『ウォッチング被爆50』創刊号
0119 全教平和教育部会。於二葉中学校。-8時。「ウォッチング!被爆50」創刊号完成。1月下旬号の編集会議。高橋・川島・沢野・田村・若い女性2人・宇吹。川島に中国新聞年表の解説原稿を渡し、意見を聞かせて貰うよう頼む。<宇吹メモ>
0201 『ウォッチング被爆50』第2号
0203 全教平和教育部会。於二葉中学校。1月後期号を入手。2月前期号の編集会議。教研集会を特集する。若い女4・男1人、川島・高橋・沢野・田村・宇吹。2月後期から2回、スミソニアン博物館問題を取り上げることになる。川島より中国年表解説への感想を貰う。<宇吹メモ>
0216 『ウォッチング被爆50』第3号
0220 全教平和教育部会。第4号の編集。6-8時。於二葉中学校。川島・高橋・宇吹他4人。<宇吹メモ>
0307 第23回全国平和教育シンポジウム第2回実行委員会。於エコード広島。「大会テーマ:ヒロシマ・ナガサキ50年、そしてアジアとの連帯・共生」に高橋信雄が異議を唱えるが通らず。私は、平和・戦争博物館の分科会を設けるよう提案。企画委員会へ一任となる。<宇吹メモ>
0323 第23回平和教育シンポジウム第3回実行委員会。於エコード広島4F。朝、空辰男に欠席の旨連絡。<宇吹メモ>
0327 「ウォッチング被爆50周年」の作成。川島に速達で届ける。<宇吹メモ>
0401 『ウォッチング被爆50』第4号
0414 全国平和教育シンポジウム第4回実行委員会。於エコード広島4F会議室。第4分科会「平和とマスコミ・教科書・博物館問題を考える」の運営委員を引き受ける。高橋と相談の結果、私がマスコミ関係者にリポートを依頼することになる。20分から40分。<宇吹メモ>
0422 「95年度広島教育研究所研究員総会」(資料)
0426 *(ウォッチング95の編集会議メンバー)より電話。生徒から「原爆切手」の現物が見たいとの希望があった。どこかで入手できないか。<宇吹メモ>
0510 第23回平和教育シンポジウム第5回広島実行委員会。於エコード広島4F。8日に欠席の連絡。<宇吹メモ>
0512 全教平和教育部会、ウォッチング被爆50年の編集会議。-8時。久しぶりの会合。6月1日号の編集について相談。原爆投下をめぐる資料の整理。<宇吹メモ>
0525 全教平和部会。於二葉中学校。原爆投下関係資料を届けて、会合は欠席。高橋に明日の平和教育シンポの会合も欠席することを伝える。<宇吹メモ>
0526 全国平和教育シンポジウム第6回実行委員会。於エコード広島4F。欠席。<宇吹メモ>
0615 全教平和部会。於二葉中。高橋・沢野・女性3人・宇吹。-8時。1号分を平和ゼミの報告にあてることになる。高橋の話=最近の平和教育シンポジウムの参加者は300程度に減った。分科会が二日目まで持つかどうか心配。シンポでの司会は自分がする。<宇吹メモ>
0616 第23回全国平和教育シンポジウム実行委員会総会。於エコード広島4F。欠席。<宇吹メモ>
0624 第23回全国平和教育シンポジウム。於幟町中学校体育館。-12時全体会記念講演「ある戦中派の平和」(山田浩)。参加者400人。自分史的なものに期待をしたが、「戦後補償」についての話。加害というテーマに引きずられ、とってつけたような内容。<宇吹メモ>
全国平和教育シンポ分散会。第4「平和とマスコミ・教科書・博物館問題を考える」。参加者21人。-5時。宇吹報告「博物館と平和教育」、武河隆司報告「紙面にみる新聞社の戦争責任と自己批判」。宇吹は持ち時間30分のところを1時間半しゃべる。<宇吹メモ>
岡本三夫や*(朝日)・読売記者が参加していた。高橋の話では、この分科会は、これまで小人数で成立しにくかったが、この程度の参加で一応成功とのこと。25日の分科会は休ませて貰うように交渉。<宇吹メモ>
分科会終了後、*(朝日)と会う。一緒に幟町中学校から郵便貯金会館に歩いて行く。長崎の軍縮シンポの取材に行った由。東京で笠原十九司・吉見・日本被団協の取材した話を聞く。私から、*の程度の悪さ、地方自治体の国際貢献・交流の問題点について話す。<宇吹メモ>
全国平和教育シンポ-市民に贈る夕べ「きたがわてつ」平和コンサート。於広島郵便貯金ホール。-9時。開演前に、北川に付き添っている新江と会う。プログラムによれば「サウンドディレクター」として参画。元気そうで安心。<宇吹メモ>
市民に贈る夕べ。「ヒロシマ夢現太鼓」・安田女子高校音楽部=久しぶりの文化行事参加。ストレス解消にこうした行事への参加が必要。トーク=海老根勲・空辰男・児玉(女学院)・萩本(安田高校)=女子高校生の話と空の話がかみ合わない。北川の歌とトーク。<宇吹メモ>
全国平和教育シンポジウムの感想=運営の中心を担っているのは、定年後の高齢者。初期の熱気は感じらず。このままでは、先細りは確実。枠組みそのものの精度疲労もある。<宇吹メモ>
06 『戦後50年・被爆50年 平和を考えよう -仲間の実践に学び、ヒロシマの平和教育の前進を-』(全広島教職員組合)(冊子)
0703 全教平和部会。於二葉中学校。川島・女性2人・宇吹。-8時過ぎ。次回が決まらず。川島は、今年度で定年退職の由。佐藤正のことを聞く。一緒に勤めたことがある由。夏休みに合宿をしようとの話が出る。<宇吹メモ>
1024 23回全国平和教育シンポジウム第7回実行委員会。エコード広島。欠席。<宇吹メモ>
1127 全教平和部会。於教育研究所。藤井・田村・高橋・江種・忍岡・宇吹。「教育についての父母アンケート」検討会。-9時。私が、長田新の悪口を言ったら、藤井から反論が返ってきた。藤井=森戸は常に東を向いていた。<宇吹メモ>
1996
0420 広島教育研究所研究員総会<資料>。於二葉公民館。欠席。<宇吹メモ>
1997
0313 全教平和部会。-8時半。高橋・江種・沢野・松井・宇吹。来年度の方針案の作成。高橋=戦争展は、予算的にしんどい。昨年は200万円掛かった。沢野=「子ども平和の像」建立の動きについて報告。楠の話=レストハウス保存について市議会に新たな動き。公明党が質問、新生クラブが関心を示す。議長裁定が出るかも?<宇吹メモ>
0419 「97年度広島教育研究所研究員総会」(資料)
0929 広島教育研究所平和教育部会。6時-8時40分。藤井・高橋・川島・江種・忍岡・沢野・?・宇吹。今後の部会活動について。広島市の指導案や原爆展のシナリオを検討することになる。<宇吹メモ>
江種の話=被団協への修学旅行生向けの講話申し込みは、最大時の5分の1に減っている。。<宇吹メモ>
*の話=4月から*中学校に勤務。給料は20万円程度。年金は25万円貰っている。経済的には現役時代より恵まれている。<宇吹メモ>
1118 全教平和部会。高橋・江種・忍岡・沢野・?・宇吹。広島市の小・中学校の平和教育資料集をめぐって。<宇吹メモ>
高橋の話=歴教協は、宇品・大久野島・強制連行などの問題を、典型教材・地域教材として取り上げてきた。広島市の博物館は、中島地域の建物を実物大で復元するつもり。広島の右翼で理論的なのに*がいる。<宇吹メモ>
沢野の話=韓国の独立紀念館には、特別展示のような形で、従軍慰安婦が展示してあった。市立大学であった大江健三郎の講演を年休を取って聞きに行った。大変良かった。<宇吹メモ>
*の話=現在の加害教育は、解放教育の路線上で行われている。<宇吹メモ>
1998
0114 全教平和部会。高橋・江種・沢野・松井・宇吹。-8時半。平和教育に関わって来た先輩に原稿を書いてもらうことになる。<宇吹メモ>
0309 高橋信雄(全教)より電話。15日(日曜日)に平和教育のインタビューを実施するとのこと。欠席の旨を伝える。<宇吹メモ>
0724 広島教育研究所市民講座(資料 案内ビラ B5 1枚)
1006 「98年度広島教育研究所研究評議会」(資料)
1999
0201 全教広島・広島教育研究所教育課程検討委員会「全教広島 号外」
0417 「99年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。二葉中学校図書室。欠席。<宇吹メモ>
2000
0422 「2000年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。於・生涯学習センター。-4時半。沢野=今年の旅行のテーマは「環境」で、四万十川へ行く由。<宇吹メモ>
0510 教育研究所平和部会。私と江種しか集まらず、帰る。大江健三郎の資料。<宇吹メモ>
0713 広島教育研究所「人権・平和教育合同部会」。-8時半。楠・高橋・舟橋・江種・松井・人権関係2人・宇吹。<宇吹メモ>
0823 全教広島平和部会。江種・舟橋・沢野・松井・高橋。沢野の話=ゾンタクラブで藤田知事と同席したが、平和教育に関心を持っていた。これまでの祈り中心から創造に変化する必要性を訴えていた。海外からの研修生と高校生の交流など。<宇吹メモ>
0913 全教広島平和部会。同和教育部会と合同。-8時半。<宇吹メモ>
1004 全教広島平和部会。欠席。<宇吹メモ>
 2001
 0420  「2001年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。
 2002
 0417  「2002年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。
2003
2004
 2005
 0428  「2005年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。
 2006
 0428  「2006年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。
2007
 0420  「2007年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。
2008
 2009
 0507  「2009年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。
2010
2011
2012
2013
0521   「2013年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。
 2014
 0523   「2014年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。
2015
 10  『第17次平和教育へのとりくみ実態調査報告』(全教広島・広島市教職員組合 広島教育研究所<平和教育部会>)(冊子)
 2016
 0520    「2016年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。
2017
2018
 2019
 0517    「2019年度広島教育研究所研究員総会」(資料)。