「1946年」カテゴリーアーカイブ

年表:ヒロシマ(1946年)

年表:ヒロシマ(1946年)

月日 できごと
0108  宇品地方引揚援護局、同局大竹出張所設置。1947年10月20日業務閉鎖、12月31日閉局。入港船舶・上陸人数は、宇品100隻・16万9026人、大竹219隻・41万410783人。
0108 広島市復興局設置
0109 パターソン米国陸軍長官一行、呉市の戦災状況を視察。10日広島市の被害を視察。
0110 呉地方初の海軍施設転用により、日本製鉄株式会社兵器処理部呉事務所開設、復興作業に着手。
0120 GHQ,第一次賠償指定。三菱重工業広島工作機械製作所など指定をうける。
0122 広島市宇品町の元陸軍共済病院、日本医療団宇品病院となる(のち広島中央病院と改称)。
0125 広島県警備隊廃止。
0127 連合国極東委員会一行70人、来広。楠瀬広島県知事、広島市を世界新平和の象徴として再建することを委員会に提案。
0201 英連邦軍先遣部隊に300人、呉へ入港。
0201 広島復興民団発起人会、広島駅前食堂で開催。発起人、鈴川貫一ら経済界の有力者22人。
0210 広島市青崎国民学校で原爆犠牲者追悼文化人大会・追悼合同短歌会開催。
0225 広島市復興審議会初会合。
0401 恩賜財団軍人援護会広島県支部と恩賜財団戦災援護会広島県支部、解散合併して、恩賜財団戦災援護会を設立。
4・ 1 播磨造船所呉船渠、旧呉海軍工廠造船・造機部跡に開設。
0401 尼崎製鉄、旧呉海軍工廠製鋼部跡に呉作業所を設置し操業開始(現神戸製鋼所呉工場)。
0401 元呉海軍工廠、連合軍総司令部の指示により大蔵省に移管。
0406 広島復興都市計画を決定し、復興五か年計画案を作成。
0501 中国新聞社『月刊中国』を創刊。同誌四号(昭和二一年八月一日)は「原子爆弾記念号」とする。
0503 極東国際軍事裁判開廷。
0506 広島県食糧営団運営委員会再発足し、第一回総会を海田市寮で開催。
0510 天然痘流行し、患者360余人に達する。
0517 満州開拓義勇隊引揚第一陣広島・安芸・安佐・双三出身者からなる井岡中隊41人、佐世保を経て帰広。
0517 傷痍軍人援護会解散し、財団法人協助会広島県支部発足。傷痍軍人・一般傷疾病者の相互扶助・福利厚生などを意図
0522 広島市・広島県仏教連合会など主催の戦災死没者遺骨収容大供養週間はじまる。
0527 広島市戦災供養法会、西本願寺法主大谷光照を迎え執行。
0601 県、食糧危機突破甘藷増産運動を展開(~15日)。
0610 朝鮮民主臨時政府促成人民大会、広島駅前広場で開催。
0611 広島県援護会発起人会、外地引揚団体の統合をはかるため広島県引揚同胞更生会の設立を決議。同月15五日発足。
0627 満州からの初の引揚船、宇品港へ入港。
0630  アメリカ戦略爆撃調査団の報告書『広島・長崎の原爆の効果』公表。
0701 アメリカ、マーシャル群島ビキニ環礁で戦後初の原爆実験。
0702 呉市戦災死者一周忌追弔法要、五番町国民学校で執行。
0705 広島県、食糧危機突破対策の一環として、高級料理・飲食店の自粛的臨時休業の措置を開始。
0709 広島県住宅緊急措置令施行細則制定。住宅不足対策として余裕住宅への入居を勧奨。

7・

0724 広島県・恩賜財団同胞援護会広島県支部・広島県社会事業新興連盟主催同胞援護強調週間始まる。
0724 広島軍政部公衆衛生係、日本側衛生関係者を招集し、花柳病予防対策協議会を開催。
0726 広島市、同胞援護強調週間の行事として、市内西診療所で引揚者・復員者・一般罹災者の無料診察実施(~30日)。
07 呉市駐屯の米軍第76軍政中隊本部、広島軍政部と改称。中国5県の各軍政部統括機関として中国地方軍政司令部を設置。
0801 広島県教職員適格審査委員会、初会合。8月8日審査を開始。
0802 尾道署、第11空廠事件の関係者を隠匿物資等緊急措置令違反・価格統制令違反で広島地検へ送検。
0805 広島市、市内八か所に原子爆弾症医療無料相談所を開設(~7日)。
0805 福山市復興協力会第1回総会開催。
0806 広島市、各宗連盟県支部・広島市供養会共催戦災死没者一周年追悼法会、慈善寺鼻の記念礼拝堂で開催。
0810 広島市調査課、1945年8月6日現在市内居住者を対象に原爆被害調査を実施。
0812 占領軍危険物特別処理隊、大久野島の毒ガス3万トンを太平洋にもちだし船とともに海底に沈める。
0824 GHQ、第二次賠償指定。これにより県内では日本製鋼所広島製作所・東洋工業・日本化薬福山染料工場など指定をうける。
0824 社会党広島県支部、広島駅前で食糧増配要求市民大会を開催。
0830 食糧危機突破のため篤農家で組織する広島県食糧増産同志会、御調郡重井村で第一回懇談会を開催。
0831 アメリカの週刊誌「ニューヨーカー」、J・ハーシーのヒロシマ・ルポを特集。
08 広島市幟町カトリック協会フーゴー・ラサール神父、ニューヨークで原爆投下時の広島の模様を語る。
08 公職適否審査委員会設置。
08 呉市で旧軍施設への紡績工場誘致運動おこる。
0901 福山市会議員一同、広島軍政部に日本化薬福山染料工場の賠償指定削除を嘆願。この月、福山市長も同様の嘆願。
0902 呉市に設置の英連邦占領軍放送局(WBTB)、特別放送を開始。
0903 福山市会、福山市戦災復興事業促進を決議。
0903 似島に孤児収容所開設。
0909 生活保護法公布。
0910 離職者・復員軍人・海外引揚者・戦災者など失業者の就業指導のため広島県職業補導所を県内五か所に設置。
0910 広島市銃後奉公会・戦災援護会の解散式ならびに恩賜財団同胞援護会広島県支部広島支会の発会式、市役所で挙行。
1001 広島県連合方面委員会、広島県連合民生委員会と改称。
1009 戦災都市広島・呉・福山の三市、特別都市計画法に基づき、特別都市に指定される。
1014 終戦連絡呉事務局、終戦連絡呉中国事務局に改組。中・四国九県の占領軍との渉外事務を取扱う。
1015 広島県、賠償指定工場(三菱広島工作機械製作所・倉敷紡績広島工場・日東工業川尻工場・旭株式会社・第一産業・帝国兵器羽衣製作所・北川鉄工所・東洋製缶・日本化薬福山染料工場・日本製鋼所広島工場・東洋工業・日本発送電坂発電所・岡本工作機械製作所松永工場)への無断立入、機械・施設の無断持出を禁止。
10 広島市旧西練兵場跡に授産場完成。
1101 広島県地方課の調査による市町村の追放該当者152人。
1101 広島県失業対策実施本部設置規程制定。
1103 日本国憲法公布。
1103 改正憲法公布祝賀大会、広島県・市・放送局・商工会議所・中国新聞社共催により元護国神社前広場で開催。県内各地でも記念行事。
1113 広島県社会教育課、新憲法精神普及運動を開始
追放令該当県議20人辞任。
1126 トルーマン米大統領、米国学士院・学術会議に原爆傷害調査委員会(ABCC)の設置を指令。12月6六日予備調査団、広島入り。
11 日立造船因島造船所、総司令部から民需転換を許可される。
11 この年、コレラ流行。患者169人、死者69人。

出典・参考資料『広島県戦災史』

回顧五年-原爆ヒロシマの記録(1946年)

『回顧五年-原爆ヒロシマの記録』(瀬戸内海文庫、19500505)

報道篇(1946年)

見出し 掲載紙 掲載月日
ただ一弾で焼野原 爆発音で誤り伝える二弾投下 文字通りピカドン 中国  0106
 “不妊症婦人”が妊娠 朝日  0120
 圧力波で千里の突風 中国  0122
 米軍総指令部 広島の被害を発表 毎日  0204
 生きている原子爆弾 広島郊外で放射能を発見 毎日  0206
 原子症状いまはなし 多くは恐怖による神経症 毎日  0206
市電近く全通  被爆後半歳・広島の復興 既に263の町内会誕生 築く”山陽屈指の貫禄”  毎日   0206
”神父も槌を揮う”  教会再建の一点景   毎日    0206
 [無見出し]<人員復帰状況>  中国   0206
 新型爆弾症 言葉を忘れたM君 これは健忘性失語症   中国  0211
 「爆弾症」その後の状況はこうだ   中国  0213
 米大統領演説 「広島」は世界の出発点 原始時代に生きる教育の途  毎日  0513
青空教室  廃材の机、石の腰掛 原子沙漠にヨイコの学習  毎日  0515
 爆弾症に医学の挑戦 都築博士中間報告 海水浴は持って以っての外 日光さけて地味に暮せ 中国 0522
原子症は再発? 広島と長崎に新しい話題 毎日 0524
 広島は平和のシンボル 帰国後の援助も惜まず モ顧問別離の挨拶  中国  0616
 細胞や血液に新影響 原子爆弾と取組む2教授  朝日  0617
 世に告ぐ新生「広島」 ”復興祭”をパリ放送局が現地録音 毎日 0703
 団子に原子沙漠の草 広島市民のカロリー補給 朝日  0706
 遺す原子弾戸籍 影響を遺伝的に研究 広島で10万人を登録 中国  0725
爆心に平和の霊地 復興に力強い宗教運動  毎日  0806
 「沙漠」から「住める街」に けふ広島原子爆弾1周年  朝日 0806
雑草の「原爆植物園」 広高師藤田教授が保存に努力  朝日  0806
 原子爆弾研究にわが学界総力を結集 中国 0808
 霊よ安かれ・茂る夏草に祈り  朝日  0808
 原爆の影響で児童の体力低下 大部分は神経症状 中国  0831
 天晴れ広島戦災五童心 中国  1117
 火傷手術いまチャンス 安定期に入ったピカドン症 中国  1221
 後世に伝う「原子戸籍」建物の部 一瞬9割崩る 槌音朗々 5割は復興  中国 1226

 

ビキニ環礁核実験場(世界遺産)

ビキニ環礁核実験場  Bikini Atoll Nuclear Test Site
https://whc.unesco.org/en/list/1339
マーシャル諸島共和国初の世界遺産。第2次世界大戦後にはじまった冷戦に伴い、アメリカ合衆国は、太平洋沖マーシャル諸島ビキニ環礁での核実験再開を決定した。周辺住民を移住させ、1946年から1958年まで、初の水素爆弾実験(1952年)を含む67回の核実験を実施した。その威力を示す重要で明白な証拠が、1946年の実験で礁湖に沈んだ船と、水素爆弾「ブラボー」の実験でできた巨大なブラボー・クレーターである。一連の実験は広島型原爆の7000回分に匹敵し、環礁の地質や自然環境、人びとの健康などに重大な影響を及ぼした。これによりビキニ環礁は、「核の時代」の幕開けの象徴となった。

Date of Inscription: 2010  Criteria: (iv)(vi)

資料

隠るべき所なし ビキニ環礁原爆実験記録(ブラッドリー著、佐藤亮一訳、講談社、19490830)

 

新聞連載1946

新聞連載1946

・年月日は連載の開始の日付を示す。
・版は地方版を示す。

46 07 13 21 ひろしま新「旧蹟」-ムカシの姿と比べてみませう ひろしま 夕刊
46 08 01 7 新生一年-原子沙漠に灯は点る 中国
46 08 02 9 ユートピア広島の建設 中国
46 08 09 4 新生第二年へ-本社編輯局同人座談会 中国

編年資料:ヒロシマ-1946年

編年資料:ヒロシマ-1946年

月日 資料名
0402 1946年1月26日付終戦連絡中央事務局報告書第408号(1ノ3)ニ関スル提報方ノ件
(警保局公安発乙第20号)
0626 マンハッタン調査団「広島・長崎への原爆攻撃」[抄]
0801 広島市の原子爆弾被害状況調査依頼
0807 広島市の平和復興祭
0823 平和運動促進に関する建議
0823 広島市に世界平和塔建設の請願
0823 広島市並に長崎市の復興促進の請願
08 羅府新報(米ロスアンゼルスの邦字新聞)記事目録(原爆被害関係)1946.1-8
10 本土作戦記録・第二総軍[抄](第一復員局)
1118 被爆者の長期研究に関する大統領指令
マンハッタン・プロジェクトのプレス・リリーズ(PRESS RELEASE)一覧(1945-46)

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広島市の原子爆弾被害状況調査依頼 1946.8.1

広島市の原子爆弾被害状況調査依頼 1946.8.1

昭和21年8月1日

広島市長 木原七郎

******長殿

原子爆弾による被害状況調査に関すること

昨年8月6日原子爆弾の犠牲となりました本市は当時とりあへず其の被害状況の大略を調査致しましたが地域的被害並に爾後の推移状況等移動性の調査は更に統計的に調査し殊に被爆による人的被害の状況其の後の推移及び之が子孫に及ぼす影響如何等を医学的見地より調査研究して世界最初の原子爆弾記録を調整したいと思ひますので何卒御協力をお願い致します。就きましては誠にお迷惑ですが左記に依り貴(町村)該当者に付き同封調査票により御調査の上お取纏め御回送下さる様御願申上げます。

1.調査期日 昭和21年8月10日
2.調査の対象 貴(町村)現住者中昨年8月6日被爆当時広島市内に世帯を有し当時市内に現在せし者(傷害の有無に拘らず全員)
3.調査事項 別紙調査票の通り
4.御提出期限 昭和21年8月25日
5.御提出先  広島市国泰寺町39 広島市役所調査課

『本土作戦記録・第二総軍』(第一復員局、1946.10)[抄]

『本土作戦記録・第二総軍』(第一復員局、1946.10)[抄][防衛庁防衛研究所蔵]

第12章 原子爆弾被爆及終戦の経緯

第1節 原子爆弾の被爆

7月下旬より8月初頭に互り総軍は前述せる新情勢判断の下作戦計画の修正、総軍決戦綱領の策定、之に伴ふ大本営との連絡も終了し、8月9日より両方面軍司令官を広島に会同し以て作戦準備並実施に関する最後の会同を実施すべく、之が準備中の所8月6日午前8時10分頃真に突如原子爆弾の攻撃を受けたり。被弾直後の印象は高々度より司令部に対し爆弾及焼夷弾の集中爆撃を受けたりと思考せるも、時間の経過と共に被害逐次判明、午前10時頃予て準備中の戦闘指揮所に移転するに及び炎々たる猛火に包もれたる全市街の被爆の様相を望見し、茲に特殊爆弾に非ずやとの疑問を懐き直ちに大本営に対し右所見を付して状況を報告せり。

本攻撃に依り全市街及軍管区司令部以下軍隊も殆んど一挙に大打撃を受けたるも総軍司令部のみは比較的損害軽微(司令部の戦死80数名入院多数)なりしを以て、直ちに船舶司令部及地方総監府以下の地方機関と連絡、8月7日総軍司令官は独断広島近郊の総軍隷指揮下外部隊及地方側機関を指揮し戦災者の救護、戦災地の整理復旧並広島周辺の治安等に関し一時指揮すべき命令を下達(実行動は6日直ちに採れり)し、船舶司令官をして之が実行を担任せしめたり。

広島の状況は真に言語に絶し死者8万を超え爆心地付近は一木一草を留めず屍死累々として目を蔽ふの惨状を呈せり。

第2節 終戦の経緯

総軍は原子爆弾の被爆が帝国戦争指導を左右すべき因子なりとは思考せず且又原子爆弾に対しては対策宜しきを得ば之を克服し得べしとの印象と強き敵愾心に依り、幸に微傷だにせざりし総軍司令官の下、小数の残存幕僚を以て鋭意司令部の恢復に努めつつ、方面軍司令官会同準備を続行せり。

然るにも12日頃大本営より「帝国政府は連合国に対し和平交渉中」との主旨の電報に接せり。次て13日畑元帥に至急上京の招電あり。元帥は15日帰任し、陛下の和平に対する鞏固なる団結と至厳なる軍紀を確保して大御心に副ひ奉らんことを期すべしとの主旨を伝達し、直ちに両方面軍参謀長を招致して此の主旨の徹底方を命令せり。

斯くて8月15日正午遂に終戦の大詔を拝し茲に総軍の作戦は終結せり。

マンハッタン・プロジェクトのプレス・リリーズ(1946年)

[解題]

 マンハッタン・プロジェクトは、1942年8月13日、原子爆弾製造を目的として米合衆国陸軍の管下に作られた組織である。47年1月1日、米国原子力委員会(46年1月24日設置)に吸収移転されることにより、4年有余の特異な歴史を閉じた。

 その歴史は、同プロジェクト自身によって『マンハッタン・プロジェクト-公的歴史とその諸資料』(MANHATTAN PROJECT – Official History and Documents)としてまとめられている。

 ここに紹介する資料は、この中に含まれていたプレス・リリーズ(報道向け発表、計712ページ)の目次である。

 101点のメモと6点の参考資料(番号にAまたはBを付記)からなるこの資料は、時期的には、広島原爆攻撃直後から同プロジェクト廃止までのもので、発表源は、ホワイト・ハウス、国務省などのものが若干あるが、ほとんどは陸軍省である。

 内容は、原爆開発を推進した立場からの公式見解として、あるいは原爆情報統制下の公式発表として、いずれも重要な資料である。

1946年

番号 月日 資料タイトル メモ
047 02.04 New College Organized for High Ranking Officers of Armed Services and State Department 軍および国務省の高官向けに新しく学校を開設(陸海軍省合同発表)
048 02.14 Statement by Secretary of War before the Senate Special Committee on Atomic Energy 上院原子力特別委に際し陸軍長官の声明
049 02.20 Statement by General Groves Regarding Prevalence of Loose Talk about Atomic Bomb Project 原子爆弾プロジェクトをめぐる流言に関してグローブズ将軍の声明
050 03.04 Awards Presented to Scientists for Work on Atomic Bomb 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(陸軍長官が8人へ)
051 03.09 Radio Adress by Secretary of War on Atomic Energy   コロンビア放送における原子力に関する陸軍長官の発言
052 03.13 Awards Presented to Atomic Bomb Scientists 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(グローブズ将軍が2人へ)
053 03.15 Summary of Press Conference Conducted by Secretary of War on Atomic Energy 記者会見における原子力に関する陸軍長官の発言要旨
054 04.09 Medal for Merit Award to Dr. G. B. Kistiakowsky 原子爆弾製造に尽力した科学者に功労章が贈られる(グローブズ将軍がハーバ一ドの学者に)
055 04.09 Reference to Report on the International Control of Atomic Energy and to Possibility of Denaturing Atomic Explosives 国務省が3月28日、原子力国際管理に関する報告を刊行したことを発表(国務省発表)
055A 04.09 Report on the International Control of Atomic Energy )原子力管理に関する報告(通称アチソン・リリエンソール報告)
056 04.30 Soldier’s Medal Awarded to Technician Third Grade J. D. Hoffman マンハッタン管区の3級技師にに功労章が贈られる。
057 05.13 Publicity Proposed to be Given to Atomic Bomb Tests 原子爆弾実験に関する公表(陸海軍合同発表)
058 05.15 Army and Navy Munitions Board Survey of Underground Storage Sites 陸海軍軍需局、地下貯蔵所について研究(陸海軍合同発表)
059 05.21 Last Shipment Enroute for Atom Test at Bikini 最後の船荷がビキニの原子実験地点に向け出発
060 05.28 General LeMay Plans Pittsburgh Address on Atomic Bomb and Future Air Development 7月1日ピッツバーグにおけるC.E.ルメイ少将の演説「原子爆弾と将来の空軍の発展」の予告
061 06.12 Aberdeen Studies Regarding Effect of Shock Waves on Underground Installations 地下施設に及ばす原爆衝撃波の影響に関するアバディーン実験場(メリーランド州)の研究
062 06.14 Peacetime Application of Atomic Research Possible under Army Program 陸軍の計画下で実施されることになった原子研究の平和時適用
063 06.14 Operations Crossroads to Test Ordnance Material 軍需物資に及ばす影響を実験する十字路作戦
064 06.26 Manhattan Project Reports on Atom Bombing of Hiroshima and Nagasaki to be Released 29 June 六月二九日に公表される広島長崎原爆攻撃に関するマンハッタンプロジェクト報告
064A 06.26 Report: The Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki 広島・長崎への原爆攻撃
064B 06.26 Photographs of the Atomic Bombings of Hiroshima and Nagasaki 広島・長崎への原爆攻撃の写真(図表5枚、写真99葉)
065 06.28 Radioactive Uranium Isotopes Open up Unexplored Processes of Life 放射性ウラニウム同位元素の生命への適用が未知の歩みをはじめる。
066 06.30 Resume of Manhattan Project Reports on Atom Bombing of Hiroshima and Nagasaki 広島・長崎原爆攻撃に関するマンハッタンプロジェクト報告の要約
067 07.22 Remarks by Secretary of War on Radio Program “You and the Atom” ラジオ番組「あなたと原子」における陸軍長官の演説
068 07.22 AAF(Army Air Forces) Seeking Atomic Propulsion for Aircraft 航空機用原子動力に関する陸軍航空隊の研究
069 08.02 Announcement of First Shipment of Radioisotopes from Clinton Laboratories クリントン研究所からの初の放射性同位元素の出荷
070 08.02 Production of Radioactive Isotopes in the Pile パイルにおける放射性同位元素の生産に関する解説
071 08.02 Background Material for Town Oak Ridge オークリッジの町の解説
072 08.02 Background Material for Clinton Laboratories クリントン研究所の解説
073 08.02 Camp Upton to be Site of New Atomic Research Center アプトン整地(ニューヨーク州)が新たに原子研究センターの一つになる。
074 08.15 Atomic Energy Lectures to Open in War Development 陸軍省幹部向けに実施される原子力講義
075 08.19 AAF Begins New Study of Upper Air Regions 陸軍航空隊が始めた上空における宇宙線研究
076 08.27 Remarks by Secretary of War at Opening of Atomic Energy Lecture Series 原子力講演会開会式における陸軍長官の講演
077 09.01 Unfamilier “Mesons” Studies by AAF Technicians 陸軍航空隊技師によるめずらしい「メイソン」研究
078 09.03 New National War College Opens 新たに開設された国立の軍事学校(陸海軍合同発表)
079 09.09 Address by Under Secretary of War at Wrightsville ライツビルにおけるローヤル一陸軍次官の講演
080 09.24 Atomic Lectures Begin at Ft. Belvoir フォートペルボアで始まった陸軍高級将校向け原子力講義
081 10.03 Address by General Ridgway at San Francisco, Cal. サンフランシスコにおけるリッジウエイ中将の演説
082 10.07 Secretary of War Denies Stories that Atomic Bombs were Shipped to Great Britain 米国が英国に原子爆弾を送ったという噂を陸軍長官が否定
083 10.09 Remarks by General Groves before National Safety Congress at Chicago シカゴの国家安全会議におけるグローブズ将軍の演説
084 10.25 Genaral Groves Urges 2 December as Birthday of Atomic Energy 12月2日を原子力の誕生日とするグローブズ将軍の提言(1942年12月2日に最初の連鎖反応に成功)
085 10.28 Statement by General Groves in Regard to the Appointment of the Atomic Energy Commission 原子力委員会任命に関するグローブズ将軍の声明
086 10.28 Statement by Secretary of War Regarding Transfer of Responsibility from U.S. Army to Atomic Energy Commission 原子力開発責任の合衆国陸軍から原子力委員会への移転に関する陸軍長官の声明
087 10.30 Calender of Important Events in Development of Atomic Energy 原子力開発主要年表
088 11.07 Progress Made in Declassification of Atomic Energy Information 原子力情報解禁に進展
089 11.10 Atomic Laboratory to be Built at Schnectady, N.Y シユネクタディに建設する原子研究所
090 11.12 Atomic Energy Commission Visiting Principal Atomic Energy Facilities 主要な原子力施設を視察する原子力委員会
091 11.22 Development of Atomic Power No Simple Problem 難事業の原子力開発(グローブス、原子力平和利用に関する報告書を公表)
092 11.26 Chicago Pile Fouth Anniversary Meeting to be Held at Chicago シカゴで開催されるシカゴ・パイル4周年記念祭
093 11.29 Ceremonies to Mark Atomic Anniversary 原子力記念日の主な行事
094 11.29 Announcement of Award of Construction Contract for Dayton Project デイトンプロジェクトの建設請負契約に関する発表
095 12.01 Backgound Material for Observance of Anniversary of Development of Atomic Energy 原子力開発記念祭の解説
096 12.10 Announcement of Award of Contract for Brookhaven National Laboratory ブルックヘブン国立研究所の建設請負契約に関する発表
097 12.11 Atomic Energy Commision to Absorb Manhattan Engineer District 1 January 原子力委、1月1日よりマンハッタン技術管区を吸収
098 12.31 Statement of Secretary of War on Transfer of Manhattan District マンハッタン技術管区転換に関する陸軍長官声明
099 12.31 Background Information on Development of Atomic Energy Under Manhattan Project マンハッタンプロジェクトのもとで実施された原子力開発に関する解説
100 12.31 Joint Announcement by Atomic Energy Commission and Secretary of War on Transfer of Manhattan District マンハッタンプロジェクト転換に関する原子力委・陸軍長官の共同声明
101 12.31 Statement of Members of Atomic Energy Commission on Transfer of Manhattan District マンハッタンプロジェクト転換に関する原子力委員会委員の声明

 

羅府新報記事目録(原爆被害関係)1946.1-8

羅府新報=米ロスアンゼルスの邦字新聞

月日 事項
01.16 故国戦災罹災民 救恤品及び資金のため 羅府牧師会が奮起
01.24 現地調査(布哇タイムス掲載)
昨年(8月6日)投下せられた 広島市原爆(被害詳細地図)
ホノルル出身米陸戦隊付 永田正吾技術兵作成
02.02 広島の原子爆弾犠牲者 3万6500余(東京2日)
02.06 一斉射撃の山田幽月氏 原子弾に見舞はる 社用で広島市に出張中
02.09 長崎の被害 「只広い野原」
02.13 米国新聞社長 広島見学
03.02 保険業 原子弾 回避す(倫敦1日)
03.16 広島市の供出米 禍を転じて福への市民の努力(広島発)
04.09 泉原寛海師の夫人 原子弾の犠牲
近親8名もあの惨事で死去 東別院教団が追悼会
04.17 広島 毎日220名帰還 1万の家屋が建つ 電車、電話復旧は遅々
04.18 爆風、火傷、遷延死 原子爆弾の及ぼす傷害調査
久留米医大教授二宮秀夫博士の発表(読売報知)
05.01 原子弾と蘇連作家
05.24 原子爆弾投下は遺憾 戦災地の復興援助せよ
ユニテリアン派年会の席上 決議文で議論百出(ボストン22日)
06.11 法主大谷光照伯を迎へ 広島市無縁仏大供養
市内慈仙寺に平和塔建設計画
06.14 サクラメント通信 兄さんは原子弾で名誉の戦死 広島も岡山も焼野原
07.05 原子弾は平和の為に 原爆試験の日に広島市長談
07.10 広島・長崎両市原爆被害 総数32万人 リロイ博士調査結果を発表(桑港発)
07.11 経費7000万円で 広島復興計画成る
将来の国際平和に寄与する 原子爆弾図書館も新設せん
07.11 ポテト苗10万本 広島市内へ寄付
07.12 広島だより
07.15 日本降伏の直接原因 原子爆撃とソ連の参戦に非ず
東京原爆を恐れた戦争指導者たち 日本爆撃調査団報告書公表
07.20 原子爆弾症は再発せず 東大都築博士の発表
07.22 ミッドウェー敗戦が 日本海軍の致命傷
ソ連に和平交渉を頼んだ秘話明る味へ 日本爆撃調査団報告を公表
07.25 「天皇になりたい」といふ 其の後の大川周明
07.25 原子弾は俺の頭の中にある 誇大妄想的精神異常か
07.25 広島原爆1周年で追悼会開く 3日夜広島県人有志が主催
07.29 各地通信・デンバー 原子弾犠牲者の追悼慰霊祭 8月6日仏教会で
07.31 10万の原子弾犠牲者へ 広島市で追悼法要
復興祭も兼ねて8月5日より 6日午前8時15分全市黙祷
08.05 けふ広島原爆1周年 全市に1分間黙祷 戦慄から解放され復興へ行進
08.07 1ケ年後の広島市 死の街だが再建への鼓動は感じる
国際通信 H.ビッコウ特派員