「広島・長崎平和巡礼」カテゴリーアーカイブ

世界の中のヒロシマ 平和巡礼団に同行して 1964年

『世界の中のヒロシマ 平和巡礼団に同行して(満井特派員記)』(『中国新聞(連載)』1964.07.10~08.17)

<作業中>

月日 見出し 備考
01 0710 一市民の「力」 胸を圧した使命感 憎しみ越え平和確信
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 02  0711  羽田からハワイ
 03  0712  ハワイ
 04  0713  ロサンゼルス
 05  0714  ロス周辺
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39 0817 慰霊碑の前で 「平和」を国民の手に 碑文の”誓い”を再確認
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年表:広島・長崎平和巡礼 1964年

広島・長崎平和巡礼 1964年

事項
04 24 19630424 レナ・エッケルト(シュバイツァー博土のひとり娘)広島を訪問。「広島は全世界の人間性を象徴する意味をもつ都市です。広島を見てたとえようのない感銘を受けました。広島こそ巡礼地にいる気持ちをいだかせるところです。非人間性は破壊されねぱ
10 08 19631008 広島・長埼世界平和巡礼実行委員会開く。委員長原田東岷、副委員長バーバラ・レイノルズ決まる。
1964年
01 08 広島・長崎世界平和巡礼実行委員会(原田東岷委員長)、4月の世界平和巡礼第2陣のメンバーを決定。志水清広大原医研教授ら4人。???
01 17 広島・長崎世界平和巡礼団の広島関係メンバー決まる。志水清(広島大学教授)ら15人。
03 28? 世界平和巡礼が携行する英文『原爆被害の実相』完成。
04 11 広島市キリスト教連合婦人会と日本基督教婦人矯風会広島支部員ら20人、平和巡礼資金の街頭募金を広島市内で実施。-12日。
04 16 第2回広島・長崎世界平和巡礼団、広島を出発。(21日羽出発)。広島市・平和記念館で結団壮行式。松本卓夫団長、団員:バーバラ・レイノルズ、松原美代子、小佐々久仁子、庄野直美、副島まち、森下弘、阿部静子、高原弘子、吉田チエ、河本時恵、満井晟(中国新聞記者)ら40人。2カ月をかけ、欧米・ソ連などを回る予定。
04 20 平和巡礼団庄野直美(広昆女学院大学教授)の米国入国査証交付が保留。
04 29 米、平和巡礼団庄野直美に入国査証発行。
05 05 平和巡礼団が米ミズリー州インデペンデン市で、トルーマン元米大統領と会見。「広島、長崎両市の代表に会えてうれしい。二度と悲劇の起きないことを心から望む。あのときは原爆投下の決定をくださざるをえなかった。
05 28 平和巡礼団、米上下両院合同原子力委員会で訴える。「いかなる理由があろうとも原水爆の使用は許せない。原子力は人類の繁栄のために使ってほしい」
06 11 広島・長崎世界平和巡礼団、国連ウ・タント事務総長に,国連が原爆被災者の実態を調査し,その結果を世界に知らせるよう要望.
06 11 平和巡礼団、ウ・タント国連事務総長と会見。国連放射能科学研究所が原爆の影響を研究するよう要望。
06 26 広島・長崎世界平和巡礼団、モスクワに到着。
07 04 広島・長崎世界平和巡礼団帰国。ナホトカから横浜ヘ。米、ソ、ヨーロッパなど8カ国150都市訪問。松本卓夫団長「広島・長崎の名はよく知られているが、後遺症などの実態はほとんどわかっていない。被爆者の生の声は〃生き証人〃として大きな感動を与えた」
07 05 広島・長崎世界平和巡礼団、広島に帰る。6日、広島平和記念館で帰国報告会。
07 06 平和巡礼団の広島市民への帰国報告集会。
07 33 談和会、7月例会.庄野直美,平和巡礼の報告をおこない,原爆被害者の調査を国際的規模で実施することの重要性を提案.
1965年
05 04 世界平和巡礼団(広島・長崎の被爆者グループ)、「米はベトナムから撤退せよ」とジョンソン大統領へ抗議文送る。
05 17 広島・長崎平和研究会(1964年春、欧米各国を回った平和巡礼団関係者で組織、庄野直美幹事長)、周恩来中国首相に核実験反対の抗議文送る。
07 19 広島・長崎世界平和巡礼団、ジョンソン米大統領へ送ったベトナム戦争にかんするの要望書への返書を受け取る。「核兵器の使用は現段階では軍事的必要がない」