「09月忌」カテゴリーアーカイブ

資料年表:小河原正己

資料年表:小河原正己<作業中

年月日 事項 備考
1940
**** 山梨県生まれ。
2006 平成18
0101 宇吹宛賀状
2007 平成19
0101 宇吹宛賀状
2008 平成20
0101 宇吹宛賀状
2009 平成21
0101 宇吹宛賀状
2011 平成23
0101 宇吹宛賀状
2012 平成24
宇吹宛賀状
2013 平成25
宇吹宛賀状
2014 平成26
0101 宇吹宛賀状
0730 『ヒロシマはどう記録されたか(上)昭和20年8月6日 朝日文庫』(小河原正己、朝日新聞出版)
0730 『ヒロシマはどう記録されたか(下)昭和20年8月6日以後 朝日文庫』(小河原正己、朝日新聞出版)
2015 平成27
宇吹宛賀状
2016 平成28
宇吹宛賀状
2017 平成29
宇吹宛賀状
2018 平成30
宇吹宛賀状
2019 平成31・令和元
宇吹宛賀状
2020 令和2
宇吹宛賀状
2021 令和3
宇吹宛賀状
2022 令和4
宇吹宛賀状<中島光風(小河原正己の師の師)―原爆死>
2023 令和5
12 宇吹宛新年欠礼葉書<9月28日没>

 

資料年表:岩崎昶

資料年表:岩崎昶

年月日 事項 メモ
1903
1118 誕生
1951
1130 『ニッポン日記(下)』(マーク・ゲイン、筑摩書房)
テロにあった岩崎昶 55
1952
1115 『改造 1952.11増刊 33巻17号』(改造社)
奪われたスペクタクル 岩崎昶 96
1201 『平和 第7号』(青木書店)
これがわれわれの祖国だ
映画また戦争街道をゆく 岩崎昶 40
1955
0401 『世界  第112号』(岩波書店)
〈座談会〉日本映画を検討する-どう作られどう観られているか 井澤淳・岩崎昶・尾崎宏次・佐々木基一 171
以下未入力
1981
0916 没。享年77歳。

 

 

いわさき・あきら 19031118生19810916没 「Effects of the Atomic Bombs」の製作にたずさわる。<資料年表:岩崎昶>。享年77歳。

広島へ…そしてヒロシマへ 私の戦後平和運動史

『広島へ…そしてヒロシマへ 私の戦後平和運動史』(中本たか子著、白石書店、1986/07/25)

内容

1 占領下で…9
 敗戦 9
はじめて婦人参政権を 12
2・1ストと新憲法 13
2 レッド・パージ…14
 世にも不思議なできごと 14
追放の指令 17
朝鮮戦争 19
講話問題 22
3 第5福竜丸の被災…24
 アメリカの水爆実験 24
久保山氏の死から 26
原水爆禁止署名うんどう 27
焼津の人びと 28
久保山すずさん 29
4 広島の暑い夏…31
 広島へ 31
比治山とABCC 32
平和の名が多い街 34
原爆ドーム 36
原爆1号 37
「原爆被災者の会」 39
F・O・R(キリスト者友和会) 42
入院中の被爆者 46
被爆者の生活の窮迫 49
世界大会の前 51
第1回原水爆禁止世界大会 52
分散会 55
原爆基地化反対の訴え 58
5 砂川のたたかい…62
 基地拡張の通告 62
強制測量 64
土地に杭を打たれても 70
不当検束と曉の町議会 71
プライス報告 76
学生たちの支援 77
参議院選挙 78
第2回原水爆禁止世界大会 80
再び強制測量 81
文化人・全学連の支援 82
泊まりこみの学生たち 84
10月5日のこと 86
全国の各基地からの激励と支援 87
合法的なたたかい 88
情勢が緊迫する 90
歴史的な10月13日 94
6 安保闘争日記(抄) 106
 刻一刻と緊張をます 106
国会の暴挙 107
はじめてのゼネ・スト 114
報道機関の変貌 119
羽田事件とハガチーの声明 120
羽田事件の弾圧 130
第2次ゼネ・スト 134
6・15国会周辺の暴力 139
アイゼンハワー来日拒否 143
「新条約は無効である」 149
第3次ゼネ・スト 150
7 新島のいんじいうんばあ…154
 ミサイル試射場の問題 154
山路で 156
オルグ団と暴力団 160
この暴虐 166
8 銀杏ちる東大構内…171
 東大の民主化闘争 171
9 被爆者はいま…178
 再び広島へ 178
山下会 181
「ぼく生きたかった」の母 183
小頭症の問題 187
原爆資料館とその付近 188
世界大会の分散会 189
被爆者が指導者になる 196
あとがき 199

資料年表:中本たか子

資料年表:中本たか子

年月日 事項 備考
1903
1119 誕生。
1954
0901 『中央公論 9月号 第792号』(中央公論社)
 中本たか子「壁にかかる書像 」243
1101 『婦人公論 11月号第451号』(中央公論社)
中本たか子 「夫への公開状-理想と現実のジレンマ-」 182
1967
1001 『文化評論 1967-No.72』(日本共産党中央委員会)
随想 人民の理性の勝利 中本たか子 86
1968
1201 『民主文学 第37号通巻87号』(新日本出版社)
広津和郎追悼特集
尽きない感謝をもって 中本たか子…99
1969
1101 『民主文学 第48号通巻第98号』(新日本出版社)
誓いの塔は見ている-新島・そのご- 中本たか子…152
1974
1115 『未来にかけるたたかい ドキュメント昭和五十年史 6』(佐藤静夫編、汐文社)
ミサイル反対の新島闘争 中本たか子 87
1976
0815 『抵抗の群集』( 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟編、白石書店)
この非情なる風土 中本たか子 47
1983
0801 『日本の原爆文学 10 短編Ⅰ』(美川きよ [ほか]、ほるぷ出版)
中本たか子「死の鞭と光」152
1986
0725 『広島へ…そしてヒロシマへ 私の戦後平和運動史』(中本たか子著、白石書店)
1988
0801 『とべ千羽鶴』(中本たか子著、青磁社)
1991
0928
1993
0806 『跛行 篠垤潔原爆小説集』(篠垤潔、青磁社)
<評価> 中本たか子の「原爆文学」 167
<書評> 中本たか子「とべ・千羽鶴」 181

 

 

28 1991 中本 たか子 なかもと・ たかこ 87 小説家。1927年上京、『女人芸術』誌に参加。1941年蔵原惟人と結婚。<資料年表:中本 たか子>

広島TODAY

『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版、1983/08/06)

内容

見出し
はじめに 3
1  原爆投下直後 11
スイス政府を通じて抗議 アメリカ政府の返答 隠蔽政策の伝統 人生の岐路に立っていた 戦果を見にきた人びと
2 受難の広島レポート 20
二つの現場報告 核実験場に汚染はなかった? 広島からの帰路 なぜ事実を隠すのか カメラ盗難・日本追放の仕打
3 広島への道
降伏調印式に背を向けて 従軍特派員として 太平洋を「分割」して取材 特攻隊、悲惨 沖縄で知った原爆投下 同盟通信の協力を得る 準備は整った
4 広島--一九四五年九月三日 42
たった一人列車に乗る まわりは軍人だらけ 口に出せないヒロシマ 留置場で中村さんと会う 爆心地でタイプをたたく 広島レポート 削られた現場描写 私が書けなかったこと 勝部先生の忠告と訴え
5 妨害工作 57
なぜ現場をみるのか アメリカ記者団の目的 立入り禁止となった東京 ヘンリー・キーズの活躍 ウェラー記者、長崎に入る 犯罪的なプレスコード
6 日本人がみた広島 67
裏切られた希望  ”私だったら国を訴える” 想像を越える天皇の威信 東条英樹の運命 天皇崇拝とポツダム会談
7 二十六年後の広島 77
フリート街に別れを告げて ストックホルムアピールの頃 路上で、工場の門前で 人それぞれの感動 勝部先生との再開 中国新聞記者の述懐 ABCCと被爆者
8 ヒバクシャ 90
聴衆のさめた反応 被爆二世との出会い ”早くよくなって下さい” 被爆者の苦悩と不安 原爆病院で重藤先生にきく 岩国の畠中さんの話 勝部先生からの手紙
9 生存者の抵抗 106
不安定な生活基盤 このままでは救われない 裁かれざる犯罪 立ち上がる被爆者 一人ひとりの原爆
10 原爆製造のドラマ 116
ポツダム会談と原爆実験 ソ連に対抗するために ”戦争中に生きた目標に” ”権力者を仕事場に入れるな” 亡命した科学者たち ルーズベルトの決断 原爆という名の列車
11 原爆使用への誘惑 130
アルソス・グループ U計画の実態 ヒットラーと原爆 ニールス・ボーアの警告 グルーブズ将軍のあせり 科学者たちの抵抗 進退きわまった日本 ”戦争を終わらしてくれ” 原爆使用の最終決断 ポツダム会談の舞台裏
12 原爆パイロット 152
原爆を落とした側の苦悩 償いの日々 アンデルスのはげまし ノーモア・ヒロシマ 狂っているのは誰か ”手紙のように書きなさい” 原爆投下の朝 イーザリーの脱走 人間的感情への連帯 精神異常のレッテル 殺し屋ルメイの下で
13 広島と冷戦 179
トルーマンとレーガン 外交の”切り札”として スチムソンの憂慮 チャーチルの対ソ認識 ギリシャで見たこと
14  自殺するアメリカ 193
冷戦下のベルリンで 対ソ原爆使用の誘惑 ある政治的冒険家 一触即発のベルリン ”撃って撃って撃ちまくる” 挫折した軍事的冒険 危機の舞台は朝鮮に 一九八三年四月八日の記事 神聖な目的のための犠牲 モルモットにされた兵士たち 原爆放射に耐える実験 自殺するアメリカ
訳者あとがき 220

 

資料年表:バーチェット

資料年表:ウィルフレッド・バーチェット<作業中

年月日 事項 備考
1911
0916 誕生。
1945
0905 デイリー・エクスプレス紙(英紙)19450905
「30日目の広島、逃げた者、死に始める 原爆の疫病の被爆者たち ”私はこれを、世界への警告として書く”」<出典:『広島県史 原爆資料編』19720331>
1971
0801 『長崎の証言1971』(「長崎の証言」刊行委員会)
「ベトナムへノーモア!」-二十六年ぶりの広島にて W・バーチェット 220
1972
0530 『広島・板門店・ハノイ バーチェット自伝』(ウィルフレッド・バーチェット、河出書房新社)
1976
0101 『世界大百科年鑑 1976』(平凡社)
(インドシナの年)1975-W.バーチェット/訳・武藤一羊 126
1983
0806 『広島TODAY』(W・バーチェット著、成田良雄訳、連合出版)
0927 死亡。
1985
0621 『被爆者援護法に関する第二次報告書』(日本弁護士連合会)
第二 日米両国政府の被爆者に対する措置 45
三 米国は、被爆者に対する救援の必要性を認識していた 52
1 バーチェットの救援要請 52
2 マルセル・ジュノーの救援要請 52
0826 『花の幻 続・平和を作る人たち』(安藝基雄著、みすず書房)
第1部
11 ヒロシマ・ノート 2141.市長の死 216
5.ジュノーとバーチェットの対応 253
1995
1005 『米軍占領下の原爆調査 原爆加害国になった日本』(笹本征男著、新幹社)
第6章 原爆報道とプレス・コード 218
第1節 バーチェットの疑問 218
第11節 バーチェットの疑問への答え 253
1997
0520 『ユネスコ世界遺産 原爆ドーム 21世紀への証人』(中国新聞社)
第1章 ドーム保存と世界遺産決定までの歩み
世界遺産に登録決定 63
(この人からの一言)
ウィルフレッド・バーチェット 51
2007
0715 『世界を不幸にする原爆カード ヒロシマ・ナガサキが歴史を変えた』(金子敦郎著、明石書店)
第7章 カバーラップ 191
「被害」報道で批判浮上 「放射能被害はない」 バーチェット記者の特ダネ
2014
0806 『原子力と核の時代史』(和田長久著、七つ森書館)
ChapterⅠ 核分裂の発見から、ヒロシマ、ナガサキの悲劇[1898-1945年]
section2 広島、長崎への原爆投下 11
4 ウィルフレッド・バーチェット記者、ヒロシマを世界に報道 15
2015
0806 『”ヒロシマ・ナガサキ”被爆神話を解体する 隠蔽されてきた日米共犯関係の原点』(柴田優呼著、作品社)
第2章 アメリカが被爆体験の語られかたを創始する
―沈黙させられる被爆者
2.右往左往する海外メディア報道 79
バーチェットの「すっぱ抜き」
2016
0310 『核の戦後史 Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗・高橋博子著、創元社)
第2部 核体制と戦後日本 Q&A…139
講義篇 機密解除文書から原発と核兵器推進体制の闇に迫る 140
②アメリカは、なぜ原爆による残留放射能の存在を認めなかったのですか?
/バーチェットのスクープ 159
0802 『世界の著名人が伝えていたヒロシマからの言葉』(佐藤美由紀著、双葉社)
第2章 叫ばれる存在意義-1970年代から1980年代- 51
ジャーナリスト ウィルフレッド・バーチェット 52
2021
1130 『原爆 捨てられない記憶と記録』(佐々木猛也著、日本評論社)
第一四章 占領・・・・・418
バーチェット・深刻な放射線被害の記事
2022 『世界のリーダー185人ヒロシマ、ナガサキで発した「言葉」 オバマ大統領から、ローマ教皇、マリリンモンローまで』(三山秀昭著、南々社)
第8章 5人のジャーナリスト
「ノーモア…」を発した欧米ジャーナリストたち…158
ルサフォード・ボーツ(アメリカ・UP通信記者)
ウィルフレッド・バーチェット(オーストラリア出身、英紙デイリー・エクスプレス記者)

 

27  1983 バーチェット、ウィルフレッド・ 72 ジャーナリスト。広島の被爆のもようを世界に最初に報道。<資料年表:バーチェット>

資料年表:久保山愛吉

資料年表:久保山愛吉<作業中

年月日 事項 備考
1914
0621 誕生
1954
0923
1101 『中央公論 11月号 第794号』(中央公論社)
久保山さんの死
死の床にて 久保山愛吉 180
1955
0215 『未来をつくりだす原子力 青木新書』(林克也著、青木書店)
総論-久保山愛吉氏を悼み、その死に学ぶ
1この声をわれらの声に 13
2久保山氏の三つの遺訓 15
3ABCCを日本の手に 19
4抵抗のみ、人間性を守る 23
5放射能謀略Kは」開始された 27
6地球汚染の責任はアメリカ 31
7結論-ねばり強く禁止運動を 37
8追記-科学化されたトリック 38
0920 『写真でみる戦後日本 10年の歩みを記録する』(朝日新聞社)
『ノー・モア・ヒロシマズ』から『ビキニの・灰』まで………1
―隔離される第五福竜丸―焼津から米軍用機で東京に移送された第五福竜丸の患者たち―酵素吸入中の久保山愛吉さんを看護する肉親たち―マグロの放射覧査―防毒面とビニール服で作業中の俊鶻丸の調査団員―俊鶻丸甲板上で魚の解剖―
1957
0725 『人類の危機と原水爆禁止運動 第3回原水爆禁止世界大会討議資料 第2分冊』(原水爆禁止日本協議会)
Ⅰ 原水爆の被害
(絶筆)死の床にて 久保山愛吉…21
1968
1015 『平和の思想 戦後日本思想大系 4』(鶴見俊輔編、筑摩書房)
II 戦後、平和運動の遺産
絶筆 死の床にて 久保山愛吉 346
1975
0701 『第五福竜丸 1954年3月1日その日から』(第五福竜丸平和協会)
1978
0906 『原水協通信 第421号』(原水爆禁止日本協議会)
久保山愛吉氏追悼のつどい=焼津 7

 

くぼやま・あいきち 19140621生19540923没 享年40歳 第5福龍丸無線長。1954年3月1日にアメリカが南太平洋ビキニ環礁で実施した水爆実験で被曝。