「学校別行事」カテゴリーアーカイブ

修学旅行[2006/10/25(水)~28(土)]

『修学旅行[2006/10/25(水)~28(土)]』(埼玉県立飯能高等学校、0080308)

目次

002 実施要項
003 参加者DATA+旅行委員名簿
004 全体行程(分宿+クラス別)
014 行程
079 班のまとめ
126 PTA広報誌から
128 <寄稿>関千枝子「あの日、言い残したこと」
「修学旅行通信」(No.1~No.164)

 

誓いの炎ー長野県高等学校「学校平和宣言」

『誓いの炎ー長野県高等学校「学校平和宣言」』(長野県高等学校教職員組合平和教育専門委員会、総合編集プロダクション章文館、19850310)

目次

発刊に寄せて
心ここにうち揃ふ 清水正行(長野県高等学校教職員組合執行委員長)
先達として、さらに大きな前進を 金子毅(日本高等学校教職員組合中央執行委員長)
発刊にあたって 長野県高等学校教職員組合平和教育専門委員会
『宣言』に至るまでの歩み
第1章 学校平和宣言-その意義と取り組み
第2章 平和教育の歩みと到達点
1 安保体制と平和教育の始まり
2 全県的な平和教育の展開
3 平和教育の広がり
第3章 今後の展望と課題
各校の『宣言』文と、取り組みの経過
教師の宣言
生徒たちの宣言
「非核平和都市宣言」をした長野県下の市町村
長野県高等学校教職員組合第54回定期大会決議(抜粋)
「学校平和宣言」のとりくみについて(指示)
自衛隊勧誘の実態調査
各界の平和に関する決議

昭和史を学ぶ高校生たち

『昭和史を学ぶ高校生たち』(亀井博編著、平和文化 、19900720)

目次

はじめに
刊行によせて
ヒロシマの心いつまでも-継続は力なり 高橋昭博
広島平和文化センター事業部長
いまヒロシマは-「ヒロシマ研究旅行」によせて 植野浩
ヒロシマ学習証言センター世話人代表
1990年のヒロシマ 澤野重男
安田女子高校教諭
1 ヒロシマ研究旅行
広島の感想/広島に行って感じたこと/広島研究旅行報告/「ヒロシマ」研究旅行を終えて/広島で考えたこと/広島研究旅行を終えて/広島との出会い/ヒロシマは生きている/広島研究旅行と私/広島を訪れて/広島旅行の後/「広島原爆の旅」を終えて/広島から帰って/研究旅行で学んだこと/広島旅行を終えて/「ヒロシマ」を感じて/平和を祈る/広島へ行って
2 父母の戦争体験を聞く
戦争体験を間く/「戦時中の体験」を聞いて/父母の戦時中記/戦争体験を聞く/母の戦争体験を間く
3 戦争加害を考える
横浜事件について/日本の戦争加害者としての側面を考える/戦争と女性/「三光」/「特別高等警察」について/朝鮮人強制連行/天皇制/「悪魔」の残した教訓/第七三一部隊について/国防婦人会にみる女性の戦争協力/「南京大虐殺」にみる日本/「大東亜共栄圏」という言葉による加害について/平頂山事件を知って/「沖縄戦」は人間性を奪った/戦争と女性
4 祖父母・父母、そして私の昭和史
わが家の昭和史/私の昭和史/私の父の昭和史/私の祖父母たちの昭和史/私の父母の昭和史/私の祖母の昭和史/私の昭和史/父の昭和史/私の祖母の昭和史/わが家の昭和史/私の昭和史/私の父の昭和史/祖母の昭和史/私の昭和史
5 社会科特別講座「昭和の歴史」にとりくんで 亀井博
5-1 学校の紹
5-2 なぜ「昭和の歴史」という講座を設けたのか
5-3 「昭和の歴史」講座の内容
5-4 生徒の昭和史についての知識
5-5 なぜ、ヒロシマを選んだのか
5-6 「ヒロシマ研究旅行」の事前学習としての「原爆学習」
5-7 ヒロシマでの学習と活動
5-8 日本(軍)の戦争加害の問題を考える
あとがき
亀井博
法政大学女子高等学校教諭

こだまするうた 第2集

『こだまするうた 第2集 ヒロシマを語りつぐ高校生』(安田女子高校・社会科学研究部編・刊、19810212 )

目次

はじめに 沢野重男(安田社研部顧問)
【詩】41年1月5日(名越操)
【連帯のことば 】「木の葉のように焼かれて」編集委員(名越操・久保美津子)
<グラビア>白島・いま・むかし
第1部 安田学園の被爆体験
*先生の手記
*先生の談話
*さんの手記
*先生の見た「八月六日」
第2部 「屍の街」の被爆体験
わしが「原爆の絵」を描いたわけ (*=東白島町内会長)
親父もおふくろも原爆で死んだ (*=西白島町内会長)
忘れるもんじゃね、苦しみを( **=白島九軒町内会長 )
長寿園は兵隊さんの死体の山 ( **=白島北町内会長 )
広島中が燃えてみんさい (*)
原爆で命ひろうてもその後が苦しかった (*)
戦争は絶対にしてはいけません (*)
くげんを受けるとはああいうもの (*)
第3部 こだまするうた―生徒の声
「平和の尊さ」 (*)
文樹ちゃんは私たちです (*)
思い出(*)
原爆ドーム (*)
私の三年間(*)
在校生の感想文
第4部 資料
安田女子高等学校社会科学研究部の歩み
安田女子高等学校社会科学研究部こだま会発足について
安田女子高等学校社会科学研究部こだま会会則(案)
安田女子高等学校社会科学研究部卒業生(こだま会)・在校生名簿
新聞に報道された社研活動の中から
あとがき
「こだまするうた」第1集目次
<まえがき> 「こだまするうた」ができるまで
<聞きとり調査について>
<聞きがき> 白島の被爆者に聞く
 1 Aさん 若い世代へ
2 Iさん まるで木の葉のように
3 K・Iさん 夫はいまも見つからない
4 T・Iさん 長寿園の黒い雨
5 Oさん これ以上私たちのような被爆者をつくらないで
6 Kさん 平和な生活がいちばん
7 S・Tさん 夫をさがしもとめた日々
8 Tさん 灰色の世界
9 Fさん 一日も早く援護法を
10 Hさん 今も原爆症の不安
11 Yさん 碑文の心のように
12 A・Yさん 家内は布団ごと飛ばされた
<こだま―1976年のクラブ活動と社研部員の声>
<あとがきにかえて> 社研顧問のまとめ

空白の学籍簿

『空白の学籍簿 1979』(翠町中生徒会報告書編集委員会編、広島市立翠町中学校生徒会、19800110)

目次

章節
はじめに
「生徒会執行委員長」
「学校長」
1 学校の歴史から学ぶ
1-1 軍都広島の歩みとともに
1-2 祖先の人たちの生活
1-3 第三高等小学校の誕生
1-4 8月6日前後のようす
1-5 満蒙開拓青少年義勇軍
2 慰霊塔と構内慰霊祭
2-1 第三国民学校慰霊塔
2-2 構内慰霊祭
3 第三国民学校の被爆実態を明らかにする運動
3-1 運動の起り
3-2 昭和53年度の運動経過
3-3 昭和54年度の運動経過
4 被爆の実態
4-1 被爆当日の状況
4-2 生存者の証言
4-3 生存同期生の座談会
4-4 遺族の証言
4-5 市立第二高等女学校について
4-6 韓国人生徒の犠牲について
5 生徒の感想
5-1 昭和52年度生徒会長
5-2 本年度生の感想
第三国民学校被爆死生徒名簿
第三国民学校被爆死職員名簿
広島市立第二高等女学校被爆死生徒名簿
広島市立第二高等女学校被爆死職員名簿
おわりに 竹内***(第三国民学校の被爆実態を明らかにする運動推進委員会委員長)
報告書編集委員 生徒(4名氏名)
職員:坪井直・空辰男・切明春子・砂小田秀春・松島圭次郎・松井久治

 

 

 

白島小学校

広島市立白島小学校

資料

資料名 年月日
『白島 創立70周年記念誌 1972』 19721201
『2001年の学校は[白島小学校100周年のころ] 広島市立白島小学校創立70周年記念誌追加号』 1972
『てんま 創立100周年記念誌 1973』(広島市立天満小学校) 19740501

安田女子高等学校

安田女子高等学校 (資料所蔵:ピカ研分)

資料名 年月日 備考
文化祭[プログラム] 19761102-03
『文化祭テーマ 白島わがまち』(制作:安田女子高等学校社研部) 19781102-03
「ようこそ 社研部へ」(社会科学研究部) 19781102-03