「2008年」カテゴリーアーカイブ

なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか

『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』(Chim↑Pom, 阿部謙一編、人島プロダクション、河出書房新社(発売)、20090325)

内容<作業中

見出し・内容 備考
誰かが広島の空を「ピカッ」とさせたらしい<2008年10月21日>
Chim↑Pomプロフィール
ブログ「”ピカッ”広島上空にナゾの巨大落書き!!」「解決!!巨大『ピカッ』の正体」
はじめに 16
資料「ヒロシマの空をピカッとさせる」にまつわる経緯 18
01 ピカッとさせた。大騒ぎになった。そして、謝った 25
小崎哲哉 Chim↑Pom展中止の顛末 26
会田誠 精読・2ちゃん某スレッド改めChim↑Pomの「ピカッ」 3
02 爆心地から、「ピカッ」騒動を検証する-なされた行為とまだ見ぬ作品と 41
椹木野衣 かつてエノラ・ゲイから見えた「空」-Chim↑Pomの「ピカッ」と、回帰する原爆投下者たちの窓 42
東琢磨 「ピカッ」という<出来事>-不快に感じたのは「ヒロシマ」の誰なのか 60
宇川直宏 「ピカッ」の深奥に見えた風景!!!! 73
楠見清 ピカとドン-閃光と爆音 あの雲について、蔡國強との対話から 88
03 ヒロシマ再訪 105
 矢野美耶古、吉岡幸雄 核兵器は地球まで滅ぼす兵器なのだから、廃絶以外にない 107
坪井直 武器を持つような人間が、どうして平和を考えられるだろうか 123
04 表現されたきた戦争と新しい戦争美術 145
 福住廉 軽やかに、無邪気に、そして一気に-新たな「原爆美術」に向けて 146
渡辺真也 ラッキードラゴンの視点から-近代の産物としての美術と原爆、そして表現者としてのChim↑Pom 156
05 社会と表現、自由と公共性を巡って 167
 長谷川祐子 荒野のピクニック-Chim↑Pomのプロポーザル 168
松下学 戦時中!-「ピカッ」を巡るふたつの公共性の衝突 176
イーデン・コーキル 英語で記事を書こうとしたときの違和感 185
06 それは芸術なのか、芸術なら許されるのか 191
 光田由里 Chim↑Pomの確信度とコミュニケーション過程の自立-ハンス・ベルメールと宮川淳のアシストによる 192
田中功起 後出しジャンケンをするつもりなら、俺はさきに手を見せる 204
07 特別寄稿…政治と美術の関わり、思想と実践の挟間 213
 針生一郎 戦争画と原爆美術 214
インゴ・ギュンター 魔法使いの弟子-悪魔の代弁者のパースペクティヴ 218
08 インタビュー/特別座談会…Chim↑Pomが聞く 227
 高橋賢 みんな同じ意見だと祭りになるし、それが楽しい 228
道面雅量 不謹慎と言われても、作りつづけてほしい 234
針生一郎×柳幸典×会田誠×卯城竜太 「ピカッ」は誰に向けた表現だったのか 240
09 Chim↑Pomリーダー自ら、「ピカッ」騒動を振り返る 257
 卯城竜太 Chim↑Pomのピカッ騒動記 258
10 広島市現代美術館とヒロシマ 281
 暮沢剛巳 ヒロシマの心-広島市現代美術館の戦争と平和に関する展示の変遷 282
Comment on PIKA!
 中沢啓治 40 いとうせいこう 104 山下裕二 166 ガブリエル・リッター 212
あとがき 290
執筆者紹介 293
謝辞 295

 

 

広島女学院大学の世界遺産学

『広島女学院大学の世界遺産学-』(広島女学院大学生活科学部生活デザイン・情報学科、広島女学院大学総合研究所、20080228)

目次

著者 タイトル 備考
宇吹暁・末永航 はじめに
宇吹暁 世界遺産条約と世界遺産をめぐる動向
田頭紀和 日本の誇る自然の美-日本の自然遺産とそのあり方-
堀田佳克 建築構造からみた世界文化遺産-工人の知恵と工夫の結集-
末永航 ヨーロッパの世界遺産と世界遺産の未来

 

ヒロシマの記録(西本雅実)

ヒロシマの記録(西本雅実・中国新聞記者)

(抄)

見出し1 見出し2 備考(掲載日など)
001 ヒロシマガールズ
017 ドームの街 猿楽町
031 体験記53年後の訴え
041 ヒロシマの記録―遺影は語る
053 ヒロシマの記録―平和都市法50年
058 ヒロシマの記録―遺影は語る
132 写真家・林重男
135 ヒロシマの記録
平和記念式典の歩み
136 ヒロシマ打電第1号 レスリー・ナカシマの軌跡
144 ヒロシマの記録
平和大通り
被災写真をみる
147 原爆被災写真 1945~2003年
156 ヒロシマの記録―原爆・平和写真データベース化  20040322
資料館と本社共同 参加や式典2802枚 1次分を保存
157 松重美人さんが撮影 45.8.6全5カット 貴重な「記憶」次代へ
158 広島平和ミッション 歴史を見つめて 中国編
167 広島平和ミッション 過去、今、未来 韓国編
174 ヒロシマの記録
 182  ヒロシマの記録 原爆被災写真  20050802
被爆の惨状 鮮明267枚 被災撮影者の会台帳の原本 中国新聞社に保存
183 被爆直後の市民 惨禍伝える「証言者」
原子雲 市内外から9カット
193 被爆者運動50年
206 ヒロシマの記録
224 被爆1カ付き 廃墟の映像が現存
226 原爆写真を追う 1945―2007年
 230  原爆写真を追う 1945―2007年⑤  20070814
御幸橋の惨状
231 ヒロシマの記録―原爆写真の撮影者たち  20070814
   原爆写真57人が2571枚 1945年8月6日―年末に撮影 資料館、1819枚保存 全体像が判明
232~233 広島原爆の写真撮影者(1945年8月6日~12月末)
234 広島県女一年六組 1945-2008年
243 ヒロシマの記録

ヒロシマ基礎講座(第1回):ヒロシマはどう伝えうるか

ヒロシマはどう伝えうるか 原爆・平和報道の過去・現在・未来

日本ジャーナリスト会議広島支部(JCJ広島)主催「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座」(2008年7月12日(土) 広島市まちづくり市民交流プラザ)

Ⅰ ヒロシマ教育の現場から
1987.7.11 広島平和文化センター主催留学生平和セミナー(第1回)
「被爆の社会的影響について」<1987.10.2 国連軍縮フェローシップへの講演>私もかかわる。90年頃からいつも平和文化センター理事長と私が攻撃対象。
1990年度~ 広島大学平和科目「戦争と平和に関する総合的考察」
1991年度受講生(日本人・女)  資料)1992年度受講生(中国人)
199011 アメリカの大学での講演=石原慎太郎の南京虐殺否定発言、フセインとヒロヒトの同一視
20030801 14万羽の折り鶴焼失>関西学院大学学生との合同授業 2004年~。
*県外学生のヒロシマに関する知識の欠如=県外での平和教育の衰退
2005年~ 広島女学院大学前期科目「ヒロシマ」。
*女学院学生の被爆3世の自覚の欠如=家庭の継承機能の衰
他の教育現場の状況
ピース・ボランティア(1999年~)、 ピースクラブ、ピースフォーラム
「広島・長崎講座」(2002年~)=平和教育の対象が高校生から大学生へ。
2007年 明治大学軍縮平和研究所など主催「被爆者の声をうけつぐ映画祭」
広島大学の平和教育=広島を中心に据えなかった。2009年度から必須科目で原爆資料館・大和ミュージアム・旧海軍兵学校教育参考館(江田島)・大久野島毒ガス資料館・ホロコースト記念館。
笠井綾(表現アーツセラピスト)「日曜エッセー 被爆継承 言葉を超え六感で」(中国新聞 2008年3月16日)
退
Ⅱ 原爆医療・医学分野での進展
原爆傷害調査委員会(ABCC)->1975年4月1日 放射線影響研究所
2008年6月、被爆者の死因を追跡する寿命調査(LSS)などを少なくとも今後25年継続するとの計画
*広島県に居住する被爆者数(広島大学広報委員会『学内通信』No.242)
昭和55(1980)年 17万9000人->昭和80(2005年)年 8万2000人(推定)
*IPPNW=核戦争防止国際医師会議。1980年に発足。1985年にノーベル平和賞を受賞
*湯崎(84.6.11)、内田(91.3.5)、志水(91.7.26)、秦(92.4.17)死亡。
<19910726宇吹メモ>ヒロシマの枠組みは存在するものの、その良質の精神(たとえば志水清や藤居平一に体現されていた)は、次第に失われている。現在の「被爆体験の継承」というスタイルで本当の継承ができるのか。必要なのは、「継承」というより「構築」ではないか。・・・
*原爆訴訟との関連
「被爆者運動」の担い手が、遺族から動員学徒に移行
戦前の軍国主義と戦後の初々しい民主主義の体験者
伊東壮=旧制県立広島一中3年の時に被爆。山梨大学学長(1992-98年)のほか、日本原水爆被害者団体協議会代表委員(1981-2000年)などを歴任した。
平山郁夫=旧制広島修道中学(3年在学中、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で被災。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点となる。『広島生変図』(1979)(広島県立美術館蔵)
原水爆禁止運動への偏見
弓削達(「歴史的現在をどう生きるか」岩波ブックレットNO.276、1992年11月)
「厭戦的な平和運動」・「被害者意識的な厭戦平和主義」
歴史化の進展事例
原爆資料館への学芸員の配置  広島市 1995年~、長崎市 2009年予定
1996年 原爆ドームの世界遺産化
広島平和記念資料館 重要文化財、広島平和記念公園 国名勝 2007年2月
長崎の平和公園 登録記念物 2008年5月?
2008年3月29日 NHKテレビ『探検ロマン世界遺産SP』
「記憶の遺産」=人類が忘れてはならない記憶の場所
2008年6月 島根県雲南市三刀屋町の市永井隆記念館敷地内に如己堂
Ⅲ 戦艦大和ブームとヒロシマ
Ⅳ 最近の原爆報道
空白の10年=県被団協の結成、12年=医療法、1970年代後半=国政課題としての被爆者問題
空白の3年=48 08 ? 夏、丸木位里・赤松俊子、「原爆の図」の製作に着手。
丸木俊『女絵かきの誕生-原爆を描いた愛の自叙伝』(朝日新聞社、1977年)
ヒロシマの誇り原爆ドーム、久間防衛大臣の発言、岡本太郎『明日の神話』、一本の鉛筆
2011年度から完全実施される小学校社会科の新学生指導要領の解説書
福田首相のオリンピック開会式参加と長崎平和式典参列。
資料4)最近の原爆報道より
朝日新聞連載 「聞きたかったこと 被爆から63年」2008年4月2日~
2008年5月31日 第8回東京空襲犠牲者遺族会総会。2000年に結成。2006年に訴訟を提起。
2008年6月22日 「殉国之塔」(旧呉海軍工廠への空襲で死亡した女子挺身隊らを祀る)の移設と慰霊祭
2008年7月9日 広島市原爆供養塔の納骨名簿(823体分)の公開
Ⅴ 未来へ
*あふれる原爆情報のガイド役=原爆情報リテラシー
1988年9 月2日 中国地区デ-タベース推進協議会・標準化部会。中国電力本社。
*被爆体験継承のためのFD(Faculty Development)
浅井基文<広島に聞く・広島を聞く>広島平和研究所ニューズレター 2006年3月号~
舟橋喜恵、平岡敬、坪井直、李実根、鎌田七男、中沢啓治、金子一士(森滝健一郎、浅井

 

1987.7.11広島平和文化センター主催留学生平和セミナー(第1回)

「被爆の社会的影響について」<1987.10.2 国連軍縮フェローシップへの講演>

私もかかわる。90年頃からいつも平和文化センター理事長と私が攻撃対象。

1990年度~「戦争と平和に関する総合的考察」

1991年度受講生(日本人・女)  資料)1992年度受講生(中国人)

1990年年11月、アメリカの大学での講演=石原慎太郎の南京虐殺否定発言、フセインとヒロヒトの同一視

<2003年8月1日14万羽の折り鶴焼失>関西学院大学学生との合同授業 2004年~。

*県外学生のヒロシマに関する知識の欠如=県外での平和教育の衰退

広島女学院大学前期科目「ヒロシマ」 2005年~。

*女学院学生の被爆3世の自覚の欠如=家庭の継承機能の衰退

資料1=実践例

他の教育現場の状況

ピース・ボランティア(1999年~)、 ピースクラブ、ピースフォーラム

「広島・長崎講座」(2002年~)=平和教育の対象が高校生から大学生へ。

2007年 明治大学軍縮平和研究所など主催「被爆者の声をうけつぐ映画祭」

広島大学の平和教育=広島を中心に据えなかった。2009年度から必須科目で原爆資料館・大和ミュージアム・旧海軍兵学校教育参考館(江田島)・大久野島毒ガス資料館・ホロコースト記念館。

笠井綾(表現アーツセラピスト)「日曜エッセー 被爆継承 言葉を超え六感で」(中国新聞 2008年3月16日)

Ⅱ 歴史化するヒロシマ

原爆医療・医学分野での進展

原爆傷害調査委員会(ABCC)->1975年4月1日 放射線影響研究所

2008年6月、被爆者の死因を追跡する寿命調査(LSS)などを少なくとも今後25年継続するとの計画

*広島県に居住する被爆者数(広島大学広報委員会『学内通信』No.242)

昭和55(1980)年 17万9000人->昭和80(2005年)年 8万2000人(推定)

*IPPNW=核戦争防止国際医師会議。1980年に発足。1985年にノーベル平和賞を受賞

*湯崎(84.6.11)、内田(91.3.5)、志水(91.7.26)、秦野(92.4.17)死亡。

91.7.26・・・ヒロシマの枠組みは存在するものの、その良質の精神(たとえば志水清や藤居平一に体現されていた)は、次第に失われている。現在の「被爆体験の継承」というスタイルで本当の継承ができるのか。必要なのは、「継承」というより「構築」ではないか。・・・

*原爆訴訟との関連

「被爆者運動」の担い手が、遺族から動員学徒に移行

戦前の軍国主義と戦後の初々しい民主主義の体験者

伊東壮=旧制県立広島一中3年の時に被爆。山梨大学学長(1992-98年)のほか、日本原水爆被害者団体協議会代表委員(1981-2000年)などを歴任した。

平山郁夫=旧制広島修道中学(3年在学中、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で被災。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点となる。『広島生変図』(1979)(広島県立美術館蔵)

原水爆禁止運動への偏見

古くさいというムード=冷戦終結後顕著。飢餓・貧困・環境問題・民族問題・宗教紛争

弓削達(「歴史的現在をどう生きるか」岩波ブックレットNO.276、1992年11月)

「厭戦的な平和運動」・「被害者意識的な厭戦平和主義」

川島孝郎(石田明、空辰男)、深川宗俊、藤居平一、

長田新、(斉藤)、森戸辰男、今堀誠二、森滝市郎、佐久間澄、大牟田稔、平岡敬、

資料2)今堀誠二著『原水爆時代-現代史の証言(上)(下)』目次

原爆資料館への学芸員の配置  広島市 1995年~、長崎市 2009年予定

1996年 原爆ドームの世界遺産化

広島平和記念資料館 重要文化財、広島平和記念公園 国名勝 2007年2月

長崎の平和公園 登録記念物 2008年5月?

2008年3月29日 NHKテレビ『探検ロマン世界遺産SP』

「記憶の遺産」=人類が忘れてはならない記憶の場所

2008年6月 島根県雲南市三刀屋町の市永井隆記念館敷地内に如己堂

Ⅲ 戦艦大和ブームとヒロシマ

資料3)日本表象文化史(第12回)2008年1月21日資料

朝日新聞の取材に注目

Ⅳ 最近の原爆報道

空白の10年=県被団協の結成、12年=医療法、1970年代後半=国政課題としての被爆者問題

空白の3年=48 08 ? 夏、丸木位里・赤松俊子、「原爆の図」の製作に着手。

丸木俊『女絵かきの誕生-原爆を描いた愛の自叙伝』(朝日新聞社、1977年)

ヒロシマの誇り原爆ドーム、久間防衛大臣の発言、岡本太郎『明日の神話』、一本の鉛筆

2011年度から完全実施される小学校社会科の新学生指導要領の解説書

福田首相のオリンピック開会式参加と長崎平和式典参列。

資料4)最近の原爆報道より

朝日新聞連載 「聞きたかったこと 被爆から63年」2008年4月2日~

2008年5月31日 第8回東京空襲犠牲者遺族会総会。2000年に結成。2006年に訴訟を提起。

2008年6月22日 「殉国之塔」(旧呉海軍工廠への空襲で死亡した女子挺身隊らを祀る)の移設と慰霊祭

2008年7月9日 広島市原爆供養塔の納骨名簿(823体分)の公開

Ⅴ 未来へ

*あふれる原爆情報のガイド役=原爆情報リテラシー

1988年9 月2日 中国地区デ-タベース推進協議会・標準化部会。中国電力本社。

*被爆体験継承のためのFD(Faculty Development)

浅井基文<広島に聞く・広島を聞く>広島平和研究所ニューズレター 2006年3月号~

舟橋喜恵、平岡敬、坪井直、李実根、鎌田七男、中沢啓治、金子一士(森滝健一郎、浅井)

ヒロシマ基礎講座

「ジャーナリストのためのヒロシマ基礎講座」(日本ジャーナリスト会議広島支部(JCJ広島)主催。20080712~)

テーマ 講師 年月日
01 ヒロシマはどう伝えうるか-原爆・平和報道の過去・現在・未来 宇吹暁 20080712
広島女学院大学教授
02 浅井基文
広島市立大学広島平和研究所長
03 伝えることと、記録することのはざまで~原爆小頭症の取材を続ける中で思うこと~ 平尾直政 RCC企画部長
04 広島の思想はなぜ国際政治を動かせないのか、動かすために我々はいかにすべきか 広岩近広 20081025
毎日新聞専門編集委員
05 ブッシュ核戦略の挫折と米新政権の課題 太田昌克 20081122
共同通信記者
06 日本核武装の幻想 そしてナガサキの平和運動 土山秀夫 20090124
核兵器廃絶ナガサキ市民会議代表
07 報道されなかったイラク戦争 ~映像で見るイラク~ 西谷文和 20090328
フリージャーナリスト、「イラクの子どもを救う会」代表
08 ひろしま―呉―イワクニ。トライアングルの視点 小野増平 20090418
広島経済大教授、元中国新聞編集局長
緊急フォーラム:アメリカの核政策~オバマ大統領のプラハ演説が意味するもの 20090425
哲野イサク(広島在住・ウェブジャーナリスト、大島寛(広島修道大教授)、佐渡紀子(広島修道大准教授)
22 詩人と医学者、歴史家が語り合う「ヒロシマからフクシマまでの道」 20110723
アーサー・ビナード、鎌田七男

 

 

 

 

 

広島市平和式典(2008年)における総理大臣挨拶

内 閣 総 理 大 臣 挨 拶

広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に当たり、原子爆弾の犠牲となられた方々の御霊に対し、謹んで哀悼の誠を捧げます。今なお被爆の後遺症に苦しまれている方々に、心からお見舞いを申し上げます。

六十三年前、幾万の尊い命と共に焦土と化した広島は、今や我が国有数の大都市に発展するとともに、国際的にも平和都市として名誉ある地位を占めています。私は、これもひとえに市民の皆様方が、廃墟の中から立ち上がり、街を復興するにとどまらず、被爆地として、平和の尊さを世界中に訴える努力を続けてこられた賜と考えます。

国としても、唯一の被爆国として、広島、長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないと堅く決意し、戦後一貫して国際平和の途を歩んでまいりました。

広島は平和の象徴(シンボル)です。昨年から日本とアジアの青年たちが「広島平和構築人材育成センター」に集い、平和の大切さを実感しながら国際平和協力活動について学ぶ研修を始めています。

平和で安定した国際社会は、我が国の安全と繁栄にとってもかけがえのない財産であり、これを守り育てるためにも、我が国は「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たしていかなくてはなりません。先の北海道洞爺湖サミットのG8首脳宣言では、初めて、現在進行中の核兵器削減を歓迎し、すべての核兵器国に透明な形での核兵器削減を求めました。

そして、本日、ここ広島の地で、改めて我が国が、今後も非核三原則を堅持し、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に向けて、国際社会の先頭に立っていくことをお誓い申し上げます。

また、被爆により苦しんでおられる方々には、保健、医療並びに福祉にわたる総合的な援護策を実施してまいります。本年三月には、原爆症認定の新たな方針を策定し、できる限り多くの方を認定するよう努めています。さらに、六月には、在外被爆者の方々の被爆者健康手帳の取得を容易にするための改正被爆者援護法が成立しました。今後とも、苦しんでおられる方を一人でも多く援護できるよう取り組んでまいります。

結びに当たりまして、犠牲となられた方々の御冥福と、被爆された方々並びに御遺族の皆様の今後の御多幸、そして広島市の一層の発展を心より祈念申し上げ、私のあいさつといたします。

平成20年8月6日
内閣総理大臣 福田康夫

書誌2008

書誌2008

本・パンフレット

書名 著者 発行所 発行年月日
 この世界の片隅に(上)  こうの史代  双葉社 200 80212
赦し 長崎市長本島等伝 横田信行 長崎文献社 20080220
シンポジウム 今日の「核抑止」と日本の進路 2007.12.8報告集 非核の政府を求める会 20080220
グランド・ゼロから 災害都市再創造のケーススタディ ジョアン・オクマン編 鹿島出版会 20080225
草創期の広島ユネスコ運動 短命に終わった運動の足跡をたどる 宇野豪 20080325
戦争と民衆-戦争体験を問い直す 三谷孝編 旬報社 20080410
ウラン兵器なき世界をめざして ICBUWの挑戦 NO DU ヒロシマ・プロジェクト/ICBUW(編) 合同出版 20080415
夕凪の街 桜の国(文庫) こうの史代 双葉社 20080420
韓国原爆被害者苦痛の歴史 広島・長崎の記憶と証言 鄭根埴編 明石書店 20080520
原子爆弾とキリスト教 広島・長崎は「しょうがない」か? 栗林輝夫 日本基督教団出版局 20080525
被爆博覧会 田端展 文芸社 20080715
ぼくの家はここにあった 爆心地~ヒロシマの記録~ 田辺雅章 朝日新聞出版 20080730
断て!暴力 検証 長崎市長射殺事件 長崎新聞社報道部 長崎新聞社 20080801
原爆で死んだ米兵秘史 森 重昭 光文社 20080811
この世界の片隅に(中) こうの史代 双葉社 20080811

雑誌論文

著者 タイトル 雑誌名(発行者) 発行年月日

 

ICBUW広島大会

ICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合=The International Coalition to Ban Uranium Weapon)広島大会 20060803~

出典:『ウラン兵器なき世界をめざして ICBUWの挑戦』(NO DU ヒロシマ・プロジェクト、20080415)

目次

プロローグ
(4)劣化ウラン問題をめぐる動き-第二次世界大戦からイラク戦争まで
開会 ICBUW国際キャンペーンの展開(全体会議/8月3日/広島国際会議場ひまわり)
嘉指信雄:ヒロシマ大会の使命-”核の影”としてのDU問題
秋葉忠利(広島市長):力を合わせて、大きな運動のうねりを創り出しましょう
第1 被害-1/イラク(8月3日/広島国際会議場ひまわり)
第2 被害-2/アメリカ(8月3日/広島国際会議場フェニックス)
第3 科学-1/問題の核心と展望(8月4日/広島国際会議場ひまわり)
(5)広島・長崎原爆の残留放射線による内部被曝の影響 沢田昭二(原水爆禁止日本協議会代表理事)
(6)[コメンテーターからの発言]①市川定夫②小出裕章
第4 被害-3/ヨーロッパ(8月4日/広島国際会議場フェニックス)
第5 キャンペーン-1/アジア太平洋(8月4日/広島国際会議場ひまわり)
(4)「生きているか?正常か?」と問うイラクの母親たち-イラクにおけるDU被害緊急調査 森瀧春子
特別 特別セッション ヒバクシャとの交流 特に”内部ヒバク”をめぐって
(1)わたしの被爆体験 松島圭次郎
(2)原爆症認定集団訴訟の広島地裁判決について 渡辺力人
(3)広島の医師として、イラクの医師から学んだもの 丸屋博
(4)「あの日」の体験 高橋昭博
(6)原爆症認定集団訴訟について 松尾健太郎/田部知江子
(8)[解説]ICRPの「放射線安全基準」の問題性 内藤雅義
第6 キャンペーン-2/禁止条約実現に向けての戦略(8月5日/袋町市民交流プラザ)
第7 科学-2/科学問題をめぐる討議(8月5日/袋町市民交流プラザ)
 (1)討論/[コメンテーターからの発言]①矢ケ崎克馬②松井英介
第8 キャンペーン-3/被害者支援に向けて(8月5日/袋町市民交流プラザ)
閉会 ICBUWヒロシマ・アピール採択
(1)核被害者をこれ以上出さないために-60年間ヒバクシャを診てきて思うこと 肥田舜太郎
(2)未来が引く力は、過去が押す力よりも強い-ヒロシマ大会に参加して思うこと ナスリーン・アジミ(ユニタール広島事務所所長)
(4)ウラン兵器禁止ヒロシマ・アピール