広島県原水協年表(1978年)
月日 |
事項 |
備考 |
0205 |
広島県原水協全県学習会. 広島YMCAホールに65人参加. 講師佐久間澄・吉田嘉清. |
|
|
2. 5
2.10 広島県原水協, クレーター発言に関し, 非核三原則を立法化せよとの日本政府への要求書を発表.
2.11 第 1回広島県高校生平和ゼミナール.
2.20 NGO国際軍縮会議広島県代表4人の歓送会.
3. 1 広島県原水協, ビキニ被災を記念して広島・三原・尾道で核兵器完全禁止を要請する街頭署名を実施.
3.17 広島県春闘共闘会議主催「78国民春闘諸要求実現・被爆者援護法即時制定要求広島県中央総決起集会」. 県庁前に97組合3250人参加.
4. 5 広島市原水協緊急代表者会議.
5.17 国連軍縮特別総会に核兵器完全禁止を要請する広島県代表51人の壮行会.
5.19 広島県高校生平和ゼミナール実行委員会, ノエルベーカー氏への手紙を国連軍縮特別総会参加の佐久間澄広島県原水協事務局長に託す.
7. 1 広島県原水協第25回理事会.
7.13 国民平和大行進広島―長崎コース, 広島市を出発.
7.13 黒い雨・自宅看護原爆被害者の会結成. 会長大田英登.
7.18 広島市原水協1978年総会.
7.18 広島市職労第48回定期大会. 世界大会についての特別決議を採択.
7.21 広島市原水協, 市内で網の目平和行進を実施.
7.22 広島県被団協全県理事会.
7.25 78核兵器完全禁止・被爆者援護世界大会広島実行委員会結成総会. 広島市平和記念館に32団体から57人が参加.
7.30 国民平和大行進, 広島市平和公園に到着.
8. 4 国民平和大行進中央実行委員会・同広島県実行委員会共催「平和行進歓迎文化集会」. 県立体育館で.
8. 5 世界大会階層別・問題別分科会. 市内24会場で.
8. 6 78核兵器完全禁止・被爆者援護世界大会広島大会. 広島県立体育館に8300人参加.
8.12 広島県原水協・平和委員会, 連名でエルズバーグ証言に関し福田首相へ抗議文を送る.
8.31 78核兵器完全禁止・被爆者援護世界大会広島実行委員会解散.
9. 1 広島県原水協常任理事会.
9.10 可部原水協, 世界大会の報告集会を開催. 700人参加.
9.17 広島県被団協第15回定期総会.
10. 5 広島県原水協常任理事会, 核模擬爆弾電文問題で「真相を明らかにせよ」との声明を発表.
10.14 広島県原水協など, 広島市内で有事立法反対を掲げ自動車パレードを実施. 10.14 呉原水協など 6団体, 川上弾薬庫への特殊砲弾搬入について呉防衛施設局へ抗議.
10.20 「有事立法」反対, 安保条約廃棄, 朝鮮の自主的平和統一支持, 核兵器廃絶, 被爆者援護, 国民生活防衛10・21広島県中央統一集会. 県庁前に3000人参加. 10・21統一行動としては 6年ぶり.
11.12 「黒い雨」などによる被爆者組織の連絡協議会結成. |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
1122 |
新日本婦人の会広島県本部, 「アリス・ハーズ夫人平和基金」受賞で集い. |
|
1125 |
-26 第 9回広島県高校生部落問題研究集会・第 2回県高校生平和文化祭典合同集会広島市内の観音高校に県内26校から 300人が参加. |
|
|
|
|
『大田洋子文学碑建立記念誌 1978・9』(岩崎清一郎編、[大田洋子文学碑]建立委員会事務局、19780925)
頁 |
|
|
|
口絵<いしぶみと大田洋子関係> |
|
01 |
お礼 |
建立代表 斎木寿夫・栗原貞子 |
02 |
追憶・大田洋子 ―文学碑建立に際して |
佐多稲子 |
08 |
大田洋子文学碑について |
大原富枝 |
11 |
記録・資料 |
|
11 |
碑文の由来 |
|
12 |
爆風の中の碑 |
四国五郎 |
14 |
大田洋子略年譜 |
|
18 |
記録・資料 |
|
18 |
大田洋子文学碑建立についてのお願い |
安芸文学内 建立委員会事務局 |
20 |
協賛者 |
|
23 |
マスコミ関係のご協力 |
|
25 |
経過報告 |
事務局・岩崎清一郎 |
29 |
除幕式に寄せられた祝電 |
|
30 |
通信のなかから |
|
34 |
募金協賛・御芳名録 |
|
47 |
会計報告 |
|
48 |
楽譜”少女たちは” |
|
|
除幕式<於・中央公園/昭53・7・30> |
|
|
|
|
内容
『原爆と人間の記録』(福島菊次郎、社会評論社、19780831 )
内容
章 |
|
|
|
はじめに |
|
1 |
放射能遺伝障害の恐怖 |
|
2 |
被爆家族 |
|
3 |
中村杉松一家の崩壊 |
|
4 |
広島32年 |
|
5 |
平和都市の原罪 |
|
6 |
原爆に奪われた青春 |
|
7 |
証言 |
|
8 |
40万人の葬列 |
|
9 |
過ちをふたたび |
|
|
広島・ビキニ・東海村 |
水戸巌 |
|
原爆関係年表 |
長岡弘芳 |
|
原爆が破壊したのも―取材ノート― |
福島菊次郎 |
|
|
|
『写真随筆』(土門拳、ダビッド社、19780615)
目次(抄)
頁 |
記事 |
備考 |
|
|
|
203 |
座談会:『ヒロシマ』をめぐって |
|
|
出席者:土門拳、川辺武彦、伊藤知巳、永井嘉一 |
|
|
(フォトアート 195807号) |
|
217 |
広島の娘たち |
|
|
(婦人画報 195808号) |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
『生きているヒロシマ 』(土門拳、築地書館、19780803 )
目次
|
はしがき |
|
|
● はじめてのヒロシマ |
|
01 |
原爆慰霊碑・倶会一処 |
|
02 |
原爆病院の患者たち |
|
03 |
胎児だった少年 梶山健二君の死 |
|
04 |
孤児たちの家―広島市戦災児育成所 |
|
05 |
深い闇の世界で―盲児施設広島明成園 |
|
06 |
13年寝たきりの人 |
|
07 |
被爆者同士の結婚 小谷夫妻の場合 |
|
|
● 憎悪と失意の日日 |
|
08 |
病理学標本 |
|
09 |
わたしの目をかえせ |
|
10 |
大野寮のこどもたち |
|
11 |
百合子ちゃん |
|
12 |
信子ちゃん |
|
13 |
史蹟原爆ドーム・原爆スラム・懐中時計 |
|
|
|
|
|
|
|
|
非凡中の凡 私の土門拳論 |
草柳大蔵 |
|
あとがき |
|
|
|
|
年表:原爆展(1978年)
月 |
日 |
記事 |
|
|
長野県松本市で市民が描いた原爆の絵展. |
02 |
14? |
広島・長崎市、5月の国連軍縮総会中に、合同原爆展を開催することを決定。 |
03 |
06? |
広島市、今年海外4カ国で原爆資料展を計画。 |
03 |
09 |
広島定例市議会で、外国籍遺族への戦没者援護法適用問題で質問。 |
03 |
09 |
広島市長、国連軍縮特別総会会期中に「広島・長崎被爆写真展」を開催すると発表。 |
03 |
14 |
広島・長崎両市、5月の国連での被爆写真展の写真選定作業など開始。 |
03 |
18 |
広島・長崎市関係者、国連での原爆展の下準備のため渡米。 |
03 |
23 |
「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」主催で、「贈って下さい世界に!原爆の記録展」、広島市内で開催。 |
03 |
24? |
国連での、広島・長崎被爆写真展の会期・展示写真など決定。 |
03 |
29 |
国連での合同原爆写真展の開催、正式決定。ただし、広島・長崎市主催は認められず。 |
04 |
01? |
国連での原爆写真展の写真説明から、原爆投下した米国の国名が抹消されたことが判明。 |
04 |
03 |
広島市・長崎市、国連での被爆写真展の展示写真などについて討議。 |
04 |
14 |
国連軍縮総会での広島・長崎合同写真展の細目決定。 |
04 |
22 |
広島平和記念館・広島原爆資料館合同で、第1回特別展「最近寄贈された被爆資料展」を平和記念館で開催。(7月20日まで) |
04 |
25 |
ヘルシンキで開かれる社会主義インターナショナル軍縮会議で、被爆写真展開催。 |
04 |
29 |
「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」、米で原爆記録展を開くため、東京で「被爆の記録を贈るつどい」開催。 |
05 |
09 |
国連での広島・長崎被爆写真展のパネル写真を発送。 |
05 |
16 |
国連での被爆写真展で、国連事務当局が「身体の障害」部門の写真を削除するよう求めたことが判明。 |
05 |
16 |
広島市長室次長ら、国連での写真展準備のため国連にむけ出発。 |
05 |
17 |
国連で展示する被爆写真について、国連広報センターより広島市へ「質問したい」との連絡が入る。 |
05 |
19 |
国連事務当局、ケロイド写真など5枚を写真展から削除するよう要請があったことが判明。 |
05 |
20 |
国連本部ロビーで広島長崎原爆写真展、公開。 |
05 |
22 |
国連での被爆写真展で、国連事務当局が削除を求めていた写真の復活決定。 |
05 |
23 |
国連本部での広島長崎原爆写真展、削除されていたケロイド写真など復活し、正式に開幕。 |
05 |
23 |
国連内で初の「ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」開催。6月23日まで。(「平和の推進」) |
05 |
25 |
国連派遣の代表団主催「原爆フェア」、ニューヨーク市で開催。 |
05 |
25 |
「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」編集の、「広島・長崎-原子爆弾の記録」完成。 |
05 |
27 |
国連での写真展のため渡米していた国際文化会館長ら帰国。展示写真のクレーム問題について報告。 |
05 |
28 |
「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」、ニューヨークで「原爆の記録展」を開催。(6月1日まで) |
05 |
29 |
広島・長崎市長ニューヨーク入りし、被爆写真展など訪問。 |
06 |
02 |
ニューヨーク滞在中の広島・長崎市長、日本政府主催の原爆写真展のためのレセプションに出席。 |
06 |
04? |
国連本部で開催中の被爆写真展、8月頃バンクーバーでの開催が内定。 |
06 |
23 |
国連での被爆写真展、会期終了。 |
06 |
30 |
広島市長、市議会でカナダでの被爆写真展開催が決定したことを報告。 |
07 |
02 |
カナダ・モントリオール文化博覧会開催され、展示中の長崎被爆天使像が反響を呼ぶ。 |
07 |
26 |
広島原爆資料館・平和記念館合同の被爆資料特別展「ヒロシマ動員学徒の遭難」開催。(11月23日まで) |
08 |
01 |
大韓YMCA・韓国教会女性連合会、初の原爆写真展を、ソウル市で開催。-6日。 |
08 |
03 |
「33年目の証言ヒロシマ・ナガサキ原爆写真展」、東京・広島で同時開催。(20日まで)米戦略爆撃調査団による未公開写真展示。 |
08 |
03 |
東京都、10月の軍縮週間にあわせて、都主催の原爆写真展の開催を決定。 |
08 |
06 |
カナダ・バンクーバーで、広島・長崎被爆写真展開催。(27日まで) |
08 |
06 |
被爆未公開写真の展示会、長崎国際文化会館で開催。(15日まで) |
08 |
10 |
「第2回読売新聞連載<戦争展>」、大阪で開催。 |
08 |
19 |
原爆投下直後のキノコ雲を写したカメラ、広島原爆資料館に寄贈される。 |
09 |
24 |
「子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会」東京で、原爆記録写真展開く。 |
10 |
24 |
東京都主催「原爆記録展」、東京都庁で開催。(30日まで) |
10 |
24 |
広島市主催「広島・長崎原爆写真・パネル展」、広島市内で開催。 |
10 |
25 |
長崎県平和委員会主催、長崎市で「原爆の記録展」(27日まで) |
10 |
30 |
東京都主催「原爆記録展」、閉幕。 |
11 |
09 |
「読売新聞連載<戦争>写真展」、庄原市で開催。 |
11 |
12 |
「読売新聞連載<戦争>写真展」、三次市で開催。(13日まで) |
11 |
13 |
「原爆記録展」、東京多摩地区で開催。(14日まで) |
11 |
24 |
朝日新聞社、原子爆弾の記録展を長野市の長野東急デパートで開催(~29日). |
12 |
21 |
長野県被団協など、原爆の記録展を松本市の信濃ギャラリーで開催(~25日). |
広島県戦災史(口絵)<抄>
頁 |
表題 |
撮影者・所蔵者・提供者・出典 |
|
|
|
004 |
市民の描いた原爆―救援活動 |
|
007 |
広島市戦災地図 |
国立国会図書館憲政資料室蔵戦争被害調査資料 |
032 |
きのこ雲 |
(撮影者)1~3松重三男、4山田精三、5・6木村権一、7~10深田敏夫、13未詳、14石井治三(広島平和記念資料館蔵)、15尾木正己、16鴉田藤太郎、(11,12,14をのぞきいずれも広島原爆被災撮影者の会提供) |
036 |
広島市千田町御幸橋西詰 |
松重美人撮影(広島原爆被災撮影者の会提供) |
037 |
御幸橋西詰 |
松重美人撮影(広島原爆被災撮影者の会提供) |
037 |
負傷者を乗せて安佐郡古市町を走る救援トラック |
松重三男撮影(広島原爆被災撮影者の会提供) |
|
|
|
|
|
|
『広島・長崎 原子爆弾の記録』(子どもたちに世界に!被爆の記録を贈る会編・刊、19780505)
目次
|
見出し |
|
|
はじめに |
|
01 |
そのとき |
|
02 |
生と死と |
|
03 |
原子野にはいる(絵) |
|
04 |
私はそこに(絵) |
|
05 |
病院も薬もなく |
|
06 |
母と子と父と |
|
07 |
荼毘(だび) |
|
08 |
街は死んだ |
|
09 |
閃光―放射能・熱線 |
|
10 |
救護所ができて |
|
11 |
人体傷害 |
|
12 |
生きる |
|
13 |
被爆者 |
|
14 |
碑 |
|
15 |
第5福竜丸-水爆実験による被災 |
|
|
広島市長・長崎市長メッセージ |
|
|
この本の自己紹介 |
|
|
会のよびかけ |
|
|
この本を出版した人びと |
|
|
あとがき |
|
国連軍縮特別総会(1978)
(日本平和学会『平和研究 第4号』19790620)
加藤俊作 |
国連軍縮特別総会の経緯と展望 |
|
<資料>国連軍縮特別総会における最終文書(外務省情報文化局提供仮訳) |
蔵田雅彦 |
<資料>NGOの日における六つの平和研究所の演説全文 |
|
国際情報センター(米国) |
|
世界経済国際関係研究所(市冷えと連邦科学アカデミー) |
|
ウィーン国際平和研究所 |
|
国際平和研究学会(IPRA) |
|
スタンレー財団 |
|
ストックホルム国際平和研究所 |
佐藤栄一 |
<報告>国際平和探求へのたゆみなき実践―ストックホルム国際平和研究所 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
広島市公文書館紀要記事目録(抄)
号(年月日) |
著者 |
タイトル |
|
|
所蔵:U=宇吹 |
1(19780331) |
今堀誠二 |
中国の原爆観の推移とヒロシマ 1975~1955 |
U |
|
渡辺則文・ 堤正信 |
市町村史の編纂と歴史地理学の課題-広島市高陽町調査ノート- |
|
|
-資料- |
公文書館関係文献資料目録 |
|
2(19790331 ) |
大牟田稔 |
外国人の見たヒロシマ-その文芸作品に表われた思想- |
U |
|
宇吹暁 |
原爆と市民-米国戦略爆撃調査の再検討- |
|
|
|
史資料の保存に関する諸問題-「史料協」第IV回総会参加によせて-小堺吉光 |
|
|
高亀保正・松林俊一・要田豊 |
広島市公文書館の現状と展望<鼎談> |
|
3(19800301) |
島津邦弘 |
東京裁判とヒロシマ-原爆投下責任論をめぐって- |
U |
4(19810331) |
沖本博司 |
「山田節男文庫目録」解説-欧文資料を中心として- |
|
|
近藤憲男 |
「広島今昔展」を終えて |
|
5(19820331 ) |
有田嘉伸 |
新藤兼人の人と作品 |
U |
|
宇野正三 |
「正法眼蔵」と平和 |
|
|
小林正典 |
広島の文化の創造のための試論-産業との関連において都市の文化と住みよさについて考える |
|
|
石丸紀興 |
<史料紹介とインタビュー>被爆の広島と復興過程の状況 |
|
|
|
都築資料目録 |
|
|
|
新藤兼人資料目録 |
|
|
|
あとがき |
|
6(19830331) |
岩崎清一郎 |
「原爆文学」史論-”原爆文学論争”前後- |
U |
7(19840331 ) |
小堺吉光 |
広島破滅前後の資料を見る |
U |
|
堤正信 |
広島をえがいた地図 |
|
|
近藤憲男 |
<資料紹介>厳重をきわめた防諜関係文書 |
|
8(19850331) |
|
-被爆四十周年記念特集- |
U |
|
近藤憲男 |
<口絵> |
|
|
宇吹暁 |
原爆報道の軌跡-新聞記事の量的側面の検討- |
|
|
近藤憲男 |
<資料紹介>移動演劇団桜隊隊長丸山定夫の死 |
|
|
上田佳弘 |
<資料紹介>合併町村役場文書に見る原爆被害 |
|
|
近藤憲男 |
<資料紹介>危機突破を図った食糧関係文書 |
|
|
|
備考 防空計画による避難先指定町村の記載あり。P110-112 |
|
9(19860331) |
甲斐英男 |
軍都広島の都市経営と宇品-広島市会の論議を中心に- |
U |
10(19870331) |
今堀誠二 |
図書館と文書館 |
U |
|
檜山幸夫 |
日清戦争下の臨戦地広島-旧安芸郡戸坂村を中心に- |
|
|
今中比呂志 |
広島市公会堂の成立 |
|
|
吉田文五 |
広島戦後芸能略史私考 |
|
|
|
広島市の情報公開と公文書保存 |
|
|
|
<展示会報告>「広島市公会堂の歩み展」を開催して |
|
11(19880331) |
石丸紀興 |
「広島平和記念都市建設法」の制定過程とその特質 |
U |
|
高井正文 |
広島児童文化会館 |
|
|
|
<資料紹介> 広島平和記念都市建設法関係資料 |
|
|
|
1寺光忠資料目録
2藤本千万太資料目録
3広島市文書目録
矢吹憲道資料目録 |
|
12(19890331) |
渡辺則文 |
甲斐英男運営委員の逝去を悼む |
U |
13(19900331) |
石丸紀興 |
都市形成と都市景観の変貌-広島の歩んだ一世紀 |
U |
|
|
<展示会報告> 「街と暮らしのミュージアム」展を開催して |
|
14(19910331) |
中川剛 |
政令指定都市広島の過去・現在・未来 |
U |
|
北西英子 |
近・現代広島女性の歩み |
|
|
|
物産陳列館から原爆ドームへ-七五年の歴史 |
|
|
|
〈展示会報告〉 特別展示を開催して |
|
15(19920331) |
西川加 |
戦後広島住宅小史 |
U |
|
小笠喜徳 |
公文書保存と地域公文書館への期待-中国地方の文書保管施設を取材して |
|
|
|
<展示会報告>「あさきた今昔」展を開催して |
|
16(19930331) |
竹内常善 |
近・現代広島経済の経営史的分析-現状と課題- |
U |
|
尾津訓三 |
占領下における広島県内の文芸活動と検閲 |
|
|
雨野忍 |
空間の重層-広島県物産陳列館のデザイン構想 |
|
|
渡辺則文 |
<今堀誠二を偲ぶ> 今堀誠二運営委員長の逝去を悼む |
|
|
|
瀬戸内寂聴 |
|
17(19940331) |
佐竹昭 |
地誌編さんと民衆の歴史意識-広島周辺地域を中心に- |
U |
18(19950331) |
石丸紀興 |
写真で見る広島駅前ヤミ市の変遷 広島駅前ヤミ市の変遷とその特徴 |
U |
|
ウルシュラ・スティチェック |
原民喜の不安文学-戦前の作品を中心とするカフカとの比較文学的考察- |
|
19(19960331) |
大里巖 |
戦災遺跡としてのフラウエン教会 |
U |
|
杉本俊多 |
三十四銀行広島支店と建築家辰野金吾-建築形態の復元研究を通して- |
|
|
尾津訓三 |
〈研究ノート〉戦後復興と広島の演劇 |
|
|
|
〈展示会報告〉「あの日あのころ ひろしま50年展」を開催して |
|
20(19970331 ) |
舟橋喜惠 |
広島の中のヒロシマの継承-広島の平和教育- |
U |
|
小野布久美 |
和教育- 舟橋喜惠 1
原民喜『幼年画』の重要性 |
|
|
石田宜子 |
過ちは 繰返しませぬから -碑文論争の歩み |
|
|
橋本秀夫 |
〈研究ノート〉広島城修築史の一考察 |
|
|
|
〈展示会報告〉特別展示を開催して |
|
|
|
『街と暮らしの50年』の刊行をふりかえって |
|
21(19980331) |
中村若生 |
「歴史」と「記憶」-スミソニアン論争を通して- |
|
|
江崎一博 |
〈現場レポート〉文化財の保存と原爆ドーム |
|
|
|
〈史料紹介〉広島戦後演劇資料(高野泉・輝本親孝寄贈資料) |
|
|
|
〈展示会報告〉「さえき区今昔」展を終えて |
|
22(19990331 ) |
熊田重邦 |
神仏分離令から教院制へ-明治初期の法令からみた政教関係の一側面 |
|
|
森本和子 |
占領下の翻訳絵本と教育-広島図書について |
|
23(19990228 ) |
|
広島平和記念都市建設法案 |
|
|
石丸紀興 |
広島平和記念都市建設法の成立過程とそれに関わる新聞報道内容についての考察… |
|
|
藤森照信 |
〈講演会〉広島計画を展開した意図.その後の丹下氏の活動 |
|
|
|
〈展示会等報告〉「広島平和記念都市建設法制定50周年記念イベント」について |
|
|
|
〈資料紹介〉広島平和記念都市建設法関係資料 |
|
24(20010131 ) |
|
|
|
25(20120601) |
菊楽忍 |
ヤン・レツル再考-書簡集から建築活動をたどる |
|
|
石田浩子 |
「畑耕一文学資料展」を開催して |
|
26(20130601) |
山形政昭 |
日本メソヂスト広島中央教会建築図面について… |
|
|
瀬戸武彦 |
第一次大戦時の似島俘虜収容所 |
|
|
(語り)錦織亮雄 (編)石丸紀興 |
広島の戦後復興における建築活動-地域の建築家の設計活動を通して(前)… |
|
|
三好史久 |
〈研究ノート〉LPコード「HIROSHIMA」-ヴィルヘルム・ケンプからの音楽の捧げもの |
|
27(20140601) |
(語り)錦織亮雄(編) |
広島の戦後復興における建築活動
地域の建築家の設計活動を通して(後) |
|
|
竹下可奈子 |
河合太郎軍楽長時代の呉海兵団軍楽隊における奏楽実態
新聞資料を中心に |
|
|
|
〈翻刻〉「丹下健三書簡綴」 (広島市公文書館所蔵 藤本千万太資料) |
|
|
中川利國 |
〈資料解説〉「丹下健三書簡綴」(藤本千万太資料)について
広島市公文書館所蔵資料との関係を中心として
… |
|
28(20150601) |
能登原由美 |
機関紙にみる広島労音 発足から十年の歩み |
|
|
光平有希 |
広島流川協会における復興と音楽の歩み、及びその原点 谷本清・太田司朗を中心として |
|
|
中川利國 |
〈研究ノート〉占領軍資料を中心とする広島市復興顧問と復興計画への一考察 |
|
|
西本雅実 |
「平和記念都市ひろしま」知られざる記録映画 |
|
29(20160601 ) |
石丸紀興、千葉桂司、矢野正和、山下和也 |
研究報告
基町/相生通り(通称「原爆スラム」)調査を回想する〈前編〉 |
|
|
中川利國 |
占領期におけるABCC広島原爆傷害研究所の整備と広島の復興について |
|
30(20180301) |
石丸紀興、千葉桂司、矢野正和、山下和也 |
研究報告 基町/相生通り(通称「原爆スラム」)調査を回想する〈後編〉 |
|
|
中川利國 |
研究ノート 世界へ訴える占領下の広島復興(その1)
―占領期における広島発信の試み~映画『平和記念都市ひろしま』― |
|
|
|
展示会報告 文書と写真でたどる旧広島市民球場 ―旧広島市民球場開場60年記念展示― |
|
|
濱保 仁志 |
所蔵資料紹介 カープ関係寄贈資料 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
ヒロシマの歴史を残された言葉や資料をもとにたどるサイトです。