「07大牟田稔」カテゴリーアーカイブ

資料年表:大牟田稔

資料年表:大牟田稔<作業中

年月日 事項 備考
1930
0901 誕生。
1965
0720 『この世界の片隅で 岩波新書』(山代巴編、岩波書店)
沖縄の被爆者たち 大牟田稔 185
1970
0628 『RCCテレビ 市民とともに ヒロシマ・内と外』(中国放送)
「広島の明日を考える」平和への道No.3 ヒロシマ・内と外(構成:大牟田稔)
1978
0725 『長崎の証言 第10集』(「長崎の証言」刊行委員会編著)
大牟田稔「親亡きあとは ―胎内被爆小頭症「きのこ会」の近況―」  109
1979
0110 『追憶の便り ヒロシマで逝ったわが子へ』(藤野としえ著、未来社)
付録2 追憶と未来と 大牟田稔作・構成 267
0331 『広島市公文書館紀要 第二号』(広島市公文書館)
外国人の見たヒロシマ-その文芸作品に表われた思想- 大牟田稔 13
1983
0801 『日本の原爆文学 14 手記/記録』(「核戦争の危機を訴える文学者の声明」署名者編、ほるぷ出版)
〈反原爆思想〉を求めて 大牟田稔 462
1984
1211 『ヒバクシャ ともに生きる 第3号』(原爆被害者相談員の会)
原爆小頭症患者たちとの20年 大牟田稔 21
作業中
2001
1007 死亡。
2010
1220 『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記)

おおむた・みのる 2001 71 元中国新聞論説主幹、1992年、広島平和文化センター理事長。『広島県現代文学事典』。元広島平和文化センター理事長、元中国新聞論説主幹の大牟田稔。宮崎県出身。『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記)

碧空(大牟田追悼集)

碧空―「大牟田稔さんをしのぶ会」報告・追悼集(編集人:海老根勲)

内容

大牟田稔さんの略歴
大牟田稔さんをしのぶ会呼びかけ人
「大牟田さんをしのぶ会」
【追悼集第1部】
平岡敬 見つめ続けたヒロシマ
小久保均 空ゆかば
長岡千鶴野 哀しみを乗り越えて
嘉指信雄 「ヒロシマの鶴」が飛んでゆく
松元寛 大牟田さん、どうして
追悼記事2本(朝日新聞「惜別」中外日報「社説」
メッセージ集…那覇市・真喜志津留子ほか
小泉直子 大牟田さんからの宿題
繁沢敦子 厳しさと優しさと
江種則貴 端正な字に驚いた
平城智恵子 「ヒロシマ」に生きる意味
大牟田稔遺稿集
26人の原爆被害者たち
インタビュー(機関誌「せこへい」から)
「原民喜回顧展」のごあいさつ
大牟田稔「古希の記憶」
【追悼集第2部】
直野章子 死者を抱きしめながら
「しのぶ会」におけるスピーチ
中沢啓治 通じるものを感じていたのに
近藤憲男 原稿を書かなかった大牟田さん
碓井巧 記事への執着
則武真一 いい人生を送ったな、大牟田君
秋信利行 病床を見守って
大牟田聡 謝辞「いいオヤジでした」
金井宏一郎 親子二代の交わり
海老根勲 編集後記