傷痕 四十年目の証言

『傷痕 四十年目の証言』(山口地区カトリック正義と平和協議会、19850801)

特別寄稿
01 私の戦争体験 相馬信夫 日本カトリック正義と平和協議会担当 名古屋司教
郷土での戦争体験
06 オモ・オミニ・ルプス(人間が人間に対して狼になる) フェリズ・ビエラ 萩協会
07 魔の日、昭和20年8月1日 三宅千代子 山口教会
10 戦争と私―神州不滅を信じて 増野ミチ子 山口教会
12 光海軍工廠の空襲 佐々木蔚 山口教会
13 下関での戦時体験記 松永縫子 長府教会
15 幼な児と共に生きて 藤沢マサ子 彦島教会
原爆・東京大空襲・そして
20 広島駅前で被爆 杉山富子 山口教会
24 恐るべき東京大空襲 山辺房枝 (萩)メルセス宣教修道女会
27 こども時代の断片 林尚志 彦島教会
外地で終戦・引揚げ
30 満蒙開拓青少年義勇軍 岡崎彪 細江教会
31 戦争は絶対いやです。 梅田美也子 細江教会
33 二度と通さない、この道 井上正夫 防府教会
37 戦争の中の信者像 住田穣 長府教会
39 台湾からの引揚げ 殿村愛子 キリスト イエズスの宣教会
43 ペルー・国外追放 宮木美千枝 ペルー・国外追放
還らざる戦友の死
46 教会・修道院・住民を巻き添えにして 津森立己 長府教会
48 平和の尊さを忘れるな 梅田藤義 細江教会
49 恥多し・軍隊生活 橋文仁 山口教会
51 あとがき

山口県原爆被害者団体協議会

山口県原爆被害者団体協議会<作業中

1957年11月10日

 

『中国新聞』一九五六年二月二日

「山口県玖珂郡美和村、中川国雄君(一八)は八月六日原爆投下の日、当時三篠小学校一年生だったが、市内中広町(爆心から一キロ)で通学途中被爆、焼けただれた身体で父母とともに田舎に疎開したまま、不自由な身で極貧の生活に突き落とされた。希望も楽しみも奪い去られた灰色の生活-ところが、正月早々ふと開いた新聞で治療機関の原対協の存在を知り、一筋の希望を抱いて去る十二日来広、治療へトビラをたたき、さっそく治療を承認され市民病院での入院生活が始まった。

・・・

またこの愛の執刀に加え、原爆被害者の会の温品道義さん(五〇)が寂しく横たわる同君の親代りとなりしばしばベッドを訪れ精神面で援助、原・水爆禁止広島協議会からも見舞金として千円が贈られるなど三百円しかフトコロになかった同君はまるで夢のよう。・・・」

 

 

『中国新聞』一九五六年六月二十六日

「原・水爆患者の集団検診や治療にあたりながら禁止運動を展開していこうと原・水爆禁止山口県協議会(山口市後河原県教組内)が発足したが、同会推薦の第一号として徳山地方の養老院にいる山田豊(六四)=広島市出身=が二十五日県立防府中央病院へ収容された。

山田さんは広島で原爆にあって以来、二十二年には歯ぐきから血が出て歯が抜けてしまい、二十五年ごろからは心臓や肝臓に障害が認められ、去る四月八日養老院に収容されてからも、医者にかかっている。防府病院では専門医の長崎医大病院糸賀博士の精密検査を受ける。」

 

56 11  08? 下関市福祉事務所、市内の原爆被災者の実態をまとめる。広島被災115名、長崎被災11名、計126名。 09 042   C 1108

 

56 11  11 山口県下関市原爆被災者の会、結成総会を開催。C 1108