呉の戦災

『呉の戦災 あれから 半世紀くりかえすな』(呉戦災展実行委員会編、呉戦災を記録する会刊、19950622)目次

 

備考
はじめに―被災50周年記念が問いかけるもの
朝倉郁夫(呉戦災を記録する会)
Ⅰ 戦争への道
1 呉と海軍・海軍工廠
2 日中15年戦争とアジア・太平洋戦争のはじまり
3 日本の戦争加害
 Ⅱ  戦時体制と空襲
 1  戦時体制下でのくらし
 2  日本への空襲
 Ⅲ  呉の空襲
 1  呉が「真珠湾攻撃」された日
 2  恐怖の白昼爆撃
 3  呉海軍工廠、壊滅
 4  呉市街地夜間無差別大空襲
 5  帝国海軍、最後の日
6  爆弾と焼夷弾
 7  原爆投下計画と呉
 8  呉空襲の特色
 Ⅳ  呉の現在
 1  呉と基地
 2  呉の戦災遺跡
Ⅴ  資料と参考文献
 1  呉空襲の記録とアメリカ軍の記録
 2  参考文献
 おわりに―呉の戦後は終わっていない
 アジア・太平洋戦争および呉の戦災 略年表
編集委員:朝倉邦夫(呉戦災を記録する会)、是恒高志(全教広島海田支部)、武智碩一(歴史教育者協議会)、林茂(非核の呉港を求める会)、平岡典道(高教組平和教育推進部)、平賀伸一(呉戦災を記録する会)、吉田昭雄(呉戦災を記録する会)

 

高良とみ自伝

『非戦を生きる-高良とみ自伝』(高良とみ、ドメス出版、19830325 )

目次

章
 プロローグ
Ⅰ 生いたち
婦人運動の先駆者、母邦子
父のこと
キリスト教の家
寄宿舎生活
タゴールとの出会い
「中条百合子<宮本百合子>さんについて」
Ⅱ 行動する心理学者として
アメリカ留学
女子教育者として
「友和会設立」
 暗い時代へ
「空襲・疎開・敗戦」
Ⅲ 平和を求めて
 復興への息吹の中で
呉市助役として
戦後初の婦人議員に
極東裁判の印象
新憲法発布
緑風会へ
世界平和者会議ヘ
ローマ法王に戦犯の減刑請願
全インド婦人会議
全面講和か片面講和か
売春防止法制定にむけて
 “鉄のカーテン”をくぐる
モスクワへの道
モスクワでのこと
モスクワ経済会議
グロムイコ会見
モスクワ見聞記
シベリアのラーゲル訪問
日中第一次貿易協定を結ぶ
新しい中国の内側
スイスの赤十字へ
高良とみ帰国歓迎会
日本婦人団体連合会結成
在中国同胞引揚げ交渉に再び北京ヘ
 アジア・アフリカの婦人と共に
「妻として母として」
-内側から見た高良とみ
  高良留美子
解説  柘植恭子
高良とみ年譜

こうの史代

こうの史代:女性漫画家、イラストレーター

代表作
『夕凪の街 桜の国』(双葉社、200408刊)
『この世界の片隅に』

『夕凪の街 桜の国』(双葉社、双葉文庫、20080420)
夕凪の街=被爆10年後の広島が舞台
桜の国=42年後~59年後の東京と広島が舞台

波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂

『波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂』(金本邦夫著、財団法人富士社会教育センター刊、19960520刊)目次抄

章節
出版に寄せて
はじめに
1 小さい頃と両親のこと
2 小学校時代のこと
3 青年団活動
4 大東亜戦争のこと
4-12 原爆と終戦
5 音戸町体育協会のこと
6 全力つくした町議会議員
6-1 戦後第1回統一地方選挙に出馬。<音戸町議員>
6-2 戦争未亡人救済の町営授産場設立に努力
6-3 町立保育所の設立を実現
6-4 音戸高等学校誘致に死力をつくす
7 呉造船労働組合時代 労働運動に生涯をかける決意
7-1 労働運動に入るきっかけ
7-2 給料遅配に特別交渉委員。出征兵士見送り同様の壮行会で上京
7-6 全国初の厚生年金還元融資の串山住宅
7-7 中国労災病院呉誘致に一役買う
7-9 呉造船独立と労働組合
7-10 生協売店市中進出反対デモの応対。本部建設に一役、音戸取次所を自宅に
7-12 労働組合長に就任
7-13 年満者夫婦の招待慰安旅行の実施
7-16 組合特自の共済規定の実現
7-17 家族会の結成と家族相談室の設立
7-19 年満者引続き雇用を要求・遂に呉船産業株式会社設立を実現
7-20 毎日新聞全国版(1961年2月4日)に40代の顔として紹介される
7-22 組合結成十五周年記念事業として十五年史発刊と会館建設を実施
8 広島全労議長として活躍
8-1  造船総連、総同盟等の上部役員
8-2  広島全労議長に就任
 8-3  県関係の各種委員に任命される
 8-4  日本生産性本部米国派遣視察。労働者チーム十二名の団長として
 8-4-1  出発に郷里で見送り壮行会
 8-4-2  いよいよアメリカ、主要都市周辺のこと
 8-4-3  労働組合が国旗と組合旗を尊重
 8-4-4  徹底している産業別組織の確立。大手鉄鋼会社で県出身二世課長の案内
 8-4-5  組合大会を見学、幹部と懇談。働きすぎの日本におひやかされる
 8-4-6  日系人のこと
 8-4-7  手土産と家庭訪問
 8-4-8  余話
 8-5  最賃法裁判で基準局賃金課長を激励
8-7-1
 8-6  憲法調査会の公述人として意見陳述
8-7 核禁会議の結成で原水協とテレビ対決
8-8 労済、労住、労福協の結成
8-8-1 植木仙次郎氏8-5の功績
8-8-2 広島県労働者共済生活協同組合の設立
8-8-3 広島県労働者住宅生活協同組合の設立10月
8-8-4 広島県労働者福祉対策協議会結成
8-8-5 結成周年記念式典の思い出
8-8-6 焼山政畝団地造成の思い出
8-8-7 音戸波多見竹田浜埋立団地に
8-9 労働争議の斡旋、調停、指導
8-9-1 西美電気西光精機(現テンパール工業)
8-9-2 府中町静養院の争議
8-9-3 ニコニコバスの争議
8-9-4 日東製網の争議解決に努力
8-9-5 佐竹新労結成は暴力を排除して
8-9-6 激しかった当時の労働争議
8-9-7 国鉄、電産のスト、労使に苦言
8-9-8 地労委としての私の基本的考えと携わった事件
8-9-9
8-9-10 メーデー改善を訴える
8-9-11 講演依頼やテレビ、ラジオの対談。常にマスコミの対象にされる
8-9-12 同盟会議結成の準備と全労議長退任
9 職場復帰で全力投球 社長表彰、更に営業で実績
10 PTA活動と小、中学校の分離推進で中学校建設に献身
11 生涯民社党を貫く
12 思い出深い選挙活動
まえがき
12-1 衆議院議員前田栄之助先生を支えて
12-2 民社党結党直後の衆院選、私に出馬要請されるも遂に辞退
12-3 永野巖雄先生とのかかわり
12-4 二区衆議院選に香河直祐氏。選対委員長を引受けて闘う
12-5 山田節男先生と私。参議院選挙と広島市長選挙
12-6 浜田光人先生、衆院選擁立について
12-7 保野健治郎先生の選挙
12-7-1 呉市長選擁立に社公民三党の話合い
12-7-2 二回目の市長選は未曽有の激戦
12-7-3 衆院二区に擁立して健闘。事務長を引受ける
12-8 小西博行先生擁立に主役。経緯と参院選
12-9 永末英一選対委員長来呉で二区衆院候補擁立について話合う
12-10 全国初の公民協力、勝谷勝弘氏を支援
12-11 盟友玉野晃君と県会議員選挙
12-12 玉野君病で引退説得を依頼される。後任混乱。私は苦しみ抜き、党のため遂に候補受諾
12-13 次期県議候補に柳田稔氏を説得
12-14 参院地方区佐々木秀隆候補は呉支部党員
12-15 呉市議選につくした私の役割
12-15-1 組合長在任中二回の補欠選挙に勝利
12-15-2 出崎文三氏をわが社社員で市議へ
12-15-3 榊原伍市議との交友
12-15-4 横田勝信市議とのこと
12-15-5 民社の申し子、重盛親聖市議。永年の結びつきと選挙を思う
12-15-6 組織外から森岡よし子氏擁立に一役。平成七年統一地方選に初の女性市議
12-15-7 成功しなかった市議選
12-16 川尻町長選に花田博幸氏、惜敗する
12-17 音戸町長選(平成五年)を思う
12-18 公職選挙法違反で留置場十九日。会社、団体等役員十九件を辞任
12-19 民社党候補者探しは私の役目として努力
13 会社設立し理想に向って
13-1 IHIを中途退職して外で行動
13-2 株式会社くれせん設立
14 家庭、家族のこと
15 大東亜戦争戦没者慰霊碑建設と老人福祉施設の建設を希求して
むすびに
金本邦夫略年譜