「原爆カメラマン」カテゴリーアーカイブ

写真記録  原爆棄民 韓国・朝鮮人被爆者の証言

『写真記録  原爆棄民 韓国・朝鮮人被爆者の証言 』(伊藤孝司、ほるぷ出版、19871015 )

目次

001 植民地・強制連行
朴昌煥 郡役所まで三菱が迎えに来ました 4
朴守龍 「朝鮮人が放火した」、ひどい大震災の流言 6
陳祐生 閃光がしてゴォーと爆風が来ました 8
李福南 9
裵又星 百姓しとるのに米の飯も食えんので下関へ渡ったとです 13
金判根 リヤカーを引いて古物商をしていました 14
梁基成 徴用令を受けて広島へ、日本人が恐ろしかったです 15
李哲鎬 三菱からは1か月分の給料だけしかもらっていない 15
鄭基障 日本の無条件降伏にみんなで泣きました 16
李永憲 行き先も知らされず、警察に連行されて日本へ 16
金應善 兵隊よりも、徴用で広島に行くほうを選んだのです 17
鄭永寿 19
尹永寿 だまされてパンパン屋に売られたんですよ 20
張泰熙 新聞でヒットラーの記事を見たとたん、ピカッと 26
朴?奎 教育勅語を暗記できないとバケツを下げて立たされました 27
呉鳳寿 土地も、言葉も取り上げた総督府 28
朱碩 日本人は酒を飲んでは放歌高吟し、女の人は外へ出るのもはばかられるほどでした 30
成洙南 挺身隊へ行くのをさけるため16歳で結婚させられました 32
金福連 主人も、娘も死んでしまいました 33
徐正雨 軍艦島では何度も自殺しようと思ったかわからんとです 34
金順相 雪が降ってもパンツ、腰巻きひとつで働かせられたとです 36
韓基俊 36
朴永分 「ひとりじゃ逃げる」言うて家族も呼ばれたんじゃ 39
崔月光 被爆のことはそりゃ口じゃ言わりゃせん 39
黄應八 船で日本に密航し、各地を転々としながら 40
金連順 勤労動員で野球の張本さんのお姉さんたちと作業していて 42
車基淳 42
李寿東 炭坑と戦争と原爆、3つの地獄を 45
鄭元達 みんなから「朝鮮人の刑事が来た」と言われました 47
尹参鉱 「朝鮮豚」とか言われながらも日本人と一緒に遊びました 47
金仁祚 二女、三女、そして長女、次々に死に、口の所にハエがたかり 48
金鍾具 飯場では豆粕やコーリャン、きびの飯で腹がへって 48
金敏経 徴用令が来て、目の前がまっ暗になりました 49
金在甲 浦上天主堂の坂で軍馬もろとも 50
張世澤 浦上刑務所で爆死した親方兄弟を捜して 53
白昌基 首に縄をくくられ、牛に引きずり回された朝鮮青年達の光景が脳裏に焼きついて 55
辛福守 わが子が燃えるのを、ただ見ているだけの地獄でした 55
李一守 建物疎開の勤労奉仕に出て原爆にあいました 58
甲喜植 一週間、防空壕に寝たきりで 59
金容福 韓国人ばかり働かせ、バカにするのです 63
065 被爆
玉牙伊 足も指がちぎれ、頭もおかしゅうなっとったけん、痛うもなか 69
崔英順 工場が崩れて2階にいたのに1階になってしまいました 71
李守龍 背中にいっぱいウジ虫がわき、火傷の痛みもひどかった 71
林玉仙 10歳で被爆、手足がしだいに萎縮して 72
金南出 もう死んだと思うたが、手足が動くので目をあけてみると 73
朴化玉 長崎港の船の上で閃光を 74
安永千 1か月ほど死体の臭いがしみついていました 76
金命今 魚の皮はいで地面に投げたような姿で兄弟は「自分の子がわからんかね」言うんです 78
鄭登明 顔と手に大火傷を負い、40年間ケロイドで苦しむ 81
裵玉連 息子を抱いて3階から飛び降りました 82
朴海鐘 ドーンという音でびっくりして飛び出すと、浦上の方が一面火を吹いていました 83
権億相 気を失って気がついたら24時間すぎていました 86
蘇閏生 原爆はすべてを変えてしまいました 88
姜和順 右腕をこれ以上悪くならないようにと切断しました 89
宗錞敏 ボンネットをのぞき込んでいると突然ピカッと 90
許南根 爆風のため転んで釘が右足に 90
朴水煥 高島炭坑と住吉トンネル工場で 91
金在鉉 天皇陛下のためと言われて徴用されて 92
金正玉 閃光を見た瞬間、目がくらんで気絶、火ぶくれに 92
安珉 飛行機が飛んできてシャツに黒いシミが 92
朴孟蓮 電車は満員だったのに、閃光を見たのです 93
宋年順 なかなか死ねずに、8月末まで畑に野ざらしでした 95
金基錫 お母さん、よく原爆の痛みに耐えて、生きていました 96
金判煕 宇品港から500人乗りぐらいの船で帰国しました 98
張乙生 「助けてぇ、助けてぇ」と言いながら、妻は息をひきとりました 100
姜岳只 原爆で5人の子どものうちふたり死んだ 101
金貞賢 身体はペラペラして真っ白い肉だけが見えました 102
崔乙龍どうもがまんができず、自分の小便を受けて飲んだんです 103
姜寿元 独立運動で投獄、広島刑務所で原爆に 104
金貞順 私は片目が飛び出し、従妹は行方知れずに 06
辛泳洙 自分の顔に手を当ててみると、目も鼻も口もとけて 109
朴泳[ユン] 兄貴の嫁ごは火葬して、骨は川の中に流したと 111
卞明奎 長女はどこかで生きていると思っています 112
車貞述 3回も戦争に巻きこまれて 114
姜小龍 9人兄弟のうち、3人だけが生き残って 114
鄭翼俊 死んだ息子を一日中背負っていました 115
黄在明 兵隊さんがおぶってくれて川にとびこみ助かった 116
朴且点 人間なのか、お化けなのか、とても口では言い表せません 117
金正子 「水ばください」「水ば飲まして」と着物の袖を 119
金宗丸 首とか手とかバラバラになって、内蔵がベラッと出とるんです 120
千今絡 「あんた、生きとったね」が、みんなのあいさつでした 123
金沢文子 魚を一匹分けてくれと言っても、絶対にくれなんだ 124
朴基煕 真っ黒焦げの骨があるだけで、誰が誰だか全然わからん 125
崔李澈 大腿骨無腐性壊死…たえず激痛が襲ってくる 126
徐允心 身体中にガラスがいっぱい刺さって、3日間何も食べずに 127
金相根 火傷し、頭が3倍くらい膨れていました 128
金達莫 息子は、まるで焼き魚のように…10日後に死にました 129
劉世銀 焼けていなかったのは手の平だけだった父 131
鄭翼判 「朝鮮人は早く朝鮮へ帰れ、帰れ」と言われ 132
135 帰国・在日
李順伊 小さな船で死ぬ思いをして釜山に帰って来たんです 137
李允載 娘たちが腰痛を訴えるのでかわいそうです。親が原爆を受けたことが原因ではないかと 138
李陽善 徴用で働いた報酬も受け取っていません。日本政府と三菱は早く補償すべきです 139
卞今順 原爆病院に入院してもう16年になります 141
韓明丁 もし今後、治療できなければ早く死にたいです 142
柳沢蓮 朝鮮語はわからず、友達にいじめられ「日本に帰ろう」と泣いた 142
鄭斗鎮 妻も死に、やぶれかぶれの気持ちで帰国しました 145
蘆長寿 弟は、帰国船が台風で沈没し、弟は行方不明になりました 146
李実根 反戦ビラまき、非合法生活、そして朝鮮人被爆者運動に奔走しています 149
朴玉順 差別や抑圧に屈せずに 150
李必伊 日本で治療したい、生活は苦しい 152
白敬伊 いちばん望んでいるのは息子を日本で治療させることです 152
李貞秀 胃を手術して取り、楽じゃないです。ほんとに働きずくめの一生ですよ 156
李順出 姉は1960年に、兄は61年に、そして父は63年に死にました。みんな同じ病気でした 157
全相鶴 渡日治療で6か月いたら、政府の約束だとむりやり出されました 158
姜文煕 肉親の眠る広島を去ることができず 159
金判伊 広島と韓国で2回も爆撃を受け、もう戦争はこりごり 160
李大奎 ヤミ市、密造酒、とばく…とにかく生きるためには何でもやった 161
鄭長寿 私は病気の袋みたいで、いっそ死んでしまったら痛みもなくなるのではと思います 164
尹桂花 日本人であれ、韓国人であれ、心の痛みは同じです 164
李種善 願うことは、私と子どもの病気が治ること 164
尹成相 家内と赤ん坊、弟の骨が大橋の道路の下に 166
李壽英 身体がかゆく変になれそうで、こすると水のようなものが出ます 167
金永宅 2度と戦争の起こらぬよう願いたい 167
郭貴勳 日本人の医者が「韓国人のために負けた」と言うのです 167
金分順 帰国しても働けず、義母に追い出される始末です 168
金義祚 原爆の被害者は世界平和の人柱です 169
姜桂浩 娘、息子と死に、妻は気がおかしくなり 170
尹貞順 夫は日本での生活を一切口にしないまま死んだ 171
金永根 故郷についても物乞いをし、ごはんをもらって歩きました 172
厳粉連 被爆者を放置して、どんな世界平和があるのでしょうか 175
李三守 日本人の被爆者と同じ扱いをしてほしい 178
崔貿先 夫と離ればなれになり、母子3人で帰国 179
朴海潤 農繁期がきても軽い仕事しかできません 180
鄭翼俊 死んだ子供を一日中、背負って 180
李貞守 日本が戦争をしなかったら、こんなにならなくてすんだんのです 180
李奇相 這うて便所へ行くと「アイゴー、アイゴー」という声が 182
車小道 母は隣家の下敷きになり死んでしまいました 184
朴守福 こんな重たい十字架を負っているより、いっそ死の道をと 184
金伊述 私はこの地獄が恐ろしうて 186
林福順 韓国の被爆者は、あの日のヒロシマを背負っているのです 188
金玉連 足の痛みがひどく、右大腿部より切断しました 190
鄭正玉 娘が生まれ喜んだのもつかのま、精神がおかしいのです 190
李舜伊 韓国に帰りましたが治療もできず、火傷に味噌をつけたりして 191
金漢相 農業、運転手、そして警備員 191
韓鳳愚 ヤミ舟を雇って帰国、両親はもう死んだと思っていたので涙流して喜びました 192
金福姫 夫は私のケロイドのことは知らずに結婚し「だまされた、だまされた」と口ぐせのように言っていました 194
白麟基 韓国に原爆病院を建設して下さい 195
白鳳鶴 うちゃ、生きとってもええことはひとつもないよ。生きとるのいやじゃ 197
安永根 204呉玉振 204姜錫作 204林[イ]生
205朴南淳 205姜貞順 205尹基先 205黄徳禮 205李碩圖 205金喆基 205姜基達 205姜五龍 205
金九鳳 206李賓? 206申徳培 206趙判石 206李宝鉉 2O6安永宣 206申基殖 206金甲順 206
朴鐘来 207李炳[ ] 207朴甲述 207李点柱 207李勝子 207曺澄子 207
姜点龍 208都宗義 208郭順[ヨン] 208尹永益 208金根秀 208呉尚粉 208
李宗仙 209鄭好任 209韓基淑 209宗栄彬 209沈快興 209
尹春鉱 210黄秋子 210李寿元 210朴連順 210朴奉変 210
213 韓国・朝鮮人被爆者―その歴史と存在の意味(鎌田定夫)
231 原爆棄民・関係年表
235 作詩●追悼(鎌田定夫)

 

Hiroshima 1988

『Hiroshima 1988 August  5th-6th visual-aid book ヒロシマ1988★ドキュメント写真集』(音楽制作者連盟編、クロスロード刊、19881225)

「この本は広島サンプラザ・ホールで8月5日・6日の両日おこなわれたコンサートの全ドキュメントである」

 

 

日本の老人たち

『日本の老人たち』(船越恵<ふなこし・けい>、創樹社、19730630)

内容

章節
序 呼び覚まされるもの―この写真集に寄せて 佐多稲子
東北の老人たち
都市の孤老たち
広島の老人たち 備考
ベッドが”お城”の原爆孤老 寺内キシノ
だれの罪 広本フサ
廊下が玄関の家で 吉田英子
迷路の奥で 曽根ヨシ
自己にこもる 梅野智章
筑豊の老人たち
あとがき

 

核―半減期(広島・長崎の写真)

核―半減期(広島・長崎の写真)

19950921-19951110 主催・会場:東京都写真美術館

図録

005 ごあいさつ 東京都写真美術館
008 平和のための写真映像資料館を 岩倉務(平和博物館を創る会専務理事)
松重美人氏写真をコンピュータで修復 NECが協力/CD-ROMで永久保存
015 核―半減期 ヒロシマ・ナガサキの写真 金子隆一(東京都写真美術館専門調査員)
025 第1部 1945 広島・長崎
026 松重美人
028 深田敏夫
030 岸田貢宜
041 菊池俊吉
047 山端庸介
062 林重男
068 松本栄一
073 第2部 戦後史の中のヒロシマ・ナガサキ
074 福島菊次郎
080 土門拳
092 石黒健治
098 土田ヒロミ
113 東松照明
138 作者解説
石黒健治・菊池俊吉・岸田貢宜・土田ヒロミ・東松照明・土門拳・林重男・深田敏夫・福島菊次郎・松重美人・松本栄一・山端庸介
140 出品作品リスト

 

 

太陽(平凡社)

『太陽(平凡社)』

目次

発行年 記事
009 19640212 特集1 長崎
長崎・ある被爆者の系図
長崎の原子爆弾 井上光晴 G
030 19651112 特集:原爆ドームの見えるキムチの町 小沢信男 G
087 19700812 特集:沖縄 G
335 19890712 U
005 土門拳  針が吹き飛ばされたウェルサムの時計 1968撮影
 特集:昭和の記憶  松本徳彦(構成)
 昭和モダニズム  木村伊兵衛・土門拳・名取洋之助・浜谷浩
 戦争  菊池俊吉・木村伊兵衛・土門拳
 原爆  菊池俊吉・土門拳・福島菊次郎
 原爆に終止符は永遠になし  中沢啓治
 焼け跡  菊池俊吉・木村伊兵衛・林忠彦
 占領  石川文洋・菊池俊吉・土門拳・林忠彦
 安保闘争  浜谷浩
 高度成長  土門拳・富山治夫・長野重一
 公害  桑原史成
 学園闘争  富山治夫・福島菊次郎
 豊かな社会  秋山亮二・倉田精二・田辺順一・深瀬昌久

 

 

カール・マイダンス 激動日本の目撃者

『カール・マイダンス 激動日本の目撃者1941~1951』(三木淳監修 、ニッコールクラブ、19830301)

内容

002 フォトジャーナリスト<カール・マイダンス> ライフ写真家の経歴より
004 写真家カール・マイダンス 妻である立場を離れて彼の写真が歴史の中でしめる位置を考える シェリー・マイダンス
原爆投下跡を空から見る 長崎
2年後のヒロシマ
戦後最初に生産された三輪自動車 1947年 広島にて
被爆した墓地の壊れた水道から水を汲む老婦人
広島から2年後の広島の人たち
背中のケロイドが原爆の恐怖を如実に示す[吉川清]
ヒロシマの被爆者1号といわれる吉川清さん 1947年 現在も入院中
122 インタビュー:マイダンス夫妻 写真、戦争、そして家庭を語る (聞き手および写真・三木淳)
127 あとがき 三木淳(ニッコールクラブ会長)

 

浜口タカシ写真集

『浜口タカシ写真展 ドキュメント日本 激動の日々35年』(浜口タカシ著、浜口タカシ写真展実行委員会、19870526)

1987年横浜市民ギャラリーで開催された展覧会の図録

構成

撮影日
ごあいさつ (横浜市教育長)
浜口タカシ写真展に寄せて 三木淳(日本写真家協会会長)
人類初の惨禍
広島原爆ドーム 19830806
福田須磨子 19660808
片岡津代 19830809
ミッチーブームに湧く日まで
黄金の60年代・光と影
レジャーブーム到来
遅れた終戦
大学紛争
成田闘争
70年安保闘争
日本・人災列島
政界異変
北海に生きる
二つの祖国
同時代人としての浜口タカシ 青木雨彦 コラムニスト
執情の人の涙の塔 岡井耀毅 評論家
あとがき 奥村泰宏 神奈川県写真作家協会会長

 

 

写真集 ドンが聞こえなかった人々

『写真集 ドンが聞こえなかった人々』(豆塚猛、全国手話通訳問題研究会長崎支部著 Brain Burke-Gaffney, 山藤エリザベス訳、文理閣、19910501)

目次

発刊によせて 本島等(長崎市長)
1 いのち日々新しく
2 手帳を持たぬ人々
3 手は平和を語る
手よ語れ 全国手話通訳問題研究会長崎支部
あとがき 豆塚猛、全国手話通訳問題研究会長崎支部