世界連邦運動ヒロシマ25年史(19720625)

『世界連邦運動ヒロシマ25年史 第2回世界連邦平和促進宗教者大会記念』(世界連邦広島宗教者協議会・世界連邦建設同盟広島県協議会発行、19720625)

目次

発刊のことば 桑原英昭
序文 山田節男
第2回世界連邦平和促進宗教大会
満堂の県立体育館
武邑・谷川両氏の基調講演
あいさつ(大谷光照大会長)
宗教大会プログラム
宗教代表者大会開く
代表者会議出席者
共同コミュニケ採択
分科会の白熱的討議
第1分科会
第2分科会
第3分科会
アインシュタイン博士教訓
宣言決議を採択
大会宣言
大会決議
各界名士メッセージ
大会基調講演(要旨)
「仏教者の平和への提言」 武邑尚邦
「世界の平和と宗教者の役割。東西の平和的競争」 谷川徹三
大会役員表
大会実行委員会名簿
世界運動ヒロシマ25年史
世界連邦思想の系譜(前史)
欧米の初期世連運動
日本初期の世連思想
原爆禍と世連運動
世界連邦建設同盟
初期広島の世連運動
平和と10万名署名
賀川豊彦の世連講演
世界大会へメッセージ
アジア会議らん腸
先駆的世連広島協議会
協議会主要活動史
アジア会議の準備体制進む
世連宣言運動の推進
第3回都市協議会
広島県の世連宣言
新しい人類史の夜明け、第1回アジア会議
会議第1日
劇的な開会式
会議第2日
原爆乙女は叫ぶ
会議第3日
会議第4日と閉会式
広島よ、サヨナラ
広島宣言
各国政府と国連への勧告
会議参加協議員の名簿
第2回アジア会議開く
会議第1日
会議第2日
分科会の討議
本会議と閉会
ヒロシマ宣言
原水爆禁止決議
世界連邦と原水爆禁止運動
原水爆禁止運動の分裂
原水禁から世界運動へ
昭和30年
広島に世界連邦母の会
結成大会前後の日程
「広島に行く」 柳原白蓮
鞆町の世連宣言
8月6日に世連デー
昭和31年
呉市婦人の世連活動
初期の世連宣言運動
河佐村の世連宣言
昭和32年
広島で三大平和会議
総領町の世連宣言
昭和33年
呉市が世界連邦宣言
広島県協議会の結成
庄原市も宣言
原爆の日、三原市宣言
昭和34年
広島県が世連宣言、県下11全市も決議
西支部結成の記念講演
国会請願署名運動
賀川豊彦の功績
学生の夏期遊説
昭和35年
松本呉市長の活躍
中国地区同盟支部
広島駅頭に世連塔
昭和36年
都市協で宮島研修会
高亀さん表彰、喜寿の祝賀会
昭和37年
浜井広島市長、アクラ軍縮会議へ
高陽町が宣言
世界連邦テーマ、高校生討論会
昭和38年
呉市で第2回世連日本大会
大会宣言を決議
広島市に世連旗、米代表団が贈る
東京で世界大会
竹原で科学者会議
竹原に世連支部
昭和39年
広島市議会議員が同盟入会
学生連合が発足
カズンズ氏に名誉市民章
県宣言5周年講演
広島市宣言10周年大会
山陽協議会が新発足
世連講演会、湯川、ハビヒト氏
中国地区の宣言を推進
世界平和巡礼団、県協から3氏
オルグに桑原、岡本氏
昭和40年
桑港大会へ広島代表の参加
世界大会壮行会
同盟新副会長に山田氏
学生セミナー、6大学40名参加
沼隈町に支部
広島市の宣言11周年記念講演
中国新聞の世連啓蒙
湯川会長福山などで講演
昭和41年
広島で西日本大会開く
カトリック教会世連行事
世連のお爺さん、高亀翁逝く
原爆ドーム保存運動
都市協会長に浜井広島市長
昭和42年
ベトナムの孤児救援活動
山田同盟副会長、広島市長に当選
世界協会副会長に山田市長
オスロ世界大会代表の壮行会
山田市長のオスロ演説
各国で平和アピール、広島班12カ国歴訪
県宣言8周年講演
福山で自治体協研修会
世連宗教者協、広島で発足す
広島世連学生部
昭和43年
広島市に平和文化センター局を新設
第1回世連市民講座
神辺、加茂町が宣言
世連中・中国協議会発足
広島県協議会が発足
呉市で県協研修会
福山支部が再発足
広島に世界本部(都市協事務局)
広島宣言13周年大会
エスペラント支部発足
昭和44年
第9回世連日本大会開く
功労者6氏を表彰
基調講演と分科会、大会宣言
世界連邦政党を(カズンズ会長)
世連ひろしまの歌、一等に梶原さん
黒瀬町の世連宣言
第4回世連市民講座
竹原支部総会と講演会
市民講座とパネル討論
広島日ポ協会発会
三次市で県協研修会
地球人友の会
クラーク総長来広
昭和46年
訪ポ使節団の成果
アウシュビッツ町と黒瀬町縁組
デンマークで原爆映画
高野山研修会に参加
チョプラ女史を迎う。ホノルル世連研究会
東南アに世連使節団
第6回世連市民講座
オスロ、高野研修会へ提唱
広島地区活動報告。世連教育者会議参加
昭和47年
自治体協が出雲で研修会。広島支部新春宴
世連訪印使節団の成果
世界大会へ提案
アウシュビッツ展開幕
地球市民登録、山田市長を先頭
ラッセル記念第9回市民講座
論叢篇
ヒロシマ以後の新世界 ノーマン・カズンズ
平和創造の原理 日高一輝
世界連邦と宗教  出口伊佐男
国際法から世界法へ  小谷鶴次
人類を分断する二大障壁  伊藤栄蔵
国際経済と世界連邦 佐藤和男
「あとがき」 加藤新一

世界連邦アジア会議報告書(19530201)

『世界連邦アジア会議報告書』(世界連邦アジア会議広島準備委員会事務局 19530201)

目次

挨拶
広島宣言
世界連邦アジア会議広島決議
世界連邦アジア会議日程議題
出席者名簿
世界連邦アジア会議開かる
広島到着
開会式
総会議
歓迎晩餐会
第二日総会議
宮島観光
各委員会開催
第四日総会議
市中見物
離広
広島へ感謝
アジア会議開催の経緯
と広島準備委員会経過
アジア会議を顧みて

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岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)

岡本尚一『原爆民訴或問』(抄)(1953年5月)

「拝啓 人類と文明の為一書を敬呈することを御許し下さいませ。

私は昭和21年6月から2年有半に亘り東京に於ける極東国際軍事裁判に主任弁護人の一人として参加していました。其間終始私の念頭にありましたことは、戦勝国側の極めて重大な国際法違反が勝てるが故に何等その責任を問われない不公正でありました。然し私は、講和条約が発効した暁には、戦勝国側の指導者から広島・長崎に対する原爆投下については、悔恨の情を披瀝されるであらうと心ひそかに期待しつづけてきたものであります。

然るに、それより既に1ケ年を経た今日に於て、未だかかる言葉の片鱗だに聞くことを得ないのであります。

これが基督教を以て普遍的な宗教となし、ヒューマニズムを以て民主主義の基調とする米国・英国の態度であることは遺憾の極みであります。私は当時から講和条約が発効した後においては、尠くとも広島及び長崎に対する原爆の投下についてはこの責任を民事不法行為の面において採りあげて原爆投下の決定に参与した指導者及び国家に対して不法行為の管轄裁判所に対し提訴致し度いと念願し、これを親友にも語ってまいりました。(後略)」

 

月日 事項
1953年
01  16、17両日広島市在住弁護士46名長崎市在住弁護士18名に「主要関係研究事項」を付して原爆損害民訴提起の可能提唱の書面を郵送。又同じ頃弁護士、学者、宗教家等の知友その他64名に同一書面を郵送
0120  印度最大の新聞タイムズ・オブ・インディアの東京特派員(前本社副編輯長) N・G・ナンポリア氏来訪、岡本提唱の内容及び進行の予定について3時間に渉って質問、即夜徹夜して長文の記事原稿をタイプし空輸
0124  朝日新聞大阪本社社会部記者平野一郎氏来訪相当質問して取材
0128  朝日新聞7面中央に別枠で岡本提唱の記事掲載、又BKニュース放送
0130  UP通信員藤本博氏来訪。印度ではタイムズ・オブ・インディアその他の新聞の記事によってセンセーションを起しているので取材に来たという。同時にUP東京支局から電話で質問があった。
0131 人類愛善新聞記者長掛芳介氏来訪
0201 英文毎日に岡本提唱及び其の論拠を報じた
0221  1月31日付広島市内発行の法廷新聞は第1面を埋める記事を掲げ広島弁護士会はこの問題で2月11日臨時総会開催を報じた
0203 UP藤本博氏来訪。
0203 毎日新聞7面に「原爆投下に賠償請求」と題して広島、長崎弁護士会では岡本提唱がきっかけとなって右損害賠償請求訴訟の具体的研究にのりだしたことを報じ た。
0204 英文毎日は広島弁護士会総会開催その他の反響を報じた
0118~0201  原爆被害者その他から感謝激励の電信書面葉書来る。自宅への電報配達人は感謝激励の言葉を添えて送達紙を手渡した。被害者の手紙は一つ一つ泣かされる。
0206 原爆損害民訴の主要法律関係研究事項について一応卑見を原爆民訴或問と題して簡単な問答体に書き上げた書面を広島弁護士会員全部その他に郵送
0207  中国新聞によれば長崎弁護士会も立上り2月10日全員協議会を開く
0209 ナンポリア氏の令兄から記事掲載のタイムズ・オブ・インディアを届けらる。見出しには「日本弁護士原爆訴訟を計画す。トルーマン氏は被告名簿の一人」 とあり正確な好意ある立場での報道である。
0211  産経によれば10日開催の長崎弁護士会全員協議会では広島弁護士会と連絡提携し21日開催の日本弁護士連合会(常任理事会)に本問題の研究と善処方を要望する正式議案を提出することを可決した
0212  原爆民訴或問を長崎弁護士会員全部その他に郵送
0308 岡本、広島弁護士会の招請により広島に出張。特別委員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談、又広島市庁及び原爆被害者の会訪問
0329  広島原爆被害者の会は幹事会開催原爆民訴の原告になる用意がある旨決議し、これを広島弁護士会に申入れた。
0427 岡本、長崎弁護士会に出張。同会員諸氏と原爆訴訟の法律問題及び実行方法について懇談

 

 

平和擁護広島大会(19491002)

平和擁護広島大会
1949年10月2日
原子兵器の禁止 広島市民から全世界に打電
国際平和闘争デーの10月2日、原爆都市広島では(既報)10数団体の共同主催で「平和ようご広島大会」が、流川広島女学院講堂にて参加者300名でひらかれた。大会は午後2時民科代表中川氏の司会で始まり議長団には今堀文理大助教授(学術団体)、小西民婦協支部長、高橋自由法曹団弁護士、松江地労委員長、郷土詩人峠三吉氏が選出された。

郷土作家畑耕一氏、自由法曹団を代表した高橋武夫氏の講演に続き、松江地労会長より長田文理大学長、浜井広島市長、広島出身牧師赤岩栄氏のメッセージが読み上げられた。続いて戦争の悲劇を中心にした詩の朗読が広島詩人協会上野氏によってよまれ各団体よりの戦争反対の意見発表がなされた。菅原安芸高女校長(仏教会)、民婦代表村上さん、広島高師学生米倉君、市内段原小学校5年山根君、朝鮮人代表金英哲氏、今堀文理大助教授、安井広島市連合未亡人会長からそれぞれ戦争はいやです永久にこの世から戦争をなくしませうと切々と訴えれば参加者の中よりYさん(27)-広島市観音町-が本大会に発表される平和のための宣言に必ず原爆をうけた広島市民の声として原爆兵器の廃止を入れ全世界にこれを発表して下さい、との緊急動議が出され参加者拍手のうちに可決、続いて議長団より指名された宣言起草委員によって全世界に向って平和のための宣言が発表された。午後5時大会は第二部の映画「ドン底」の上映に移った。

平和擁護広島大会宣言

自由と平和を保証した日本の民主主義革命は最近極めて危険な状態を示してきました。好戦的なファシストたちは、またもや戦争によって利益を得ようとしはじめ、そのための障害となる政治・経済の分野は勿論、科学、芸術、思想、教育などにおいて、さらにそれは日常生活の瑣細な一点に至るまで、総ての民主主義的なものに対して狂暴な圧迫を加えつゝあります。このことは自由と平和を愛好してやまなかったわれわれがかつてのファシズムの被害者としての経験から身をもって知るところの現実であります。ことに民主主義革命の先頭に立ちその主体的役割を果しつゝある労働者階級の諸運動に対しては、最近血を見るほどの暴虐ぶりを示しております。政令、規則、条例などの公布による思想、集会、言論、結社、団体行動の自由に対する明白な蹂躙、全国到る所で惹起する労働争議並びに民主団体に対する警官隊を動員して無謀な弾圧など、憲法によって保証された基本的人権圧殺の事実は、まさにその集中的な現れであります。こうした今日の日本の現実からは、われわれが希ってやまない自由も平和も民族の独立も期待出来ません。さらにこのことは厳粛な世界史の方向にも逆行し人類に課せ られた論理をも無視したものであります。われわれが自然のような強さと深い憂いをもって平和のための一文を草したのもここに由来するものであります。
われわれはこのような矛盾に満ちた現実の中から自由と平和を闘いとるために民主主義革命の先頭をゆく労働者階級との結ぴつきを飛躍的に強化し農民、家庭婦人、青年、学生、中小商工業者たちとも親しく手をとり合い、知識人をもひろく結集して、平和のための一大防壁を築くと共に、今日の国際平和闘争デーを闘いつゝある全世界の平和を愛好する人々の総てと手を握り”戦争ならびにファシズム反対、平和擁護”のための世界的規模における闘いを推し進めねばなりません。
思いまするに、われわれが平和の象徴である広島の地から、こうした平和のための一文を掲げ、人民各層に呼びかけねばならなかったこのこと自体が自由、平和、民族の独立の危機!今日の現実が含む一切の矛盾!人類の生存にとって大きな不幸を招く危険!それらを極めて身近かに象徴していると思います。
われわれは以上のような趣旨によって、人民各層が一人残らず、これに参加し、実に強力な結集と統一との秩序ある広汎な組織を希望いたしますと同時に、われわれはその先頭に立って闘うことを宣言します。
最後に人類史上の最初に原子爆弾の惨禍を経験した広島市民として「原子爆弾の廃棄」を要求します。
1949年10月2日
国際平和闘争デー 平和擁護広島大会

出典:『ひろしま民報』第19号(1949年10月10日)

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広島県立文書館の特別展の展示より
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