1.訪日濠州議員団動静
ハイレン氏を団長とするムーレイ及クック両上院議員及フランシス、ラッセル、ライアン及びデブイッド下院議員の一行は7月18日空路岩国に到着し上京の後8月5日呉に来訪し同22日再び空路本国に帰国したが一行の当地方における動静は次の通りである。
8月5日 呉到着、江田島病院(130 Australian General Hospital)視察。ロバートソン司令官招宴。
8月6日 広島平和祭式典参列。午後呉元海軍工廠及び軍港視察
8月8日 瀬戸内海巡航
8月13日 宮島
8月16日 因之島日立造船所視察、南極捕鯨船(2隻)見学。尾道より汽車にて上京。
1.広島平和祭
原爆3周年を記念する広島平和祭式典は8月6日午前8時より同市平和広場で日米濠3国名士多数参列の下に左の順序により盛大に挙行された。
(1)浜井広島市長開会の辞
(2)広島の歌(大木篤夫作詩朗読)
(3)平和の鐘(原爆投下時間8時15分を期し)
(4)平和宣言
(5)放鳩
(6)英連邦軍司令官ロバートソン中将からマックアーサー元帥祝辞伝達及同司令官メッセージ
(7)日本側祝辞(内閣総理大臣、衆議院議長、参議院議長、(代読)文部大臣、広島県知事、呉市長等)
(8)平和記念植樹
(9)全国都市へ平和記念樹贈呈
(10)平和の歌合唱
(11)閉会の辞
尚同式典にはロバートソン司令官、アーヴィング少将の外訪日中の濠州議員団7名が式壇1列に臨席した外米軍政部職員及家族、原爆研究所職員、英濠軍将校及び同家族並に外国新聞通信員多数が参列し外国人のみにてもその数は100名以上に達した。
ロバートソン司令官及濠州議員団一行は式後商工会議所屋上から原爆跡を一望しハイレン議員団長は「広島の復興振りは日本が正しい方向へ一歩踏み出した證左である」旨のインターヴュを新聞記者に与へ、次いで平和美術展覧会に至り森元画伯の「廃虚に祈る」を特に所望買上げた。平和祭には前記式典、美術展覧会の外花行進、音楽会、慰霊祭、納涼船、各種競技大会、盆おどり等賑々しく催され No More Hiroshimas の意義深い行事を飾った。
(尚平和祭については8月16日タイム誌及びニューズ・ウィーク誌記事御参照ありたい)