日 | 没年 | 氏名 | 読み | 享年 | 備考 |
01 | 2012 | 森亘 | もり・わたる | 86 | 元東京大学総長。原爆死没者慰霊等施設基本問題懇談会座長。<投稿> |
01 | 2016 | 藤村耕市 | ふじむら・こういち | 86 | 元三次地方史研究会会長。<投稿> |
01 | 2020 | 山西義政 | やまにし・よしまさ | 97 | (株)イズミ(広島県広島市、山西泰明社長)創業者。1997年、個人コレクションを中心に泉美術館を開設。<資料年表:山西義政> |
02 | 1974 | 福田須磨子 | ふくだ・すまこ | 52 | 長崎の詩人。 |
02 | 1984 | 渡辺漸 | わたなべ・すすむ | 80 | 広島大学原医研初代所長。自宅を訪問、面談、資料閲覧・借用。 |
02 | 2005 | ヨハネ・パウロ二世 | ぱうろ | 84 | 4月2日(日本時間3日)。1981年2月25日広島訪問。<『教皇訪日公式記録 ヨハネ・パウロⅡ世』主婦の友社、19810402><投稿> |
02 | 2008 | 大北威 | おおきた・たけし | 83 | 広島大原爆放射線医科学研究所所長。ノーベル平和賞を受賞(1985年に)した「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」のメンバー。<投稿><資料年表:大北威> |
02 | 2016 | 居森清子 | いもり・きよこ | 82 | 広島の本川国民学校で被爆、児童で唯一の生存者。西本雅実「評伝」(『中国新聞』2016.4.5) |
03 | 2011 | 長崎源之助 | ながさき・げんのすけ | 87 | 児童文学作家。『広島県現代文学事典』(瀬崎圭二・記) |
04 | 0984 | 伊藤実雄 | いとう・じつお | 1946年4月の総選挙で広島全県区(当時)から初当選、1期。『古稀を越えて 伊藤實雄』(1982.2.25)<投稿> | |
04 | 1997 | 杉村春子 | すぎむら・はるこ | 91 | 女優。本名:石山春子。広島市出身で、被爆ドラマに出演。。映画吹き込み場に立ち会う。『広島県現代文学事典』(九内悠水子・記)。<投稿> |
05 | 1958 | 岡本尚一 | おかもと・しょういち | 66 | 弁護士。広島・長崎の被爆者とともに原爆求償同盟を組織し、1955年4月、東京地裁に、原爆投下の国際法違反を明確にし、被害の賠償を求める訴訟を起こす。<『原爆民訴或問』> |
05 | 1960 | 楮山ヒロ子 | かじやま・ひろこ | 17 | 広島で被爆。急性リンパ性白血病のため広島市民病院で死亡。<投稿>。<原爆ドームと楮山ヒロ子> |
05 | 1961 | 都築正男 | つづき・まさお | 68 | 東京帝国大学教授。遺族宅を調査<投稿> |
05 | 1964 | マッカーサー、ダグラス・ | 84 | 連合国軍最高司令(1945~50年) | |
07 | 1971 | 椎尾弁匡 | しいお・べんきょう | 94 | 全日本仏教会副会長、大正大学学長、増上寺大僧正[原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員]。[日本原水協代表委員]。 |
07 | 1990 | 大原亨 | おおはら・とおる | 74 | 元社会党代議士(広島選出)。党原爆対策特別委員会などを歴任。衆議院議員。『志あるところ必ず道あり 大原亨追悼録・遺稿集』(発行編纂委員会、19910806)。宇吹の高校時代の同級生の父。 |
07 | 1957 | 羽仁もと子 | はに・もとこ | 83 | 自由学園長・全国友の会会長[原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員]。[日本原水協代表委員]。 |
08 | 1982 | 上代タノ | じょうだい・たの | 95 | 「世界平和アピール七人委員会」のメンバー。1956年から9年間、日本女子大学学長。[77被爆国際シンポ日本準備委員会結成呼びかけ人]。[82推進連絡会議呼びかけ人]。 |
09 | 2010 | 井上ひさし | いのうえ・ひさし | 75 | 日本劇作家協会理事、社団法人日本文藝家協会理事、社団法人日本ペンクラブ会長(第14代)などを歴任。<投稿> |
10 | 1959 | 瀬戸奈々子 | せと・ななこ | 27 | 『かえらぬ鶴』(瀬戸奈々子・林田みや子、二見書房、19611012) |
10 | 2004 | 小黒薫 | おぐろ・かおる | 90 | 1974~1978年、広島女学院大学長<投稿> |
11 | 2001 | 稲賀敬二 | いなが・けいじ | 73 | 国文学者。平安文学。1947年(昭和22年)広島高等学校文科甲類卒業。広島大学名誉教授。『明日何方ぞ迷い猫 稲賀敬二遺文集』<資料年表:稲賀敬二> |
11 | 2016 | ユソフ、ペンギラン | ゆそふ、ぺんぎらん | 94 | 元南方特別留学生として広島文理科大学に在学中被爆。元ブルネイ首相。<投稿> |
12 | 2017 | 葉山、ペギー | はやま、ぺぎー | 83 | 歌手。祖父が広島で被爆死。1965年広島賛歌「ああ広島」を歌い、レコード化。第1回「広島平和音楽祭」に出演。 |
13 | 1980 | 蜂谷道彦 | はちや・みちひこ | 76 | 「ヒロシマ日記」の著者で被爆者。<投稿> |
14 | 1986 | ボーボワール、シモーヌ・ド・ | ぼーぼわーる | 78 | 仏の作家。1966年10月、来広し、原爆資料館などを見学。<宇吹=京都での講演会を聞く> |
14 | 2001 | 勅使河原宏 | てしがわら・ひろし | 74 | 映画監督、草月流家元。<投稿>。 |
15 | 1980 | サルトル、ジャン・ポール・ | さるとる | 仏の哲学者。1966年来広し、原爆病院など訪問。長崎も訪問。 | |
15 | 19895 | 調来助 | しらべ・らいすけ | 長崎大名誉教授(被爆者)。「医師の証言・長崎原爆体験」などの著者。長崎市栄誉市民。 | |
16 | 1972 | 川端康成 | かわばた・やすなり | 72 | 日本ペンクラブ会長[50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。<投稿> |
17 | 1992 | 秦野裕子 | はたの・ひろこ | 広島大学原医研事務官。職場の同僚 | |
17 | 1996 | 藤居平一 | ふじい・へいいち | 80 | 日本被団協初代事務局長。聞き書きを作成 |
18 | 1955 | アインシュタイン、アルバート | あいんしゅたいん | 76 | 理論物理学者。ユダヤ系ドイツ人。ナチスに追われて渡米。ルーズベルト大統領に原爆開発を提言。Albert Einstein |
18 | 1961 | 長田新 | おさだ・あらた | 75 | 広島大学教授。[50ヒロシマ・ピース・センター理事]。[51広島大学平和問題研究会理事]。[日本原水協代表委員]。<「原爆の子」の父長田新> |
18 | 1971 | 大木正夫 | おおき・まさお | 69 | 作曲家。交響曲「ヒロシマ」。 |
18 | 1993 | 羽原好恵 | はばら・よしえ | 47 | RCC勤務。研究会で面識。<投稿> |
18 | 2016 | 金子満広 | かねこ・みつひろ | 91 | 日本共産党書記局長、衆議院議員など歴任。 |
22 | 1981 | ダフ、ペギー | だふ・ | 71 | イギリス生まれの平和運動家。「軍縮と平和のための国際連合」(ICPP)書記長。1977年以降の原水爆禁止統一世界大会の大会宣言起草委員長を務める。 |
22 | 1985 | 原田勉 | はらだ・つとむ | 1953「酔心」旗揚げ。『なに糞経営愕』(原田勉、朝日書院、19650625) | |
22 | 2000 | 武谷三男 | たけたに・みつお | 88 | 理論物理学者で素粒子論の第一人者。戦時中、理化学研究所で仁科芳雄に協力し原爆開発研究に従事。<投稿予定> |
23 | 1960 | 賀川豊彦 | かがわ・とよひこ | 72 | [50ヒロシマ・ピース・センター建設協力者]。国際平和協会会長[原水爆禁止世界大会日本準備会代表委員]。[日本原水協代表委員]。キリスト教社会運動家。『広島県現代文学事典』(田辺健二・記) |
23 | 1973 | 阿部知二 | あべ・ともじ | 69 | 小説家。1950年?イギリスで開かれた世界ペン大会に参加、田辺耕一郎から託された被爆アルバムや資料をもとに広島の惨状を訴える。 |
23 | 2011 | 森井忠良 | もりい・ちゅうりょう | 81 | 『明日を創る―提言・新世紀の社会保障』(森井忠良、NTT出版、1996.6.6)。1972年、旧広島2区で旧日本社会党から衆議院議員に初当選、1996年に落選するまで7期。村山富市改造内閣で厚生大臣。社会党原爆被爆者対策特別委員長など。宇吹と同郷。 |
23 | 2012 | 山田浩 | やまだ・ひろし | 87 | 広島大学教授。専攻は政治史・国際関係論。<資料年表:山田浩> |
24 | 1988 | 広瀬ハマコ | ひろせ・はまこ | 83 | 元広島女学院理事長。<投稿> |
24 | 2017 | 藤居みえ | ふじい・みえ | 藤居平一夫人。<投稿予定> | |
24 | 2008 | 深川宗俊 | ふかがわ・むねとし | 87 | 歌人。本名:前畠雅俊=まえはた・まさとし)。旧三菱重工業の韓国人徴用工の指導員。三菱広島・元徴用工被爆者裁判を支援する会共同代表。<投稿> |
25 | 1951 | 藤野七蔵 | ふじの・しちぞう | 65 | 『藤野七蔵氏追懐録』(藤野七蔵氏追懐録編纂委員会、広島瓦斯株式会社内、1952年4月25日)<投稿> |
28 | 1960 | 川手健 | かわて・たけし | 県立忠海中学校在学中に広島の工場に動員中被爆。広島高等学校理科を経て広島大学文学部を専攻。1952年、原爆被害者の会を結成。偲ぶ会に参列。『広島県現代文学事典』(小宮山道夫・記)<資料年表:川手健> | |
28 | 1962 | 西本敦 | にしもと・あつし | 日本山妙法寺僧侶。日ソ協会支部事務局長。1958年原水禁世界大会で、広島-東京間の第1回平和大行進の全コースを歩く。 | |
28 | 2009 | 粟津潔 | あわづ・きよし | 80 | 「ヒロシマ・アピールズ」ポスター第2作を制作。 |
30 | 1977 | 森脇幸次 | もりわき・こうじ | 68 | 中国新聞論説委員、取締役編集局長、中国地方経済連合会常務理事。<投稿> |