日本の原水爆禁止運動と被爆者の証言活動について
1989年2月28日 宇吹暁
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・Ⅰ 原爆被害の思想化 ・
・Ⅱ 原水爆禁止運動と原爆被害・
・Ⅲ 証言活動の歩み ・
・Ⅳ 被爆者証言の意義 ・
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Ⅰ 原爆被害の思想化
資料1)「終戦詔書」 1945.8.14
敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
資料2)アメリカ人記者の質問への東久迩宮首相返書(「朝日新聞」1945.9.16)
米国民よ、どうか真珠湾を忘れて下さらないか。われわれ日本人も原子爆弾による惨害を忘れよう。そして全く新しい、平和的国家として出発しよう。米国は勝ち日本は敗けた。戦争は終った。互いににくしみを去ろう。これは私の組閣当初からの主張である。
資料3)広島原爆体験者の反応(アメリカ戦略爆撃調査団のインタビューに対する回答 1945.12)
(主婦・29歳)原爆でやられてから、私は今こそ軍需工場へ働きに行くべきだと思った。原爆はひどかった。だれもが怪我をしているのを見ているので何の悪い影響を蒙らなかったのは百人に一人にすぎないように思える。息子はたとえ大きくなっても原爆のことは忘れないだろうと言っている。
(主婦・34歳)私は、アメリカらしいやり方だと思った。私はいつもアメリカは鬼畜だと思っていたので、彼らがあのような野蛮な行為をしたことを責めはしない。彼らは、焼夷弾や通常爆弾と同じように落とすことができた。原爆のようなものを落とすことができるのは鬼畜だけだ。
(女学生・16歳)四か月も経つのに、まだ火傷が治っていない人たちがいる。子供はみな回復したが、大人たちの多くはまだ回復していない。彼らはアメリカ人を心底軽蔑しているので、もし幽霊がいるとしたら、なぜアメリカ人に取り付かないのか、と言っている。
資料4)広島市の陳情団とGHQ情報・企画担当マンソン大佐との合意内容(「中国新聞」1945.12.6)
終戦を速めたのは実に原子爆弾の威力であってこの洗礼を受けたのが不幸広島市で従って広島市が今回の戦災を被ったことは世界平和をもたらす第一歩であると同時にこれに寄与するところ誠に大なるものがあると思考されるので、復興については絶対にその特異性を認め他の戦災都市よりも優先的に復興をはかりたい。
資料5)広島市議会議長のマッカーサーに対するメッセージ要請書 The NEW YORK TIMES 1947.8.6
平和祭は、8月6日が平和に到達した日であるとともに、広島市民が世界平和に貢献する決意を新たにする日として記憶される日付であるという考えにもとづき開催されるものです。
資料6)平和祭に対するマッカーサーのメッセージ(「広島市勢要覧 昭和22年版」)
あの運命の日の諸々は、凡ての民族の凡ての人々に対する警告として役立つ。それは戦争の破壊性を助長する為に、自然力を使用することは益々進歩して、遂には人類を絶滅し、現代世界の物質的構造物を破壊する様な手段が手近に得られる迄発達するだろうと云う警告である。これが広島の教訓である。
資料7)広島市原爆犠牲者遺族援護に関する陳情書
(広島市長・広島市議会議長 1951.11.24)
当時広島市は全市要塞化し市民及県下より動員されたものはすべて老幼男女の区別なく軍命令により義勇隊員として軍都広島市の守備に任じて戦場にあった旧軍人と同じ立場に置かれていた。(中略)
一、原爆により死没した義勇隊員の遺族に対して旧軍人軍属と同様の国家補償を与えられたいこと
二、学徒動員により死没した学徒の遺族に対して前項同様国家補償を与えられたいこと
三、前二項の犠牲者の霊を靖国神社に合祀すること
資料8)広島平和都市記念碑碑文(1952.7.22文案完成、8.6碑除幕)
安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから
(英文)Let all the souls here rest in peace
For we shall not repeat the evils
資料9)雑賀忠義(碑文作成者)の考え(「中国新聞」1952.11.11)
広島市民であるとともに世界市民であるわれわれが過ちを繰返さないと霊前に誓う-これは全人類の過去・現在・未来に通じる広島市民の感情であり、良心の叫びである。「広島市民が過ちを繰返さぬといっても外国人から落とされた爆弾ではないか。だから繰返さぬではなく繰返させぬであり、広島市民の過ちではない」とは世界市民に通じないことばだ。そんなせせこましい立ち場に立つときは過ちは繰返さぬことは不可能になり霊前でものをいう資格はない。
資料10)原爆被害者の会会則(1957.8.10)
一、この会は原爆被害者の会といい、原爆の被害者によってつくられます。
四、会は被害者が団結して多くの人々との協力のもとに、治療生活その他の問題を解決し、あわせて再びこの様な惨事のくりかえされないよう平和のために努力することを目的とします。
五、この会は目的実現のために次の事業を行います。
① 原爆傷害者の治療援助を当局に要求し、その他種々の便宜をつくり出す。
② 原爆による生活困窮者の就職、生活援助を会員相互の協力によって行う。
③ 各種の方法により平和のための事業を計画する。
④ その他目的実現のため、会の決定したこと。
資料11)原爆被害者数をめぐって
1945.11.30現在 | 広島県警察部調査 | 306,545 (戦災者) |
1950.10.1現在 | ABCC調査 | 158,597 (広島市に「現在」したもの)(283,508)(広島・長崎両市合計) |
1951.5 | 広島市調査 | 57,902 (死没者、1952.8慰霊碑奉納) |
1972.9.30現在 | 広島市内被爆二世 | 66,627 (住民基本台帳より) |
1978.3.31現在 | 外国人被爆者手帳所持者 | 4,353 (推定) 広島被爆 3,989 長崎被爆 364 広島市内居住 1,860 |
広島市原爆被爆者動態調査事業報告1988.8
内死亡 | 内生存 | ||
被爆当時広島市内居住被爆者 | 284,758 | 123,010 | 154,292 |
被爆当時広島市外居住被爆者 | 149,231 | 48,522 | 97,056 |
不詳 | 28,935 | 17,949 | 3,169 |
合計 | 462,924 | 189,481 | 254,517 |
1945末までに死亡 | 77,576 | ||
原爆医療法施行前に死亡 | 94,894 | ||
1957.4.1~調査時死亡 | 88,601 | ||
死亡時期不詳 | 5,986 |