広島平和をきずく児童・生徒の会日記
(1955年10月-1957年3月)
年月日 | 事項 |
19551025 | 佐々木禎子さん原爆症でたおれた。 |
19551110 | 幟町中の級友、全国中学校長大会で平和を訴え、「原爆の子の像」を作るビラをお願いした。 |
19551225 | 禎子さんの級友が「こけしの会」をつくる。 |
19560128 | 広島市小中高校が一つになり「平和をきずく児童生徒の会」を結成、宣言文を読む。会則を決め役員を選挙する。 |
19560325 | 「原爆の子の像」を建てる全国運動をおこし、趣意書を全国のお友達にくばる。 |
19560425 | 会の委員、街頭募金第1回を行う。 |
19560701 | イギリス・ハンガリヤ等外国からも激励文が来はじめる。 |
19560806 | 会の代表、原水禁広島大会へ参加、世界の子供が平和への手をつなぐ運動をおこす。 |
19560809 | 委員長中村君、長崎世界大会に出席、外国代表に会のメッセージを手渡した。 |
19561010 | 像の制作者選考にとりかかり、大人の美術家に相談する。 |
19561015 | 像の制作者、東京芸大教授菊池一雄先生に決定。 |
19561020 | アメリカ文化センター・フツイ館長、ノーマン・カズンズ氏をたずね、アメリカの友達とも文通することをお願いした。 |
19561128 | 菊池先生来広、制作計画をたてられる。 |
19561231 | 像の募金を締切る。 |
19570227 | 総会を開き会計報告をし、反省会をする。 |
19570310 | 像の模型出来上り菊池先生来広。 |
出典:『平和』第5号(広島平和をきずく児童・生徒の会、1957年8月5日)