国連大学主催「平和・安全保障と軍縮に関する東京セミナー」
| 回 | 発言者 | 演題 |
| 1回(19811207)A 地域の平和と共通の安全保障を考える | ||
| (会場) 高輪プリンスホテル | ||
| オロフ・パルメ(前スウェーデン首相) | 独立委員会の仕事と共通の安全保障について | |
| ラジニ・コタリ(インド) | 専門家の研究と大衆運動を基盤にして | |
| 大石武一(国際軍縮促進議員連盟会長) | 国際連合の精神と日本の役割 | |
| 坂本義和 | 軍縮の新たな展望 | |
| 永井陽之助 | 新たな「平和の構造」を求めて | |
| 宮崎繁樹 | 核兵器の違法性と非核地帯 | |
| アリ・アラタス(インドネシア) | 東南アジア諸国連合の緩衝的役割の可能性 | |
| トー・カー・フーン(マレーシア) | ASEAN諸国と日本への期待 | |
| ジャン=マリ・ダリエ(フランス) | EC諸国の歩みと平和への道 | |
| 関寛治 | 世界の軍事化の要因と新しいネットワーク 広島大学の研究プロジェクトから | |
| アルフォンソ・ガルシア=ロブレス(メキシコ) | 非核地帯条約の成立過程について | |
| ヨセフ・チランキエヴィッチ(ポーランド) | 非核地帯構想とポーランドの平和について | |
| 〔討議〕 | アジアの非核問題と日本 | |
| (発言者) オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア)、田英夫(参議院議員)、秦豊(参議院議員)、永井陽之助 | ||
| (19811208)B 被爆地・広島で平和を考える | ||
| (会場)広島平和記念館 広島会議 | ||
| 今堀誠二 | 広島・長崎の被爆研究の成果をもとに | |
| 荒木武 | 原爆の犠牲者に捧げた言葉とともに | |
| 本島等 | 核廃絶を訴える被爆者の心を伝えたい | |
| 〔被爆体験者の訴え〕 | ||
| 栗原貞子 | 2編の詩に寄せて | |
| 深堀義昭(長崎県被爆者手帳友の会事務局長) | 被爆者の実態を知ってほしい | |
| 松重美人 | 爆心地を撮影したカメラマンとして | |
| 秋月辰一郎(長崎・聖フランシスコ病院院長) | 医者として体験した被爆の姿 | |
| オルセグン・オバサンジョ(ナイジェリア) | “ヒロシマ”体験は非核運動の原点だ | |
| ガルシア=ロブレス(メキシコ) | 国家元首に広島訪問を義務づけたい | |
| 森滝市郎 | “広島以前”と“広島以後”で人類史は変った | |
| 庄野直美 | シェルター論や放射線の遺伝問題にふれて | |
| 軍縮問題にみるネコとネズミ論争 | ||
| 宍戸ヒロシ(山口県・大島教会牧師) | ネズミの軍縮会議にネコが議長である | |
| オロフ・パルメ | 二匹の猫と国連の役割について | |
| ゲオルギ・アルバトフ | 恐しいのは敵ではなく”無関心”だ | |
| オロフ・パルメ | この深い衝撃と感銘を世界につたえたい | |
| 2回(19821029-31)C 核時代の平和をもとめて | ||
| (会場)国連大学 | ||
| 矢野暢 | 地域的安全保障とアジア | |
| ライモ・バウルネン | 核の悪魔にいかに対処するか | |
| スミトロ将軍(インドネシア) | 安全保障への地域的アプローチ | |
| 安川壮(元駐米大使) | アジア・太平洋における日本の役割 | |
| エドムンド・オスマンチク(ポーランド) | 地域安全保障に関するラパツキー案について | |
| フランク・バーナビイ | 超大国の軍事政策と新たな防衛政策 | |
| 大西昭 | 軍備競争の軽減と経済的影響 | |
| 栗野鳳(広島大学教授・平和科学研究センター) | “平和的生存権”と日本 | |
| ブレークウェイ | 普遍的な運動の努力を惜しまずに | |
| 〔討議〕パルメ委員会報告をめぐって | ||
| 武者小路公秀 | 国連大学の性格について | |
| 〔討議〕平和研究機関としての国連大学の可能性 | ||
| 3回(19840415-17) | ||
| 4回『1985』 | ||
出典:『核時代の平和をもとめて』(永井道雄著 、国際連合大学 発行、東京大学出版会発売、19840324)