ひろしま平和の歩み(広島平和文化センター編・刊、19680801) 目次
執筆者 | ||
序 | 山田節男(広島市長) | |
まえがき | 「平和の歩み」編集委員会 | |
改訂版19730806発行。以下の目次・情報は改訂版 | ||
資料提供のための座談会出席者=伊藤正子、大原三八雄、河本一郎、金井利博、桑原英昭、谷本清、升川貴志栄。その他の協力者=浜崎左髪子、増田勉、浜野千穂子。 | ||
1 | 原爆被災救援の活動 | 庄野直美 |
被爆直後の応急措置 隣接の各地から 救援隊 一〇日後でも死体散乱 救援者も放射能の犠牲に すばやかった科学者の活動 内外からの救援金 ケロイドの治療 広島原対協の発足 原対協の事業の内容 市が被爆者調査の試み 医師の治療活動の開始 全国的な救援活動 生活救護への道開く 被爆者による救済活動 原爆被害者の会 大きな運動の流れの中へ 広島県原爆被害者団体協議会 日本原水爆被害者団体協議会 統一を貫く日本被団協 医療法は一三回改正 被爆者特別措置法の制定 |
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2 | 原爆孤児・孤老の救済活動 | 今堀誠二 |
投げ出された孤児・孤老 涙の記憶しかない兄弟たち あらゆる悲境に耐える 広島子どもを守る会 新しいおかあさんができた 石井好子やダークダックスも 家族四人が全滅した子 浮浪者となった少年 一〇歳の少女の受難 学童疎開から帰ってみると 連帯のいとぐちをつかむ あゆみグループの誕生 中野教授夫妻が親がわり 被爆の体験を訴えて歩く 諸外国からも激励の人々 さまざまの困難にぶつかる 日常の中から平和をめざす 全市民の支援の中で |
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3 | 平和祭のあゆみ | 今堀誠二 |
二二年に第一回の平和祭 慈仙寺鼻で平和宣言 マッカーサーもメッセージ 全世界に反響を呼ぶ 爆音にかき消された第二回平和祭 占領軍の禁止命令 過去帳の奉納始まる ビキニ被災で盛りあがる 三〇年から全国に式典中継 |
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4 | 平和記念施設の歴史 | 今堀誠二 |
広島市民と七つの川 永久平和めざす丹下構想 平和大学 平和図書館の夢も 平和都市建設法が実現 迷える霊の供養塔 ハニワの家を型どった慰霊碑 ヒロシマの焦点原爆資料館 狭くなってきた記念館・公会堂 新生広島の百メートル道路 国民運動でドームを保存 |
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5 | 外国人による活動 | 庄野直美 |
ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」 平和請願一〇万人運動 原爆孤児精神養子運動 ヒロシマ・ピースセンターの活動 原爆乙女をアメリカで治療 シュモー・ハウスを一九戸建設 ドイツから平和の鐘 仏人モーリス氏の「広島憩いの家」 ヨット「フェニックス号」と広島 ベトナム人への支援も レイノルズ夫人と世界平和巡礼 ウ・タント総長に白書を要望 ワールド・フレンドシップ・センター |
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6 | 世界連帯の活動 | 小谷鶴次 |
戦争そのものの絶滅を 国連加盟への市民運動 二六年に国連協会県本部 加盟後の普及活動 アウシュヴィッツとの連帯へ 七万キロを平和行進 三八年にアウシュヴィッツ委 世界連邦運動の展開 二四年に連邦運動スタート 二七年に世界連邦アジア会談 市民の意志で「広島宣言」 海外にも大きな反響 一〇万人署名をもとに平和都市宣言 戦争放棄の精神を決議 「世界連邦」の県宣言 西日本大会ではドーム保存支持 サーバス友の会 市民代表の欧州訪問 |
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7 | 文化・報道関係の活動 | 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美 |
「中国文化」で原爆特集 栗原貞子の「生ましめん哉」 壊滅した中国新聞の再刊 正田篠枝の「さんげ」 原民喜・大田洋子の作品 押収された「ピカドン」 峠三吉の反戦運動 若い画家たちと平和美術展 ガリ版刷りの「原爆詩集」 映画「原爆の子」作成 日本ペンクラブも平和宣言 続々と被爆体験記 若い作家らの活躍 「広島の詩」が海外に反響 平和の原点を考える さらに体験の発掘へ |
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8 | 原爆被災・平和問題に関する研究活動 | 小谷鶴治・今堀誠二・庄野直美 |
直後の医学者の活動 専門家による療養方針 プレスコードで資料手放す 悪条件下でも研究続く ABCCの調査活動 講和とともに発表の活発化 広島の科学者の自主研究 市の機関も研究を助成 三六年に広島原爆医療史 自然科学の原爆白書 広大原医研が活動開始 社会科学の研究活動 国際平和の諸研究から 広島大学に平和問題研 学生グループの活動 二八年に「広島大学人の会」 被爆者の心理・生活の調査 「談話会」の発足と活動 |
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9 | 民間団体の初期における諸活動 | 今堀誠二 |
二四年に平和擁護の第一声 ストックホルムアピールの反響 文化団体も活躍 朝鮮戦争下も続く 原爆被害者団体の結成 宗教団体も独自の活動 努力の積み重ねに期待 |
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10 | 市民による特殊な平和活動 | 庄野直美 |
原爆体験記を発刊 原爆の子友の会の活躍 原爆の子の像 これはぼくらの叫びです 折鶴の会が発足 現在も活動 原水禁広島母の会 会誌「ひろしまの河」発行 運動の分裂が与えた影響 談話会の発足 原爆白書運動の胎動 政府による白書製作を提言 平和七人委も強く要望 日本学術会議も起つ 白書をすすめる市民の会 胎内被爆者を守る「きのこ会」 ベトナム戦傷孤児の救援 さまざまの市民運動 |
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11 | 原水爆禁止三団体をめぐる動き | 庄野直美 |
ビキニ被災事件 反核の叫び全国に広がる 広島の婦人の動き 国家保障を求める決議 東京杉並の婦人たち 下から支えられた運動 重さ一二五キロの署名簿 原水禁広島県協議会 原水禁世界大会の発想 中央と広島の運動の相違点 広島は原体験から出発 第一回原水禁世界大会 場外にあふれる参加者 歴史的な広島アピール 右翼団体の妨害も 広く具体的な運動へ 被爆者援護の方向へ 平和行進も始まる 安保問題で離脱騒ぎ 第一回目の分裂起きる 第二回目の分裂起きる 広島県民の使命訴える 被爆者援護の請願続く 第九回大会は県原水協が運営 超党派の市民運動も進む |
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―平和の歩み― 年表 | ||
執筆者: 小谷鶴次、今堀誠二、庄野直美 |