広島大学霞キャンパス開発
(=広島陸軍兵器補給廠の建造物消滅)の歴史
1940年頃 |
原爆による建物被害(出典:経済安定本部の1948年1月調査資料)
区分 | 被害程度 | 棟数 | 床面積 (坪) |
平均取得年次 |
木造 | 全 | 60 | 6,551 | 昭和14年 |
木造 | 中 | 92 | 12,720 | 昭和13年 |
耐火構造 | 小 | 26 | 10,242 | 明治42年 |
1957年頃(広島大学医学部・同付属病院の移転当時)
レンガ造りの建物は残り、補修工事を施した上で使用された。 |
1960年新病棟完成
出典:『広島大学25年史・部局史』。 |
資料:新病棟建設の経緯
ABCCは、数年間にわたり、広島および長崎の学術指導者として協力して、広島・長崎両大学に原爆被爆者に対する診療施設を設置するために米国より助成金を求める計画に努力した。この計画の達成は、予想以上に手間どり多くの困難があったが、1960年1月米国大使と日本国外務大臣との間で、各大学に300,000ドル(108,000,000円)を寄付することを確認する覚書が交換された。 |
『原爆傷害調査委員会年報60-61』より |
昭和35年[1960年]度政府予算案に本学付属病院の増築計画が組み入れられた。この計画予算は、1億1000万円で米国政府から贈与される予定の「余剰農産物売上げ積立金」を財源にしたものである。昭和35年9月に始められた新病棟建設工事は翌36年6月に完成した。本学初めての鉄筋5階建て新病棟(約3300平方メートル)の落成式は、同年10月19日に駐日アメリカ大使ライシャワー氏夫妻の出席を得て、盛大に行われた。 |
『広島大学医学部30年史』より |
新しい建物が望まれた
原爆放射能医学研究所が入った3号館(1963年3月) |
広島大学原爆放射能医学研究所玄関(1962年3月)『広島大学原爆放射能医学研究所年報第3号』より。 |
霞キャンパスの諸施設の改修・建設経緯
着工-完工 | 施設名 | 旧兵器補給廠の建物 |
1960.9-61.6 | 病棟(5階、現西病棟)の新築 | 16号館取り壊し? |
1961.10-62.4 | 3号館、10号館の改修 | |
1962?-63 | 11号館の改修 | |
1963-65.3 | 付属病院中央診療棟(3階)の新築 | |
-67.12 | 医学部解剖実習室の新築 | |
-68.2 | 医学部付属病院病棟(8階)の新築 | |
1969.11-70.6 | 実験室、講義室の新築 | 4号館の全部、1・2号館の一部が取り壊し |
-71.3 | 医学部基礎研究棟(9階)の新築 | |
1971.12-73.2 | 臨床研究棟、臨床講義棟の改築 | 7号館の全部、5号館の一部が取り壊し |
1973-76? | 外来棟、中央診療棟の改築 | 10号館の全部と8号館の一部が取り壊し |
1974.3-74.3 | 薬学科校舎の新築 | |
『広島大学医学部30年史』より。 |
1975年?
(まだ、1・3・5・6・8・10・11号館が残っていた。)
『広島大学医学部30年史』より |
1998年5月
(現在、唯一残っている11号館東側)