『波乱の生涯を全力でつくした七十年の斗魂』(金本邦夫著、財団法人富士社会教育センター刊、19960520刊)目次抄
章節 | |||
出版に寄せて | |||
はじめに | |||
1 | 小さい頃と両親のこと | ||
2 | 小学校時代のこと | ||
3 | 青年団活動 | ||
4 | 大東亜戦争のこと | ||
4-12 | 原爆と終戦 | ||
5 | 音戸町体育協会のこと | ||
6 | 全力つくした町議会議員 | ||
6-1 | 戦後第1回統一地方選挙に出馬。<音戸町議員> | ||
6-2 | 戦争未亡人救済の町営授産場設立に努力 | ||
6-3 | 町立保育所の設立を実現 | ||
6-4 | 音戸高等学校誘致に死力をつくす | ||
7 | 呉造船労働組合時代 労働運動に生涯をかける決意 | ||
7-1 | 労働運動に入るきっかけ | ||
7-2 | 給料遅配に特別交渉委員。出征兵士見送り同様の壮行会で上京 | ||
7-6 | 全国初の厚生年金還元融資の串山住宅 | ||
7-7 | 中国労災病院呉誘致に一役買う | ||
7-9 | 呉造船独立と労働組合 | ||
7-10 | 生協売店市中進出反対デモの応対。本部建設に一役、音戸取次所を自宅に | ||
7-12 | 労働組合長に就任 | ||
7-13 | 年満者夫婦の招待慰安旅行の実施 | ||
7-16 | 組合特自の共済規定の実現 | ||
7-17 | 家族会の結成と家族相談室の設立 | ||
7-19 | 年満者引続き雇用を要求・遂に呉船産業株式会社設立を実現 | ||
7-20 | 毎日新聞全国版(1961年2月4日)に40代の顔として紹介される | ||
7-22 | 組合結成十五周年記念事業として十五年史発刊と会館建設を実施 | ||
8 | 広島全労議長として活躍 | ||
8-1 | 造船総連、総同盟等の上部役員 | ||
8-2 | 広島全労議長に就任 | ||
8-3 | 県関係の各種委員に任命される | ||
8-4 | 日本生産性本部米国派遣視察。労働者チーム十二名の団長として | ||
8-4-1 | 出発に郷里で見送り壮行会 | ||
8-4-2 | いよいよアメリカ、主要都市周辺のこと | ||
8-4-3 | 労働組合が国旗と組合旗を尊重 | ||
8-4-4 | 徹底している産業別組織の確立。大手鉄鋼会社で県出身二世課長の案内 | ||
8-4-5 | 組合大会を見学、幹部と懇談。働きすぎの日本におひやかされる | ||
8-4-6 | 日系人のこと | ||
8-4-7 | 手土産と家庭訪問 | ||
8-4-8 | 余話 | ||
8-5 | 最賃法裁判で基準局賃金課長を激励 | ||
8-7-1 | |||
8-6 | 憲法調査会の公述人として意見陳述 | ||
8-7 | 核禁会議の結成で原水協とテレビ対決 | ||
8-8 | 労済、労住、労福協の結成 | ||
8-8-1 | 植木仙次郎氏8-5の功績 | ||
8-8-2 | 広島県労働者共済生活協同組合の設立 | ||
8-8-3 | 広島県労働者住宅生活協同組合の設立10月 | ||
8-8-4 | 広島県労働者福祉対策協議会結成 | ||
8-8-5 | 結成周年記念式典の思い出 | ||
8-8-6 | 焼山政畝団地造成の思い出 | ||
8-8-7 | 音戸波多見竹田浜埋立団地に | ||
8-9 | 労働争議の斡旋、調停、指導 | ||
8-9-1 | 西美電気西光精機(現テンパール工業) | ||
8-9-2 | 府中町静養院の争議 | ||
8-9-3 | ニコニコバスの争議 | ||
8-9-4 | 日東製網の争議解決に努力 | ||
8-9-5 | 佐竹新労結成は暴力を排除して | ||
8-9-6 | 激しかった当時の労働争議 | ||
8-9-7 | 国鉄、電産のスト、労使に苦言 | ||
8-9-8 | 地労委としての私の基本的考えと携わった事件 | ||
8-9-9 | |||
8-9-10 | メーデー改善を訴える | ||
8-9-11 | 講演依頼やテレビ、ラジオの対談。常にマスコミの対象にされる | ||
8-9-12 | 同盟会議結成の準備と全労議長退任 | ||
9 | 職場復帰で全力投球 社長表彰、更に営業で実績 | ||
10 | PTA活動と小、中学校の分離推進で中学校建設に献身 | ||
11 | 生涯民社党を貫く | ||
12 | 思い出深い選挙活動 | ||
まえがき | |||
12-1 | 衆議院議員前田栄之助先生を支えて | ||
12-2 | 民社党結党直後の衆院選、私に出馬要請されるも遂に辞退 | ||
12-3 | 永野巖雄先生とのかかわり | ||
12-4 | 二区衆議院選に香河直祐氏。選対委員長を引受けて闘う | ||
12-5 | 山田節男先生と私。参議院選挙と広島市長選挙 | ||
12-6 | 浜田光人先生、衆院選擁立について | ||
12-7 | 保野健治郎先生の選挙 | ||
12-7-1 | 呉市長選擁立に社公民三党の話合い | ||
12-7-2 | 二回目の市長選は未曽有の激戦 | ||
12-7-3 | 衆院二区に擁立して健闘。事務長を引受ける | ||
12-8 | 小西博行先生擁立に主役。経緯と参院選 | ||
12-9 | 永末英一選対委員長来呉で二区衆院候補擁立について話合う | ||
12-10 | 全国初の公民協力、勝谷勝弘氏を支援 | ||
12-11 | 盟友玉野晃君と県会議員選挙 | ||
12-12 | 玉野君病で引退説得を依頼される。後任混乱。私は苦しみ抜き、党のため遂に候補受諾 | ||
12-13 | 次期県議候補に柳田稔氏を説得 | ||
12-14 | 参院地方区佐々木秀隆候補は呉支部党員 | ||
12-15 | 呉市議選につくした私の役割 | ||
12-15-1 | 組合長在任中二回の補欠選挙に勝利 | ||
12-15-2 | 出崎文三氏をわが社社員で市議へ | ||
12-15-3 | 榊原伍市議との交友 | ||
12-15-4 | 横田勝信市議とのこと | ||
12-15-5 | 民社の申し子、重盛親聖市議。永年の結びつきと選挙を思う | ||
12-15-6 | 組織外から森岡よし子氏擁立に一役。平成七年統一地方選に初の女性市議 | ||
12-15-7 | 成功しなかった市議選 | ||
12-16 | 川尻町長選に花田博幸氏、惜敗する | ||
12-17 | 音戸町長選(平成五年)を思う | ||
12-18 | 公職選挙法違反で留置場十九日。会社、団体等役員十九件を辞任 | ||
12-19 | 民社党候補者探しは私の役目として努力 | ||
13 | 会社設立し理想に向って | ||
13-1 | IHIを中途退職して外で行動 | ||
13-2 | 株式会社くれせん設立 | ||
14 | 家庭、家族のこと | ||
15 | 大東亜戦争戦没者慰霊碑建設と老人福祉施設の建設を希求して | ||
むすびに | |||
金本邦夫略年譜 |