『未来を語りつづけて(続)ヒロシマ・平和教育の継承と連帯 原爆被爆50年事業』(広島県教職員組合、広島県原爆被爆教職員の会編、刊、19950525)
目次
| 章節 | タイトル | 著者 | 備考 |
| 発刊にあたって | 高橋晋作 | ||
| (広島県教職員組合執行委員長) | |||
| 序章 | 石田明 | ||
| (広島県原爆被爆教職員の会) | |||
| 1 | 戦争と人間の条件 | ||
| 2 | 爆心から生きて生きて | ||
| 3 | 人は生きるために生きる | ||
| 4 | 心配をこえて | ||
| 1章 | 被爆体験と教育 | ||
| 燃えて、そして燃えた | 坪井直 | ||
| すべてが無になったヒロシマ-被爆体験を語りつづけて- | 松井昭三 | ||
| ヒロシマを生きてきて-自分史としての一断章- | 寺岡昭壮 | ||
| 加害の原罪が間われた日 | 田坂積 | ||
| 黒こげの庭松と南瓜 | 下岡絹子 | ||
| 被爆・あゆみ続けた平和教育 | 空フミコ | ||
| 子らに語り継ぐ被爆体験と平和 | 大畠泰造 | ||
| 反戦・反核・反差別の闘いを | 下原隆資 | ||
| 2章 | ヒロシマ・平和教育といま | ||
| とりあげた「ヒロシマの平和教育」 | |||
| 1 | 組織的平和教育おこしの背景と動機 | ||
| 2 | 広島県原爆被爆教職員の会の結成 | 19690326 | |
| 3 | 広教組、教育研究集会の中に「平和教育」分科会を新設 | ||
| 4 | 広島県・市教育委員会の「8.6」学習提言 | ||
| 5 | “ヒロシマ・ナガサキを教えつづけることの誓いと訴え”全国にアピール | ||
| 6 | 「原爆犠牲国民学校教師と子どもの像」の建立 | ||
| 7 | 広島平和教育研究所の設立 | ||
| 8 | 平和教育の深まりとカリキュラム | ||
| 9 | 平和教育の全国への広まり | ||
| 10 | 興隆期・日教組教研・平和教育全国レポート表題で語ること | ||
| 11 | 一つのカリキュラムをみつめる | ||
| 12 | 広島県・市教育委員会の指導手引書・指導資科の配布 | ||
| 13 | 文部省「学習指導要領」の変遷と教科書検定を衝く | ||
| 14 | 平和教育と修学旅行 | ||
| 15 | 平和教育実践アンケートとその意味するもの | ||
| 16 | 全国シンポニ十周年記念。構成詩、“ヒロシマ・ナガサキを究めつづけて” | ||
| 17 | 被爆五十周年とゆるぎなきヒロシマの心 | ||
| 3章 | 戦後の平和教育理念とこれから | ||
| 戦後の平和教育をささえてきた不忘の理念 | |||
| 1 | 新教育指針 | ||
| 2 | あたらしい憲法のはなし | ||
| 3 | ストックホルム・アピール | ||
| 4 | 教え子を再び戦場に送るな | ||
| 5 | 原爆の子 | ||
| 6 | 原爆詩集・峠三吉 | ||
| 7 | 1951年、中学校社会科教科書にみる戦争体験記記述例 | ||
| 8 | 杉並アピール | ||
| 9 | 第1回原水爆禁止世界大会宣言文・1955年8月6日広島市公会堂 2 | ||
| 10 | 私は広島を証言する 八島藤子作詩 | ||
| 11 | 瞬光二十年 石田明作詩 | ||
| 12 | NG0・広島アピール | ||
| 13 | ユネスコ軍縮教育十原則 | ||
| 14 | 過去を振り返ることは、将来に対する責任をになうことである | ||
| 15 | 「広島アピール」軍縮教育国際シンポジウム、1982年10月29日 | ||
| 16 | 過去に目を閉ざすものは、現在に盲目となる | ||
| 17 | 核兵器廃絶に関する広島宣言 | ||
| 18 | 原爆ドーム保存募金運動 | ||
| 19 | 西ドイツに「広島同盟」、そのニュルンベルク宣言でみるヒロシマ | ||
| 20 | 八月六日・八月九日、広島・長崎両市の平和記念式典での両市長「平和宣言」例 | ||
| ヒロシマ・平和教育年表 | |||