『沈黙の壁をやぶって』(長崎県教職員組合長崎総支部・長崎市原爆被爆教師の会編、労働旬報社、19700809)
目次
| 章節 | |||
| はじめに | |||
| 序 | 七○年代教育創造の糧に | 宮之原貞光(日教組委貝長) | |
| 序章 | 今こそ沈黙の壁をやぶって | 坂口 便 | |
| 1章 | 長崎の原爆 | 編者 | |
| その前夜 光と雲 幽鬼の群れ 屍の列車 看護るものなく 燔祭の炎の中に 児童・生徒・教師 | |||
| 2章 | 被爆教師の体験と証言 | ||
| 生き残り三人の記録 | 城山小学校 | ||
| 城山殉難記 | 荒川秀男 | ||
| 追憶の涙の中から | 江頭千代子 | ||
| 医者がいない、薬がない | 宮本スミエ | ||
| 「二六人の教師が憤死」 | 山里小学校 | ||
| 土壕の奥に生きて | 林英之 | ||
| 熱い骨・原爆の歌 | 瀬戸口千枝 | ||
| 母の愛情すら奪う | 川口勇 | ||
| 生きながら焼けた友 | 築城昭平 | ||
| トンネル工場 | まつお びん | ||
| 屍体整理班 | 三輪博志 | ||
| 3章 | 原爆と子どもたち | ||
| 子どもの記録 | 林勝己 | ||
| 「原爆に関する調査」の集計から | 編者 | ||
| 調査を実施して 広島と長崎と 原爆はなぜおとされたか 原爆を誰が教えるか 原爆に対する子どもの感じ方 | |||
| 4章 | 原爆学級の記録-世界でただ一つの悲しい学級 | ||
| 4-1 | 原子爆弾はまだ生きている | ||
| 4-2 | 原爆学級の編成 | ||
| 4-3 | 研究発表「被爆児の心身発達について」 | 城山小学校 | |
| 4-4 | 原爆学級のその後 | ||
| 4-4-1 | 四番目の犠牲者 | ||
| 4-4-2 | 原爆教室の父 | ||
| 4-5 | 被爆二世の問題 | ||
| 資料 | 被爆児の心身発達について(昭和28年2月26日) | 長崎市立城山小学校 | |
| 目次 | |||
| 1.発表までの経緯 | |||
| 2.被爆児の心身発達について | |||
| 3.一年実験学級年長組の被爆児と対照児 | |||
| 4.特殊児童の指導の実際 | |||
| 【付】 | 原爆の児を偲びて―故橋本長利さんの霊に捧ぐ | ||
| 5章 | 平和教育の原点 | ||
| (1)芽生えは出ている 編者 | |||
| (2)スラノド台本「原爆許すまじ」 | 佐世保・平和と教育を守る高校教師の会 | ||
| (3)原爆体験記の英訳について | 編者 | ||
| (4)一つの教室実践 | 三輪博志 | ||
| (5)教え子に明るい未来を | 中西俊造 | ||
| 6章 | 原爆体験の継承と国民教育への展望 -長崎の屈折した体験の中から | ||
| 鎌田定夫(長崎県教研講師・長崎造船大学教員) | |||
| 6-1 | 原点としての“原爆”とその風化・潜伏 | ||
| 6-2 | 風化に抗して新しい創造へ -子どもと教師・父母の葛藤のなかから | ||
| 6-2-1 | 教研活動のなかでの反省と確認(小・中) | ||
| 6-2-2 | 新しい民主的学園建設の試み(高・大) | ||
| 6-3 | 被爆者たちの連帯のなかで | ||
| 終章 | 長崎の教師はこう訴える-被爆25年間の屈辱と怒り、そして70年代の教師はいま何をなすべきか | ||
| 田中義明 (長崎市立江平中学校教諭) | |||
| あとがき-この芽を枯らすことなく | 宮崎勇二(長崎県教職員組合執行委員長) | ||