『改訂版 呉空襲記』(中国新聞呉支社、19790531<初版発行は19751220>)
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007 | 海軍管理都市 | |
憲兵隊が呉市長を逮捕 目隠しの生活 サイレンで年明け |
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014 | 三月十九日 | |
初の爆撃に衝撃 民間の死者29人 土佐沖から350機 民家に爆弾直撃 国民学校も破壊 |
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022 | 広・11空廠 | |
B29百三十機が来襲 待避ごうを直撃 動員学徒も死ぬ 機械500台が被害 ものすごい爆風 |
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031 | 呉工廠 | |
20分間隔で爆撃 電動機吹き飛ぶ やっと警報解除 早瀬地区(音戸)に爆撃 隣組全員命拾い 爆弾投下336発 |
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爆弾投下336発(抄) 製鋼部は第二甲鈑鍛錬工場、製鋼実験部付近、第一製鋼工場に集中投下された。 第一製鋼工場にいた広島県賀茂郡豊栄町、農業柳井順三さん(60) の記憶。 「爆撃の威力は相当なもので、ごうの前にあった爆風よけのコンクリートが基部から完全に爆破され跡片もなくなっていた。 午後からガス工場を見回っていると、発生炉のそばにある水そうに爆弾が落下し、水そうの横をレールが通っていて、そこに止まっていた機関車は爆風で持ち上げられ脱線していた。 鋳物に使う約1トンの鉄の円盤が30メートル余り吹き飛ばされ、高さ10数メートルもある鋳物工場の屋根に投げ上げられていた」<柳井順三は宇吹の義父> |
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042 | 市街地 | |
B29八十機が来襲 全市が火の海 家族もバラバラ ごうで550人死ぬ 一夜で焦土 前進はばむ炎と煙 海軍施設でも被害 投下焼イ弾8万個 焼け跡で炊き出し もう日本はダメ |
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060 | 呉沖海空戦 | |
係留艦の燃料なし 艦載機870機が猛爆 戦艦「伊勢」に空爆 民家に米軍機墜落 「青葉」も大破、着底 「日向」夜通し炎上 ロケット弾サク裂 重巡「利根」も大破 「大淀」に水平爆撃 無傷「榛名」に猛爆 8艦で死者839人 |
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079 | 広島被爆 | |
被爆者救援 海軍救護隊も出動 |
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083 | 終戦 | |
忘れられぬ記憶 玉音放送に涙 戦災の跡に台風 焼け野原に驚く 代用食でしのぐ |
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093 | 海軍解体 | |
GHQ命令出る 水道を市に移管 機雷掃海を要求 |
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099 | 米軍進駐 | |
早速戦犯を追及 弾薬を海に投棄 遺骨も同時収容 |
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104 | 慰霊の軌跡 | |
炎天下650人参列 先細る慰霊法要 25年ぶり奉納へ 二つの碑を建立 市の手で慰霊を |
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114 | 歳月 | |
支給されぬ年金 焼イ弾右腕奪う 「よう生きて…」 まず幹線道造り 広がる記録運動 |
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124 | 被災地広がる | |
尾道市 県下初の空襲 福山市 市街地の八割を焼く 岩国市 終戦前日の猛爆 徳山市 無差別爆撃で廃墟 光市 一瞬で散った動員学徒 宇部市 空と地上からの火柱交錯 下関市 海峡も陸上も墓場に |
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147 | 呉空襲関係資料 | |
広島県下に於ける空襲被害状況表 呉空襲被害一覧表 広・11空廠工場配置と待避ごう位置図 昭和20年呉市の警報発令状況 呉市学童疎開先一覧表 勤労動員一覧表 第二次世界大戦関係雑件(被害調査)(呉市に関する報告) 呉沖海空戦の主な軍艦と戦歴 |
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181 | あとがき | |